尾崎まことの詩と写真★「ことばと光と影と」

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2005.10/22開設

北原白秋「白い月」

2006年01月21日 21時30分03秒 | 好きな詩と詩論抄
  「白い月」
    わかかなしきソフイーに

白い月が出た、ソフイー、
出て御覧、ソフイー、
勿忘草(わすれなぐさ)のやうな
あれあの青い空に、ソフイー。

まあ、何んて冷(ひや)つこい
風だろうね、
出て御覧、ソフイー、
綺麗だよ、ソフイー。

いま、やつと雨が晴れたーー
緑いろの広い野原に、
露がきらきらたまつて、
日が薄すりと光つてゆく、ソフイー。

さうして電話線の上にね、ソフイー。
びしよ濡れになつた白い小鳥が
まるで三味線のこまのやうに溜つて、
つくねんと眺めている、ソフイー。

どうしてあんなに泣いたのソフイー、
細かな雨までが、まだ、
新内のやうにきこえる、ソフイー。
ーーあの涼しい楡の新芽を御覧

空いろのあをいそらに、
白い月が出た、ソフイー、
生きのこつた心中の
ちやうど、かたわれでもあるやうに。


 目で読むと「ソフイー」のリフレインが多少ひつこいのではないかと感じましたが、日下武史さんの朗読を聞くと、このために催眠術的な効果があって心地よいです。現代詩にはない、音楽的な詩です。
さて、この詩の背景にある、本当のことは知りませんが、今はもうそこにいないソフィーに、あたかもそこにいるように、白い月の情景を切なく語りかけているような、詩として読みました。
(実際に一緒にいる恋人に、今見ている情景をこんなに細々述べるのは不自然ですから)
自分の心情をまったく述べないのに、女への哀切が伝わってくるのは見事としか言いようがありません。
最期の二行は白秋の実感ではないかと思います。(まこと)

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2 コメント

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Unknown (ソフィー)
2006-01-21 22:25:34
白秋のこの詩は初めて。名前が日本名でなくて外国の女性の名前であることから、生々しい現実感がなくて、どこか別の世界のような怖さがあるね。この詩のソフィーは作者のそばにはもういないのよね。生き残った心中のかたわれみたいな、という表現がまた怖いな。白秋の恋人の話を思い出します。一緒になったけど結局はうまくいかなかったらしい。(よく覚えてないけど、確か)「アイルランドの梟」という本を書いた中野武志さんという人の小説に「さて、月の澄みて候」というのがあるの。時代劇で田舎の藩のお家騒動の話なのだけど、最後の場面。登場人物たちは、結局みんな死んでしまって、生き残ったひとりがお屋敷の廊下から月の出ているのを眺めていると、死んだものたちが庭に現れるというのがあったのだけど、それを思い出したりしました。

この詩の「ソフィー」のリフレインは、きっと朗読したら効果的やろうね。これはきっと「ソフィー」ということばの響きとか、意味とかがこの詩にぴったりあっているのだと思う。「エリザベス」ではあかんね!
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ソフィー (まこと)
2006-01-21 23:44:40
やっぱり語尾が消えていくような、ソフィーでなくてはね。

恵子でも尚子でも美子でもあかん。

元気すぎる。

返信する

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