詩人のための村上春樹論―「神の子どもたちはみな踊る」を読む 副題「空虚」とは何か?
はじめ、このテーマで「詩の実作講座」の講演用に資料をそろえ下書きをしていたのですが、4月末発行の詩誌「イリヤ」のために書こうと決定したのが二か月ほど前です。
原稿用紙25枚くらいの小品ですが、今日一通り書き終え、ほっとしています。
ラストは「乏しき時代の詩人にあって、何のための詩人か」というハイデッガーのリルケ20周忌講演を引用し、春樹さんが詩人の代わり現代の深淵に降りていったのだと結語しました。
深夜ですが、これから最後の朱を入れて脱稿ということになります。
編集をしていただいている、左子さん、遅筆と手直し、ごめんなさいね。
はじめ、このテーマで「詩の実作講座」の講演用に資料をそろえ下書きをしていたのですが、4月末発行の詩誌「イリヤ」のために書こうと決定したのが二か月ほど前です。
原稿用紙25枚くらいの小品ですが、今日一通り書き終え、ほっとしています。
ラストは「乏しき時代の詩人にあって、何のための詩人か」というハイデッガーのリルケ20周忌講演を引用し、春樹さんが詩人の代わり現代の深淵に降りていったのだと結語しました。
深夜ですが、これから最後の朱を入れて脱稿ということになります。
編集をしていただいている、左子さん、遅筆と手直し、ごめんなさいね。