ブレンド日記

世の中の出来事・木馬での出来事・映画の感想・本の感想・観るスポーツ等々ブレンドして書いてみました。

ナマコ

2008年01月13日 | 私ごと
 昨日と今日の温度差が10℃という。いまだ風邪を引きずっていて、もう一生この声は治らないんじゃないだろうか。免疫力の回復の遅さにつくづく年を感じる今日この頃です。

 さて。
食いしん坊の私は 食べた事があるもので嫌いなものはないと思っているが、このナマコも大好物である。形を見るとなんだか薄気味悪いが、ナマコ酢でいただく時、箸で掴みにくいから硬いかな?と思うがそう硬くなく 歯に食い込むようでジュワーっと海の香りが口の中に広がり、えもいわれぬ食感で、いくらでもお酒が進む。(ナマコは酢でもち人は気でもつって言うよね)

先日ぼんやりと新聞読んでいた時、朝日新聞で面白い記事を見つけた。
ナマコは漢字で海鼠と書く、海の鼠、この色や形、そして夜になると出て来て海底を這う様子がネズミを連想させるから、ついた名前らしい。
そしてイカやタコと同じように、一杯、ニ杯と数えるらしい。

 いやぁ しかし、このナマコをはじめて食べた人は勇気があるね、そしてその内臓まで食べるとは、誰が始めて食べたんだろうね。
ナマコを冷蔵庫に入れておくと、長い白い紐のような内臓が出てくる。これを塩辛にしたのが、腸はコノワタ、卵巣はコノコ。

珍味だ。美味しいよね、だーいすき。

 というわけで、風が吹いて嫌だ嫌だ、こんなところに住みたくないと泣き言ばかり言っているが、大好物のナマコはこの時期じゃなくちゃ獲れないし、季節風ビュンビュンの日本海のナマコは最高だし、う~ん 悩めるトウのたった乙女です。

 でおいしいナマコが食べられるか否かで、私の老後を決めるというのも ナマコにとって甚だ迷惑な話だろうが、私も最近老後の事を考える事が多い。
何と言っても棲む所。特にこの寒風吹きすさぶ田舎を棄てて わらじを履くのか、それともとどまるか。
多分田舎にとどまるだろうね。毎年毎年 寒波に耐えて、虎落笛に震えて 嫌だ嫌だといいながらも、結局抜け出せないんだろうなと思う。
イソップ物語の「田舎のネズミと都会のネズミ」じゃないけれど、都会では自然が近くにない、江の川も、田園風景もない。
などと あれこれ夜も寝ないで、いやぐっすり寝て考えるに、80パーセントの確率でそういうことになるんじゃないだろうか。
ナマコの成分は90パーセント水分という、人間様だって、人格の大半は水で出来ていると何かの本で読んだ事がる。
所詮私も それと同じように人格の70パーセントは過去の記憶で構成されているのかもしれない。
ナマコと比較されてナマコ迷惑だろうか?

老人が住みなれた風景を離れ、全く新しい環境に入れられるととたんにボケるという話をよく聞くけど、うーん、私にとって残りの人生最大の問題は 塗り箸でナマコを押えるように難しい。

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雨 のち曇り 7℃

今週の頂き物のお料理(写真をクリックしてくださいね。)

2008年01月12日 | 料理

  

  

  

  

 

 今週の頂き物のお料理です。

① 鶏のから揚げ

②トンカツ

③ キャベツ一杯のカツライス

④ 大根と 豚三枚肉の塊の煮込み

⑤ 白菜と薄揚げの煮びたし

⑥ 牡蠣フライ

⑦ 鯖の竜田揚げ

⑧ ナマコ酢

⑨ 津田蕪としめ鯖の酢の物

⑩ 高菜とうす揚げの煮びたし

⑪ 山芋とがんもどきと昆布の煮しめ

⑫ 豆ご飯

⑬ フキノトウ味噌

⑭ 豚の生姜焼き

以上です。

今週は孫たちが帰省したので、揚げ物を多く作りました。

雨 のち曇り、 11℃


四角い匂い

2008年01月11日 | 木馬の事
                   

 北風が吹いても、粉雪が舞っても、厳冬でも、この時を待っていたように花を咲かせてくれる水仙。純白の花びらに黄色の花弁は、ゆで卵を思い出す。
色に乏しい季節であればこそ、自然は一つの試みとして、色に光を呼び寄せてくれているんじゃないだろうか?
薄日がさした、暖かな午後、新川沿いです。(写真をくりっくしてみてくださいね。)

 向田邦子のエッセイに「四角い匂い」という短編があった。
今手元に本がないので、曖昧な記憶で申し訳ないが、エレベーターに乗ると菊の花の匂いがした。足元に菊の花びらが落ちていた。乗っているのは自分ひとりだから、少し前に菊の花を持った人が乗ったのだろう、というような内容だった。

 散りてのち面影に立つ牡丹かな・・・与謝野蕪村だったかな?

 今当店のトイレの四角い部屋も、水仙の爽やかであまーい香りが一杯だ。
我が家の前の草むらに咲いている水仙を 片手で抱えられないほど摘んできて、広口花瓶に投げ入れしてあるのだ。
使われた方にせめて 春の季節を味わってもらいたという心遣いなのだけど。

 「ここに来るたびトイレがお花のいい匂いで、本当に毎回来るのが楽しみです。ありがとうございました。」
うれしいことにこのように言ってもらった。
何用でこの地に毎月、決まって10日前後、来られるのかわからないが、年のころなら私と同じくらいか少し若いかな?(私よりずっーと綺麗)
とても感じがよく、上品で、はきはきと話される奥さんが今日来ていってくださったのだ。
私たちは勝手に、江津出身で、県外で生活しておられる。それで親がこちらで一人住まいをしておられて、様子を確認しに来られるんじゃないのかな、などと想像しているのだが。(多分 当たらずとも遠からず じゃないかな?)
何時もの時間に、何時もの席で、何時ものアメリカンコーヒーをオーダーされて、LEEを読んで、帰られるのだ。

 私は、特ににおいに敏感だから、自然の作り出す、神秘とも言うべき、心まで癒してくれる匂いをトイレの芳香剤代わりに使っている。この前までは蝋梅、これからは沈丁花、その次はくちなし、フリージア、スイトピー、金木犀に水仙、と本当に自然が季節と共に運んできてくれるにおいは、幸せも一緒に連れてきてくれる気がするから。

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曇り のち雨 17℃ 

街角で笑う犬他 椎名誠の本を読む。

2008年01月10日 | 本の事
                                   
                               <フキノトウ>

 何はなくても春は来る。
凄いものだ、地球環境がどうのこうのといったって、ちゃーんと、フキノトウが芽を出した。今日 電工のMさんが、桜江町で見つけたと持ってきてくださる。
そうそうこの香り、春の香り・・・う~ん 春が来た。

 まだ こんなにどんよりした 肌寒い日が続いているのに、大地のぬくもりの微かな変化を感じ始めて、緑が萌えはじめているんだね。
毎年繰り返される新しい緑の目覚めや、生き物の誕生は、大地からの優しい便りだ。元気を貰って、早速 天麩羅にでもしようかな?

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 椎名誠、お正月のお休みに読んだ。DVDも見たけどこれはまたの機会に・・
硬い本じゃないので、お酒飲みながら読めるところもいいのよね。それで 
ねっ転がって全く変な姿勢で読んだので、窓拭きで痛めた四十肩が余計痛くなったのかも知れない。四十肩が・・
私がシーナ(コウ読んでいる。)を読み始めたきっかけは、@テツ君のお奨めなのだ。
そして、それより何より、写真+文章というところが気に入ったのもある。

写真誌の連載もあるらしいし、それらをまとめた単行本も文庫もあるとか。

『けれどもそれらはドキュメンタリーが主流であり、いつか純然たる
 フィクションの「写真ものがたり」をこしらえてみたいと考えていた。』といつだかある週刊誌にシーナの談話が載っていた。


この写真も、週刊誌からなのだけど、沖縄の写真みたい。(本では“街角で笑う犬”に収録されている写真です。)

シーナは語る。
このような島に行くといつだってたくさんの好きな風景があるが、とりわけて強い色彩の“熱い”風景の中に息づくそこに住む人々の表情が好きだ。と、そして
「おーいにぃにぃ ちんちん出すから写真とっちょくりぃ」と子供達が笑いながら言ったと書いてあった。

この写真も私はいいなぁと思い思わず笑ってしまったのだけど・・。

そしてシーナの一枚ずつの写真にはそれぞれ物語があり、それに付随した文章を読まなくても、見るものの頭に中に写真が語る物語が見えてくる。
モノクロの写真であるにもかかわらず、白黒の世界に潜む物語には、じーっと見ていると色彩が見えてくる気がするのだ。
どこの土地に行っても何かテーマを写し取ろうとしているのじゃなくて、風景に息づく表情を撮ろうとしているので、カメラを見つめる瞳のその向うに、たくさんの「感情」や「時」が揺らいでいる。まるでかげろうのように。そしてそれらは優しく暖かいのだ。

偉そうに、本当に偉そうですが、写真(私のはもどきですが・・)をこのブログに引っ付けるようになり、人様の写真とか、週刊誌や新聞の写真展とか、写真集とか、WEBのあちこちにある写真をよく見るようになった。
色んな写真を見るうちに、どうやら私が心を奪われたり 一瞬はっとしたりするのは、そこに「物語」が潜んでいる写真なのだと言う事がわかってきた。
たとえば一輪の花を撮っても、その美しさをそのまま写すのじゃなくて、その花が咲かすまでにあったであろう苦労とか、そこから朽ちていくであろう物語とかが、その花の佇まいや表情に表れているもの、そのような写真がどうしても撮れない私は、その辺のところでつまずいているのだと思う。少しかじっただけで壁とか本当に自分でも偉そうにと思うけど、いい写真を見れば見るほど、自分が情けなくなるのだからどうしようもない。

 シーナの本から 話はそれてしまったが、笑いながら読めるエッセイと、物語を語ってくれる写真で、本当に何度も何度も飽きるまで見てしまう本の数々でした。

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晴れ 13℃


妹のこと。

2008年01月09日 | 私ごと
                  

 暖かな春のような長閑な午後、久しぶりに新川沿いを散歩してみた。
枯れた雑草の中に、密やかに咲いていた薄ピンク色の木瓜。よく目を凝らさないと見過ごしてしまいそうな、小さな蕾に思わずカメラを向けた。
これからの季節、色々な花は待ちきれずに咲き乱れ、美しい姿で人々を楽しませてくれる。
大輪でアピールする花は、時には美しすぎて、見る者の一切の注釈を拒絶するが、小さな花は、人が見ようと見まいと、凛としてすべてを完結しているように感じて私は好きだ。(写真をクリックしてくださいね。)

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 私が子供の頃東京にいた話は何度もしたけど、この1月6日は私の一番下の妹が東京で生まれた日なのです。
でまたまた 私事で、人様には面白くもなんともない話しなのですが、私が話しておかないと、妹は永遠に自分の生まれた状況を知りえるすべがないので、プレゼントのつもりで、思い出しながらぽつぽつと書いていくね、そばかずちゃん。

 昭和28年1月6日(火曜日)
その年私たち家族は、板橋のバラック屋でお正月を迎えた。
当時 何がなくても数の子だけはあったような気がする。そしてお煮しめも、
手綱こんにゃく、短冊切りにしたこんにゃくのタテに切れ目を入れて その中に端をくぐらせて手綱のようなかたちにする。その手伝いをさせられた思い出があるのだ。
雨が降ったり、雪が降ったりすると、遊ぶ路地は敷き詰めた石畳がぐらつき、石の下からぐちゅぐちゅと、泥が跳ね上がり面白がって二つ下の妹と遊びパンツを泥だらけにしてよく怒られた。

お正月気分も抜けないその日は雪だった。朝起きると 外は絵本のクリスマスのように白く雪に覆われた家々があり、スレートの屋根も波打って見えた。そして普段見慣れている景色と違って見えて、冬の日光は目に眩しかった。

お昼過ぎ、祖母は産婆さんを迎えに言った。
そして私たち姉妹にミカンを一つず渡して「外で暫らく遊んでおいで!」と家を追い出されてしまった。
雪の積もった外で、二人してしゃがんで 雪の上に絵を描いたり 雪だるまを作ったりして遊んだ。

「さぁさ お入り」といわれてやっと家に入れてもらったのは、3時過ぎだったと思う。
そこで「また女だよ。」と祖母が言ったのを聞いた。
その時 大きな色の黒い真っ赤な女の赤ちゃんを始めてみた。これが新しい家族なんだ、私はなんだか不思議なおもいで見つめていた。
父は男の子が欲しくて仕方がなかったらしい。お前が男の子だったらなぁと、事あるごとに 私に言っていたも覚えている。
それだけに今度こそは!と思っていたのだろう。
男の子の名前ばかり考えていたらしく、その落胆ぶりは目に余るものがあった。

狭い部屋で家族みんなで枕を並べて寝ていた時、ある夜目が覚めた私は、「そろそろ名前をつけなくてはならないよ。」と母。
「面倒くさいから昭和の和を取り“和子”でいいか?」
慌てて目をつぶり聞いてない振りしていたが、何か秘密を聞いたようでドキドキしたその会話を、今でもはっきり覚えている。
それで和子と名前がついた。
この話には後日談があり、それぞれ大きくなった時「どうして私の名前はつけたの?」と聞く事がある。
私の場合は、両親が朝鮮で結婚した時、近所にとても可愛くて、聡明な女の子がいたからその名前を貰ったと、そして、二番目の妹は、母方の祖父がつけたらしくて、父の母(つまり一緒に住んでいた祖母)の名前を一字とってつけたと、その問題の妹は、「みんなで仲良く和を保てるように平和の和から取ったんだよだよ。」と言った時、私は家族平和のために板橋の夜中の事は封印するつもりでいたけど、時効です。
 
 そして、雪の昭和28年の冬は、ラジオ歌謡で高英夫の「雪の降る町を」が流れていた。その歌と雪の東京が本当にマッチして、今もあのメロディが流れると 昭和28年の雪の板橋を思い出すのです。

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晴れ 15℃

先が思いやられる。

2008年01月08日 | 四方山話
                     
                           <江の川埠頭から星高山を望む 1/7>

 どうなってるの?
♪愚痴は言うまい 言問橋で~ではあるけれど、それでも言いたくなる昨今です。

というのも こんな場末の喫茶店までも、問屋の営業が口を開くと「また値上げなんですが・・」こればかり、ったく。
今度は スパゲティにタバスコに、それから、それから・・何?
皆さんに助けられて細々と頑張っている微零細商いは そう簡単に値上げは出来ないし、かといって、このままじゃ、電気、ガス、から始まり乳製品、すべての取り扱い商品が値上がりしているし、新年早々八方塞がりだよね。

とぼやいていたら、益田まで映画(続 三丁目の夕日)を観にいって、「いやーよかった、年を取ると涙もろくなってね、綺麗な奥さんが後ろの方で、ハンカチを出して、涙を拭いていたよ、チーンと。俺も思わずもらい泣きよ。」とバカな事言いながら、鼻歌混じりにやって来たトンボが、「新年早々愚痴なんか言うんじゃないよ、値上げというのは、頑張っていたが、にっちもさっちも行かずに、根をあげるから来ているの知ってる?」と、まことしやかに言う。ホントかいな?

もう一人いつもポジティブな考えで、「人間どんな所でも先を見て頑張れば やっていけます。」と笑いながら 明るい見通しが全く見えない江津で頑張っている、我らがジンちゃんが、「いや~ もう新年早々、ろくな事がない、車はぶつけるし、風邪は引くし、ほとんど決まっていたリフォームの契約が延期になるしで、流石に究極のプラス思考のジンちゃんも八方塞がりです。」とぼやいていた。
全くいいたかないけど 五里霧中状態の木馬です。

それで落ち込みを救えるほど儲けにならないけど、木馬のトイレの水漏れ二箇所の修理をお願いした。
迅速丁寧をモットーとしている『サンシャイン』すぐ水道屋さんが来てくれて、開店以来、頑張ってくれてた給水管と、手洗いの水漏れ、を修理してくださった。
取り替えらた所々に錆びの浮いた、給水管をみいたら「32年間もよく頑張ったね。」誉めてあげたいと心からそう思った。私の歴史と同じだもの、感慨深くなるのも当然だ。
 そうそう、私の歴史といえば、何歳になっても四十肩っていうんだろうか?といったら、「四十肩とは40代の人がこの症状になった時の呼び方で、五十肩は50代のひとがこの症状になった時の呼び方で、あんたの場合は六十肩よ。」と口さがない連中が言う。

暮の大掃除で、窓ガラスを一生懸命に拭いたら、二の腕が痛くて、痛くて、たまらんようになった。それで、コーヒー屋で 不謹慎とは思いながら肩から腕から、サロンパスを貼りめぐらした。臭い、臭い。
鈍痛は治まるどころか、寝ていてもうずく。何よりパンツがあげられない。パンツ上げ係りが絶対にいる。でも私は独り者、あっさり 明治の女性みたいに大和お腰しにしたらいいかもね。
この痛みは、オーケストラの指揮棒を持つ姿勢が一番応える。つくづく指揮者にならずによかったと思う。(杞憂?)

 なんでもメンテナンスもせづに使い続けたら、そりゃ油も切れるわな、あぁ マット、デイモンか、ジョニデでも現れて、マッサージでもしてくれないかな、と思いつつ バリバリとサロンパスを剥がす。「痛たた、痛たた・・・」六十肩は夢も見せてくれないのか?

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曇り 15℃

お餅

2008年01月07日 | 木馬の事
                     

ジンちゃん一押し。これにマウスを持っている手が写っていたらもっといい と言ってくださった写真です。う~ん、いい写真を撮るのは難しい。
今年も一枚でもいい写真が撮れたらいいなぁ。

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 暖かい一日、暖房を全然使わないで、それでも手足に汗かいた。
こんなに暖かければ、桜の蕾も膨らんでいるかなと思い、車を止めて宮山公園の桜の枝を見てみたけれど、それはまだ何も変化が見られなかった。ちと気が早いかな?

 いやぁ それにしても暮から引いた風邪をまだ引きずっている、凄い声してますよ、安物の女森進一です。南ちゃんには新年早々「そりゃおかしいですよ、もしかしたら喉頭がんでは?」といわれたけれど、ホント治らない。
ハハハ(力なく笑う) 元気な時はいつだったかもう忘れた。

 さて。 
また何時もの暇な木馬が戻ってきた。
それぞれの家庭のお雑煮の話に花が咲く。Hさんの奥さんの出身の松江では、お雑煮がぜんざいらしい。
我が家はお餅を焼いて、おわんの中にお餅を入れたら、蒲鉾、せり、黒豆、海苔を乗せて、澄まし汁を掛ける、お雑煮だった。
坂の上のIさんの奥さん実家の浜田では、お餅を焼かずにそのまま澄まし汁に入れて、やわらかく形が崩れるように煮込み、オカカと黒豆を乗せただけの簡単お雑煮なんだって。

 私が子供の頃は、お餅ちといえばお米屋さんにたのんでいた。
東京カブレの父親は、餅は切り餅じゃなければ餅じゃない、とか何とか言って、こちらに来てからも、もろぶたに平たく延ばした伸し餅を頼んでいた。
それを大晦日の日に父親が切るのだ。和裁をする時に使う、鯨尺の物差しを当てて切る。時々手元が狂ってゆがんだ切り餅が出来たりしたが、「ちゃんとあてがっていないからだ!」と人の精にして怒っていた。

近年 トンボが親切に、自分の家のお餅をつく時に、ついてあげるからといってくれるのだけど、丸いお餅にするには奥さんや、おばあちゃんの手を煩わすようで(私は何にも手伝わないで・・)申し訳ないからと、今年は伸し餅に仕上げてもたった。
それを私が、牛刀で切った。カンできったけどうまくいったよ。切りながら昔を思い出してしまった。

ここの辺りはお正月の餅は、角がある角餅は 縁起が悪い、まーるいお餅は角がなく家族円満というらしい、なるほど、それも一理あるね。どうして関東は角餅なんだろう、何かイワレがあるのかな?

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曇り 時々薄晴れ 16℃

パラサイト台風今年一号!

2008年01月06日 | 木馬の事


 やってきたのだ、今年の第一号パラサイト台風が・・・
恐怖の季節風が去ったと思ったら、今度はパラサイト一家の襲撃を受ける。

しかし感激した、青天の霹靂とはこういうことを言うのだろうか?
何にって?昨年のお盆に来たときに餌で、違った、おやつで釣って教え込んだ「そのちゃんは可愛い」を覚えていたのだ。そして もうじき三歳になろうとしているのに、まだ○×☆★●◎◇◆ふにゃらやふにゃふにゃの宇宙語しか発していなくて、口では「大丈夫よ、心配しなくても」と言っていたけど、やはり言語回路が切れているんじゃないかと心配していた。それがなんと、会話が出来る、話が出来るようになっていたのだ。そりゃ驚いて感激しました。

三歳過ぎた頃から、氷が解けるように、喋りだしたらしい。
そしてパソコンのマウスを上手にクリックして、「トーマス」を飽きもせず見ている。最近の子供はこういう機械をこんなに小さいうちから扱うなんて、いいことなのか、それとも時代だから仕方ないのか、私にはよくわからない。
因みに弟が見ているのは、ジグゾーパズルのようなゲーム機で、12マスくらいあるのが、完成すると音楽が流れて、おめでとう!と画面に出るのだ。
それがもうじき二歳になるというのに、これがけっこう出来るのだから信じられない。そして“おめでとう”画面が出ると、ハイタッチして「イェイィィ」をしなくてはならないのが呆れる、何べんでも同じことを要求するのだ。

自分が子育てをしている時は 子供がこんなに可愛いとは思わなかった私。
むしろ思うようにならない時は、何でこんな子供を生んだんだろうと、運命(宿命)を呪ったりしていた。
しかし孫ってどうしてこんなに可愛いのだろうね。「そのちゃん可愛い」なんていわれたひにゃ、もう歩いて東京まで行けと言われりゃ、行きますよ。ハイ!

 日々の決まった生活は「静」だ。決まった時間に起きて、毎日変化もなく同じことを繰り返して、1年が過ぎる。しかし、孫が帰ってくると もう生活パターンは崩れ、瞬く「動」の生活になる。確かに疲れるけど、今の私には一番の楽しみなのかもしれない。また来てね。

であっという間に一泊で帰っていきました。これくらいが丁度いい。夕べは足の踏み場もない部屋を、またはいつはいつくばって、片付けて、ゆっくり休みました。
あぁ 疲れた~・・ふぅ。(写真はマゴマゴとそのオヤオヤです。)

というわけで 普通の生活が戻ってきて、新聞を拾い読みしていたら、面白い記事が目に入る。
落語家の林屋彦六の話で、晩年の彦六のところで修行した弟子の話ということで、ある正月、七草を過ぎて残りの餅を雑煮にしようとすると、すでにカビだらけだった。弟子の一人が「どうして餅ってカビが生えるのでしょう」といったら側にいた師匠が、「バカヤロー、早くくわねえからだ。」

その話を読んでいる時に、カウンターでお客さんが「どうしてもタバコがやめられん。」そういって、灰皿をくれといった。側にいた電工のMさんが、「禁煙なんて簡単だぁね、吸わんにゃええんだけ。」
電工のMさんは禁煙してもう5年にはなる。

私はもの凄く面白い会話だと思ったけど、みなポカーンとしていた。
あぁ 嫌だ、嫌だ、笑いのわからない人は・・・

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晴れ時々曇り 15℃