乙女高原ファンクラブ活動ブログ

「乙女高原の自然を次の世代に!」を合言葉に2001年から活動を始めた乙女高原ファンクラブの,2011年秋からの活動記録。

奥日光・戦場ヶ原の谷地坊主と小田代原のシカ柵

2015年07月26日 | 参加報告

夏休みを利用して、奥日光へ行ってきました。7月26~27日にかけてです。
一番の目的は谷地坊主です。

日光は栃木県の西部にあります。
日光から、さらに西に進み、「崖」(いわゆる「いろは坂」です)を登ると、そこが広々としています。ここに中禅寺湖があります。


日光からの「崖」の部分にあるのが華厳の滝です。



中禅寺湖の湖畔を朝早く散歩したのですが、なんと湖の岸に、谷地坊主が一個、ポツンとありました。
谷地坊主のように見えて、じつは谷地坊主ではないということもあるので,近寄って調べてみましたが,確かに谷地坊主でした。乙女高原では、こんなところに谷地坊主があるとは信じられません。



中禅寺湖の湖畔、華厳の滝の入り口近くに日光自然博物館があり、寄って情報収集しました。ガチャガチャ・カプセルのような容器の中に谷地坊主の展示がありましたが,特に解説文などはありませんでした。





日光の崖の上の中禅寺湖、そこから、今度は北方向に崖を登ると、マタ、平らな場所が広がっています。戦場ヶ原と小田代原という2つの湿原です。
ここに、谷地坊主がたくさんあると聞いていたので、歩くのが楽しみでした。


戦場ヶ原の赤沼というところがスタートライン。ここにビジターセンターがあり、谷地坊主の解説がありました。



歩き始めると、谷地坊主が・・・でも、よく見ると、根元の部分が隆起していません。だから、これは谷地坊主ではありません。




少し歩くと、流れのあるところに(つまり,川の中に)たくさんの谷地坊主がありました。この景観は、乙女高原の谷地坊主に似ています。



戦場ヶ原の北のほうに来ました。谷地坊主の看板はあります。で、確かに谷地坊主っぽいものはありますが、あまりパッとしません。「昔は谷地坊主だったけど、それは昔の話」って感じがしました。つまり、ここは乾燥化が進み、流れがなくなってしまったので,谷地坊主も「退化」してしまった・・・というのが、ぼくの見立てです。



そこから隣の湿地である小田代原に。
ここに行くには,シカ柵の中に入らなければなりません。湿原を囲う広大なシカ柵です。
びっくりしたのは、その入り口。高級ホテルなどで見られる回転式の扉です。これなら、閉め忘れることもないでしょうし、シカが侵入することもないでしょうね。



びっくりしたのが、花いっぱいなその景観。
こっちにノアザミの赤い海があり、あっちにホザキシモツケのピンクの海があり、遠い向こうもぼーっと赤っぽく見えたので、双眼鏡で見てみたら、ノアザミの太平洋でした。

こんなにたくさんのノアザミの花,はじめて見ました。

シカ柵の内外で花の咲き具合に違いがあるとは思えなかったのが、意外でした。


【追記】帰ってから調べてみると,なんと戦場ケ原一帯全体がシカ柵で囲われていたのです。つまり,今日歩いた赤沼も戦場ヶ原も小田代原も全部まとめてシカ柵の中だったのです。小田代原のシカ柵の外側に戦場ヶ原のシカ柵が二重に張りめぐらされていたということです。だから、シカ柵内外の花の付き具合に違いが見られなかったのです!! ちなみに、戦場ヶ原全体の柵設置は2001年。総延長はなんと17㎞にもなるそうです。そして、回転扉の出入り口があった小田代原のシカ柵は周囲3㎞ですが、設置されたのは1997年でした。なんとなんと設置されてから18年も経過しているシカ柵がこの世にあったのです。びっくりしました。


最後に光徳沼という湿地で谷地坊主を見ました。ここの谷地坊主が一番大きくて,たくさんあって、見応えがありました。







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