乙女高原ファンクラブ活動ブログ

「乙女高原の自然を次の世代に!」を合言葉に2001年から活動を始めた乙女高原ファンクラブの,2011年秋からの活動記録。

第18回乙女高原フォーラム「コケの世界にようこそ」

2019年02月17日 | 乙女高原フォーラム

124名と、少なくともこの12年のフォーラムで参加者数が断然多かった今回のフォーラムの報告です。

  ここ何年かでフォーラムも「定型」が固まってきた気がします。もちろん、様々なバリエーションがあっていいし、その方が多様性があっていいと思うのですが、前年度を踏襲してぬかりなく準備できるし、なにより安定感があっていいです。

 11時半に市・県・ファンクラブのスタッフが集合し、準備を始めました。遠くからは小田原から。スライドプロジェクターの準備、山本さんが採取してきたコケの展示、資料閲覧コーナーの設置、受付事務の準備、湯茶の準備、講師の迎えなどなど。途中、注文していた弁当が届いたので、手の空いたスタッフから食べました。

 

 

  1時からフォーラムがスタートしました。司会は市の古屋課長。高木市長は所用のため開会には間にあいませんでしたが、途中でごあいさつをいただきました。高木市長は「自分も乙女高原を守る仲間の一人」という意識を持っていらっしゃいます。ありがたいことだと思いました。

 

  続いて、ウエハラに司会がバトンタッチされました。乙女高原ファンクラブの2018年度の活動を三枝さんがスライドを上映しながら説明。植原が補足でカヤネズミの存在を確かめるためのペットボトル・トラップ設置調査の結果を報告しました。山本さんからは乙女高原自然観察交流会の報告を、やはりスライドを写しながら。「乙女高原フェロー」の説明を山本さんにしていただいたあと(要するに、10個スタンプが集まると記念品がもらえるというカードです)、今回の乙女高原フェロー認定者に認定書と記念品のマグボトルをお渡ししました。今回フェローに認定されたのは、古屋保さん、雨宮浦さん、井上さん、大江さん、北谷さん、山井さんご夫妻、渡辺さん、いぶきちゃん、さきちゃんの10人でした。

 

 

  井上さんによるゲスト紹介の後、いよいよ藤井さんのお話が始まりました。

 

 

  【コケの世界へようこそ】

 

お話→藤井久子さん      文章まとめ→植原(よって文責は植原にあり)

 

 

 植原さんからこのお話があったのが10月で、その月は子どもが産まれる月でした。無事出産することができたので今日のこの日を迎えることができました。今日はコケとはどんなものかといった話をしたり、実際にコケをお持ちしましたので、それを皆さんといっしょに見たりしたいと思います。山梨市駅前に「道草」さんという屋号で、コケのテラリウムをなさっている石河(いしこ)さんという方がいらっしゃいます。石河さんのご協力でコケを用意させていただきました。最後に、コケを観察している人たちがどんなことを観察しているのか、また、最近のコケの動向についてお話をさせていただきます。

 私は兵庫県神戸市出身です。今日も神戸から来ました。大学を出た後、東京で本を作るプロダクションに9年半ほどいました。今は退職して、フリーランスで編集やライターの仕事をしています。就職していた編集プロダクションは食べ物、特にチーズやパンに特化したプロダクションで、今日のような機会にはコケのお話をしていますが、今も普段来る仕事はチーズとかが多いです。

 コケはまったくの趣味だったんですが、私が誰かにコケの話をすると、ほとんどの人から共感を得られない、話題がまったく膨らまないという現状に愕然としまして、「コケってこんなに魅力的な生きものなのに、知らない人がこんなにいるんだ」と思い、コケの魅力を多くの人に知ってもらいたい、知らない人は人生を損してるぞくらい、おせっかいな気分が高まりまして、仕事柄、本を作ってコケの魅力を伝えようと、2011年に『コケはともだち』という本を作りました。コケの本の企画を出版社に自分で持ち込んだのですが、ダメモトと思っていましたが、企画が通り、かわいい本となりました。入門書です。編集者の人もこの本がコケのように地味に細々と売れればいいと思っていたらしいですが、意外にも「私もコケに興味があって」という方がたくさんいらっしゃって、わりと反響がありまして、コケの話をしてくださいとか観察会をしてくださいという話をいただくようになりました。私は研究者ではないので、専門的な話はできませんが、コケに興味のある初心者に一番近い存在ということで、話しやすいと思うんです。それで、こういう場で話す機会をいただくようになりました。

 さらに、一昨年の春、『特徴がよくわかるコケ図鑑』という本を出しまして、以前はコケのことを話しても伝わらない膨らまない苦い思いをしていましたが、ここ5年間くらいなぜかコケが認知されてきていて、「コケが好き」とか「コケの観察会に行くんだ」というと、「ああ、コケねえ」「今ブームよねえ」「テレビで見たわ」という答えが返ってくるようになりました。実際に野外でコケを観察したい人が増えているなあと感じたので、そのニーズに沿ってこの本を作りました。また、私が持ち歩きたいと思える図鑑を作りたいと思ったので、初心者から中級者に向けて作りました。182種のコケを紹介しています。この本、今までに7刷りまでいってます。コケに興味のある人が増えたなあと実感しています。

 人に背中とお尻を向けて、うつむいてルーペでコケを観察しているというのが普段の私の姿です。近所でコケを観察していますが、時々、旅に出てコケを観察したいので、そのために普段一生懸命働いています。

 

 

■あなたのコケの原風景は?

 コケと聞いて、どんな風景を思い浮かべますか? 街の片隅でちょっとだけモコモコッとなっているとか、ブロック塀の壁面を覆っているとか、石畳の隙間に雨上がりは緑で目立つけど、普段はきたならしいなあ、みじめったらしいなあとか、植木鉢の中に知らず知らずのうちに生えてきていたりとか。チューリップやスミレだったら、散歩中の犬が踏んだら「ダメよ」と言うのに、コケだったら言わないとか。

 一方で、園芸が好きな方は、コケの盆栽だとかコケ玉だとか、最近人気の上がっているコケ・テラリウムだとかをイメージされるかもしれません。

 はたまた、神社仏閣を巡るのが好きな方、庭園が好きな方はお寺などのコケ庭をイメージされるかもしれません。山登りやアウトドアが好きな方は山登りの途中、森の中がコケのじゅうたんになっているのを思い浮かべるかもしれません。屋久島はコケの森にとして全国的に知られているところです。コケのふわふわのマットの上にたねが落ちて、木々の芽が育っていることもあります。

 

■コケは美しい?

 私がコケに目覚めたのは15年ほど前です。母といっしょに屋久島を旅行したとき、エコツアーガイドを頼んで森歩きをしたんですが、そのときにガイドをお願いしたのが屋久島野外活動総合センターの小原さんでした。この方がコケに詳しい方だったんです。屋久島といえば屋久杉というイメージが強いと思いますが、小原さんに「屋久島を知りたかったら、コケを見て」と言われたんですね。そして、足元のミズゴケを引き抜いて、手でミズゴケを握りつぶして、水が滴り落ちるのを見せてくれました。普通の植物なら引き抜いて、握りつぶしてしまえば元には戻りませんが、「このコケは大丈夫。スポンジみたいに水を吸い込んでいるんです。にぎるのをやめればコケのスポンジは元に戻るし、地面に戻せば、また生えます」と説明されました。それを聞いてヘーと衝撃を受けました。小原さんはさらに、「コケはサイズが小さいので気づかないけれど、コケにはいろいろな種類があって、ルーペで見ると美しい生きものなんですよ」と言われて、ルーペを持って、屋久島の森を歩きました。ヒノキゴケやヤクシマホウオウゴケ、コマチゴケ、ウツクシハネゴケ、白っぽいオオシラガゴケ、フォーリーテギバゴケ、赤いヤクシマゴケなどを観察しました。うずくまってルーペを使うと、今まで見たことのないようなミクロの世界に入り込むことができました。

 

■身近なコケはどうなの?

 屋久島から帰ってきて、ルーペと図鑑を買って、身近なコケを観てまわるようになりました。たとえばギンゴケ。このコケは都会のアスファルトが主なすみかです。都会のアスファルトというと、冬は乾燥が著しいし、夏は灼熱地獄だし、すごく過酷な環境の中で生きているコケです。コケを見ていると、だんだんコケに入り込みすぎて、コケが人のように見えてきます。ギンゴケは私にとっては、過酷な環境の中でしぶとく生きているコケなので、仙人風のキャラクターに見えてきます。半分は私の妄想なんですけど、都会のサラリーマンに「きょうもしっかりやりなよ」と話しかけているんじゃないかと思えてきます。

 ハマキゴケも乾燥に強いコケです。繁殖力も強いので、ギンゴケがきゅっとまとまって生えているのに対して、ハマキゴケはベターと平たく生えています。乾燥に耐えるためにクルッと葉を内側に巻いて耐え忍ぶんです。このとき、コケ全体が茶色く見えます。雨が降ると葉が開いて、きれいな緑色になります。霧吹きでシュッシュッと水をかけると、あっと言う間にそこだけ緑色になります。ハマキゴケは壁面に生えることもあるので、応用すると、霧吹きで文字を書いたり、絵を書いたりして楽しむことができます。

このコケは、私の中では「都会の緑化隊長」なんです。都会に緑を多くするからですが、ただ、乾燥すると勝手に茶色く汚くなってしまうので、そのキャラクターは歯がゆい表情をしています。

 ゼニゴケは乾燥に弱いです。ですから、エアコンの室外機の下や、一日中直射日光が当たらず、ジメジメしているようなところによく生えています。このコケは園芸をやっている方に嫌われています。どうにかして撲滅させたいという声をよく聞きます。でも、アップで見ると、ヤシノキみたいな形をしていて、コケなのに葉の下に黄色い塊が付いています。これは胞子のかたまりで、ここから胞子がフワフワッと飛んでいくんです。私の妄想ではこのコケは「都会の中で少子化反対を強く訴える夫婦(めおと)ゴケ」です。

 

 都会のど真ん中でもコケはたくさん生息しています。調べてみると、私の見てきたコケは都会派のコケ「アーバン・モス」でした。アーバン・モスとひとくくりにはしますが、好みの環境がそれぞれ違っていて、棲み分けていることがわかりました。見た目だけでなく、それぞれの環境でうまくやっていく処世術を身につけていて、それまで知ると、キャラクターに見えてきちゃうくらい、人の想像力を刺激する生きものなんだなと思いました。

 

 コケの魅力を小まとめします。

・コケは近づきさえすれば、そっとその美しさを披露してくれる。

・図鑑などを使ってコケの性格を知ると、コケが100倍おもしろくなる。

・ルーペと図鑑はコケの森にトリップするために欠かせない魔法の道具

 

 

■コケってどんな生きもの?

 コケは専門用語で蘚苔類(せんたいるい)といいます。蘚も苔もコケという意味ですが、普段、私たちが使うコケの漢字は「苔」ですよね。

 コケには蘚類・苔類・ツノゴケ類という3つのグループがあります。蘚類が一番大きなグループで、日本にはだいたい1000種類あります。苔類は600種類、ツノゴケ類は桁違いに数が少なくて17種類です。ツノゴケはレア・ゴケです。合計すると、日本全体で1700~1800種類です。世界では18000種類です。日本の面積は小さいのに、世界のコケの1/10は日本で見られます。日本はコケの豊富な国なのです。山があって川があって、まわりに海があってそれなりの湿度が保たれていて、さらに四季もあるので、コケにとってはたいへん住みやすい環境なんだと思います。

 コケと間違えやすい生きものがあります。シダ類や地衣類、菌類(きのこ)など。中には種子植物なのに間違えそうになるものもあります。特にシダ類のクラマゴケや地衣類のアカミゴケなどは、コケじゃないのに名前にコケと付いていて、ややこしいです。

 

 コケと他の植物などとの違いはなんなのでしょうか。それには4億5千万年前の世界を想像する必要があります。コケをカビや菌類と間違える人がいますが、コケは光合成をして生きています。つまり、植物なんです。カビなどの菌類は光合成をしませんから植物ではありません。コケは地球史上最初の陸上植物と言われることもありますが、正しくはそうではありません。水中の藻類から進化して、最初に陸上に上ったある植物がありました。そこから分化して、あるものはコケ植物に、あるものはシダ植物に、あるものは種子植物になりました。コケは陸上初の植物から早い段階で分化してコケになったので、シダ植物や種子植物に比べ、圧倒的にサイズが小さく、体の作りが簡素というのが特徴です。

 

 コケの体を見ていきましょう。

 コケは光合成をしているので、色は黄緑色から緑色です。これが必須条件です。シダや種子植物と違ってハイスペックではありません。茎はあっても、維管束はありません。根はありません。仮根がありますが、これは土から水分や養分を吸い上げることはなく、土や岩につかまっておくためだけのネットみたいなものです。じゃあ、コケはどこから栄養を吸収しているかというと、茎や葉など体全体からです。もともと、それほど栄養がなくても大丈夫です。雨水に溶けている栄養があればいいくらいです。つまり、コケは水と光があれば大丈夫、土がなくても生きようと思えば生きていける植物です。だから、アスファルトや壁面でも大丈夫です。

 

 コケの普段の姿は「配偶体」と呼ばれます。繁殖するために、時期になると配偶体の上に「胞子体」を作ります。コケは花を咲かせませんし、種子も付けません。代わりに胞子で増えます。胞子体には壺のような部分があって、時期が来ると、その蓋が外れて、中から胞子がばらまかれます。

 胞子はとてもちいさくて、ミリ以下です。たぶん、この会場にも胞子が漂っています。皆さんが食べているかもしれません。見えないので、気づきません。それが地上に舞い降りて、その環境が気に入ると、芽が出て、網目状に広がっていきます。原糸体(コケの赤ちゃん)です。原糸体が生長して、幼植物(子どものコケ)になり、さらに生長すると配偶体(大人のコケ)になります。コケの配偶体には雄株と雌株がありまして、雄株からは精子が出て、雌株には卵があって、受精をして、雌株から胞子体がニョキニョキと伸びて、胞子が壺状の蒴(さく)の中で成熟したら、また胞子が撒かれるという暮らしをしています。

 コケの受精には必ず水が必要です。種子植物だったら、虫が花粉を運んでくれるとか風で運ばれるとかしますが、コケは陸上最初の植物から早くに分化して、わりと原始的な性質が残っているので、水中に住んでいたときの名残がまだあって、水がないと受精できないのです。陸上に上がって、水が豊富な時はいつかというと、梅雨ですよね。梅雨になって雨が降ると、雄株の上に雨粒が落ちたときに、雨粒に精子が入り、その雨水が雌株にたどりつけたら受精できるのです。運次第の繁殖です。

 受精するとすぐに胞子体が出るというわけでもなく、コケにもよりますが、多くのコケは梅雨時に受精し、次の年の春に胞子体を出します。人間の赤ちゃんの十月十日と似ていますね。

 このように有性生殖が運頼みなので、無性生殖という繁殖手段を多くのコケが持っています。要は自分のコピーを、たねのようなものを飛ばしたり、体の一部をちぎって群落を増やしていきます。コケってモコモコしていますよね? コケが一本で生えていることはなく、必ず群落(モコモコ)になっています。コケはとてもサイズが小さいので、一本だけで雨粒を受け止めることはできません。だから、早く群落を作って、集団で雨粒を受け止めたいのです。集団で受け止め、それを繁殖のために保持していたいのです。それで、無性生殖で群落を早く作ろうとしているわけです。

 

 コケは雨が降らず、からからになったらそれで終わりというわけではありません。休眠してやり過ごします。種子植物は維管束があって、根から水分や養分を運んでいるので水が多少なくても生きていけるし、葉がそもそも固いので、葉から水分が逃げてしまうことも少ないです。一方、コケには根はないので、土から養分を吸収できないし、細胞がとても薄くて、葉が透き通るくらい薄いので、水分も簡単に蒸発してしまいます。なので、すぐにカラカラになっちゃうんです。でも、これでこのまま終わりではなく、そうしたときに光合成もやめて、寝てすごす術を持っています。

 雨が降ったら、すぐに元通りになり、雨上がりには光合成をします。天気にまかせて、成り行きにまかせて生きているのが、コケの大きな特徴です。他の植物はスペックが高いので、天気に抗い、無理して踏ん張って生きていますが、コケはもともと原始的な構造しか持っていないので、踏ん張りたくても踏ん張れない状態です。それで成り行きに任せて生きています。周囲の環境の水分によって、細胞中の水分の含有量が変わることを変水性といいます。コケの大きな特徴です。根がないことで土のない場所にも生えられる機能に加えて、この変水性のおかげで、コケ植物はほかの植物よりも地味で簡素で原始的で・・・とマイナス・イメージがいっぱいありながら、地球のあらゆるところ、どんな隙間にも生えることができるのです。何もないのに成功した植物と言っていいでしょう。

 

■あなたもコケを見てみよう

 

※ここで、石河さんに用意していただいたスナゴケ、石河さん・藤井さん・乙女高原ファンクラブで用意したルーペを配り、実際にコケ観察をしてもらいました。ルーペの使い方について藤井さんからレクチャーがありました。まずは乾燥状態のコケをじっくり観察してもらいました。乾燥ひじきみたいです。休眠状態のスナゴケです。さらに、霧吹きで水をかけてもらい、休眠から覚める様子も観察してもらいました。二人一組で、一人がルーペでコケを観察しているときに、もう一人が霧吹きすると、瞬間芸のように葉が開きました。

 

コケの魅力

 ・コケは日本に1700種、世界に18000種、どこに行っても出会える楽しみがある。

 ・植物の中では作りは原始的。だからこそ、ここまで生きぬいた、植物界の隙間産業。

 ・無理はせず、なりゆきまかせの平和主義者。つつましく、しぶとく。それがコケの人生哲学!

 

■コケ観察のいいところ

 コケ観察のいいところは3つの「ない」です。まず、「体力に自信がない」でもOK! コケはいたるところに生えていますので、山に登らなくても近所でも観察は楽しめます。2つめは「コミニュケーション能力に長けていない」でもOK! コケ観察をしていると無駄にコミュニケーョンとる必要がありません。それぞれみんなコケ観察に集中していますので、おしゃべりはかえって不要だったりします。3つめは、「楽しめる世代がボーダーレス」。異世代間交流で人生に刺激を! コケが好きな人は幅が広いです。私が顔を思い浮かべられるのも小学校中学年くらいから90代の方まで様々です。男女比でいうと、男性が若干多いです。コケガールというのはメディアが流しているイメージだと思います。コミュニケーション能力がなくても、コケの情報を交流したいので、世代に関係なく自然と会話が進みます。コケ好きな人には優しくて親切な人が多いので、わからないことがあると60代70代の人でも、20代30代の人に「判らないんだけど」と聞いちゃっています。コケのことを身近な人と話すことはありまないので、聞かれたほうも「それだったら」と親切に答えてあげます。コケの会なんかでは和気あいあいとやっています。知らない間に異世代間交流ができています。

 

 コケの情報をいち早く知りたいと思ったら「岡山コケの会」と「日本蘚苔類学会」という会がありますので、お勧めします。岡山・・は愛好会で、初心者でも入れます。「・・・学会」は基本的に研究者が集まって学会を開いたり論文を出したりという活動をしています。まじめに好きな人だったら、研究者の会ですが受け入れてくれます。私も入っています。毎年違う県で学会を開いています。そのうち山梨県にも来るかもしれません。

 

 岡山コケの会では、毎年11月、京都の府立植物園で「苔・こけ・コケ展」という企画展を開催しています。3日間の会期でのべ4000人もの方が来場してくださいます。写真やテラリウムを展示しています。コケのアートもあります。

 また、先々週には神戸で「KOBEきのこコケ展」が開催されました。テラリウムを展示しています。コケとキノコのコラボのテラリウムもありました。ワークショップでテラリウム教室もやっていますが、キャンセル待ちが出るほどの人気です。

 

 日本蘚苔類学会では「日本の貴重なコケの森」を認定しています。20箇所以上が認定されています。中には入山に許可がいるところもあります。皆さんにお勧めなのは青森県の奥入瀬渓流と長野県の北八ヶ岳、鹿児島県の屋久島の3箇所です。ここにはコケに詳しいガイドさんもいます。この3箇所が手を携えて、昨年、コケ・サミットを開催したそうです。それでちらしを作ったそうです。

 北八ヶ岳は標高でいっても乙女高原と同じようなコケが生えているんではないかと思います。ここでは春から秋にかけて毎月1回はコケの観察会をしています。山小屋で一泊しますから、コケ合宿の様相です。山小屋のご主人などが案内してくれます。昼着いて、午後、コケ観察会をします。夜はコケ茶会をします。山小屋でコケが刻印されたクッキーを作ってくださいました。次の日、朝から昼の帰りの時刻までコケ観察をします。ナンジャモンジャゴケという珍しいコケを観察しました。

 奥入瀬のいいところはアップダウンが少ないことと、車道の横に遊歩道と渓流があるので、車で途中まで行って見て、また車に乗って、見てと、足が悪い方でも安心して観察できるところです。ですが、もちろん、本格的なコケ観察ができます。おみやげ品としてコケのお菓子がありました。

 屋久島は私のルーツです。ガイドの方と深く仲良くなると、ちょっとルートから外れて、本格的なコケ観察をさせてもらえます。

 この3箇所には、それぞれ、ご当地コケ図鑑があります。基本的にご当地に行かないと手に入りません。

 

 日本の新たなコケ分化に海外の人も注目してくれています。取材されました。

 海外にもコケ文化がないか気になっています。スウェーデンにスギゴケ系のリースがあり、友達が買ってきてくれました。スギゴケで作ったほうきで暖炉の煤払いをすることもあったそうです。現在では使われていないのかなあと思いましたら、地方では作っている方もいるようです。ホームページを見つけました。

 

 壁面アートの記事が新聞に載っていました。コケが一面に生えている道路脇の広い壁面で、コケをうまく削って、ジブリのキャラクターであるとか、キノコとかの絵を作っているのです。サイトを調べてみると「何もないところから、なにかを生み出す」とあるのですが、私に言わせれば「そこにはコケがあるんですよ」というか「コケを削ってるんでしょ」と言いたくなります。「コケの汚れを利用してアートにしてしまう環境の優しさも相まって、良い」ともありました。

 福井県のコケ庭で有名な平泉寺のコケがむしり取られていたというニュースもありました。これは非難されていますが、コケアートだって、コケからしてみれば、むしり取られちゃうことにかわりはありません。何が正しいかは、人間社会での有益・無益、損得で決められてしまいますが、コケからしたら同じ。何が正しいんだろうなあと思いました。

 

 コケの人気が高まるとともに、コケを盗掘する人や心ないことをする人もいます。無許可で山からごっそり取って商売している人もいます。売られている商品の背景まで考えている人っていないと思うんです。だけど、そのコケがどこから来たのか、考える時期にきているだろうなと思います。

 コケを採るときは、まず目的。研究者は研究のために採ります。一般の人は調べたいからとか、趣味で採るということだと思いますが、それだったら、採取してもいい場所なのかを確かめる、根こそぎ採ると、せっかくその場所が気に入って生えているのに、生えることができませんので、少しだけ持ち帰って、大部分は残しておくようにしてください。コケが自力で修復できる程度の量にしてください。これらが岡山コケの会や蘚苔類学会でコケ採取のルールとして提唱していることです。

 個人の園芸を楽しむレベルではなくて、百貨店等でディスプレイとしてコケが使われる場合があります。大きい植物の引き立て役として地面にコケが使われているんです。コケ仲間と見たところ、いろいろな種類の植物がコケに付いていて、おそらくこれは栽培されたものではなく、山からごそっと採ってきたものだろうと思いました。ディスプレイが終わったら、どうなるのでしょう。廃棄されてしまいます。そういう背景を考える時期にきているなあと思います。

 コケを畑で栽培している農家の方がいます。良心的なテラリウム作家の方は、そういったところからコケを買っていたり、テラリウムで残った仮根や茎を利用して、そこから栽培したりしています。山でコケを採るだけ採ってしまうと、コケがなくなり、種子がコケに落ちて、そこを苗床として大きくなることもできなくなります。人間が自分の欲のために行動すると、山がダメになってしまうかもしれません。自然にできるだけ負荷をかけないコケとの付き合い方、自然との付き合い方ができればいいなあと思います。

 

 コケ図鑑の奥付に井沢正名さんの言葉が載っています。植原さんも「図鑑を読んで、奥付のところが心に響いた」といってくれて、すごくうれしかったです。

「研究や趣味などで、コケを単に知的好奇心を満足させるだけだったり、慰みものにしたりして、終わりにしてほしくありません。生態系の中の重要な要素として捉えてもらいたいと考えています」

 

  ※      ※       ※

 このあと、QandAの時間を取り、閉会行事の中で乙女高原ファンクラブ代表世話人 古屋さんからお礼のあいさつがあり、世話人 芳賀さんから諸連絡があり、フォーラムを無事終了しました。

 

 

 片づけ後、スタッフや希望者と茶話会をしました。25人もの方が残ってくださり、交流しました。

 また、この日は夕方から駅前の居酒屋さんで懇親会も行い、6人で楽しく飲みながらお話しました。

コメント

第17回乙女高原フォーラム「乙女高原、小さな哺乳類(なかま)たちの暮らしぶり」

2018年01月28日 | 乙女高原フォーラム

乙女高原、小さな哺乳類(なかま)たちの暮らしぶり
北垣さんをお招きして、17回目の乙女高原フォーラム開催

 1月28日(日)11時半がスタッフ集合時刻だったのですが、それより前に集まってくださった方がとても多く、少しずつ準備を進めてくださったので、集合時刻にはだいたい仕事は片づいてしまいました。会場の後ろには県のFSC森林管理認証の展示、乙女高原ファンクラブの報告書や会報の閲覧場、北垣さん関連本のコーナーなどをしつらえました。

 

垂れ幕や横断幕の準備、パソコンの準備、受付の準備を済ませ、参加者を待ちました。

 


 開会行事は市観光課・穐野課長さんの司会で始まりました。高木市長さんのあいさつは、前半は事務方が考えた原稿でしたが、「さて、ここまでは用意してもらった原稿を読みましたが・・・」と、後半は自分のコトバで乙女高原とご自分との関わりや乙女高原を保全する意義をお話してくださいました。

 


 ここからは植原がバトンを引き継ぎ、三枝さんから「ファンクラブの活動報告」、山本さんから「乙女高原自然観察交流会と夏の案内活動の報告」という2つの報告をお聞きしました。続いて、今回が初めてとなる「乙女高原フェロー」の認定式です。「乙女高原の活動に10回参加してスタンプをもらう。ただし、遊歩道作り・草刈りボランティア・フォーラムは必ず参加」というのが乙女高原フェローです。もっとも、今年度、草刈りボランティアは雪のため初めて延期しましたから、延期された草刈りへの参加者だけでなく、事前申し込み者も草刈りボランティア参加者として認めることにしました。今回、栄誉ある「初フェロー」として認定される方は6人いたそうです。代表して岡崎さんと鈴木さんに、代表世話人である三枝さんから記念品であるマグ・ボトルが贈られました。
 その後、植原から「乙女高原で見つかったナゾの地上巣という報告をしました。あとに続く北垣さんのお話の前座となるお話です。じつはそれ以前にも見つけたことはあったのですが、2016年の草刈りボランティア時に、草の繊維を細長くちぎって丸めてできたフワフワの巣が見つかり、大盛り上がりになりました。その後の観察で、乙女の草原内に50個以上の巣が見つかりました。私たちは、その巣がカヤネズミのものではないかと疑いました。カヤネズミはカヤ原に住んでいて、大人の体重が500円玉と同じくらい。日本で一番小さなネズミです。カヤネズミはススキやオギなどいわゆるカヤの茎の上に、草を細長くちぎって丸め、まるで「ソフトボールが空中に浮かんでいる」ような巣を作ります。乙女高原で見つかった巣はススキの株の根元に作られた地上の巣ではありますが、形といい大きさといい、茎上の巣に酷似しています。それに、外国の本には「カヤネズミの巣の探し方」として、カヤ株の根元を広げてみるようにとあります。カヤネズミの分布域をみると、シベリヤや北欧も含まれ、冬の厳しい乙女高原で見つかってもおかしくないと思われます。また、乙女高原と同じような富士山麓のススキ草原で、カヤネズミの巣が見つかっています。
 巣の主がカヤネズミであるかどうかを確かめるために、巣の中をたんねんに探して見つけた糞をDNA分析したり、草原の中にトラップを仕掛けてネズミを捕獲しようとしたりしています。まだ結果は明らかではありません。カヤネズミがいるかどうかもはっきりしませんし、巣の主がカヤネズミでないとしたら、いったい誰なのかもはっきりしません。それで、多くの皆さんとこの謎を共有し、一緒に調べていきたくて、今回のフォーラムのテーマにしたというわけです。
 さて、いよいよ北垣さんのお話です。小林さんにプロフィールを紹介していただいた後、動物たちの画像(なんと動画もあり!)を見せていただきながら、北垣さんのお話をたっぷりお聞きしました。
 北垣さんのお話が終わったところで、会場からの質問に答えていただき、マイクを司会の穐野さんにお渡ししました。お礼のあいさつはファンクラブ代表世話人の三枝さんから。熱のこもった長いあいさつでした。そして、諸連絡を芳賀さんにしていただき、フォーラムのプログラムを全て終了しました。会場の片づけを終え、部屋を移して茶話会を行いました。20人くらいの方が参加してくださり、お茶を飲みながら、楽しく情報交換をしました。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。(植原)

 

北垣憲仁さんのお話 「小さななかま(哺乳類)たちの暮らしぶり」

 

 

ここから先は北垣さんのお話を再現します。とはいえ、聞いていてよく判るお話でも、そのまま文章にしたら、判りにくくなることがあります。そこで、北垣さんのお話の主旨は変えずに、読んで判りやすいように植原が少し編集しました。従って、以下の文章の文責は植原にあります。

  今日の私のお話ですが、まず、現場で観ると何がおもしろいのかといったことをお話しようと思っています。動物の行動や生態の研究は、飼育すれば判ってしまう部分が確かに多いのですが、わたしはそれをしません。それはどうしてか? 非常に長い時間がかかってしまうのですが、なんでわざわざフィールドで観ることに意味があるのか、また、楽しいのか。何が大切なのか。そんな話をしたいと思います。二つ目に、乙女高原と周辺の生きものたちをご紹介したいと思います。当然、乙女高原とその周辺には大型の哺乳類も生息しています。ですが、今回はモグラの仲間とネズミの仲間をご紹介したいと思います。日本のモグラとネズミは種類が豊富で、それは日本の哺乳類の特徴なんです。そして、三番目に乙女高原の草原にあった巣についてです。だれがつくったのかも含めてお話します。最後に、身近な哺乳類を観察する魅力の話をします。私は特別珍しい動物を研究しているわけではありません。ごく身近な、あまり関心を持たれないような、場合によっては嫌われたりする生きものを観察しています。そんな身近な、ありふれた哺乳類を観察する魅力をお話したいと思います。

■1――フィールドでの観察の楽しみ
 大学に入ったばかりのころは、私も研究者というものに憧れが強くて、動物を捕まえて、そこの森に何頭ぐらいいるかを計算したりするのが面白い・・・という時期がありました。でも、途中であんまり面白くなくなってきたんですね。どうしてかというと、トラップというわなをかけていくのですが、当然、中に哺乳類が掛かります。やっていると、捕まえるのがうまくなりますが、それ以上のことはありません。小さな動物ですから、トラップに掛かると2~3時間すると餓死してしまいます。精神的にも混乱し、死んでいくわけです。だから、2時間おきぐらいに見回らないとダメなわけです。そうすると、周りの森の様子や風の冷たさや匂いなんかを感じながら楽しむということはとてもできません。集めること、捕らえることに集中するからです。当然、捕まえた動物のことはよくわかります。だけど、森を楽しむことはできない-そこにジレンマを感じました。
 私が大学に入って最初に関心を持った動物はカワネズミです。名前にネズミが付きますが、モグラの仲間です。標本しかなく、実際に自分の目で見たことはありませんでした。しっぽが長くて、川の中で暮らしているらしいといった情報しかありません。福島でサンショウウオ漁をやっていると、しかけの中にカワネズミが入るらしいという話を聞いたので、授業を休んで行ってきました。そこでの経験が、その後の私の見方考え方を変えていきます。
 山の中の川に沿って歩いていきます。地方に行って、人について山を歩くのは初めての経験でした。動物を研究しているくせに、山を歩く経験はあまりなく、山の歩き方を知りませんでした。山の歩き方を教えてもらったのは、この漁師さんからでした。いつも山を歩いているので、当然、どこを歩けばいいか知っています。自分の山に慣れ親しんでいるので、いろんなものが見えています。この植物は○○で、この植物は食べられるとか。それだけでなく、今年はネズミが多そうだから、この先でキツネがずいぶん出没しているはずだなど、先のことも読めているんですね。そういうことを聞いているうちに、森を歩く楽しみというのは、「慣れ親しんでいくうちに、いろんなことが見えてくることだ」と教わりました。これが「フィールド」なんだと私は解釈しました。そして、自分のフィールドを大切につくっていこうと思いました。ですから、この時以来、動物を捕るのはやめました。
 漁師さんは生活の一部が山を歩くことですから、山での経験が生活に生きているわけです。自分が学んだことが生活に生きてくる・・・これもすごいなと思いました。ともすれば、普段の生活と自然とは距離があるので、自分の生活の中に自然の中での経験を活かすことがなかなかできないのですが、この時初めて、自然での経験、自然から学んだことを自分の生活に活かすことの大切さを学んだ気がしました。それは、抽象的な「自然との共生」といった言葉ではなくて、自然とどうやったらうまく生きていけるかということを実践できる人間になっていくことだと思いました。
 漁師さんは川の中にわなをかけていきます。サンショウウオは産卵のために川を下ってきて、わなに入るようになっています。ハコネサンショウウオです。漁師さんはこれを生活の糧にしていて、いなくなると生活できないわけですから、サンショウウオを守るためにはどうしたらいいかを、日々の暮らしの中で実践されているわけです。小さなものは逃がすとか、川の中の浮き石は踏まないとか。浮き石の下にはサンショウウオがいますから。石は石なんですが、本人はちゃんとその意味を読み取って、適切な行動を取っているわけです。すごいなと思いました。私は、捕るのはもうやめて、じっくり観て、生き生きとした姿を観察する研究スタイルにしようと思いました。
 そこで、フィールド(=いつも通える場所、慣れ親しむ場所)を作ることにしました。いきなり土地を借りて小屋を作りました。大学3年の時です。研究って一人ではできないんだなと実感しました。土地を貸してくれる人や小屋の作り方を教えてくれる人がいないとダメです。いろんな人の協力があって、初めてフィールドができるということを学びました。今もここに通って、観察を続けています。ただ、ここは森の中ですので、それだけでは飽き足らなくなって、今度は草原の動物も観察したいと思い、休耕田を借り、納屋を改造して、観察小屋にしました。カヤネズミの観察をしているフィールドです。これらの小屋に寝泊まりしながら動物の観察をしています。
 フィールドを持つことによって、いろいろなことが見えてきました。それまで、私はトラップで動物を捕ることに夢中になっていましたが、その時には見えなかったいろいろなことが目の中に入ってくるようになりました。つまり、自分の感覚がいかに鈍っていたかを思い知らされたわけです。カヤネズミのはやにえ(モズがカヤネズミを捕まえ、木の枝に刺しておいたもの)を初めて見つけました。モズにはカヤネズミがちゃんと見えています。私には見えていません。昼間、枝に止まっているコウモリも初めて見ました。それまで、見過ごしていたと思います。こんなに面白いものがたくさんあるのに、私は気づかず、見つけられずにいたんです。それが、少しずつ自分が世界とつながっているのを実感できるようになってきました。それがフィールドの面白さだと思います。
 二つに割れたクルミの実がありました。リスが割って食べた跡です。本にも出ています。それは縦に割っていますが、横に割って食べた跡も見つかります。リスが食べたかどうか判りません。いったい誰がどんなふうに割ったのか・・・?
 巣箱の中にムササビの親子がいました。親が仰向けで寝ています。赤ちゃんも、仰向けで寝ていました。動物が仰向けに寝るのは非常に珍しいです。お腹を見せるというのは非常に危険な行動です。お腹は一番柔らかい部分です。天敵にやられれば、間違いなく死んでしまいます。だから、普通、動物はお腹を見せる行動はしません。ですから、このムササビの仰向け行動は訳あってのことだと思います。まず、巣の中が安全だということを親が認識していること。それから、ムササビは平べったいですから、仰向けになると授乳しやすいということがあります。膜には縁がありますから、ムササビの子がそこから落ちないという利点もあります。しっぽもふとん替りをしています。子どもにかけてやっています。ルーズな寝方に見えますが、合理的・効果的な寝方なんですね。
 このように自分のフィールドを決めて、何度となく訪れるうちに、普段気づかなかったことを教えてもらえます。世界がだんだん広がっていく感じです。一気に広がるという感じではありません。毎日毎日わくわくする発見があるわけではありません。地味なんですけど、少しずつ、世界が広がっていく感じです。本日の乙女高原の報告を聞いていても、世界が広がっていくのを感じてらっしゃるんだろうなと思いました。

 

 

■2――乙女高原とその周辺の哺乳類
 フィールドでの観察を手間の掛かる手法でやっていますので、あまりたくさんのことは判っていないのですが、観察の面白さも含めてお話させていただきます。合わせて、私の経験をもとにした観察の方法もご紹介します。

◎カワネズミ
 乙女高原に川はありますか?当然、カワネズミも住んでいると思います。水が滝のように流れていて、淵があり、また滝がある・・・というのを繰り返しているようなところです。カワネズミはそんなところに住んでいると教わったので、そんな場所を都留で探しました。そのうち、川岸の石の上に糞がまとまってあるのに気づきました。顔を近づけると強い臭いがします。臭いだけでカワネズミと断定できないので、夜、行ってみました。そうしたら、糞をしているカワネズミに出会えました。なぜ川岸の石の上にまとまった糞をするのかは謎ですが、この糞はカワネズミがいる証拠です。川岸を探すと点々とありますので、ぜひ見つけてみてください。
 モグラの仲間なのに動きが速いです。モグラと同じでカワネズミって目はほとんど見えないのに、ちゃんと魚を捕まえます。目はほとんど見えないのに、なぜ自分と同じくらいある魚を捕まえられるか不思議です。魚に一度食らいついたら離さず、魚が弱るのを待ちます。陸上だったら餌を捕まえたらすぐに持ち運べばいいのですが、水中という不安定な場所ではそうはいきません。カワネズミの狩りの知恵とも言えます。また、定説だと魚の頭を捕まえることになっていますが、魚のしっぽに噛みつくのも見ています。どこでも噛みついたら離しません。このような行動や生態は飼育していたら判らないですよ。飼育するとカワネズミはストレスを感じて、死んでしまったり、異常な行動を取ったりします。どうやってカワネズミが川の中で魚を捕っているのかを知ろうと思ったら、「観る」ことが必要です。
 カワネズミの狩りの様子を観察しやすくする装置を作りました。といっても単なる水槽です。水槽の中に川の水をパイプで引き入れて、魚を入れておき、カワネズミが来るのを待つ・・・というただそれだけです。カワネズミの観察を始めて10年目もたってから、水槽を使えばいいことにやっと気づいたのです。これを使うとカワネズミがどうやって魚を捕まえているかがよく判ります。カワネズミが登れるように水槽の横に斜面を作りました。それを登ってカワネズミがやってきます。みると、鼻先のひげが立っています。このひげが重要なのです。水中でもひげが開いていて、アザラシのようです。目はほとんど見えませんから、おそらく、鼻やひげの力を使っているのだと思います。
 カワネズミが来るのを水槽の前でみんなで待つという観察会も行っています。待つ時間はまちまちなのですが、実際に見えると感動しますよ。彼らが住んでいる実際の場所で、風を感じながら観ていると、その生きものがどういう力を持っていて、それをどのように発揮するかが本当によく判ります。

◎ヒミズ
 皆さんの親指くらいのサイズです。世界でも最小クラス、カヤネズミと同じくらい小さな哺乳類です。落ち葉の層にいます。乙女高原の草原にもいるはずです。トンネルを作ります。地面に板があったので、それをどかしたら、ヒミズのトンネルが出てきました。それを応用し、地面にガラスを置きました。そうすれば、その下でヒミズがトンネルを掘っている様子が観えます。モグラも同じようなトンネルを作りますが、大きさが違います。ヒミズは直径3㎝くらいで、モグラはもっと大きいです。毛並みがとてもきれいです。青みがかっていて、金属光沢があり、ビロードのようです。
 モグラの仲間は普通ミミズが主食ですが、私たちが置いたヒマワリの種にも十分反応しました。トンネルを進んできたヒミズは途中でバックしてターンします。ここがポイントです。トンネルの中は原則一方通行しかできませんが、トンネルの中でターンできるのは地中生活を送る動物の大きな特徴です。ネズミにはできません。

◎ヒメヒミズ
 ヒミズに似ていますが、住んでいる場所が違います。溶岩や岩場です。乙女高原でも標高の高いところにいると思います。大きさはだいたいヒミズと同じですが、ヒミズがお腹をべったりと地面に付ける感じなのに対して、ヒメヒミズは丸っこいです。後ろ足で立つことができます。後ろ足で立つことができるということは、地上に出てくるということです。地面の下も地面の上も両方活用できるということです。大人の親指サイズです。鼻を観てください。ゾウの鼻みたいに見えます。自在に動いて、鼻でものを集めて、つかんで口元に持っていきます。

◎モグラ
 冬場にモグラ塚というのができます。見ると、草原の中に塚がまとまっている箇所があります。まとまり一箇所分が一頭のモグラの分です。モグラは縄張りを作るので、一頭の縄張りがどれくらい広くて、どれくらいの量の土を出しているかが判ります。地面の下には広大なトンネルが隠れているはずです。一つのモグラ塚の土はだいたい7㎏。1冬で1頭が1tくらいの土を耕していることになります。モグラは農家から嫌われていますが、本当は地面を耕している動物なのです。モグラのトンネルの断面はまん丸ではありません。ちょっと偏平、楕円形です。それがモグラ類のトンネルの特徴です。指が3本入るくらいだとモグラのトンネルです。関西にはもっと大きいコウベモグラがいて、指4本くらいの直径ですが、乙女にいるモグラは3本です。一方、ネズミのトンネルは断面がまん丸です。どうしてかというと、体のつくりが違うからです。真ん前からみると、モグラは偏平で、その形に合わせてトンネルを掘っていきます。
 モグラはいったんトンネルを作った後、そこから天敵が入ってこないように埋め戻しをします。だから、春、乙女高原に行くと、地上に土のかたまりが観られると思います。それらは、たいていモグラが土を埋め戻した跡です。
モグラを観察することはほとんど不可能です。昼間、顔を見せることはないし、道の上を歩いているわけでもないからです。でも、装置を工夫すると観ることができます。モグラ塚を一つ、崩してならします。その上に板を載せます。待っていると、板の下にトンネルができます。トンネルができ始めたら、板の代わりにガラスを置いて、夜、観察すると、モグラの観察ができます。静かに観ていれば、想像とは違うモグラの姿を観ることができますよ。たとえば、トンネルを進んでいる時、モグラの体って、ぐーっと伸びるんですよ。
このようにちょっとした工夫で目の前で野生動物の観察ができます。どうしてこんな工夫をするかというと、動物のほうは無理に出てきているわけではありません。自然な形で出てきているわけです。観察する動物にあまりストレスを与えず、相手の生き方を尊重しながら観察することができるのです。ただ、私たちがフィールドに出ること自体が動物たちにとってはストレスになるので、入り方や付き合い方を考えなくてはなりません。私たちの課題です。

◇ネズミの仲間
 ネズミの仲間は非常に種類が多いです。哺乳類はだいたい4000種くらいいますが、そのうち40%、1600種くらいはネズミです。日本には17種類もいます。ネズミの特徴は暮らしている環境の多様さです。土の中にも、草原にも、樹上にもいます。もう一つの特徴は食べ物の幅広さです。木の実、草の種。雑食。それから、多産であるというのも特徴の一つです。
 草原に住んでいるネズミは、おもに3種類だけです。カヤネズミ、ハタネズミ、沖縄にいるハツカネズミ。家の中に入ってきたネズミというのもいます。クマネズミ、ハツカネズミ、ドブネズミ。嫌われ者ですが、ネズミの中のパイオニアです。もともと野外で暮らしていたものが、人の暮らしの中に入ってきて、生活を成り立たせています。
 ネズミは見分けるのが難しいです。私も始めのころは判りませんでした。でも、見慣れると判ってきます。ヒメネズミは体に比べ耳や目が大きく、鼻がとがっています。アカネズミは、ヒメに比べ鼻面が太い感じがします。シャープな感じではありません。感覚的なんですが、見慣れると、区別がつくようになります。

◎ヒメネズミ
 木登りが得意です。乙女高原の林の縁に生息し、草原の中にも入っていると思います。親指よりちょっと大きいくらいのサイズです。ヒメネズミはツリバナの実が大好きです。ツリバナは赤い実を付けますが、その下で待っていると、ヒメネズミがやってきます。両手でツリバナの実を取ります。ネズミの仲間は必ず両手でものを取ります。
 ネズミが賢いかどうか迷路を使って行う実験があり、ネズミはあまり知能がないと評価されています。ですが、フィールドで観ていると、適切な枝を選んで、どうすれば実を取れるのかしっかり判断しています。ネズミの暮らす環境に置かれれば本来の能力を発揮します。本来の環境と切り離して実験するのはあまり意味がありません。切り離されて迷路の中に入れられても、ネズミは混乱するばかりです。それで本当の能力を計ろうというのが無理です。自然の中で観ることにこそ意味があるんだと思います。ツリバナの食痕が見つかったら、ヒメネズミがいるなと思ってください。

◎アカネズミ
 日本固有種。歯がちょっと赤いのが特徴です。ウサギなども似た形の歯をもっていますが、赤くはありません。赤いのは、歯のエナメル質に鉄の成分が入っているからです。門歯は伸び続けるので、固いものを齧り続けなければなりません。食事をする場所は決まっていて、木の根元などの空間です。そこにクルミの実がかたまってあったら、食事場所です。
 クルミの実に丸い穴を開けて中身を食べます。クルミの実を二つに割って食べるリスの食べ方と違います。アカネズミの場合、クルミに必ず2つの穴を開けて、中身を食べます。しかし、ウメの種の場合、1つしか穴を開けません。ウメの種と違ってクルミの実の中には仕切りがあります。仕切りに当たると、その裏にまだ食べ物があると判るんでしょうね。いろんな実を集めると、こういったことが判ってきます。そして、ネズミの賢さに改めて気づかされます。

◎カヤネズミ
 カヤネズミの巣は草原に作られます。おもしろいですね。これだけたくさんのネズミがいながら、草原をすみかとしたネズミは日本では3種類だけです。草原で暮らすことは、小さな哺乳類であるネズミからみると、森の中で暮らすようなものです。身を隠すこともできます。葉っぱの上に出てくるには、体を軽くする必要があります。哺乳類は昆虫とは違って、一般的に体を大きくする方向へと進化してきました。でも、カヤネズミは逆で、体を小さくしました。そうやって草原で暮らしていけるようになりました。
 アカネズミやヒメネズミと違って、体のラインから耳がはみ出ていません。 しっぽが長くて、何かにつかまったら、そこを支点にして、体をブランコのようにすることもできます。とても機能的なしっぽです。
目が前を向いています。森の中の動物はたいがい目が前に付きます。ムササビは特にそうです。木までの距離を正確に計らなければならないからです。人間も同じですよね。立体視しています。カヤネズミの目が前に付いていることから、カヤネズミにしてみれば草原ではなく森に住んでいるようなものだろうと思います。
 カヤネズミの子は毛並みの色が濃く、赤っぽいです。本当に暑い時期、7月下旬とか8月上旬になると、草原に出て、葉の上でひなたぼっこしています。草原の中をゆっくり歩くと、見つけることができますよ。
 カヤネズミを観察していると、おもしろい行動に出会えます。動いたり止まったりを繰り返します。普通のネズミとちょっと違います。一瞬止まる行動をフリーズといいます。向こうからアカネズミなんかがやってくると、本当に体の動きをピタッと止めます。息を殺しているようです。樹上に生きる動物、たとえばリスもフリーズをします。天敵がやってきたりすると、ピタッと動きを止めて、身を隠します。お尻をこすりつけるような行動をとることがあります。何をやっているのか、どんな意味があるのか、よく判りません。リスもやるんです。木の上にペタッとなってお尻をこすりつけます。匂い付けではないかと思っています。観察中に、私が大きな音を立ててしまったことがあります。すると、カヤネズミはポロッと落ちてしまいました。これは、天敵が近づいた時にとる、緊急避難の行動です。しっぽを草に巻き付けることができますから、取りたいものが下にあっても、上手に取ることができます。
カヤネズミは普段は草の実などを食べています。タンポポの種が大好きで、カラスノエンドウの種も食べます。昆虫を食べるという記録もありますが、私はまだ観たことがありません。フィルムケースに小鳥用の餌を入れて、そこに出てきたカヤネズミを観察することがあります。アカネズミなら一晩で1ケース分食べてしまいますが、カヤネズミは上の方5㎜ほど食べたらもう満腹です。逆に、食べた量からカヤネズミかどうかを推定できます。不思議ですよね。小さな植物の種を食べながら、寒い環境でも暮らしていける小さな哺乳類というのは、いったいどういう暮らし方をしているんだろうと思います。本当に謎が多いです。
 冬の間は土の中にいます。私が観察していると、土の中から出てきます。ただし、カヤネズミはトンネルを掘れるような体のつくりをしていないので、どのように他の生きものと共存しているのか、棲み分けているのか、よく判りません。私がフィールドにしている草原にはカヤネズミの他にアカネズミやハタネズミが住んでいます。ときどき、ヒメネズミやドブネズミもやってきます。いろんなネズミたちが入り乱れていますが、その中でどうやって暮らしを成り立たせているのか、まだよく判りません。

◎ハタネズミ
 ハタネズミのトンネルは断面が直径3㎝くらいの丸いトンネルです。ハタネズミはトンネルを掘ります。農家の方がよく「野菜を食べられた」とおっしゃいますが、モグラではなくハタネズミです。ハタネズミは野菜が大好きです。ハタネズミはササが生えている下によくトンネルを作ります。ハタネズミの発生には波があって、大発生する年があったり、まったくいない年があったりします。巣は土の中にあります。巣にはササの葉を取り込んで裂いています。そんなに細かくは裂いていません。私はハタネズミが葉を細かく裂いて作った巣というのを観たことはありません。ハタネズミの体の特徴はしっぽが短いことです。色はバリエーションがあり、褐色が強かったり、グレーが薄かったりします。目や耳は小さいです。ハタネズミは日本にしかいないネズミです。
 ハタネズミに似たネズミに、聞き慣れないと思いますが、スミスネズミというのがいます。昔はカゲネズミと言われていました。住んでいる場所が重なることもあるので、もしかすると、乙女高原にもいるかもしれません。スミスネズミは、よく見るとハタネズミとは違います。色はバリエーションがあるので、識別の決め手にはなりません。ハタネズミに比べて、目も耳も少し大きいです。前から見るとまん丸で、しっぽが長いです。あんまりものおじしないので、こっちが静かに観てさえいれば、わりと簡単に出てきてくれますし、自然な行動が観察できます。岩の隙間や木の下が大好きです。

 

 

■3――乙女高原で見つかった巣のナゾ
 巣の作り方は動物によってだいたい決まっていますが、バリエーションがありますので、見つかった巣が何なのか決めつけるわけにはいきません。哺乳類は自分の巣を大切に作りますから、ムササビのような大きな哺乳類でも、スギやヒノキの樹皮を細かく裂いて、自分たちの寝床や子育てのベッドにしています。保温性が高くて、快適な巣です。 ヤマネは巣の中にスギの樹皮やコケを入れて作ります。鳥の巣箱を掛けておくと、中に落ち葉がいっぱい入っていることがあります。ヒメネズミの巣です。ヒメネズミは、中で巣材を細かく裂くことはありません。落ち葉を持ち込んで、そのまま保温剤として使いますので、葉を裂いて巣を作るカヤネズミとは違います。
 カヤネズミの巣は、イネの葉で作られることもあります。スゲにも作ります。ハンモックのような巣です。出入りする穴がありますが、ヘビなどの天敵が入ってきても逃げられるように、1つではなく2つの場合が多いです。3つ作ることもあります。中にススキの穂を入れることがあります。しっかりした二重構造で、外はススキの葉、内側はススキの穂の巣です。ここで子を産み、育てます。
 乙女高原に似た草原である富士山麓の梨ケ原では、毎年ではありませんが、野焼きをします。野焼き後に探すと、乙女高原で見つかったのと同じような巣が見つかります。土の中で見つかることもありますし、ススキ株の内側で見つかることもあります。地上に出ている巣もあれば、半分埋もれているものもあります。地下に埋もれている巣には出入りするための穴が開いています。そして、不思議なことに、まわりにトンネルがあるんです。繰り返しになりますが、カヤネズミはトンネルを掘ることができません。
 富士山麓で見つかる巣には、特徴があります。第1に、見つかる年と見つからない年があるということです。見つかる年にはまとまってたくさん見つかるのに、翌年、同じように見つかるとは限りません。第2に、地上にできた巣と半地下にできた巣がありますが、半地下にできた巣の下にはトンネルがあって、巣の穴とつながっています。その巣は、秋から冬にかけて作られるようです。夏は見つからないのですが、あまりにも草が繁ってしまって見つからないのかもしれません。でも、秋になると見つかります。一方、梨ケ原には地表の巣はありますが、ススキの上の方にはできません。この5年間で茎上巣は1個しか観ていません。どんな動物がこれを使っているのか観察して確かめました。地上の巣を使っていたのはカヤネズミでした。しっぽが長く、目が大きくて、子どもではなく大人の毛色でした。一方、半地下の、下にトンネルができていた巣をどんな動物が使っているかは、まだよく判りません。ナゾです。

■4――身近な哺乳類を観察する魅力
 私は、このような時間がかかる方法、原始的な方法でしか観察してこなかったので、皆さんにその魅力をあまり伝えられなかったかもしれませんが、哺乳類は感情移入しやすくて、気持ちを読み取りやすいということがあります。それから、誰でも参加できます。観ればいいのですから。別に学問に寄与しなくてもいいわけですから。
 自分の感覚が観察によって鍛えられていくと、楽しい世界が広がります。私も、どちらかというと、研究というよりも、喜びを感じる方に主眼を置いています。レイチェル・カーソンが「センス・オブ・ワンダー」と言っていますが、「神秘な驚異に目を見張る力」とでもいうでしょうか、そんな感性を、私は動物の観察を通して鍛えていきたいと思っています。私自身の感性がにぶっているので、他の方々と一緒に観察して、学びあいたいと思っていて、それが支えとなって、いろいろな観察の工夫をしてきました。まだまだ課題はありますが、どうしたら、相手の生活を脅かすことなく、その不思議な世界に近づくことができるのか、それを通して、自然とのうまい付き合い方を考えていくというのが、私が考えているフィールド・ミュージアムというものです。そんなことを皆さんと一緒に考えていけたらと思っています。
 私は、これからも乙女高原の活動に刺激を受けながら、私自身のささやかな取り組みも継続させていきたいと思っています。せっかく皆さんとお会いできたので、また、どこかでお会いしながらお話できるといいなと思っています。大学ではムササビ観察会もやっていますので、ぜひ一緒に観ましょう。ありがとうございました。

◆Q:スズタケ(笹)の花が咲くとネズミが増えて、天敵であるフクロウやキツネが増えるということを聞いたことかありますが、研究事例はありますか?

A:笹の花が咲くと、その年の秋からハタネズミの仲間が増えるという記録はあります。その翌年に地面から出てきた笹の茎を見ると、上部が齧られたものが出てきます。鋭い食べ跡ですが、ノウサギのものとは違います。そんな観察をしてみたらいかがでしょうか。

◆Q:モグラは太陽の光を浴びると死んでしまいますか?

A:じつは今日、モグラの剥製を持ってきているのですが、それを出すのを忘れていました。観てみてください。梨ケ原で観た巣も持ってきました。乙女高原のものと同じではないでしょうか。モグラが日を見ると死んでしまうというのは事実ではありません。モグラが路上で死んで転がっていることがあるのは、モグラは単独性なので、子どもができて、大きくなると、親のなわばりから離れて、自分の縄張りを作るようになります。その移動している間に、キツネにやられたりするからです。トンネルを掘って、一から自分のすみかを作っていくのはすごい労力です。だから、モグラは自分で作ったトンネルをとても大事に使います。

◆Q:もし、本当に乙女高原で見つかった巣がカヤネズミのものとすると、どうして、ぼくらのフィールドで見つかる巣はカヤの上の方で、乙女高原のは地表なんでしょうか? あと、コウモリの種類を知りたいです。

A:ススキの上に作るのが一般的なカヤネズミの巣です。ところが、標高が高くなると、そうではないようです。それが不思議です。梨ケ原は広いススキ草原ですが、上に作られた巣は一つしか観ていません。また、(その地域にいる)全てのカヤネズミが巣を作るのか疑問に思っています。観察していると、カヤネズミの姿をよく観るのに、まわりに巣がないということがあります。カヤネズミの巣を見つけて、それがカヤネズミのいる証拠だとすることが一般的ですが、巣がなくてもカヤネズミがいることもあるということです。おそらく、全てのカヤネズミが巣を作っているんじゃないと思います。また、標高が高くなると、ハタネズミの作る巣も、標高の低いところの巣とはまた違ってくるかもしれません。それは歩いて観てみないとわかりません。それがフィールドの楽しみです。観察していると、図鑑や研究書に書かれていることと違うことっていっぱいあって、だからこそ、発見や驚きにつながります。本に書いてあることをそのまま受け入れてしまうと、そういうものだと思ってしまいます。「どうして?」といった疑問が新しい発見につながります。ぜひ、いろいろなフィールドに行って、じっくり観てみてください。そして、観たことを私に教えてください。
  コウモリの件ですが、キクガシラコウモリは洞窟などに傘を逆さまにしたような形で止まりますので、違います。でも、何コウモリかはわかりません。

 

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第16回乙女高原フォーラム テーマ:谷地坊主

2017年01月29日 | 乙女高原フォーラム

 いい天気。11時過ぎにはスタッフが夢わーく山梨に集まり、準備を始めました。
 そして、午後1時、山梨市観光課長・穐野さんの司会でフォーラムが始まりました。望月市長さんも駆けつけてくれ、参加者の皆さんにあいさつしてくださいました。


 ここからは植原が穐野さんからマイクを受け取り、コーディネートしました。プログラム1番は「ファンクラブの活動報告」。報告はファンクラブ代表世話人の三枝さん。プロジェクターで活動のスナップを写しながら、ファンクラブ1年間の活動の様子を報告しました。後半は、気になるシカ柵設置後の草原の報告でした。
 次の報告は乙女高原観察交流会と夏の案内活動についてです。報告は乙女高原案内人の山本さん。2015年12月から開始し、毎月1回ずつ開催してきた交流会の様子と、夏の案内活動の様子を報告してくれました。やはり同じ場所に通って観察すると、いろいろな変化がわかるし、新しい発見もあり楽しいですね。この交流会、今後も続きます。ぜひご参加ください。
 続いて、小さいころから乙女高原に通い、ファンクラブの活動にも数多く参加してきた小学校6年生・服部さくやくんの作文朗読です。じつは昨秋のマルハナバチ調べ隊の折に頼んだら、はにかみながらも「うん」と言ってくれたのです。お父さんの強力なサポートもあり、作文無事完成。事前にお父さんからメールで送っていただいたので、朗読に合わせてバックで映像を流すこともできました。題名は「ぼくの乙女高原」。
 そして、メインゲスト勝山さんのお話の前座として、ファンクラブ代表世話人の植原が「谷地坊主を巡る旅」というお話をしました。谷地坊主が有名な北海道・釧路湿原、栃木県・奥日光の戦場ヶ原、長野県・霧ヶ峰の踊場湿原を旅し、谷地坊主を観察してきて、乙女高原の谷地坊主と比べてどうだったかというお話です。
 最後に、プロフィールをファンクラブの小林さんが紹介した後、今回のスペシャルゲスト・神奈川県立生命の星・地球博物館学芸員の勝山さんによる「スゲがつくる坊主たち」というお話を聞きました。後ほど詳しく報告します。


 その後、マイクを穐野さんにお返し、ファンクラブ代表世話人・宮原さんからお礼のあいさつ、ファンクラブ世話人小林さんが諸連絡をし、フォーラムが終了しました。


 会場内の会議室で茶話会を行って情報交換し、場所を近くの居酒屋さんに移して懇親会。勝山さんやさくやくんを囲んで、楽しくおしゃべりをしました。

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◆勝山輝男さんのお話「スゲがつくる坊主たち」ダイジェスト◆

※勝山さんのお話を、趣旨はそのままに植原が少し編集しました。したがって、文責は植原にあります。

・シカの自然植生への食害が日本で初めて問題になったのが,さっきの植原さんのスライドに出てきた日光と、私のフィールドの一つである神奈川県の丹沢山地なんです。林床の植生であるスズタケなんかがなくなっちゃったんです。当時はまだシカのせいかどうかわからなくて、試しにシカ柵を作ったら、1年で回復してきました。シカのせいだったんですね。そんなことを思い出しました。



・今日の話のきっかけは、植原さんが釧路市博物館に寄られて、「神奈川県にKさん(勝山さん)がいるから、話を聞いてみるといいよ」と言われたからだと思います。、私はスゲという植物を研究しているんですが、谷地坊主をそんなに真剣に眺めていたわけではなくて、「おもしろいものがあるな」と思って見ていました。植原さんが私の博物館に来られ、「山梨県に谷地坊主があるよ」という話をされたので、「え、山梨県にもあるのかな。どんなスゲなのかな」と思い、一昨年の5月の連休、乙女高原を訪れました。

・びっくりしたのは、谷地坊主を作っているスゲの種類です。ヤマアゼスゲと聞いていましたが、タニガワスゲというスゲでした。春先の谷地坊主は、去年の枯れ葉が垂れ下がり、それに新しい新芽の緑が出てきて見応えがあるのですが、そのころはまだ花は付けてないので、見分けにくいです。タニガワスゲが谷地坊主を作るという報告はどの文献にも載っていません。日光はオオアゼスゲ、釧路湿原はカブスゲが谷地坊主を作っていますので、タニガワスゲが作っているのを見て「ヘーッ」と思いました。


◆スゲってどんな植物?
・谷地坊主を作っているのはスゲという植物です。スゲ=カヤツリグサ科スゲ属。特徴はイネ科やイグサ科と同じく細長い葉を付けることです。「ほそもの」なんて言ったりします。きれいな花をつけるわけではないので、皆さんあまり見ません。イネ科の茎はだいたい丸ですが、カヤツリグサ科は一部の例外を除くと三角形です。そこに葉が付きますから、上から見ると、3方向にきれいに出ます。花は小さくて穂になります。見分けるには、花よりも実が実っているシーズンです。図鑑に載っている写真も果実が結実したころです。花が目立たないのは、花びらもがくもないからです。

・花は、軸に鱗片が付いていて、これが花を保護しています。その脇に、両性花なら、1本のメシベに、3本ないしは6本のオシベが付きます。それだけなんです。花はちっちゃくて目立たないし、花びら等がありませんから、特徴がなかなかわかりずらいんですが、穂に鱗片がどのように付いているかなどによって見分けます。花が集まった小穂がどんな形で、どのように付いているかも見分けのポイントになります。

・カヤツリグサ科の中にスゲ属があります。カヤツリグサ科には両性花を付けるものが多いのですが、スゲ属だけは雄花・雌花を付けるものが多いです。雄花は雄花だけの穂を作り、雌花は雌花だけの穂を作ります。雌花のメシベの様子も、他のカヤツリグサ科と違っていて,鱗片をはがすとメシベがいきなり出てくるのでなく、果胞という壺型の入れ物があり、その中に果実・メシベがあります。これが特徴です。

・きれいな花は咲かないですが、シブいよさがあります。これだけでは地味ですが、生け花で脇役的に使うときれいだと思います。きれいな花ならみんな見るから、それなら地味な花を見てやろうかと思って、今にいたっています。スゲ属は日本で約270種、世界で2000種と、とても多くの種が含まれているグループです。そうなると「他人の空似」がとても多くなり,見分けるのが困難です。

◆乙女高原のスゲ属植物

・タニガワスゲ 途中に雌花ばかりの穂が付いて、先端に雄花ばかりの穂が付きます。雌花の小穂は鱗片の黒と果胞の緑のコントラストがきれいです。ルーペ等でよく見ると果胞の上部「くちばし」と呼ばれる部分が長く突き出て、その先からメシベの先が出ています。葉が密集して生えるので、谷地坊主を形成します。

・ヤマアゼスゲ タニガワスゲによく似ていて、やはり雌花の小穂は黒と緑のコントラストがきれいです。果胞もよく似ていますが、果胞の先端の「くちばし」は、ヤマアゼスゲのほうが短いです。慣れてくると、タニガワスゲのほうが株が密生していて、ヤマアゼスゲのほうが少しまばらなところでも見分けられます。なぜかというと、ヤマアゲスゲでは地下茎が少し伸びてから地上に立ち上がるので、その分、株が密ではなくなるからです。たとえてみれば、ススキは株になりやすいけど、ヨシは株になりにくいといった感じです。この性質は谷地坊主の形成に関してとても重要で、ヤマアゼスゲはやや株も作りますが、谷地坊主にはならず、一面に生える感じになります。木道のある湿地の入り口あたりにあります。

・アゼスゲ 今までの二つによく似ていて、雌花の小穂は黒と緑のコントラストがきれいです。でも、果胞の「くちばし」の部分はほとんどありません。また、地下茎がより伸びてから地上に出るので、株は作らず、湿地一面に葉が広がるような生え方になります。木道のある湿地の木道を奥のほうに行くと、アゼスゲが一面に生えています。これら3つは一緒に、あるいは隣り合って生えています。よく似ていますが、このように性質が微妙に違うので、見分けるには果胞の形をよく見てください。


・オタルスゲ 谷地坊主の湿地に多くありました。小穂の鱗片の黒は見えません。雌花の小穂は、タニガワスゲなどと違って、垂れ下がっています。これはかなり株になります。オタルスゲの谷地坊主もないかなと思って探しましたが、ありませんでした。


・オオカワズスゲ これも株になりますが、谷地坊主を形成することはありませんでした。

・ゴウソ きれいなスゲですが、やはり谷地坊主は形成しません。流れがあるところに生えています。

・アカンスゲ 北海道の阿寒で名前が付きました。本州では少なくて、焼山峠と長野県の入笠山にあります。一つの穂がまばらで寂しい感じがします。山梨県では焼山峠でしか見つかっていません。ここまでが湿地のスゲです。

・カワラスゲ オオバコなんかと同じで、湿地のまわりの、人が歩く道に沿って生えるスゲです。

・ヒメスゲ 岩場の周辺など、乾いたところのスゲです。乙女高原でも湿地から離れて、乾いたところになると生えています。

・ヒカゲスゲとホソバヒカゲスゲ ヒカゲスゲは花柄が長いですが、ホソバの方は花茎が短くて、葉の中に隠れています。どちらも乙女高原の草原など乾いたところ、岩のへりなどに生えています。

・サナギスゲ 穂の下に雌花が付いて、先端に雄花が付くもので、案外珍しいです。ブナ爺に行く尾根のところにあります。5㎝くらいと小さいです。

・タガネソウ スゲの仲間にしては珍しく、幅の広い葉を付けます。ちょこちょこ見かけます。

・ヒカゲハリスゲ 花茎がキューッと伸びて、先端に一個だけ穂を付けます。

・チャシバスゲ 草原の中にポツポツと出るスゲです。花茎がすーっと伸びて、雌花の花穂と雄花の花穂をコンパクトに付けます。わりと地下茎が発達するので、たくさんの穂が見えることがあります。

・ニイタカスゲ 台湾のニイタカヤマで同じものがあるので名前が付きました。

・イトアオスゲ この辺になると、見分けるのがちょっと難しいです。

 一昨年5月に植原さんに案内してもらって観察して、もう一回6月に来て見て、2日間で合わせて17種類のスゲを乙女高原と焼山峠の間で確認することができました。乙女高原はスゲの観察会をするにはいいと思います。これより多くなると、みんな頭の中がパンクしてしまうし、あまり数が少なすぎるとつまらないと思います。


◆谷地坊主

 「密な株を作るスゲ」というのがスゲの側の条件です。分けつが盛んで、密集した株を作るということです。
 そして、冬に凍って上がってくるという凍上という現象。これが大規模に起こると、北海道なんかで道路が一面持ち上げられて、アスファルトがひび割れちゃう。地面の下に小さなくぼみができるのではなく、大規模に起きてしまうレンズ型に盛り上がってしまいます。霜柱はそれの非常に小さな現象です。
 あと、水。水は流れていると、なかなか凍りにくい。水は少しずつジワジワと少しずつ供給されると、、それが寒さに会うと凍っていきます。つららも氷筍もポタリポタリと水が供給されるから大きな氷になります。ですから、地下水がジワジワにじみ出ているようなところは氷が発達しやすいです。凍るところは地面の持ち上がり(凍上)もおきやすくなります。
 凍るときには谷地坊主の株よりも株のまわりの裸地の部分の方が先に凍ります。草のところだけ凍るのが遅くなり、まわりの先に凍ったところによって持ち上げられます。普通、地面が持ち上げられると根が切られてしまい、植物へのダメージが大きいのですが、スゲは分けつが盛んですから、たぶん持ち上げられても大丈夫なんだろうと思います。
 解けるときにも時間差があり、解けたときに、まわりは浸食されるけれど、株のところは土が流れないといったことがあって、谷地坊主として盛り上がってくると説明されています。

 ただ、この現象を再現させるような研究をした論文はありません。和文の論文として見つかったのは、「釧路湿原」という名前を付けた北海道学芸大学釧路分校の田中瑞穂という生態学者が1960年代に書いたものです。それ以外の論文はなかなか出てきません。田中博士の論文、もっともだなあと思いつつ、いろいろと疑問もあります。たとえば、浸食が常にあったら、水による浸食は大きなものになっていきます。浸食によって谷地坊主ができるのであれば、もっと浸食が進んでもいいと思うのですが、それがそうならないということは、まわりから土砂が流れ込んでいて、それと浸食によって削り流されていくのがバランスがとれているということだと思います。供給される土より浸食される土が多ければ、溝は深まっていくはずなのに、そうはなっていませんよね。
 だから、凍上というのが大きく関わっていると思うのだけど、地面が凍上したとしても、解けてもとに戻れば、0でしょ。ですが、もとに戻らないということは、どういうことが起こっているかというと、凍るときに時間差があると、早く凍ったところによって、まだ凍っていない土壌が持ち上げられる、つまり移動するわけです。移動した土壌が解けるときにもとに戻るのですが、そのときに、細かい粒と大きな粒でより分けられます。そんな現象が谷地坊主の形成に関わっていると思うのてすが、十分納得できる説明が書いてあるものは見当たらないです。
 ということで、なんでこんなものができるのか私にはまだよくわかりません。

 乙女高原ではタニガワスゲが谷地坊主を作っています。ところが、乙女高原の湿地で密集する株を作るスゲはタニガワスゲの他にもオオカワズスゲとオタルスゲもあります。これらが混成していますが、圧倒的に多いのがタニガワスゲです。また、谷地坊主を作っているのはタニガワスゲだけ。ですから、タニガワスゲの性質に、谷地坊主形成の鍵があるのかなと思います。
 谷地坊主の湿地は、夏になっても湧水で涵養されていて、チョロチョロと水が流れています。乙女高原の湧水は枯れません。1年中ジメジメしている湿地です。少しずつしみ出ていますから、凍りやすい条件は整っていると思います。
 もう一つの特徴は谷地坊主はタニガワスゲばかりで、ほかの植物が生え込んでいない。坊主と坊主の間は裸地になっていて、夏に行ってもそこに他の植物が生えていることはそんなにありません。その理由は、乙女高原の湿地の上部空間にはまわりの林から枝葉が伸びていて、湿地が一日中十分な日光が当たっているわけではないことにあると思います。「明るい日陰」という光条件が、タニガワスゲの成長と清水による浸食作用とのバランスをうまくとっているのかもしれません。

 乙女高原では、谷地坊主を一個、解剖してみようという観察会をしたことがあります。要するに、縦断面を見てみようということなのですが、割ってみると、泥がいっぱい付いていて、上部は株が密集していました。泥を洗ってみると、やっぱり根が密集していました。また、上部には古い根茎が密集していました。スゲは多年草ですが、冬を越して生き残っているのは、この根茎の部分なんです。毎年、新しい根を伸ばしています。古い根も残って体を支持していますが、水分を吸収したりする役目はありません。根は毎年入れ代わっていると考えてください。新しい根と古い根で土をからめ捕って、流されないように保っていると考えられます。葉も毎年出し直しています。
 谷地坊主の頭頂部が一番硬くて、ここが根茎で、ここが基部となって、新しい葉や新しい根を伸ばしていきます。ここが養分を蓄えている場所で、ここから新しい根を伸ばしていき、古い根と一緒に坊主頭を支えています。意外と坊主頭は痩せていて、根が地面の中、どれくらいまで届いているかなあと考えるのですが、意外と浅いかもしれないです。
 このときは大きめな谷地坊主を解剖してみましたが、小さい谷地坊主を解剖したらどうなっていたかは興味のあるところです。案外、地面の中には根はあまりいっていないのかもしれないです。冬の凍上のとき、根ごと持ち上がっているので、スゲ本体へのダメージが少ないのかもしれません。

 北海道の厚岸町に、乙女高原の谷地坊主の湿原ととても雰囲気が似ている場所があります。釧路湿原の東、丘陵の中でジメジメしたところにアカエゾマツというトウヒの仲間の群落があります。アカエゾマツは湿地や岩場でも生えるので、東北海道の低地で、林の中の湿地を探そうと思ったら、平らでアカエゾマツが生えているところを探せば、その下は湿地です。
 林の中の湿地は、半日陰なので、多種多様な植物が繁茂しないんです。他の植物がありまありませんから、乙女高原のように、谷地坊主がきれいに並んでいる景観になります。明るい林だと、いろいろな植物が一緒に生えてきてしまいます。
 ここの谷地坊主は、全部カブスゲです。タニガワスゲと同じく株を作るスゲです。穂はタニガワスゲと違って、花柄の先端にかたまって付きます。釧路から厚岸にかけての谷地坊主はほとんどカブスゲです。私は今年、ホソスゲを探してアカエゾマツ林の中をさんざん歩いたのですが、アカエゾマツ林の中の谷地坊主はほぼ100%カブスゲでした。釧路湿原の方に行くと、ハンノキ林の中にあることが多いです。ハンノキ林の中の谷地坊主もほぼ100%カブスゲです。で、カブスゲの谷地坊主の湿地には、他の草がほとんど生えていません。カブスゲはまさに谷地坊主のためのスゲで、株を作る特徴があるのでカブスゲという名前が付いたくらいです。

 北海道ではエゾジカ対策で国道に沿ってシカ柵を作っています。走っている車とシカが衝突したらたいへんだからです。同じ理由で鉄道の線路に沿ってもシカ柵があります。柵を作るために、国道脇の谷地坊主が壊されてしまうことがあり、乙女高原のように解剖実験をしないでも谷地坊主の縦断面を見ることができました。乙女高原のタニガワスゲが作る谷地坊主と構造的には同じでしたが、ただ、比べると、とても固かったです。タニガワスゲよりも、より密集した株を作るようです。


◆谷地坊主をつくるスゲ
 谷地坊主を作るスゲとしてよくいわれるのが、カブスゲともう一つアゼスゲがあります。アゼスゲは、北の方に行くと、だんだん地下茎が伸びずに立ち上がるようになります。日光、八甲田山、八幡平、北海道のニセコなどに行くと、アゼスゲが大きな株を作るようになります。これをアゼスゲの変種オオアゼスゲとしています。日光の光徳沼で植原さんが観察した谷地坊主がこのオオアゼスゲです。
 カブスゲは北海道だけにしかありません。しかも,どちらかというと東の方です。本州では見つかっていません。北海道以外でかっこいい谷地坊主があったとしたら、乙女高原ではタニガワスゲ、北海道ではカブスゲ、それ以外はほとんどオオアゼスゲですね。

 昔から谷地坊主を作ると言われているスゲにトマリスゲがあります。根茎が密集するスゲです。でも、生えているところを見ると、そんなに密にはなりません。霧ヶ峰踊場湿原の谷地坊主はこのスゲだと言われていますが、近づけないので、本当のところはわからないです。私は、トマリスゲがきれいな谷地坊主を作っているのは見たことがありません。

 ヌマクロボスゲはレッドデータブックに載るような希少なスゲです。軽井沢でみられます。かなり密集した株を作り、谷地坊主を作るのを見たことがあります。そこはゴルフ場になってしまいました。中国の東北部、昔、満州と呼ばれていたところで、谷地坊主というと、ほとんどこのヌマクロボスゲです。

 釧路湿原での谷地坊主形成の田中瑞穂博士論文に書かれているのがヒラギシスゲです。このスゲが釧路湿原で谷地坊主をたくさん作っているのかと思ったのですが、残念ながら、私はこのスゲが谷地坊主を作っているところは見たことがありません。ですから、田中博士が谷地坊主研究の材料として使ったのが本当にヒラギシスゲだったのか、カブスゲではなかったのかと疑っています。標本が残っていれば、ヒラギシスゲかどうか確かめられるのですが、残念なことに確認できません。山梨だと標高の高いところ、八ヶ岳の赤岳鉱泉のあたりとか、金峰山の頂上近くの渓流沿いに生えます。そこでは、谷地坊主は作っていません。

 オハグロスゲは国内だと、北海道の大雪山しかないスゲで、きれいとはいえませんが、盛り上がった株を作っていました。外国の文献にも出てきます。盛り上がった株は谷地坊主とはちょっと違いますが。

 箱根・芦ノ湖畔で見つけたタニガワスゲは沢の川岸にありました。川の流れぎりぎりのところに生えているのが谷地坊主を作っていました。ここは雪は降らないし、冬でも凍りませんから、凍上は関係ありません。株ががんばって根を張ったのと、川の浸食作用によって、谷地坊主(状)になっていました。この株より川側だったら流されてしまい、生えられないし、もっと岸側だったら、株元がえぐられないので、どちらにしても、谷地坊主(状)にはなりません。そうなると坊主が一面に並ぶのではなく、どちらかというと川の流れに沿って一列に並ぶような状況になります。日当たりがよくて、十分成長できれば、多少根元が削られてもがんばって、谷地坊主(状)になれるということです。これは水位変化や浸食が主な原因で形成されています。冬に凍ることは関与していません。もしかしたら、霧ヶ峰の谷地坊主も同じ要因なのかもしれません。

 谷地坊主が一個だけ、あるいは数個が点々とある状態はまあ珍しくないだろうと思うのですが、乙女高原などは、それが一面に、絶妙な間隔を開けながら並んでいる(箱の中のおまんじゅうのように)のがおもしろいです。そうなると、乙女高原に匹敵するような谷地坊主というのは、北海道の釧路から厚岸にかけてのカブスゲによる谷地坊主というとこになると思います。そう考えてみると、「本州中部の」「タニガワスゲによる」谷地坊主はとても貴重だと考えていいですね。
 どうして、このように群生するのか、その理由については知りたいですね。単に凍って持ち上げられているということではなさそうです。


 意外と困ったのは英語。外国の文献を調べようと思って、谷地坊主の英訳を探していたら、tussock(ツソック)でした。ところが、これがイコール谷地坊主ではなく、株・株立ち・叢生という意味で、湿地にあるかどうかは関係ありません。たとえば、大雪山にあるタイセツイワスゲはマリモみたいなまん丸い株になりますが,こういうのもtussockと言います。スゲとも限りません。しっくりくる英語はありませんでした。


◆構造土
 北海道の大雪山系の白雲岳には、礫と土とが縞状になったり、網目状になったりと、模様ができることがあります。こういうのを構造土といって、周氷河地形の一つです。地面が凍るときに、大きな礫があるところと小さな礫があるところ、植物が地面を覆っているところとそうでないところ、火山灰質のところと粘土質のところで、凍るのに時間差ができ、均質に凍りません。解けるときにも時間差があるし、大きな礫と小さな礫では移動する距離が違って、だんだんふるい分けられてしまって、集まってきます。あるいは凍るときに地面が収縮するもんだから、そこに溝ができます。水っておもしろい性質を持っていて、雪の結晶を思い出してください。六角形でしょ。だから、まっ平な地面で凍結融解が繰り返されると、そのひび割れは六角形になるんです。亀甲状土といいます。凍結融解を繰り返すと、六角形のブロックに別れて溝ができたり、溝のへりにそって大きな礫が並んだり、真ん中には小さな礫が集まったりします。
 そんな模様が地面にできたところに、スゲが生えれば、絶妙な間隔で株が並ぶこともあるわけです。

 そんな構造土として盛り上がった所のことを凍結坊主(アースハンモック)と言います。地面に植物が生えると、そこが凍るのが遅くなるので、周りの先に凍ったところによって持ち上げられます。解けるときには植物があるとなかなか流されませんから、根っこのところに土壌が残って、まわりがへこんでいきます。それで地面に半分に切ったおまんじゅうが並んでいるような景観になります。1mくらいの高さです。谷地坊主と違って、地面の表面には根や根茎がありますが、まんじゅうの中身は全部土壌です。まわりに礫があっても、まんじゅうの中だけは土なんです。

 南アルプスの上河内岳の稜線には不思議なところがあります。地図には亀甲状土とあり、静岡市の天然記念物になっています。これも構造土で、盛り上がっている山と山の間は礫なんです。こういうところにもけっこうスゲが生えています。ヒメスゲなどです。

 九州に行かないとみられないコイワカンスゲというのがあります。阿蘇山の火口近くには、坊主状になったコイワカンスゲの株が並んでいます。これ、私の造語ですが、裸地坊主といいます。おもしろかったのは、片側が黒く見えていることです。みんな横倒しになっているように見えます。火山ガスの影響か、山の上から吹きおりている風が原因なのかわかりませんが、片側が枯れているのです。よく見ると、株の周囲は礫なんですが,株の中は土でした。ですから、これも構造土なんじゃないかと思いました。調べてみると,アースハンモックと書いてありました。九州でも周氷河地形がみられるんですね。
 コイワカンスゲに覆われているところは凍るのが遅く、まわりが凍ると押し上げられ、覆われていないところは攪拌作用と浸食により他の植物が生えないので、地面に点々と緑のまんじゅうが並んでいるような景観になります。

 凍上と融解・浸食によって谷地坊主が形成されるのはわかるけど、ではどうして、あんなに絶妙な間隔で並んでいるのか。そこに構造土の考え方をもってきて、ミックスしたくなりますね。たとえば、谷地坊主がまだ小さいときに、凍上と融解するときに攪拌されて、解けるときに谷地坊主が動いて、ほぼ等間隔になる・・・なんて説明ができないかと思ってしまいます。谷地坊主が動いているところを想像すると、なんか妖怪かお化けみたいです。それはともかく、あのように散在する理由がほしいなと思います。
 乙女高原でも、小さい、でき始めの谷地坊主に注目してみてはいかがでしょうか。

 日光をフィールドにしている尾形さんが提唱しているのは、谷地坊主には現成型と化石型の2つのタイプがあるということです。
 今、作られている、あるいは,作られつつある、今も谷地坊主ができる環境にあるというのが現成型です。化石型というのは、かつては谷地坊主が形成される条件があり、いったん谷地坊主が形成されてしまうと、そう簡単には崩れないで残っているものです。
 季節的に湛水する、つまり地下水位が地表面すれすれを上下するようなところに谷地坊主が形成され(現成型)、土壌が堆積したりして地下水位が下がってしまうと、まわりから植物が侵入するようになり、谷地坊主が崩れていく(化石型)と説明しています。
 カブスゲしかみられないような状況は現成型で、ほかの草が生えていて、どこが谷地坊主かわからないようなところは化石型です。水位がもっと高くなり常に水をかぶるようになると、霧ヶ峰の踊場湿原のように、水面に浮かんでいるようにみえる谷地坊主になるのかなと思います。

 凍結坊主も同じです。十勝に行くと、牧場の中に凍結坊主があって、十勝坊主と呼ばれているのですが、昔作られたものが今,残ってでこぼこしているのではないかと言われています。

 乙女高原の谷地坊主は、この考え方によると現成型の谷地坊主です。これを天然記念物にするには、永続性が課題になります。湧水による適度な地下水位がキーポイントなのと、タニガワスゲだけがこれだけ幅を利かせているのは,谷地坊主上空の枝葉の張りぐらいによって日光が制限されているためなので、その環境の維持。どれか一つが欠けてもだめだろうと思います。

 余談になりますが、ヒマラヤに行くと、家畜の影響が大きいです。凍結坊主ができるようなところをヤクが歩き回ると、点々と糞をします。糞があるところは栄養があるから、そこからイネ科の植物が出てくる。そうすると、tussockが散在するようになります。アースハンモックではなく、アース糞モックですね。

 これだけきれいに群生している谷地坊主はみられませんので、大切にしていってもらいたいと思います。


コメント

第15回乙女高原フォーラム(スミレ)いがりまさしさん

2016年01月31日 | 乙女高原フォーラム


 1月31日(日)、いい天気でした。11時半集合だったので,11時少し過ぎに会場に到着したのですが,もう何人もスタッフが集まっていました。ありがたいことです。そして、いがりさんも。会場では午前中のイベントであるC.W.ニコルさんの講演会が行われていたので、ロビーで(静かに)打ち合わせを行いました。そして、会場外でできる準備を始めました。特に、販売物については、早くセットできればニコルさん講演会の参加者にもアピールできそうだったので、急いで準備しました。講演会が終わり、たくさんの人が出てきました。販売の準備、間に合いました。人だかりができました。ニコルさんとは面識があるので、「お久しぶりです」とあいさつしておきました。

 さて、ここで、いがりさんのいがりさんらしさと第一遭遇。
 じつは「フォーラムまであと1週間」というタイミングでいがりさんから新しい提案が。「スミレのスライドショーのBGMをギターの生演奏でしたい」というのです。そのためにはいがりさんが持参なさる音響機器のセットをしなくてはなりません。会場準備が朝からできるのならば問題ないのですが,ぎりぎりまでニコルさん講演会です。とても無理だと、いったんはお断りしたのですが、できるだけのことをしたい(=できるだけ質の高いものをしたい)といういがりさんの熱に負けて、「やってみましょう」とお引き受けしました。
 いがりさんの機械にさわるわけにもいかず、見守るしかありません。いがりさんはぎりぎりまで機械のセッティングと調整を行い、しかも、リハーサルまで。お弁当を食べるのがだいぶ遅くなってしまいました。でも、リハーサルまでやっていただいたので、「講演会とはいえ、演台はいらないな」とか「ギターを弾くときの椅子が必要だな」ということがわかりました。



 さあ、フォーラムが始まりました。参加者は93人でした。
 まずは山梨市観光商工課の網野課長さんの司会でセレモニー。市長さんからあいさつをいただきました。



 ウエハラがマイクのバトンを受け、進行を引き受けました。例年だと、すぐにファンクラブの活動報告に移るのですが,今回はウエハラのちょっとしたアイデアで、少し話をさせていただきました。
 まず3枚の写真を見てもらいました。①先週の乙女高原、雪が積もっています。②普段はただの林と草原としか見えない場所も、③雪が積もると、動物の足跡がくっくり残るので,動物たちの生活の場であることがわかります。
 ④ここで入り口付近のシカ柵の写真を見てもらい、⑤林の中のシカ柵の写真を見てもらいました。シカ柵の写真を見ているはずなのに、風景に溶け込んでいて,どこに柵のポールや網があるのか分かりません。⑥「市長さん、ありがとう」「担当課の皆さん、ありがとう」というテロップを流しました。
 「ついに見つけてしまいました」と、⑦柵の中の足跡の写真。⑧それを追いかけていったら,柵の内外を行き来していました。この柵はシカ(やイノシシやクマ)という大型の獣は入るのをブロックしますが,キツネ、テンなど中型の獣は阻まず、自由に出入りできることがわかりました。柵を作ることによって起きるだろうと考えていた問題のひとつは、じつは起こらないということが分かりほっとしました・・・という報告をしました。
 以上,ウエハラのちょっとしたアイデアとは,シカ柵を作ってくれた市長さんはじめ市の担当課の皆さんに感謝の気持ちを表すことと、現時点で分かったシカ柵の有効性を皆さんに伝えることでした。



 あとはプログラムに沿って、進行しました。

1.乙女高原ファンクラブの活動報告2015 報告:三枝かめよさん(乙女高原FC)
2.乙女高原の花と虫のリンク 報告:大竹翔子さん(麻布大学野生動物学研究室)
3.乙女高原に新たに設置したシカ柵 報告:山公誌さん(山梨市観光商工課)
4.乙女高原のスミレ お話 依田 昇さん(乙女高原FC, FGスミレ編集代表)
5.スペシャルゲスト いがり まさしさんのお話:生物多様性の妖精「スミレ」のふか~くてひろ~い話

 乙女高原フォーラムは「一流の講師の話」と「現場で活動している人の生の声」が車の両輪です。どちらが欠けても成り立たないと思います。「講演会」ではないのです。「フォーラム(=広場)」なんです。
 このなかで、研究発表である「2 大竹さんの報告」と、スペシャルゲストの「5 いがりさんのお話」を詳しく紹介します。





●大竹さん 「乙女高原の花と虫のリンク」

※発表したのは大竹さんですが、それを文章にしているのは植原です。したがって文責は植原にあります。

 私は2年間、乙女高原に通って調査を続け、卒業論文を書かせていただきました。
 今回は、今まで麻布大学で行ってきた研究と、私が2年間調査をしてわかったことを報告させていただきます。
 わたしは植物や生態系に興味があり、縁あって乙女高原で調査をさせていただくことになりました。

 乙女高原の草原としての特徴を挙げるとすると、日本の草原は、本来温暖湿潤な気候で降水量が多いため、放っておくと、草原から森林に変わっていきます。ですが、乙女高原では、毎年,11月にたくさんの方が集まって刈取りを行うことで、その遷移を止めて、このような草原を保ってきました。
 自然のステキな乙女高原ですが、近年はその様子に変化が見られると言われるようになってきました。その原因はなんだろうか? 全国的にシカの増加が指摘されていますが、山梨でも10年前と比べると,シカの目撃率、捕獲率が増加していると言われておりまして、乙女高原でもシカが花を食べてしまっていて、きれいな花が見られなくなってしまったよ-といった声が挙がるようになってきました。
 乙女高原では本当にシカが増えているのか? シカが増えたことでどんな影響があったのか?-を実証するために、麻布大学が調査に入らせていただきました。

◆麻布大学のこれまでの研究
 まず、ほんとうに乙女高原でシカが多くなってきているのかを高橋先輩が研究をしました。乙女高原でシカの糞がたくさん発見されたこと、乙女高原の笹がたくさん食べられていること、これらのことから、乙女高原でシカが増えていることが分かってきました。

 2003年と2014年の乙女高原の同じ場所・同じ時期の写真を比べてみると、明らかに様子が違っています。2003年はきれいな花がたくさん見られましたが、2014年はススキばかりの草原になってしまっています。きれいな花は虫によって花粉が運ばれているので虫媒花と呼ばれていますが、シカが入ることによって、どうしてこの虫媒花が見られなくなってしまうのか、それを確かめるために刈り取り実験を行いました。草原の中に刈り取りの区画をいくつか作り、時期を替えて刈り取りを行いました。この実験では宮原さんをはじめとする乙女高原ファンクラブの皆さんにご協力をいただきました。ありがとうございました。
刈り取り実験と同時にマーキング実験を行いました。いくつかの種類の植物に印を付けて、根元から少し上のところを切断し、その後、どうなるかを観察しました。マーキング実験の結果、ススキやクガイソウはすべての株が生存していましたが、ヤマハギやキンバイソウは数が減ってしまいました。タムラソウやワレモコウ、ハンゴンソウといった多くの植物は枯れて、全滅してしまいました。なぜ、こういうことが起こるかというと、植物の生長点の場所に関係あると思われます。植物には生長点があり、そこから細胞が生まれて、生長します。ススキなどの植物はその生長点が根元の部分にあるのですが、多くの双子葉草本は植物の先端に生長点があるため、体が途中で切断されてしまうと、生長ができず、枯れてしまいます。しかし、ススキは根元に生長点があるので、刈り取られても回復できました。

乙女高原では11月に草原の刈り取りをしていますが、このころには植物は種を作り、次の世代に命をつないでいます。この時期以外の刈り取りでは、植物にダメージがあると考えられているのですが、いったいだれが刈り取りを行っているのかというと、シカであると考えられます。シカが見られなかったときは双子葉草本がたくさん見られる草原でした。しかし、草原にシカが現れて、植物を食べてしまうと、植物の先端部分が無くなってしまいます。その後、しばらくすると、根元に生長点があるススキは回復し、数を増やしていきましたが、双子葉草本は枯れて、数が少なくなってしまいます。
乙女高原がススキの優占する草原になってしまったのは、このことが原因であったと考えられます。
皆さんが一番気にしているところだと思うのですが、「シカは花の数をどのくらい減らしているのか?」については、加古先輩が研究を行いました。シカ柵の中と外で、どのくらいの数の花があるのかを数えて、比較するというものです。虫媒花が減っていれば、訪花昆虫とのつながりにも影響があるのではないかと考えて、調査を行いました。
その結果、1㎡あたりの花の数は、柵外では3個、柵内では319個。柵内には柵外の100倍もの花が咲いていることが分かりました。

◆わたしの研究
花の数が減っているということは、そこに暮らす昆虫たちにも影響があると考えられます。そこで、わたしは、花に来る昆虫への影響について、加古先輩の調査よりさらに踏み込んで調査しようと考えました。 ここでは、花と虫の結びつきのことを「リンク」と呼ぶことにします。
シカ柵内外に、それぞれ20mの観察ルートを設定しました。一定の距離を少しずつ移動しながら、そのルートに来ていた訪花昆虫と花の名前を記録しました。
年間を通して、柵内の昆虫が多い傾向がありました。しかし、詳しく見てみますと、時期によって状況が少しずつ違ってきます。

5月から6月にかけての春先は、ちょっとした逆転現象が起きていて、訪花昆虫全体は少ないものの、柵外で訪花が多く見られました。この時期に咲いているのはキンポウゲやミツバツチグリです。特にキンポウゲへの訪花がよく観察されました。明るく、開けたところが好きな植物は柵外でも花が観察されて、そこに来る虫の姿がよく見られました。
6月から7月の始めは、柵内の花に来る虫が多かったです。しかし、訪花の回数が20回を超えることはありませんでした。この時期にはキンポウゲやアヤメが咲く時期で、これらへの訪花が見られました。
7月下旬から9月下旬にかけてはたくさんの虫媒花が咲く時期ですが、柵内への訪花が一気に増えました。時期によっては訪花が100回を超えることもありました。7月からはワレモコウ、9月に入るとアキノキリンソウにハチが来ているのがよく観察されました。9 月中旬には、柵内は柵外の約12倍の昆虫が観察されました。10月ともなりますと、花の季節は終わりです。リンドウがきれいに咲く時期ですが、これにはルリハムシという甲虫が多く訪花します。この時期になると花の数も減るため、柵内外とも花に来る虫が減ります。
年間を通すと、柵内に来る虫の数は柵外の5倍でした。
ですが、柵外でも、マルバダケブキやハンゴンソウなど、シカの影響によって減らなかった、もしくは増えた植物がありまして、柵内よりも多くの訪花昆虫が確認されました。したがって、一部の虫媒花のリンクはシカによって減少しなかったことがわかりました。

どんな花にどんな虫が来ていたかを詳しく見てみると、柵内ではアキノキリンソウと小さなハチ、ワレモコウとハナアブといったリンクが強いことがわかりました。訪花回数が5回を超えるリンクも多くありまして、複雑な関係性を示していました。
しかし、柵外では、花の種類も少なくなり、昆虫の数も減っていますし、昆虫と花のリンクも一気に減ってしまいました。しかし、カワラナデシコについては、柵内では5回以上の訪花は見られなかったのですが、柵外では5回以上のハナアブの訪花が見られました。

◆麻布大学の調査~まとめ
乙女高原でも多くのシカが生息し、そのシカが虫媒花を減らし、ひいては、花に集まる昆虫の数も減らしていることが分かりました。しかし、シカを排除した柵の中では、虫媒花の数が回復し,昆虫との関係もより複雑化していることがわかりました。また、解析途上ではありますが、花の形によって来る昆虫が少しずつ違っていることも分かってきました。
昨年の秋に草原全体を囲うシカ柵ができましたが、この柵内でも数年の時が過ぎれば、多くの虫媒花が回復し、花にまつわる関係も複雑になっていくのではないかと推測されます。多くの生物たちが息づく乙女高原で調査ができたことをとても光栄に思っています。乙女高原ファンクラブの皆様をはじめ、多くの皆様に優しく見守っていただき、調査を行うことができました。ありがとうございました。




 いよいよスペシャルゲストいがりまさしさんのお話です。ファンクラブ世話人である小林さんからプロフィールの紹介があり、そのあと、始まりました。なお、お話したのはいがりさんですが、それを文章にしているのは植原です。したがって文責は植原にあります。

●いがりさん 「生物多様性の妖精・スミレのふか~くてひろ~い話」

◆乙女高原との縁
 忘れもしない1991年、その年は、わたくしがそれまで勤めていた印刷会社をやめて、植物写真家という生きようと歩きだしたその年だったのですが、名古屋市で行われました日本自然保護協会の自然観察指導員講習会を受講しました。2泊3日で、いろんな先生が来て、自然観察の仕方を教えてくださるんですが、そのときの講師のお一人が植原さんでした。そのときの植原さんの講習は今でも印象に残っています。ネイチャーゲームを駆使して、とてもわかりやすく、小さなお子さんでも自然に興味を持たれるだろう、そのやり方というのは、今思えば、今、わたくしがツアーに行って皆さんにお話したりする大きな礎(いしずえ)になっているのかなという気がします。
 そのときに、植原はさんが話されていた乙女高原に実際に行ってみたいなと思いました。それから何年後ですかね、ちょくちょく来るようになりました。通り掛かってみて、ちょっと時間があるから乙女高原へ行ってみようということで寄るようになりました。
 これだけたくさんのキンバイソウが見られるところって、そんなにないです。キンバイソウはどちらかというと大陸系の植物ですが、キンバイソウ自身は日本の固有種です。しかも、本州中部にしかありません。伊吹山や霧ヶ峰なんかにもありますけど、乙女高原ほど数が多くなくて、わたくしは乙女高原というと、真っ先にキンバイソウの花が思い浮かびます。
 そんなふうに乙女高原に来ていたんですが、2008年だったと思います、NHKの「趣味の園芸ビギナーズ」という番組に出ることになりまして、東京からある程度近くて、撮影の舞台になるようなところがないかと探していたところ、真っ先に思い浮かんだのが、キンバイソウの季節の乙女高原でした。そんな理由で乙女高原を訪れたこともありました。確か、そのときに植原さんにお会いしていたと思います。
 それが今日につながっていて、思えば長いご縁だなあと思います。

◆スミレが妖精?! 
 さて、今日お話するのはスミレ・・・「生物多様性の妖精」というのが付いていますけどね、これをフェイスブックで紹介しましたら、わたくしのスミレ友達から「え、スミレが妖精・・・どういうことだ!?」というクレームが付きました。中国語で妖精というのは、もともと悪魔という意味なんだそうです。英語のフェアリー(fairy)というのも、日本語の妖精というのとちょっとニュアンスが違います。妖怪に近いですね。ただ、悪魔ほどではなく、ときどき出てきていたずらをするといった感じの存在が英語のフェアリーです。どちらもスミレに対しては使わないかもしれません。日本人の独特な考え方かもしれません。

◆日本はスミレの都である
 日本はスミレの都である・・・こんなコトバがあります。これは大正から昭和にかけて活躍した中井猛之進(なかいたけのしん)という植物学者が残したコトバです。中国東北部や朝鮮半島の植物もよく知っていた猛之進は、日本列島はスミレがとても多いということを書き残しています。どのくらい多いかといいますと、60種です。種というレベルで60です。乙女高原のスミレ・リストにあるソラムキタチツボスミレは種レベルではタチツボスミレに含まれますし、ヒナスミレとフジスミレは変種関係なので、2つとも同じ種ということになります。
 ただ、これも人によって違うんですよね。人によっては56種という人もいます。分類の立場による違いです。62くらいにはなるんではないでしょうか。
 アメリカは82種です。アメリカの方が多いんです。中国には108種。もっと多いですよね。中国ではまだまだ見つかっていない種があり、増えるんじゃないかと思います。150くらいはいくんじゃないかと思います。オーストラリアは8種です。
確かにオーストラリアに比べれば、日本のスミレは多いんだけど、アメリカに比べれば少ないじゃないかと思われるかもしれませんが、面積を比べると、オーストラリアは日本の20倍です。オーストラリアのスミレ友達が日本に来たことがあるんです。「日本に来たら、きっとびっくりするよ。一カ所で10種も20種も見られるところがあるよ」と彼にいったら、「おまえがオーストラリアにきたら、もっとびっくりするぞ。1種見るのに何百キロも走らないとならないぞ」といってました。20倍の面積で8種ということは、そういうことなんでしょう。
 アメリカの面積は25倍、中国は26倍。面積を考えると、確かに日本の60種というのは非常に多いです。

 数年前に亡くなった、わたくしのスミレ友達のアメリカ人がいます。彼女はオーストラリアの市民権を持っていて、アメリカに住んでいて、長年ヨーロッパに住んでいました。行く先々でスミレを観察していて、日本や中国にも何回も来ています。彼女に「日本以外で、一カ所でスミレが10種類以上見られる場所があるか?」と聞いたら、「ある。アメリカに一カ所ある」と答えましたが、「いやまて」と数え直して「違った、9だ」と。一カ所でスミレが10種以上見られる場所は、日本以外知らないそうです。
 わたくしは、ロシアの沿海州で、一カ所で12種のスミレを観察したことがあります。ちょうど乙女高原くらいの広さのところで12種です。それ以外では、最近,外国でミスレを見る旅をすると、一回で1種新しいものが見られる程度です。1か所でたくさんのスミレが見られる場所がたくさんあるということで「日本はスミレの都である」というのは正しいと思います。

◆なぜ、日本列島はスミレの種類が多いのか?
 まずは気候帯が多様だということです。
 それを近縁の3種のスミレの分布を例にとってお話します。3つの中で、乙女高原にあるのはアケボノスミレだけです。ナガバノスミレサイシンは西日本の太平洋側が産地です。スミレサイシンは日本海側。雪の降るところです。東北の北の方まで行きますと,太平洋側にも出てきます。そして、2つの分布域のちょうど真ん中、太平洋側でもなく日本海側でもない内陸で、雪もある意味少ない場所に出てくるのがアケボノスミレです。山梨県・乙女高原は典型的なアケボノスミレの生育環境です。まあ、乙女高原は標高が高いですから雪は降りますけどね、日本海側に比べると少ない積雪量です。
 このように近縁のスミレが棲み分けておりますが、ナガバノスミレサイシンは雪が少なくて雨が多い雑木林、この近くだと、奥多摩・武蔵野あたり。高尾山なんかがナガバノスミレサイシンの多いところです。
 スミレサイシンは雪国です。新潟県の高柳町などです。
 アケボノスミレは雪が少なくて、冬寒いというところです。埼玉県の秩父などです。日本海側や太平洋側と比べると、森の中がとてもきれいですよね。雪が少なくて、寒さが厳しいと、下草が枯れてしまいます。ですから、森の中が静かな感じになります。
 3種のスミレの分布域の気候を比べてみましょう。代表して名古屋(ナガバノスミレサイシン)、松本(アケボノスミレ)、新潟(スミレサイシン)です。平均気温は名古屋>新潟>松本となります。降水量は名古屋と松本は∧型になりますが、新潟は∪型になります。名古屋と松本は形は似ていますが,名古屋は1500ミリぐらい、松本は1000ミリぐらいです。この1000ミリというのは、日本の主要都市の中で一番少ない降水量です。網走、福島なども1000ミリくらいです。

 南北に長いというのも、日本にスミレが多い理由です。
 気候帯という視点でみると,一番北は亜寒帯、東北地方や北海道南部は冷温帯です。本州の多くは暖温帯、九州の南部から南西諸島にかけては亜熱帯。さらに、高山帯には寒帯という、ほとんど樹木の生えないところもあります。熱帯以外の気候帯が日本列島には存在しているわけです。そういった意味で、日本の気候帯はとても多様です。
 北海道と南西諸島が日本でなかったらどうなっていたかを考えてみましょう。北海道には5種の固有種があります。南西諸島には6種です。ですから、日本のスミレは11種少なくなってしまいます。

 起伏が激しいのも理由のひとつです。
 わたくしは今日、東京方面から車で走って来ましたが、北岳が白く輝いていました。白根三山とは、これを見て名前が付いたんだなあと思いました。イギリスのグレートブリテン島を上から下にバサッと切って、断面を見てみますと、起伏があまりなく、なだらかなことがわかります。日本列島も切って断面を見てみると,高い山があるし、起伏の激しいことがわかります。
 起伏が激しいと、こんなことが起きます。キバナノコマノツメという、スミレの仲間の中では唯一、名前に「スミレ」が付かないスミレがあります。葉の形が馬のひづめのようだということで「駒の爪」です。高山植物といっていいと思いますが、珍しいスミレではありません。北半球であれば、一定の標高以上、一定の緯度以上であれば、たいてい出てくる普遍種なんです。ただし、ちょっと高いところでないと見られないので、本州中部の都市に住んでいる人にとっては、ちょっとあこがれのスミレです。
 北海道から九州まで見られます。一番南は屋久島の1900m以上のところ、もっと南、台湾にも分布しています。四国にも一カ所あります。1700mくらいのところです。紀伊半島にもあります。四国と同じくらいの標高です。中部山脈に来ますと,1700mくらいから出てきます。乙女高原にはないですよね? 乙女高原の標高でも、谷筋だと出てくることはあると思います。東北に行きますと1300mくらい。だいぶ低くなりましたね。北海道中南部で700m、北部になりますと、普通の里山みたいなところにもあります。礼文島に行きますと、海岸からすぐのところにもあります。
 このように一定の緯度・標高があれば必ず出てくるスミレなんですが、イギリスみたいな平坦な島だとキバナノコマノツメが分布しているところはほとんどありません。



◆キスミレの話
 ここからちょっとキスミレの話をしたいと思います。さきほどのキバナノコマノツメは高山植物でしたが、このキスミレはむしろ低い山にあるスミレです。山梨県はキスミレの分布域の東北限になります。
 愛知県にもあります。愛知県の現存する自生地は一カ所だけです。むかしは100株くらいありましたが、今は30株くらいでしょうか。かろうじて残っています。ここは草刈りをして、キスミレ群落がやっと保たれています。
 キスミレに関しては、興味深いことにウワサが多いんです。写真を見せると「子どものころに、○○で見たことがある」「遠足で行った○○山で見た」「東海道線のバラス(線路に敷く砂利)のところで咲いていた」「子どものころに河川敷で見た」「豊橋動植物公園が公園になる前に、雑木林があって、その中に草原・茅場があり、そこに咲いていた」などです。公園の話に出てくる草原というのはまさにキスミレの生育環境としてドンピシャリです。70歳くらいの方の、戦後すぐのころの記憶ですから、間違いないと思います。わたくしが聞いた範囲ではこれくらいですが、おそらく、戦後すぐのころにはキスミレはもっとたくさんあったのではないかと思います。
 標本が残っているところもあります。一カ所は開墾によってなくなったところです。もう一カ所はうわさ話なので、少し差し引いて考えなくてはなりませんが、戦後すぐのころの植物採集会で、リーダーが「あ、キスミ・・・」と言ったところで参加者がみんなで採って、なくなってしまったというものです。そういう話が残っています。かなり大げさだとは思いますが、乱獲があったことは事実だと考えられます。
 このように、戦後すぐにはほうぼうにキスミレの生息地があっただろうと思っています。キスミレの生息地・元生息地をみると、全部里山なんですよね。手つかずの山では見つかっていないんです。生息地が里山ばっかりだったから、戦後の開発ですべてなくなっていったということもあるんですが、とにかく近年急激になくなっています。

 キスミレの分布は世界で東アジアだけです。日本と朝鮮半島と中国東北部、ロシアの沿海州。一番北は北緯50度。北海道よりずっと北です。サハリン南部です。日本の北限は山梨県です。北緯35度くらいです。どうして、キスミレは日本では東北や北海道まで分布を広げられないのか? この疑問が残ります。
 南は宮崎県まで分布していて,熊本の阿蘇が有名な産地です。雪の少ない地方なんですね。新潟や山形にはオオバキスミレという別の大型のスミレがあります。で、草原や明るい林に生えます。そうなると、乙女高原と関連してきますが、こういうところは日本には少ない環境なんです。日本の降水量だと放っておくと森になってしまうので、人が手を入れない限り草原はなかなかできません。

 キスミレが多いところの代表として、わたくしがよく行くウラジオストックと日本の気候を比べてみましょう。ちょうど松本と似ているんですね。雨は冬より夏に多いけれど、全体の降水量は少なくて750ミリくらいです。松本が1000ミリくらいですから、松本より少ないです。日本で降水量が750ミリというところはありません。降水量が少ないですから、森がとても「きれい」なんです。笹がないということもありますが、全体に植生が薄いといいますか、森の中に藪がなく、すいすいと歩けてしまいます。チシマフウロやアツモリソウが咲いていました。さらに内陸に行きますと、もっと降水量が少ないところがあります。中国との国境近くだと、おそらく年間降水量が500ミリくらいです。もともと草原だったというわけでもないようなのですが、いったん森を伐ると、簡単にはもとに戻らない。放っておいても草原が続いてしまう、それくらいの降水量だと思います。
 わたくしは樹木が苦手で、日本の観察会で樹木の名前を聞かれても困るのですが、ここに来ると3つ覚えれば済みます。ヤエガワカンバとモンゴリナラとヤマナラシ(チョウセンヤマナラシ)です。ただ水辺に行くと、ヤナギが何種類かありますけどね。それくらい森林植生が希薄です。

 阿蘇では2月下旬から3月上旬にかけて山焼きをします。山焼きをやって黒焦げたところにキスミレがたくさん咲きます。阿蘇の降水量は年間3000ミリくらいです。ですが、山焼きをやっているので、キスミレの生育環境が保たれているというわけです。山焼きをやめると、おそらく、長くても100年くらいでキスミレがなくなってしまうと思われます。阿蘇でも山焼きができなくなっているところが非常に増えていまして、今、そういったところでは、キスミレのような草原性の植物が住む場所を失っています。
 一方、ウラジオストックの降水量は750ミリくらいですから、山焼きをやらなくても自然に疎林や草原が保たれるんですね。それで、キスミレがどこでも見られるというわけです。


◆日本列島の降水量はなぜ多い?
 まず、日本列島にたくさんの雨が降るわけを説明したいと思います。
 日本列島のまわりの気団は、まず、北東にオホーツク気団(高気圧)。6月7月にこれが張り出すと、東北に飢饉が起きます。冷たい高気圧ですね。
 北西にはシベリア気団。これが張り出してくると冬型の気圧配置になって、日本列島に雪や北風をもたらします。
 南西には揚子江気団。これは移動性高気圧で、春と秋におおわれると3日間くらい晴れが続きます。
 南東には小笠原気団。太平洋高気圧ですね。それから南に熱帯気団。台風をもたらします。
 このようにいろいろな気団に取り囲まれているんですが、ちょうどそのはざまに前線帯ができやすいんですね、梅雨前線にしろ秋雨前線にしろ。北海道には梅雨がないとよく言われますが、たしかに前線帯からはぎりぎり外れています。ウラジオストックも前線帯から少し外れていますが、ときどき、かかることがあって、そういうときは大雨になります。現在の東京の降水量グラフをみると,ピークは6月と9月です。梅雨と秋雨なんですね。ウラジオストックのピークは8月です。梅雨前線が8月にかろうじてウラジオストックにかかるからです。
 2万年くらい前(最終氷期)は、これらの気団は全体的に南に下がっていただろうと考えられています。そうすると、前線帯も南にずれますから、日本列島にはかかりません。当時の日本列島は寒かっただけでなく、乾燥していたと推測されます。

 もうひとつ。雪の降る仕組みです。
 日本海の上をシベリアからの風が吹いてくると、新潟などの山に当たって、雪が降ります。
 この大きな要因は対馬暖流です。対馬暖流が日本海に流れ込んでいるので、日本海は温かい海になっています。湯気が湧いているようなところに風が吹きますから、とても湿った風が日本に吹いてくるわけです。それでたくさんの雪が降るというわけです。ちなみに、世界の最大積雪記録は日本の伊吹山で11mだそうです(1927年2月14日に積雪量1182cm)。また、世界の豪雪都市(小さい町は除く)上位3位はすべて日本です。青森・富山・札幌です。それくらい日本列島は雪が多いということです。もっというとね、冬季オリンピックの開催地で、最も低緯度だったのが長野です。緯度が低いのに雪がたくさん降る。結果として、夏に30℃になるのに、冬に3m雪が降るのが新潟みたいなところで、世界でも稀なエリアなんです。
 氷期の日本列島がどうなっていたかというと、列島が大陸と陸続きでした。対馬海流は流れ込めないので、日本海は冷たい湖のような海でした。そうすると、いくら風が吹いても、日本列島には雪が降らないですね。

 で、氷期の日本列島は気温も低かったけど、雨も雪も少ない、乾燥した気候だったんです。ちょうど今の西日本がウラジオストックみたいな気候だっただろうと言われています。これは花粉分析なんかで植生を調べている人たちも、その裏付けをしています。(つづく)


 いがりまさしさんのお話・後編です。
 キスミレが降水量の多い日本の里山的環境に生息していること、ですが、そのルーツは大陸沿海州の降水量が少ないエリアであるのはなぜか? じつは1万年前は日本の気候は今よりずっと寒冷・乾燥していて、まさに今の大陸沿海州の気候と同じだったという、まるでミステリーの謎解きのような話の続編です。1万年前から気候は温暖化し、今のような気候になったわけですが、そうなってもキスミレが生き残ったのはなぜか? いよいよ、キスミレ最後の謎が解きあかされます。
 なお、お話したのはいがりさんですが、それを文章にしているのは植原です。したがって文責は植原にあります。


◆キスミレと火山の噴火
 さて、温暖湿潤になった日本列島になぜキスミレが残ったのか? 阿蘇のキスミレは山焼きをやめたら、なくなってしまうと言いましたが、それがなぜ今まで残ってきたのか?
 これは火山の話です。地図を出して、九州・鹿児島の桜島の北側の海(湾)をみると、丸く輪になっているのがわかります。じつは、ここは昔、巨大火山の火口(カルデラ)でした。名前を姶良(あいら)カルデラといいます。
 この姶良カルデラが今から2.5万年くらい前に、人類が体験したことのない規模の噴火を起こしました。このときの火山灰が積もった地層が日本中で出てきます。姶良層といいます。姶良層が出れば、そこが2.5万年前であることがわかります。とても重要な地質学上の指標になっています。このへんでも20センチくらい積もったでしょうか。これによって、西日本の植生は一時リセットされたと言われています。とはいえ、一度リセットされても5千年くらいで元に戻るらしいですね。
 その後、喜界カルデラも噴火しました(鹿児島の南に突き出た2つの半島の南、種子島の西、屋久島の北くらいの海上です。隣接して硫黄島や竹島があります。地図で確かめてみてください)。6千年ちょっと前くらいです。皆さんはまだ生まれていませんが、植物の歴史でいうと、つい最近の出来事です。5千年で噴火の影響がなくなるとしたら、まだなくなって千年しかたっていません。このとき、もう縄文時代は始まっていました。九州の縄文文化はこのとき、一時壊滅したのではないかと言われています。皆さんは学校で「縄文時代は3千年前から」と習ったと思いますが、今は違います。最新の研究成果を取り入れて、今は「縄文時代は1万2千年前から」となっています。
 最終氷期のころ、キスミレはこのころ最も栄えたんでしょうね、西日本は今の沿海州と同じように、寒くて雨も雪も降らなかったですね。だいたい今から1万年前に最終氷期が終わりました。そして、キスミレは衰退していくのですが、そのときに喜界カルデラの噴火が起こったんですね。それで、西日本の植生が相当広く破壊されたのですが、それが草原性のキスミレにとってはありがたかったようです。


◆キスミレと縄文人
 ただし、この噴火も6千4百年前ですから、5千年で元に戻るとすると、今頃なくなっていても不思議じゃないですよね。キスミレは衰退はしたけれど、なんとか今まで残ってきたのは、縄文人が活動を始めたからです。
 阿蘇の山焼きはいつ始まったか分からないそうです。少なくとも7百年前には行われていた。ボーリング調査によると、6千年前から頻繁に火災が起こっていたことがわかりました。それ、縄文人がやっていたかどうかはわかりませんが、とにかくだいぶ昔から、山焼きが起こっていました。縄文時代が始まったということは、土器を使っていますから、狩猟採集だとしても、集落を作り始めています。集落ができれば、その周りの森林を定期的に伐採していたはずです。そのときに、日本の里山の原型ができ始めただろうと思われます。喜界カルデラの噴火後、日本列島の自然が森林に戻りつつあり、キスミレが行き場を失いそうだったのですが、そのキスミレが逃げ込んだのが、縄文人の作った里山だったということです。
 愛知県のキスミレの自生地は里山ばかりです。キスミレというスミレは縄文時代から脈々と続いてきた里山文化に支えられて残ってきたのではないかと思います。

 乙女高原もスキー場になる前は茅場だったそうですね。日本の草原というのはほとんど茅場です。阿蘇もそうです。霧ヶ峰の踊り場湿原なんかも、茅場だったからスキー場になれたんですね。最初は里山だったんです。そんな里山の文化が、今日はキスミレのお話でしたが、キスミレだけじゃなくて、大陸系の植物を育んできたわけで、草原はとても大事な場所なんです。もし、日本列島に人間がいなかったら、つまり、人による里山がなかったら、日本の植物の2~3割はなかっただろうと思います。


◆世界のスミレ
 南米パタゴニアのスミレです。南緯40度、標高2000m。大雪山を南米に持っていったようなところです。
 ギリシャのクレタ島のスミレです。こういうのをみると、パンジーとスミレの境は確かにないなという気がします。相当大きく見えますが、タチツボスミレより小さく、ツボスミレより大きいくらい。これは草ではなく、樹木です。クレタ島は地中海沿岸性の気候ですから降水量は相当少ないのですが、クレタ島でもさらに降水量が少ないところに生えています。石がガラガラしているところに生えています。

 中国のスミレです。子どもがスミレをかごに入れて歩いていたので、見せてもらいました。地表とも地中ともいえないところにストロン(匍匐茎)があって、そこに鈴なりに実が付いているのです。スミレの閉鎖花ですね。日本に帰ってから中国植物誌を調べたんですが、こういう形状のミスレは載っていませんでした。ただ、よくみると、これに似たスミレの絵はありました。そのときは分からなかったです。
 翌年、また行きました。この子、じつはお姉ちゃんと二人でスミレを持って歩いていたんです。聞いてみたら、お父さんに頼まれて、薬にするために採っていたといいます。筆談で話をしました。住所も書いてもらったんですが、そしたら「工生所」とありました。中国語で診療所のことです。彼らのお父さんはお医者さんなんですね。診療所で使う薬を作るために、子どもにこのスミレを採りに行かせたということだったんです。
 翌年、そのお父さんに案内してもらいました。そしたら、スミレの花が咲いていました。最初、ニョイスミレかと思いました。よく見たら、違うんですね。地面を掘ってみたら、閉鎖花が地中にありまして、さらに掘ってみると、おもしろいことにユリ根みたいな鱗茎が出てきました。これが発見できたので、名前にたどりつけました。よくみると,その絵には閉鎖花も書いてありました。ただし、ただの点でした。花があっても乾燥標本にしちゃうと、何がなんだかわからなくなってしまって、とりあえず書いておけという感じだったと思います。本文には閉鎖花のことは書いてありません。まだ生態が明らかになっていないスミレかと思われます。
 名前はわかったんですが,このスミレが生えているところというのは、標高がとても高くて、3000~3500mなんですが、どちらかというと里山なんです。中国のこのあたりの里山って、ウシやヤギが放牧されているんです。考えてみれば、この鱗茎があれば、地上部を食われてしまっても、怖くないですよね。しかも、閉鎖花もあります。ウシやヤギの放牧がいつから始まったかわかりませんが、ここにこのスミレがある、または、ここにこの形態のスミレが残ったというほうが正しいのかもしれませんが、放牧と大きな関係があるんではないかと思いました。
 日本にキスミレが残っていることも、中国にこのスミレが残っていることも、皆さんが乙女高原で直面している植生の遷移の問題やシカの問題も、我々が自然のことを考えるのに、とても示唆深いものではないかと思います。
 お話はここまでです。

   ※    ※    ※

・・・そう話し終えると、いがりさんはおもむろにギターのチューニングを始め、生演奏をバックに日本のスミレを紹介するスライドショーが始まりました。皆さん、とてもうっとりと、リラックスしながら、美しい音色を聴きながら、美しい画面に見入っていました。とても贅沢な時間でした。



 いがりさんの音楽に乗って、いがりさんの植物写真のスライドショーを見ることができるサイトがあります。無料です。お勧めですよ。
「いがりまさし公式サイト 植物図鑑 撮れたてドットコム」 http://www.plantsindex.com/

 その後、会場からの質問にいがりさんが答えるQandAのコーナーがあり、マイクを総合司会の商工観光課の網野さんにお渡ししました。宮原ファンクラブ代表世話人のお礼のあいさつ後、内藤ファンクラブ世話人からの諸連絡があり、フォーラムを無事終了しました。

終了後、いがりさんや高槻さんの本にサインをもらう人の長い列ができました。
片付け終了後、控室で参加自由の茶話会をしました。28人もの方が参加してくださいました。遠くは長野県の塩尻市や松本市、東京都から大勢、埼玉県さいたま市、神奈川県の小田原市の方もいてびっくり(参加者名簿を見ると、ほかにも神奈川県南足柄市、静岡県静岡市、千葉県千葉市から参加された方もいました)。三枝さん手作りの干し柿がとてもおいしかったです。情報交換のきっかけになるよう、全員に簡単な自己紹介をしていただいたのですが、いやー、世の中いろいろな人がいておもしろいなあと、改めて思いました。

 さて、いつもの年だとこれで解散なのですが、今年は初めての試みとして懇親会もセットしました。電車で帰りやすいように、駅前の飲み屋さんで行いました。10人ほどが集まり、大盛り上がり。いろんな話ができました。来年もぜひやりましょうね!!

 来年のフォーラム準備や運営に活かしたいと思います。ご感想やご意見をぜひお届けください。よろしくお願いします。
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第14回乙女高原フォーラム

2015年02月01日 | 乙女高原フォーラム
知事選のために押し出されてしまったのは開催日だけでなく,会場もでした。今回,初めて「夢わーく」を使ってみましたが,弱点は市民会館に比べて知名度が低く,場所が分からない人がいたくらいで,部屋は市民会館のものと同程度の人数が収容できて,なおかつこじんまりしていて一体感があり,机椅子を並び替える手間が省け,ゆったりした駐車場もあり・・・と,皆さんの評判はおおむねよかったようです。いつものように11時スタッフ集合で,すぐに準備開始。あっという間に準備が整いました。


会場の後ろのほうには,ファンクラブの展示スペースと高槻先生のご著書のコーナーを作りました。お弁当を食べ終わると,受付です。受付はロビーで行いました。


午後1時,市観光課の網野さんの司会でフォーラムがスタートしました。望月市長さんが主催者を代表してあいさつしてくださいました。


それに続いて,スクリーンに写真を映し出しながら三枝さんが今年度の活動報告をていねいにしてくださいました。いよいよここからがフォーラムの中心部になります。第1部では昔の乙女高原の様子をみんなで共有し,第2部で今の乙女高原について高槻先生らの研究の結果見えてきたことについてのお話を聞き,第3部ではこれからの乙女高原のあり方について議論しました。

  【第1部】昔の乙女高原
まず,植原が10年前と今の,同じ時期(夏。だいたい8月初旬)に同じ場所を撮った写真を比べながら紹介しました。「今」はただの草原のように見えますが,「10年前」はそれこそたくさんの花が咲いていたことがわかります。それから,もっと昔の写真,20年前,30年前の写真をお見せしました。「1週間違うと草原の色が違って見えた」というのが決して誇張でないことがわかります。これらの写真をきっかけに,昔の乙女高原の話をフロアから聞いてみました。
・写真を見ると,今はススキが旺盛になっていますが,何が原因なんですか?
・このころはずっと一面お花畑でしたね-。
・私が乙女高原に通い始めて11年。はじめの頃はこれほどまでではなかったですが,お花はたくさんありました。
・乙女高原は昔ものすごくお花がいっぱいでした。40年くらい前のことです。お花のすばらしいところでした。私は乙女高原のお花が大好きで,それを守りたくて,県の自然監視員をやっていました。ファンクラブを作り,遊歩道も作りました。このようになってしまった乙女高原が本当に悲しく,シカのやつは出て行って,人は中に入って踏み荒らさないで。乙女高原の遊歩道にロープをはったきっかけは,乙女高原を踏み荒らす人がいたからです。これを絶対に守っていきたいと思っています。
・スライドを見て,驚きました。どんな原因でこうなってしまったか知りたいわけですが,昔,乙女高原は地域に密着した草原でした。スキー場として認可をえたのが23ヘクタールですが,その当時はほんとうに「花の場」という印象があるわけです。
・60年くらい前はトロッコ道で馬を連れて奥千丈に行く途中,柳平までお父さんと一緒に行って,そこからお父さんが奥千丈から帰って来るまでに乙女高原に行ってました。そのときは,ここは馬の餌場だったんですよ。そのときは,花なんていっぱい咲いていて,踏んで踏んで踏み荒らしたほうなんですよ。ところが,大事にするようになってから,だんだん花が少なくなって,昔の面影がありません。あと,スキー場があった頃のほうがススキが生えなかったような気がするんです。気候の加減やシカとか関係あるんですかね。




  【第2部】乙女高原のシカ問題を調べてわかったこと
小林さんによる高槻成紀さんの紹介の後,いよいよ高槻さんのお話が始まりました。
(※録音を元に,読みやすいように若干言い回しを変えています。したがって,文責は植原にあります)
●4年前にお話したこと
ここ4年くらいシーズンになりますと,毎月乙女高原へ行って,いろんな調査をしてきました。今日は,これまでにわかったことをご紹介したいと思います。2011年に一度お招きいただいて,お話をしました。そのときのお話を振り返ってみたいと思います。私はシカと植物の関係を調べてきたので,その観点から乙女高原がどう見えるかというお話をしました。日本は雨が多くて,夏は暑くなる環境ですから,短い時間で草原的な環境が森林的な環境に変化するんですね。世界のどこでもこうなるわけではなく,日本はこの植生遷移が早く進む国だということです。
農地というのは森を伐採して利用しているわけですから,植生遷移を止めていることになり,これが人間の活動であり,遷移のなすがまま移っていってくださいというのが自然保護の活動ということになります。乙女高原の草原の保護というのは,毎年11月に草刈りをしているのですから,普通の自然保護と違うことをしていることになります。草を刈って林にならなくしている。ところが,シカも草を食っている。人間と同じことをやっているわけです。乙女高原で今行われていることは植物が遷移していくことを止めている,つまり,普通の自然保護とは違うことをしているというふうに認識しなければなりません。
それから,よくある「アヤメを守ろう」といったことではなくて,群落全体の組み合わせを守ろうとしてきたということも意識する必要があります。そのときに,日本の生態系のメンバーの一つであるシカがいることを異物として排除することがどういう意味を持っているのか考えて,対応しないといけないです。とても難しい問題だと思います。では,どんな自然を守ることが乙女高原の自然をいい状態に保つことになるのか,これはみんなでじっくり考えないといけないですね・・・というのが2011年の乙女高原フォーラムでお話したことです。

●乙女高原で調べようと思ったこと
その年の夏から学生と一緒に乙女高原に通うようになりました。そのとき,自分自身に問題設定したわけです。
まず,本当にシカがいるのか,その確認をしました。そして,シカたちが何を食べているのかを知りたいと思いました。それから,それより2年ほど前にシカ柵を作っておられる。これはどんな効果を持っているのだろうか。柵によってシカのいなくなる状況を作っているわけですから,シカがいなくなれば植物たちはどんな反応をするのか,これは調べられるだろうと思いました。で,現実にわかってきたことは,ある植物は柵の中で増え,別の植物は減る,反対に柵の外でもある植物は増え,ある植物は減っている,これは何か理由があるはずで,それを知りたいと思いました。
それから,私は昭和24年生まれで今年大学を退官するのですが,これまで50年近く生き物の研究をしてきて,つくづく思うことは,生き物はつながって生きているということなんです。その代表的なことは「花に虫が来る」ということです。それによって虫は蜜を得て,花は花粉を伝えてもらう,そういうことが起きている。そういう観点で乙女高原を見てみたいと思いました。乙女高原に関わってこられた国武さん(注:マルハナバチ調べ隊の元祖隊長)は,ちょうどこのテーマで学位論文を書かれたので,ちょうどいいタイミングだったなと思いました。

●高橋君の研究「シカは本当にいるのか」「シカは何を食べているのか」
最初の年は,地元出身の高橋くんが卒論でシカのことを調べてくれました。まず,自動カメラを設置して,本当にシカがいるかどうかを確認しました。カメラにはちゃんと写っていました。出てくるルートも決まっていました。
そして,一定面積をとって,糞がどれくらいあるかを調べました。糞からは,そこそこの密度でシカがいることがわかりました。シカの糞を大事そうに持って帰って,処理をして,顕微鏡で覗くと中身がわかるんですね。植物からも植物片の標本を作っておきます。植物の表面の様子というのは植物の種類ごとに違っているので,糞の中身と植物片を見比べることによって識別できます。特にササは特徴的な形をしているので,よくわかります。これを高橋君に調べてもらいました。2011年の5月から翌年の4月まで調べました。7月と8月はどういうわけか糞が見つかりませんでした。むきになって探したんですが,ないんです。それで,2012年にリベンジして,ようやく見つけました。
糞の中のササの含有量は11月から急に増えて6割ぐらいになって,また,少なくなっていくという傾向を示しました➊。双子葉植物の割合は夏は1割から2割くらいあるのですが,冬だと枯れてしまいますから,冬は少なくなっています。ススキは量としてはたいしたことないです。ススキは消化率がいいので,実際はもっとたくさん食べているかもしれませんが。じつは,太平洋岸の東北地方から関東にかけての他の場所で調べると,夏にもっとササを食べるんですね。乙女高原ではわりと食べていません。それは,ここに草原があるからだと思っています。草原に出てくるシカたちは,冬はまわりの森の中に入って,ササを食べています。森の中のササを刈り取って持ち帰り,何本のササの中で何本食べられているかを調べると,食べられてないです➋。10月に少し,11月に10%くらいしか食べられてなくて,少ないなあと思っていたのですが,冬越しをして4月に残っているササ,つまり前年のササは50から60%と,かなり食われています。ササはあれだけ森の中に広がっていますから,50%つまり半分食べるというとことは,大変なことです。冬に確かに食べているということがわかりました。ということで,乙女高原には確かにシカがいて,夏には草本類を,冬にはササをおもに食べているということがわかりました。

●高橋君の研究「シカ柵内外の植物の高さの違い」
高橋君にもう一つ調べてもらったことは,彼は植物の名前が全然分からなかったので,草の名前をいくつか教え,テープを付けて,毎月,高さを計ってもらいました。柵の内外で20本ずつです。イタドリ,カラマツソウ,クガイソウなどは最初(6月)から高さが違っていて,中には倍も違うのがありました。ただし,ススキとヨツバヒヨドリは柵の内外で高さが変わらなかったです。次の年に追加的に調べましたが,やはりヨツバヒヨドリは高さが違っていなかったです。じつはヒヨドリバナ類は特殊な臭いがするみたいで,シカは嫌っていて,食べないです。でも,ススキは食べます。食べられたり食べられなかったり,同じ食べられても反応が植物によって違うということがわかってきました。
植物の量を調べてみました。全部を刈り取るわけにはいかないので,植物が被っている面積と高さからバイオマス指数を出してみると,これはちょっと意外な感じがするんですが,柵の中のほうが少なかったです➌。場所によってバラつきが大きいですが,少なくとも「柵の外はシカに食べられているからといって,必ずしも草の量は少なくはない」という結果です。つまり,植物の量は柵を作ったからといって増えたわけではないということです。私が興味を持つのはその内訳です。調べてみると,柵内のバイオマスの6~7割を占めているのは,大型の虫媒花,つまり,きれいな花を咲かせて虫にきてもらっている花たちでした。柵の外では数パーセントしかありません。一方,柵の外は9割近くがススキに代表されるイネ科植物でした。このように柵の中と外では,その内訳に大きな違いが表れていました。代表選手は,柵の中は大型虫媒花,虫で受粉されるきれいな花を咲かせる植物たち,柵の外はススキに代表されるイネ科植物に置き換わっていたというわけです。で,だれでも思うわけです。なんでこんな違いが起こるのか?
 さきほど調べたデータを一番大きい植物から2番目,3番目…と順番に並べてみました➍。すると,柵の中のグラフは少しずつ減っていて,1番と10番とでは高さがさほど変わりません。ところが,柵の外は1番がどーんとあって,ぐんと下がって2番以降が続いています。外の1番はススキです。ススキが一人勝ちしている状況です。なぜ,こんなことが起こるんでしょうか?

※ここで,話が脱線。モンゴルの草原の植物と乙女高原の植物が,どれくらい似ているかを写真で紹介してくださいました。遠く離れたモンゴルと乙女高原ですが,まるで姉妹のようだと思いました。大昔,大陸と日本は陸つながりになっていて(氷河期),そのときに大陸の植物たちが日本に渡ってきたんだなあと思ったそうです。

●刈り取り実験
「なぜ,柵の内外である植物は増え,ある植物は減るんだろうか」それを確かめるために,刈り取り実験を始めたわけです。2013年の6月16日に調査をしました。記録を取ったり,印を付けたりした後,宮原さんに機械でギューンと刈っていただきました。機械でやるとあっと言う間ですね。6月に刈ったのに,9月にはかなり回復しています。恐ろしい植物ですね,ススキは。刈り取られても平気です。
合わせて,こんな実験もしました。6月,草が少し伸びてきた段階で,名前を調べて,印を付けて,地上10センチくらいのところで,ハサミでちょん切りました。夏になって,それを調べます。6月に印を付けたときには赤い色のテープなのでとても目立っているのですが,夏になると本当に見つけにくくなります。まわりが生い茂ってしまうからです。探して観察すると,枯れて腐ってしまう,かろうじて生きてはいるけどほとんど瀕死状態,切られても葉っぱを盛り返しているなど,種類によって反応が違うことがわかりました。6月に20本ずつに印を付けました。これがスタートです。8月の生存率を調べてみると,ススキとクガイソウは20本全部が生きていました➎。ヨツバヒヨドリ,イタドリ,ヤマハギ,キンバイソウは半減,マルバダケブキ,タムラソウ,シシウド,ワレモコウは全滅でした。次に,生き延びていたやつの高さを調べてみました➏。ススキとヤマハギは高さは変わりませんでした。ヤマハギは低木で枝をたくさん出し,わきからも芽を出すので,もともと刈り取りに強い植物です。しかし,クガイソウ,イタドリ,ヨツバヒヨドリは全部低くなっていました。生き延びてはいるけれど,主軸が切られて,わきから出るわけですから,小型化してしまうわけです。まとめると,ススキは生存率も回復力もありますが,他にこの2つの力を併せ持つ植物はなく,ススキが一人勝ちをしているわけです。
シカはススキも食べるし,ほかの大型草本も食べるわけですが,それに対する反応の仕方が植物によって違うわけです。ススキのように,ストローのような丸い筒状の茎を持っていて,内側からどんどん葉を出すという構造を持っているイネ科植物は節の部分に生長点を持っているので,生長点の上を切られても平気なんですけど,普通の草本は茎の先端に生長点がありますから,これを切られるとオジャンなわけです。元気がいい植物は,その下に不定芽を持っていて,そこから芽を出せるものもいるのですが,出せないものが多いんですね。

●加古さんの研究「花と虫のリンク」
次の年,加古さんという学生が花に来る昆虫の記録を取りました。花と虫のリンク=つながりを調べたわけです。林と草原とでは,花の咲き方やそこに来る昆虫にどんな違いがあるのかを調べました。ルートを決めて,毎月2回,虫が花に止まっていたらその記録を取るということを続けました。草原と林では,花の数がつねに草原のほうが多くて,特に夏から秋にかけては数倍の違いがありました➐。また,訪花昆虫の数は,花の数ほどの違いはなかったけれど,草原の方が多く,差が一番大きかった秋には4倍になっていました。「林の花と虫のリンク」密度と「草原の花と虫のリンク」密度を比べると,草原のリンクの密度のほうが高かったです。とはいえ,草原には草原にしかない,林には林にしかない「花と虫のリンク」もあるので,林も草原も両方大切だと思われます。
高橋君はシカ柵内外で植物の背丈を比べ,シカ柵内の植物の背が高くなることをつきとめていたので,加古さんは,花の数をシカ柵内外で比べてみました。花の数を調べるというのは相当大変なことなんですけど,その結果,柵の外は平均すると1平米あたり3個しかなかったのに,柵の中だと300を超える花が咲いていて,100倍も違うことがわかりました。まとめますと,シカがいろいろな植物を食べますが,ススキだけは大丈夫。他のきれいな花を咲かせる植物は全滅したり半減したり小型化するので花が付かなくなってしまいます。おそらく昔は「柵の中」と同じ,今は「柵の外」と同じ状況が起きていると考えていいと思います。
加古さんは「花にこれだけの違いがあるんだから,昆虫に影響がないはずはない。それを後輩に調べてもらいたい」といって卒業していきました。バトンを受け取ったのが,今3年生の大竹さんです。加古さんは歩きながら「花と虫のリンク」を記録していったんですが,大竹さんは花の前に座って虫が来るのを待ち,記録するという方法で調査しています。労力のかかる仕事ですが,それを柵の外と中で行っています。そのエッセンスを紹介しますと,6月上旬から調査を始めたのですが,6月上旬だけは柵の外のほうが多かったです。キンポウゲの花に虫が来ていました。すぐに逆転され,特に9月上旬には加古さんの調べたのより数倍の開きが観察されました。大事なことは,柵の中では,その月ごとに花が次々に咲いて,そこに虫が来ている,つまり,花が「咲きつないでいる」という感じなんですが,柵の外だと,春にミツバツチグリとキンポウゲがちょっとあって,夏にヨツバヒヨドリが咲きますが,後は断絶するという感じになっています。これは,次回のフォーラムで紹介してもらいますけれど,そういったデータがとれています。

●まとめ…私自身と3人の学生がやってきたこと
・シカは夏はイネ科,冬はミヤコザサを食べている。
・シカにとって食物として重要でないが,さまざまな草も食べている。
・シカが食べると多くの双子葉草本は枯れてしまうか,生き延びても背が低くなる。
・ススキは食べられても平気。ススキにとってむしろ怖いのは,刈り取りがなくなって,他の植物が入ってくることだろう。ススキは直射日光があたらないとすぐにだめになるので,草を刈ってひなたを作るのは好都合。皆さんはシカとともにススキの繁栄を手伝っているとも言える。
・虫媒花が減ってススキが増えたことはまちがいないだろう。
・植物が変化するとそれを利用する昆虫も変化する。
・ヨツバヒヨドリ,ハンゴンソウ,マルバダケブキは減らない(増える?)。これらの植物にマルハナバチがいっているので,全部の植物がなくなって,マルハナバチが減っているわけではない。ただ,特定の植物が生き残ると,それを利用できる昆虫からいいけど,それを利用できない虫が淘汰されてしまう。

私がずっと調査している宮城県の金華山は,乙女高原の10倍くらいの密度でシカがいます。私が学生の時分には草丈もかなりあって歩くのが大変でしたが,30年ほどの間にシカが増えて,芝生に変わってしまいました。日本庭園でもゴルフコースでもありません。シカが毎日植物を食べた結果,刈り取りに強いシバが残ってしまいました➑。むしろ,シバはススキ以上に刈り取ってもらわないと生きられないのです。芝生にところどころ,植え木のような盆栽のような木がありますが,メギという木で,トゲがあります。トゲが痛いので,シカはつまみ食いはするんですけど,そんなには食べません。乙女高原がこうなったら嫌ですよね。でも,放っておいたら,こうなる可能性はあるんですよ。ススキが減るほどのシカの密度というのもあるんです。
シカの密度とそれに対応する植物群落というのはいろいろなところで見ていますが,たとえば伊豆半島なんていうのはこれに近いです。林の下には何もありません。アセビという有毒植物だけが残っています。櫛形もそうだし,南アルプスも危ないです。山梨県,結構危ないです。乙女高原だって,楽観はできません。
乙女高原はどうあるべきかということについては,私が調べてここまでわかったんですが,「こうしたらいいですよ」というのとはちょっと違います。それは地元の人たちで答えを出すべきです。ただ,「どうすれば,どうなるか」「このままだとどうなるか」という発言はできます。
私たちは自然の中に入り,自分の目で自然を観察しているわけですが,乙女高原で何がありがたいかというと,地元の人が一緒に研究のサポートもしてくれたり,いろいろな活動に参加させてもらったりしていることです。とてもいい経験をさせてもらいました。非常に熱心なファンクラブの人,それにプラスですね,草刈りの時に200人も市民が集まって,ボランティア活動をしている・・・そういう意味でもこの草原は歴史的産物だと私は思います。活動がいろいろと形を変え,農家の草刈り場から馬草場という話もありました。それがスキー場になって,自然観察,環境保全の場になってときていますが,植物たちは自分の性質を変えていません。人のかかわり・動物のかかわりによって反応していく。ですから,どういう状態の自然がいいかをよく考えて管理していってください。手つかずの屋久島や知床や白神の自然とは違うんだ・・・それが今日,私がお伝えしたかったことです。今後ともよろしくお願いします。




【第3部】乙女高原にこうなってもらいたい
まず、植原がスライドを使いながら,2010年に設置したシカ柵の、その後の様子を説明しました。2014年になると、シカ柵の中は7月にアヤメが咲き,8月はオミナエシもたくさん咲き、9月はシラヤマギクがいっぱいでした。そして、8月くらいからシカ柵の外の草丈のほうが中より高くなっていました。外はススキが優占しているからです。シカ柵の効果がわかったので,乙女高原ファンクラブは、乙女高原を大きく囲むシカ柵を設置することを提案しています。現在,巨大なシカ柵が設置されているのは,県内では櫛形山と大蔵高丸です。大きなシカ柵なので,ドアを開けて、中に入らなければなりません。なんか不自然ですね。ですが、そうでもしないとシカの影響を少なくすることはできません。そんな説明をした後、全体で意見交換をしていきました。(番号は意見の順です)

●1.甘利山ではいつも乙女高原の活動を参考にさせていただいています。甘利山はまだ柵の外のほうがススキが高いという状態ではありません。柵の外で植物がシカに食べられてはいますが、皆無というわけではありません。ミヤコザサもあり,トリカブトも食べられながらも咲いています。花の種類は昔と変わらずありますが,数が少なくなりました。オミナエシもマツムシソウも少なくなりました。甘利山倶楽部では自分たちで小さな柵を作ってきましたが,メンテナンスのたいへんさを考えると,行政にお願いして,大きくて,丈夫な柵を作るしかないなと考えています。

●2.たいへんなことになっています。人間の力でなんとかなるのかなあと思っています。

●3.今までの自然保護って,「自然」とは付きますが,開発問題に対して反対する人がいたなど、基本的には人対人,人間社会の中での問題でした。おそらく,シカ問題というのは、日本人が初めて直面する対野生動物の自然保護問題だと思います。しかも、その野生動物というのは、日本の生態系の大切な一員であるシカです。シカを悪者にしていいのか?というジレンマがあります。植物の立場からみればシカは悪者かもしれないけど、シカの立場でも考えなければならないと思います。

●4.シカの問題は確かに大きなテーマで,シカ柵を作るしかありません。でも、シカを排除したら、本当に植物が回復するのか? シカ以外に植物を減少させている原因はないのか? というのも,シカ柵の中でもヤナギランが見事に咲かないのです。雨の問題、気候の問題、湿度の問題などもあると思います。

●5.乙女高原でシカ柵の大きいのを一度は作ってみて、そして、草を刈るのも、極端な言い方をすれば、1回はやめてみるとか、なんか大きな実験をしてみないと、目先の問題に振り回されちゃうような気がします。

●6.…そういう意味では,乙女高原は大きな教室かもしれません。人が自然とどのように関わっていけばいいのかを、いろいろ試行錯誤してみる場。しかも、ここは県有林で、私たちみんなの財産であり、それを県と市と市民団体である乙女高原ファンクラブが3者で守っているという場ですから、まさに自然保護の教室としての価値があるところかもしれないです。

●7.シカの糞分析に興味を持ちました。私たちも甘利山で調べています。シカの冬の食べ物について教えてください。甘利山では雪の深いときには木の皮を食べているようです。昨年は大雪の後だったためかお花がよく咲きました。大雪によって植物が守られたということがあるのかなあと思いました。
  ↓
●8.高槻さん 甘利山には行ったことはありませんが、だいたい、東北から関東にかけての太平洋側では冬,シカはミヤコザサを食べています。なぜミヤコザサが重要な餌植物になるかという話をしようとすると1時間くらいかかるんですが、それなりの条件を備えているわけです。太平洋側は一般的に雪が少ないので、植物が越冬するのにとても危険な地域なんです。冷たくて,乾いた気候ですから。だから、常緑の植物がほとんどないわけです。冬になるとミヤコザサはほとんど唯一の常緑の植物です。
 乙女高原のシカはそんなに樹皮を食べていません。ただ,10年前くらいに盛んに樹皮を食べていた時期があったようで、表面が巻き込んだような状況があり、一部枯れているところもあります。大雪の冬があって、そのときに本当に食べ物がなくなって、食べたんだと思います。樹皮を食べるというのは,シカにとってかなり危険な状態です。日光のように雪が深くていられなくなると,雪の少ない場所に移動してきます。すると,そこは非常に高密度になってしまい,そのときに樹皮はぎが起こります。金華山はシカの密度がとても高いところですが,雪が少ないので,樹皮はぎは起こらないです。樹皮には栄養はほとんどありません。樹皮を食べているんじゃなくて,樹皮の内側の形成層に「あまかわ」という部分があって,そこを食べています。枯れ葉も食べるし,木の枝も食べるし,そういう栄養のないものも食べざるをえなくなります。乙女高原の森にはササはあるし、大きな木もありますが,低木類がほとんどないです。これはもう、この20年くらいかけて、シカが一掃してしまったんですね。まだシカが入ったばかりのころは、ノリウツギやコマユミといった低木類を食べるんです。ところが、早川なんか林の下に低木どころか何もなくて、土砂崩れまで起きているところがありました。ササを喰い尽くして、食べるものがなくなると、ほんとうに危ないです。シカの食害以外の原因があるのかということについては、確かにその可能性はありますが,わかりません。ゲリラ豪雨は確かにありますが,それが直接原因になっているという説明はつかないと思います。
 大きなシカ柵を作っても草刈りをしますか? 自然が好きな人って自由に山を歩きたいという感じがあるわけです。だけど、ゲートを開けてお邪魔しまーすというのであれば、もうそれは自然観察とは言えないのではないかと思えます。また、シカだけでなく、キツネやウサギやいろいろな動物も排除するわけで、それでいいのかなと思います。きれいな花が見られていいなあという人はいるでしょうが,では、だれのための自然(保護)なの? 自然って人間の所有物ではありませんよね。このように考えると,とりあえず緊急避難的に実験的に柵を作るのはいいけど、恒久的に柵を作るのが乙女高原全体を考えたときに本当に自然保護になるの? など、いろいろな課題があります。本当に今、難しい局面にいると思います。

●9.乙女高原に通うのは丸10年になります。初年度は花の多さにびっくりし、アサギマダラの乱舞に感動し、2年間で120種類くらいの植物の写真が撮れました。3年目になったら,オオバギボウシやアマドコロなど美味しい草をシカがつまんでいる痕跡をよく見ました。そうしたら,翌年からピシャッと出てこなくなりました。観察して特徴的なことはシートに書いて記録していたのですが、それをみると8年前に出てこなくなったことがわかりました。アヤメもしかり。やはりシカの影響であったことが、今日のお話ではっきり判りました。また,ススキは食べられても回復力があることも納得できました。ササの藪もすっきりしてしまった印象があります。ここ3年くらいではないでしょうか。

●10.シカについての質問です。シカの行動範囲はどれくらいあるのでしょうか? また,冬場、道路に凍結防止のエンカリ(塩化カリウム)をまきますが、それを動物が食べるという話がありますが、本当はどうなのでしょうか?
  ↓
●11.高槻さん シカに限らないんですが、野生動物というのは案外行動範囲が狭いです。知らない所に行くのを嫌がります。生まれた赤ちゃんがお母さんと一緒に動く範囲というのは、広くて直径300mくらいの範囲内です。かなり狭いです。ただ、オスの子どもはある年齢(3~4歳)になると、そこを離れます。今までシカが見られないところでシカが発見されて話題になるのは、必ず若いオスです。特に秋、交尾期に若いオスはフラフラします。メスのことばっかり考えているんですね。交通事故にも会ったりします。そのときは広くなります。
もう一つは,雪が降る地域だと、雪が降って、食べ物が見つけられなくなると、仕方なく下がって、そこで子どもが生まれるんだけれど、お母さんはまた登っていくけれど、子どもはそこに留まって、そこに定着していくということがあります。南向きの斜面などでは雪どけが早く,笹が出てきやすいので、そういう場所に集中して移動してくるということもあります。でも、また春になると散らばっていきます。
シカの密度がまだ低い場合は,雪が少ない年は,冬のはじめに餌を食べ尽くしてしまい、飢え死にしてしまうことがあります。というのも、冬の間に体重が30~40パーセントも減るんです。夏の間に栄養を取って、脂肪分をつけておいて,えさをあまり食べなくても冬を越していけるようにしているんです。だから、栄養のほとんどない枝を食べても枯れ葉を食べてもなんとか生きていけます。雪が多い冬だと、冬の始めのころにエサが食べられないんだけれど、脂肪分の蓄積があるので、枯れ葉などを食べながらやり過ごして,本当に栄養がなくなった頃、雪が解けるので、ササが食べられるようになります。本当によくできています。かえって、雪が少ない年は餓死するシカが多いんです。ちょっと意外かもしれませんけどね。
それから、有蹄類は慢性的な塩分不足で、岩塩なんか置いておくと集まってきます。ただ、私が調査している金華山はまわりが海で塩気があるのか,実験的に塩を置いておいても全然シカが来ないんです。ということで、沿岸部はそうでもないのですが、内陸部は塩不足になるので,日光なんかそうなのですが、塩を置いておいてシカを集めて、それで猟をしたという記録が残っています。塩化カリウムも塩化ナトリウム(食塩)も同じようなものなので,道路にまいておけば舐めにきます。それは栄養になる餌ではなく、ミネラル分ですね。ただ、それを舐めにシカが道路に来ますと,道路での滞在時間が長くなりますから、交通事故の危険性は高くなりますね。

●12.シカとの共存というのはとても難しい問題だと思います。山に住んでいるものは、もう個人で山仕事はできないですよ,シカに全部やられてしまって。昔はノウサギにやられるということはありました。でも、シカほどではありませんでした。ネットを張らないと植林してもダメですし、ネットは個人でできるようなことではありません。山梨県では戦後,公社造林をやったり、県が補助して造林をやってきたわけですが、そういうふうに広大な面積でないと柵を作ってくれないです。個人での植林はもう不可能です。こういうこともシカの害として考えていただきたい。

●13.私の住んでいる座間から相模原(神奈川県)あたりは江戸時代は南北10キロ、東西5キロくらいの馬草場(まぐさば)だったんです。ものすごく広い草原だったんです。その中で気になったのは夏草騒動と冬草騒動です。馬草場はどちらかというと夏刈ります。ところが、私たちは秋の,もうススキがたねを飛ばして、地下に栄養を蓄えて、もうススキには痛くもかゆくもない時期に刈っているわけです。冬草騒動というのは,馬草場を養生するために、協定で「この地区は冬刈らない」というようなことをやっているわけです。当時、その付近は江戸幕府の直轄領でしたから、江戸幕府に対して「相模原地区は協定違反している」といったことを訴えている文献が残っています。もう一度、刈る時期を検討したらいいと思います。ススキに我々が協力している感じがしてしょうがありません。

●14.去年の6月から乙女高原で、シカ柵内外で昆虫と植物の関係を調べている麻布大学の学生です。私が知っている乙女高原はススキ群落が広がる草原なのですが、今日は昔の乙女高原の様子が聞けるとても機会だったです。来年度も植物と昆虫の調査を続けて,今後の乙女高原の将来について考える情報としてデータを取らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。




これで意見交換を終わり、司会を山梨市観光課の網野さんにバトンタッチし、閉会行事に移行しました。宮原さんからお礼のあいさつをいただき、内藤さんから諸連絡をしていただいてフォーラムを無事終了させました・・・・おっと、その前に、ちょっとしたサプライズとして今春、大学を退官される高槻先生に芳賀さんから花束を渡してもらいました。高槻先生にはずっと乙女高原に関わっていただきたいと思っていますが,節目の記念と今までの参画への感謝です。片付け後、毎回好例となっているゲストを囲んでの茶話会を行いました。大勢が残って,手作りの品々に舌鼓を打ちながら、おおいに盛り上がって情報交換しました。
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