乙女高原ファンクラブ活動ブログ

「乙女高原の自然を次の世代に!」を合言葉に2001年から活動を始めた乙女高原ファンクラブの,2011年秋からの活動記録。

第21回乙女高原フォーラム

2024年01月21日 | 乙女高原フォーラム
 1週間ほど「大雪に注意」と天気予報に散々脅かされ続けましたが、結局、当日は暖かい雨。助かりました。イベントの当日に雨が降って、ありがたかったというのは、初体験だったかも。
 11:30にスタッフが集合して準備を始めました。会場の大会議室前のロビーに受付場所を作ったり、演台の準備をしたり、プロジェクターとスクリーンを設置したり。講師の岩科さんをお迎えし、交替でお弁当を食べて、準備をさらに進め、開会を迎えました。

 山梨市観光課長の土屋さんの司会で開会行事が始まりました。山梨市長の高木さんと山梨県峡東林務環境事務所長の深水さんからご挨拶をいただきました。お二人とも乙女高原の行事には必ず出席してくださいます。

 そして、植原がマイクをバトンタッチし、会を進行しました。まず、植原がパワーポイントを使いながら乙女高原ファンクラブの活動報告をしました。
 この中で一つ、訂正したいことがあります。それは乙女高原の気温測定についてです。2015年のデータが不備だったので、てっきり、「甲府で1m以上の大雪」の年だと勘違いしていまいましたが、大雪はその前年の2014年でした。乙女で気温測定しているデータロガーは「1時間おき」に設定すると85日つまり3ケ月弱連続で測定できます。「甲府で1m以上の大雪」があった2014年は、ちょうどうまい具合に85日間が大雪の期間中になったので、この期間もデータが取れました。一方、翌2015年もじつは結構な雪が降っていたのですが、この時は、データ回収・再設定のタイミングが悪く、1月~2月下旬までのデータが取れませんでした。ですから、スライドに出てきた「2015年が大雪のためデータが不備だった」というのは事実ですが、この大雪というのは「甲府で1m以上の大雪」のことではなく、その翌年のことで、誤解を産む表現になってしまいました。ご承知おきください。

 次に、井上さんからパワーポイントを使って訪花昆虫調査についての報告をしていただきました。
 乙女高原には春から秋にかけて100種類以上ものさまざまな花が咲きます。それらの花にどんな昆虫がきて、受粉をおこなっているのか、花と昆虫の関わりを調べるのがこの訪花昆虫調査です。乙女高原に鹿柵ができる前の2013年、麻布大学学生の加古さんがこの調査を行いましたが、鹿柵設置後にどのような変化が見られるか、また花と昆虫の関わりについて、麻布大学いのちの博物館名誉学芸員の高槻成紀先生のご指導の下、2020年から行っています。ぜひ多くの方に参加していただきたいと思います。花がきれいに咲くのも虫たちが一生懸命働いているからだと思うと、感動します。いろいろな花が咲いて、いろいろな虫たちがいる乙女高原の多様性、すばらしさを改めて感じる機会にもなります。今年も調査が計画されています。花や虫がわからなくても大丈夫。1回でも半日でも都合のつく範囲で大丈夫です。やってみませんか?とても楽しい調査です。ぜひ多くの皆様のご参加をお待ちしています。

 3番目に乙女高原フェローの今年度の認定者の発表と認定証・記念品の贈呈を行いました。乙女高原フェローとは「乙女高原が大好きな人」のことで、具体的には、乙女高原の活動に10回以上、参加された方です。お店のスタンプカードみたいなカードがあって、これにハンコを押していき、10個集まったら、あなたは乙女高原フェロー・・・というわけです。今回は奥平さん、篠原さんご夫妻、高槻さん、松林さんの5名が認定されました。代表世話人の角田さんが認定証を読み上げ、フォーラムにご出席の篠原さん夫妻に認定証と記念品のマグボトルをお渡ししました。ちなみに、これで乙女高原フェローは28人になりました。

 そして、いよいよ今回のスペシャルゲスト岩科 司さんのお話です。プロフィール紹介を日本高山保護協会事務局長の山本さんがしてくださいました。岩科さんのお話についてはメルマガ次号からご紹介しますので、楽しみにしていてください。講演後、岩科さんにはそのまま残っていただき、会場からの質問に答えていただきました。

 閉会行事では乙女高原ファンクラブ代表世話人の角田さんがお礼のあいさつをし、植原が諸連絡をして、司会の土屋さんが会をお開きにしてくださいました。
 会場を片付けたら、部屋を移して茶話会を行いました。20人ほどが残ってくださり、お一人お一人、一言ずつ、感想やご自分のお考え、活動などを話していただきました。こうして、第21回乙女高原フォーラムが無事終わりました。参加者は合計70名でした。
 受付に置いた「令和6年能登半島地震義援金」の募金箱には合計1万1千円が寄せられていました。後日、山梨市の義援金に加えていただきます。
 また、今回はなんと12名もの入会者がいらっしゃいました。ありがたいことだと思いました。
 個人的には・・・もうコロナも5類になったことだし、「打ち上げの懇親会、やりてー!!」と叫びたいところです(笑)。講師の岩科さん、スタッフの皆さん、本当にご苦労様でした。ありがとうございました。

岩科 司さんのお話

1 日本列島や乙女高原の植物の起源

※第21回乙女高原フォーラム(1月21日)で岩科さんがお話しされたことを植原が文字起こししました。内容は変えずに、言い回しを多少変えたところがあります。ですから、文責は植原にあります。

 ただいまご紹介いただいた岩科です。私、出身は山梨です。日川高校卒業までは山梨在住でした。母親は健在でして、今年102歳です。たぶん、今日参加された皆さんの中には、自分と同じころ日川高校に通っていた方がおられるんじゃないかと思います。私の一つ上に、もう亡くなられたプロレスラーのジャンボ鶴田さんがいます。一つ下には、今、日本大学の理事長をしておられる林真理子さんがいます。今、ラジオ深夜便という番組の第三月曜日「深夜便かがく部」というコーナーをもう6年近くやっています。ですから、ほとんどの人は私と初対面かもしれませんが、ひょっとすると、声だけは聞いたことがあるという方が、この中に1人か2人はいらっしゃるかもしれません。

 今日は「乙女高原の植物はどこから来たのか」というお話と「地球温暖化が植物も含めた、もちろん、人間も含めた自然界に、どんな影響を与えているのか」というお話をしていきたいと思います。「百聞は一見に如かず」ですので、写真をたくさん用意しました。写真を観ながら、理解していただければと思います。

 今、私たちが住んでいる日本という国に、どれくらい植物があるのかというと、被子植物・裸子植物・シダ・コケ、それらを含めて7,451種です。おもしろいのは、日本の植物の中で、どれくらいの植物が日本にしかないか(=固有種)ということです。7,451種の中の1,862種、すなわち25%が世界中で日本にしかない植物です。ということは、私たちが日ごろ見ている植物の4種に1種は世界中で日本にしかない植物です。
 ところが、悲しいことに、環境省が指定している絶滅危惧植物、レッドデータブックに載っている植物ですが、約1,770種あります。23.7%になります。ということは、私たちが日ごろ目にしている、日本にしかない植物も4種に1種ですが、残念ながら絶滅しそうな植物も、私たちのまわりにある植物の4種に1種ということです。
 日本の全植物7,451種というのがどれくらいすごい数字なのかというと、日本とだいたい同じ面積のイギリスに自生している植物がだいたい1,600種、南半球のニュージーランド、ここは地形も日本によく似ていますが、2,000種です。これらと比べると、7,451というのがどれくらいすごい数なのか、わかっていただけると思います。
 原因は、日本は北から南まで南北に長い国であるということ。気候帯は、一番北は北海道の亜寒帯から、一番南の沖縄の亜熱帯まであります。また、こんな国は世界に2箇所しかないと思いますけど、真冬に何メートルもの雪が降ります。この日本海側にたくさん降る雪によって、独特の環境が生まれていて、それに生える植物も独特です。また、私は今、高山植物保護協会の会長をやらせていただいていますが、こんな小さな国なのに、標高3千メートル級の高い山があります。これらのことが7,451種という植物を育んだ原因になっています。

 では、われわれの身の回りにある植物がどこから来たかということですが、いろいろあることはあるんですが、大きく分けると4つあると私は考えています。

1.地球が寒冷だった時代(氷河時代)に北から南下し、日本に分布を広げた植物
 地球の氷河時代は4回ありました。古い方からギュンツ、ミンデル、リス、ウルムです。一番新しい氷期がウルム氷期で、だいたい1万年ちょっと前くらいまでです。ですから、地球上にもう人類はいて、マンモスがいたころです。日本に北から来た植物は、その前に日本に来た植物もあるようですけれど、多くのものはウルム氷期に日本に来たと考えられています。
2.地球が温暖な時代(間氷期)に、南から北上し、日本に分布を広げた植物
3.日本がアジア大陸と陸続きだった頃に、偏西風あるいは動物(おもに鳥)に運ばれて日本に分布を広げた植物
4.意図的に、あるいは非意図的に人類によって日本に分布を広げた植物
 私たちが一番問題にしている植物、いわゆる帰化植物です。

 この中で、いわゆる高山植物と言われる植物、あるいは、乙女高原の標高では高山植物は見られませんけど、乙女高原のようなところの植物は、「1」か「3」、それから「4」で、「2」というのはほとんどないです。

 「1(氷河期に・・・)」の一つがヒオウギアヤメです。アヤメ科の植物です。アヤメには外花被と内花被が3枚ずつありますが、内花被がすごくちっちゃくなってしまって、一見、3枚の花びらがあるように見えます。ヒオウギアヤメはもともと北にあって、氷河期に日本までやってきた植物です。もともと北にある植物は周北極要素の植物と呼ばれます。シベリア、北欧、カナダと、北極のまわりに分布している植物です。ヒオウギアヤメは周北極要素の代表的な植物です。日本の植物図鑑を見ると、ほとんどの周北極要素の植物には「分布が中部地方以北」と書いてあります。これらの植物はもともと北にあって、日本に分布域を広げて来た植物たちであることがほとんどです。
 ゴゼンタチバナ。ミズキ科の植物ですが、周北極要素の植物で、北極の周りにぐるっと分布域があって、そこから日本の中部地方まで下がってきています。クロユリも代表的な周北極要素の植物の一つです。
 シラネアオイは、もともとはシラネアオイ科に分類されていましたが、新しい分類体系ではキンポウゲ科に属しています。現在の分布は大震災があった北陸地方から多雪地帯を通って北海道までの日本海側で、いわゆる豪雪地帯の植物です。どんな植物と近縁なのか、長い間わかりませんでした。日本にはこれと近縁の植物はなくて、最近、遺伝子の分析でやっとわかったのは、学名Hydrasis canadensisという植物がシラネアオイと一番近縁であることがわかりました。この植物は北米大陸のカナダを中心に分布しています。シラネアオイとHydrasis canadensisのもともとの起源は北極のほうにあって、片方は北米大陸、もう片方は東アジアに分布を広げてきて、それぞれがそれぞれに分化して、特有の植物になったと考えられています。
 キタダケソウは北岳の山頂付近の限られた場所にしか生えていない植物ですが、「キタダケソウ属」の植物となると、ヨーロッパ、中央アジア、ヒマラヤ、シベリア、日本などに十数種あって、いずれも分布は不連続で、局所的です。日本にはキタダケソウ以外に、北海道のアポイ岳だけに分布するヒダカソウ、同じく北海道の崕(きりぎし)岳にしかないキリギシソウがあります。残りの種はシベリアの方に生育地があります。カザフスタンからキリギスあたりに天山山脈というがあります。私が調査に行ったところ、そこにキタダケソウ属のCallianthemum alatavicumという植物がありました。種小名は「アルタイ山脈の」という意味です。花はキタダケソウによく似ていますが、葉っぱの切れ込み方はすごく複雑で、キタダケソウと違いました。もっと違っている点は、キタダケソウは北岳の一角に少ししかありませんが、こっちは、足の踏み場もないほどたくさんありました。絶滅危惧ではありません。氷河が削ったモレーンがあるようなところにありました。とても美しい景色のところだったんですが、クマが出る、オオカミが出る、テントは閉めておかないとサソリが入るといったところでした。ここで1ケ月間、テント生活をしました。

 「2(温暖な時代に…)」の代表選手の一つがグンバイヒルガオです。海岸の砂浜で見られる植物です。地球が温暖化したころに南から日本にやってきた植物というのは、たいがいは、たねの散布様式が海流散布といって、たねや果実が水に浮いて、海流に乗って日本に到達しました。もともと南にあった植物ですから、内陸の乙女高原のようなところには、こういう起源の植物はほぼありません。
グンバイアサガオのほかには、例えばハマアズキがあります。ゴバンノアシはまだ石垣島と西表島までしか到達していません。碁盤の足のような形の実がなります。まだ石垣島とかまでにしか到達していないので数が少なく、絶滅危惧種です。

 「3(日本がアジア大陸と陸続きだった頃に、偏西風あるいは動物に運ばれて…)」の植物たちは、北から来た植物たちと区別がなかなか難しいです。ですけれど、明らかに北から来たのではなく、陸続きだったころに中国の方から来たと考えられている植物としてアオキがあります。そのへんにいっぱい生えていますから、皆さんもご存知だとは思います。近縁種として日本にはアオキとヒメアオキしかありませんが、ヒマラヤに行くと、この仲間が何種類かありますので、陸続きだったころに日本に渡って来たのではないかと考えられます。
 ヤマブキは日本ではよく見かける植物ですが、分布はとても狭くて、日本と中国のほんの一角にあるだけです。一方、ヤマブキによく似たシロヤマブキは、ヤマブキとは起源が全然違っていて、中国の方に分布が広くて、日本には中国地方の一か所くらいにあるだけです。いずれにしても、中国大陸とのつながりがある植物ではないかと考えられています。両種ともバラ科の植物です。
 小さな、3cmくらいの花で、エヒメアヤメというアヤメ科の植物があります。これも大陸起源だろうと考えられています。日本では関東や関西にはなく、一番東で岡山や広島、あとは九州や四国に分布しています。牧野富太郎が愛媛県で発見したのでエヒメアヤメと命名しましたが、もともとタレユエソウという名前があったので、タレユエソウと命名すべきだったと牧野が記述しているらしいのですが、もう絶滅危惧植物に指定されていて種名の変更が難しいので、この名前になってしまいました。

 「4(意図的に、あるいは非意図的に人類によって日本に…)は一番問題です。例えばシャガヒガンバナです。皆さんよくご存じだと思います。シャガは古い神社など、ちょっと暗い場所によく生えています。これはもともと日本起源の植物ではなく、自生地は中国です。日本にいつ頃入ってきたかはわかりません。このようにいつかはわからないけれど、他所から日本に来た植物を史前帰化植物といいます。中国のものは2倍体ですが、日本のものは3倍体です。染色体は普通一対・二組ずつあります。これが交配のときに半分に分かれて一組になります。でも、3倍体だと、どうやっても半分に分かれることができません。ですから、受精ができず、タネができません。日本にあるシャガやヒガンバナはタネができません。なんで、こういう植物が入ってきたかというと、ガラス用品や陶器を運ぶ際の緩衝材、詰め物として使われ、それで日本に入ってきたのではないかと言われています。こういう経緯で日本にやってきた、皆さんに馴染みのある植物がありますよ。名前もそれらしい名前です。シロツメクサ、アカツメクサです。ツメクサは「爪」草ではなくて「詰め」草です。緩衝材として日本に入ってきたと思われます。別なケースとしては、家畜の餌として入ってきたかもしれません。
 セイヨウタンポポも典型的な帰化植物で、どこでも見られます。詳細な調査をしたら、セイヨウタンポポのほとんどは、センヨウタンポポと、関東ではカントウタンポポ、関西ではカンサイタンポポとの雑種ということがわかっています。こうなりますと、帰化植物そのものよりも厄介ということになります。
 オオハンゴンソウが一面に咲いている写真です。北海道で撮りました。この植物は法律で取り引き・栽培すべて禁止されています。外来種の中でも、動物は悪さをするじゃないですか。例えばカミツキガメは噛まれると痛いじゃないですか。だから、対処・処分しようと思うんです。でも、オオハンゴンソウなんか、きれいなんですよ。植物園協会の会長をやっていた時も「あったら抜いてください」と言い続けてきましたが、きれいなので問題です。放置しておくと、こんなにはびこってしまいます。こうなると、オオハンゴンソウの群落の中には日本の植物は一つもないです。
 アレチウリも厄介な帰化植物です。花はあまりきれいとは言えませんが、今、日本のちょっとした湿地に行くと、これがはびこっています。「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」の指定生物になっています。
 まだ規制の対象にはなっていませんが、きれいな花を咲かせる帰化植物ホテイアオイも放っておくと、あっという間に増えます。

 ここからは、乙女高原に馴染みのある植物を紹介します。
 まずブナです。皆さん、ブナを普通に見ていると思いますけど、じつはブナは日本固有種です。世界中で日本にしかないんです。ブナがどのように日本にやってきたかは、じつは、よくわかっていません。わかっていることは、ブナは地球上で日本にしかない植物であるということです。
 もっと、皆さんが普通に見ていて、日本固有の植物というと、スギです。スギも日本だけの植物です。だから、スギの花粉症になるのは日本人だけです。
 乙女高原でよく見る植物の一つにヤナギランがありますね。アカバナ科の植物です。分布は北海道・本州中部以北ですから、もともと北にあって、日本に分布を広げた植物です。実際、ヨーロッパに行っても、アメリカ大陸に行っても、まったく同じ植物があります。アカバナ科の植物で、皆さんがよく見る植物として、帰化植物のメマツヨイグサやヒルザキツキミソウがあります。
 クガイソウはもともとゴマノハグサ科に分類されていましたが、最近のDNAによる分類でオオバコ科になりました。オオバコ科は今まですごく小さな分類グループだったのに、今は、ゴマノハグサ科のほとんどがオオバコ科に入って、大きなグループになりました。クガイソウの分布は本州だけでなく、シベリア、ウスリー、朝鮮、中国東北部などで、おそらく北からやってきた植物です。
 ツリガネニンジンの分布は樺太、南千島、北海道から本州にかけてです。これも北から分布を広げた植物でしょう。ツリガネニンジンの仲間はヒマラヤでも結構見かけます。シベリアにもたくさんあります。特徴は、釣り鐘型の花を咲かせることと地下部に大きな芋があることです。
 タムラソウの分布はヨーロッパからシベリアにかけてで、日本では本州から九州までです。タムラソウの仲間の植物は、シベリア、天山山脈、中央アジアでたくさん見ました。どれもアザミによく似ていていますが、トゲがないので、さわっても痛くありません。キク科です。これも北から来た植物です。
 オタカラコウ、マルバダケブキの仲間はシベリア東部や樺太、中国、ヒマラヤ、日本では本州から九州にかけて見られます。乙女高原ではマルバダケブキがよく見られます。これらは北から来た要素が大きいと考えています。この仲間は、今、食害がたいへんになっているシカが食べない植物です。そんなに強い毒があるとは思えないのですが、シカが食べません。ですから、減少してないものが多いです。
 ハバヤマボクチは北海道にはなくて、本州の福島より南と九州にあります。よく似たオヤマボクチは中国中南部と北海道西南部、本州の青森から岐阜、それから飛んで四国に分布しています。この仲間は北から来た可能性がないわけではありませんが、おそらく日本列島がアジアと陸続きだったころに来た植物ではないかと私は考えています。というのも、これらに近縁の植物を、皆さんは野菜として食べています。それはゴボウです。ゴボウは根を食べますから、花を見たことのある人は少ないかもしれませんが、花を見るとハバヤマボクチやオヤマボクチに関係が近いことがわかります。私は軍用トラックを改造したバスで、シベリアからカザフスタンとかキルギスまで3,000km南下したことがありますが、その途中、「世界で最も内陸である場所」を通りました。東西南北どちらに行くにしても、海に出るまで5,000kmあるというところです。人工物といえば100km以上まっすぐな道路と、道路脇の送電線だけで、あとは荒地が延々と広がっています。もう一つだけ人工物が見えるのですが、それは夜になって夜空に見える人工衛星の光です。ここはセミパラチンスクという場所で、ここでテントを張ったのですが、旧ソ連が原爆実験をしていた場所です。こんな広い場所なので原爆実験が行われたのですが、地元のガイドに「原爆実験、どこでやったんだ?」と聞くと、西だか南だか150kmの場所でやってたんだと言ってました。帰ってきて、日本の原子力の専門家に聞いたら、「岩科さん、完全に被爆しています」と言われました。こんな場所にゴボウが生えています。
 アマドコロという植物は広い意味でユリ科です。北海道から九州にかけて日本全国にあります。この仲間は中国、朝鮮にもありますので、ヒマラヤの方から大陸を経て日本にやってきた可能性が強いと思います。
 ハクサンフウロや乙女高原にもあるタチフウロについて。タチフウロは日本では本州・四国・九州にあって、アムール、中国東北部、朝鮮にあります。それに似ているハクサンフウロですが、フウロソウの仲間ではタチフウロより分布域は広いと思いますが、分布は本州中部地方以北ですから、北から来たと考えられるフウロソウです。タチフウロがどちらから来たかは、この分布からは判断が難しいです。
 マツムシソウは細かく分類することができてしまうんですが、広義のマツムシソウの分布域は沖縄を除く日本全国です。マツムシソウ科を見ると、地中海沿岸から西アジアに多く分布しておりますので、おそらくマツムシソウ科の植物は西の方から日本にやってきたのではないかと思います。
 皆さんよくご存じのアヤメは日本では沖縄を除く日本各地にあります。あとは、シベリア東部、中国東北部、朝鮮半島に分布しています。これに近い植物は韓国から中国にかけていろいろあります。さきほど見ていただいたヒオウギアヤメは周北極要素といって北から日本に南下して来た植物だと思いますが、アヤメは西の方からヒマラヤ・中国を越えて日本に到達した植物の一つではないかと思います。
 キンポウゲ科のオダマキですが、乙女高原にあるのはヤマオダマキで、それよりもうちょっと高い高山帯で見られるのがミヤマオダマキです。日本にはオダマキの仲間は3種か4種しかありません。ヤマオダマキは沖縄を除く日本各地の山地で見られます。花全体がクリーム色のものからかなり赤味を帯びたものまで変異が大きいです。ヤマオダマキより高いところに行くと見られるのがミヤマオダマキで、私たちが栽培しているオダマキの原種だと思います。分布は本州中部と北海道、南千島、樺太で、私はシベリアで見ています。ヤマオダマキがそうかはわかりませんが、ミヤマオダマキはおそらく北にあったものが南下して来たのだと思います。
 ウマノアシガタ、別名はキンポウゲですが、どちらかというと雑草性の強いキンポウゲ科の植物で、分布は北海道西南部から九州・沖縄まで。海外だと中国、朝鮮です。北半球全体に広く分布していますので、ルーツを明らかにするのは難しいのですが、中国東部から来ている可能性の方が強いかなあと思います。
 リンドウの仲間では、乙女高原にあるのはリンドウです。リンドウは分布が広くて、本州から奄美大島まであります。よく似ているエゾリンドウは本州中部以北と北海道、千島、樺太に分布していて、おそらくリンドウの仲間全体が周北極要素の植物だと思われます。私たちが普通に栽培しているリンドウは、じつはリンドウの栽培品種ではなくて、原種はエゾリンドウかオヤマリンドウです。リンドウはてっぺんにしか花を付けませんが、そのほかはてっぺんだけでなく、その下の葉の付け根にも花を付けるんですよね。花をたくさん付けるんです。たいがいはオヤマリンドウの栽培品種です。
 リンドウは秋の花の代表選手ですが、フデリンドウは春の花です。リンドウよりはるかに背が低いです。分布域は北海道から九州、南千島、樺太、中国、朝鮮です。ミヤマリンドウは北海道に行くとたくさんあります。大雪山系・旭岳のふもと、ロープウェイの終点のところには、足の踏み場もないほど群生しています。ミヤマリンドウの分布域は本州中部以北から北海道ですから、北から来た植物だと思います。
 秋の七草のひとつオミナエシはオミナエシ科です。日本では北海道から九州、そのほかシベリア東部、中国、朝鮮に分布していますから、北から来た植物ではないかと思います。
 日本のウスユキソウの仲間で一番きれいだと言われているのは、蛇紋岩で有名な岩手県の早池峰山に生えているハヤチネウスユキソウで、これは世界で早池峰山にしか生えていません。ハヤチネウスユキソウに一番似ていると言われているのがヨーロッパのエーデルワイスです。皆さんの年代だともちろん知っておられると思いますけど、映画「サウンド・オブ・ミュージック」で流れたのが「エーデルワイス」という曲です。ヨーロッパでエーデルワイスの仲間というと、このエーデルワイス1種だけです。一方、日本にはウスユキソウの仲間が10種類くらいあります。その中でウスユキソウが一番分布が広いです。ウスユキソウの仲間がたくさん見られるのはヒマラヤ山脈です。ですから、分布の中心、もともとこの仲間が生まれたのはヒマラヤ山脈で、大陸伝いに日本にやってきて、日本の山地に定着したのではないかと思います。
 ノコギリソウの分布は日本では本州から北海道、外国ではシベリア東部、カムチャツカ、アリューシャン、北アメリカと、むちゃくちゃ広いです。ヨーロッパに行っても、ちょっとしたところにノコギリソウはいっぱいあります。アメリカに行ってもあります。シベリアに行ってもです。これは間違いなく北から日本に来た植物です。そんな中で、エゾノコギリソウというのは、ノコギリソウより花びらがいっぱいあって、きれいに見えます。分布は本州中部以北と北海道、シベリア東部、カムチャツカ、千島、樺太ですから、ノコギリソウの仲間はみんな北から南下してきた植物と言えます。
 シモツケとシモツケソウは名前も雰囲気も似た植物ですが、シモツケソウの方は分布が本州の関東以西と四国、九州の太平洋側ですから、これはもう典型的で、大陸から来た植物と言えます。
 コオニユリの仲間はどれも美しい花を咲かせますから、好きな方が多いんじゃないかと思います。コオニユリそのものの分布は沖縄を除く日本中と中国東北部、朝鮮です。コオニユリによく似ていて、私たちが栽培するオニユリという植物があります。このオニユリは古い時代に中国から渡来したというのが有力な説で、おそらくコオニユリなども大陸に沿って渡来した植物だと思います。オニユリについては、本来の分布が日本にあったかどうかも疑われていて、シャガやヒガンバナと同じく、史前帰化植物の仲間かもしれません。
 木本のズミです。沖縄を除く日本全国にあります。ズミの学名は、Malus toringo(マルス トリンゴ)と言いますが、トリンゴはコリンゴがなまったもので、小さなリンゴという意味です。ズミはリンゴの仲間(マルスがリンゴ属)ですから、コリンゴがヨーロッパに伝わったときに、よくあることなんですが、日本の発音を聞いたままに書いてしまっで、こうなったんだと思います。ズミの実は鳥が大好きですから、鳥が実を食べて、どこかにたねの入った糞をすることで、分布を広げてきたので、どこからどう来たかはよくわかりませんが、大陸に起源をもっているんではないかと思われます。
 ニガナもウマノアシガタと同じく雑草性が強いですよね。乙女高原にも咲いていますが、日本全国のいたる所にいっぱい生えています。ニガナの面白いところは、単為生殖をするところです。単為生殖とは、交配しなくても、つまり、めしべの先に花粉が付かなくても、実ができることです。ニガナは単為生殖できるので、どんどん増えてしまいます。そうしたことから、雑草として捉えられてしまいます。皆さんが食べている果物の中にも単為生殖をしている植物があるんですよ。それはイチヂクです。イチヂクは花粉がなくても実がなります。イチヂクの仲間の野生種はどうやって花粉が運ばれると思いますか。私たちがイチヂクの「実」と呼んでいるのは、じつは実ではなく「花托」と呼ばれている部分で、花托の内側に花が咲きます。イチヂクをよく見ると、先端にちょこっと穴が開いていますね。穴からイチヂクコバチというハチが入るんです。このハチは中で繁殖するんです。中で卵を産んで、孵った幼虫がイチヂクを食べて大きくなり、蛹を経て成虫になると、メスのハチだけイチヂクの外に出るんです。オスは中で死んでしまうんです。イチヂクの仲間は世界に何百種もあるんですけど、みんな、それぞれの種に対応したそれぞれのイチヂクコバチがいます。イチヂクはイチヂクの種類が違うと、イチヂクコバチの種類も違ってしまうんです。日本のイチヂクはもともと中近東にあったものです。日本で栽培しても、中近東のイチヂクコバチは日本にはおりません。そこで、人間がイチヂクを品種改良して、単為生殖能力のある個体を選抜したので、日本の栽培イチヂクは、花粉がなくても花が咲けば勝手に実がなるものだけになったんです。

 【乙女高原の植物たちのまとめ】
・乙女高原の植物はだいたいのものが北方起源のものですが、これらは、もともと北にあった植物ですから、暑さに強いわけがないんです。暑さに弱いので、温暖化が進めば絶滅あるいは減少の危機があります。
・これまで寒かったがゆえに侵入できなかった植物がたくさんあります。特に雑草性の強いものです。温暖化が進むと、こういう植物が入ってこれるようになってしまいます。平地の植物あるいは外来植物が入って来て、本来の植生をグチャグチャにしてしまうということが起きてしまいます。


2 地球温暖化と植物の未来

 ここからは、まったく話か変わります。温暖化の話です。温暖化と植物についてどんな話をしようかと考えた時に、まっさきに頭に浮かんだのがキリマンジャロでした。
 私は2017年にキリマンジャロに行きました。それまでも年間に5~6回、海外に行っていましたが、学会か調査のためで、自由に動き回ることができませんでした。定年退職したら、年に1回は海外の山に登ってやろうと思いました。最初に選んだのがキリマンジャロです。選んだ理由は単純です。アフリカに行くのなら、アフリカの一番高い所に行ってやろうということです。キリマンジャロは標高5895m。6000mにちょっと足りないくらいです。世界三大有名山岳というのがあるらしくて、エベレスト、富士山、キリマンジャロだそうです。
 
 キリマンジャロの登山口は標高1600mです。そこから、途中で高度順応しなくても2泊か3泊、高度順応した場合は4泊かけて標高5895 mの頂上を目指します。
 キリマンジャロは赤道直下にありますから、登山口付近は熱帯雨林です。木々にはコケや地衣がいっぱい付いていて、うっそうとしたジャングルが広がります。平地には、大きなバオバブの木も見られます。ツリフネソウ類の花も見ました。ホウセンカの仲間ですね。日本のツリフネソウといえば、ツリフネソウ、ハガクレツリフネ、キツリフネの3種しかありませんが、世界にはこの仲間が結構たくさんあります。「こんなきれいなツリフネソウはないな」と思って写真を撮りました。キリマンジャロ周辺固有の植物でImpatiens kilimanjariという学名が付いています。緋色のスカーレットのツリフネソウです。こんな植物がキリマンジャロ麓の熱帯雨林で見られました。
 3000~3600 m付近になると灌木帯になります。富士山と同じくらいの高さですが、ここは赤道直下ですから、この標高でも灌木景観です。灌木帯には、たとえばジャイアントセネシオというキク科植物が生えています。高いもので背丈は3mくらいになります。この仲間は日本にも雑草でいっぱいあります。ジャイアントセネシオは3000~3600 m付近のかん木帯のどこにでもあるわけではなく、川が流れているようなところにあります。要するに水が得られるようなところです。1~2mくらいの背丈のジャイアントロベリアという植物もあります。サワギキョウの仲間です。見た目はまったく違いますが、花の形を見るとサワギキョウにそっくりです。このような植物が灌木帯の中にポコポコと生えています。
 さらに登って4500m付近になると、砂漠景観が広がっています。ここまで来ると、生えている植物はPentaschistis minorというイネ科植物のみになります。乾燥地帯ですから、そもそも植物が生えられるような環境ではありません。このような環境にも耐えられる植物はこれ一種のみだと思います。
 頂上に立つと、麓は熱帯ですが、ここは-10℃、寒いです。稜線上を登ると、キリマンジャロの雪が見えます。赤道直下なのに、氷河があるんです。私が5700~5800mの稜線で見たのは5mくらいの高さの氷河でした。キリマンジャロの氷河は1912年から2007年までの95年間で85%が消滅し、遅くとも2033年には完全に消滅すると予想されています。
 ところが、頂上の温度というのはここ何年かで劇的に上昇してはいないんだそうです。氷河が無くなる理由は「温度が上がるから」ではありません。今の世界の環境を見てもわかる通り、温暖化が進むと、今まで起きなかったような大雪・大雨が降るか、とんでもないような乾燥化が起きます。キリマンジャロでは、温暖化に伴って生じる乾燥化によって、雨(雪)が降らず、その結果、氷河が無くなっているのだそうです。
 さきほど見たジャイアントセネシオはキリマンジャロとケニア山くらいにしかない植物ですが、生えている場所はちょっとした湿地、川が流れているような所です。氷河が無くなり、川に水が供給されなくなると、絶滅してしまいます。キリマンジャロでは、温暖化に伴ってこのような現象が起きています。

 2019年、インド北部の山に行こうと思い、インド北部出身のアメリカの研究者仲間に「今度、あなたの故郷に行くよ」とメールしたら、すぐに「あそこはとてもナイーブな土地で、危ないからやめろ」と返信がありました。インド北部のさらに向こうはパキスタンで、インドとパキスタン間にはまだ国境がありません。あるのは国境ではなく、停戦ラインです。つまり、今も戦争状態です。私が行こうとしていた場所は特に複雑で、中国領からは仏教徒が、パキスタン側からはイスラム教徒が入ってきます。インドは元々ヒンズー教です。3つの宗教が混じりあっていて、非常に危険です。
 ここにあるストック・カンリという山に登りました。標高6153 mの山です。それまで6000mを越える山は登ったことがなかったので、この山を選びました。さすがにこの歳だと7000とか8000mだとハードルが高いので目標を6000mにしました。4900mのベースキャンプから稜線に出て、稜線の上を歩いて山頂を目指しました。夜の10時にアイゼンやピッケルを持ってベースキャンプを出発し、エベレストに5回登ったという地元のガイドとザイルを結んで登りました。頂上に着いたのは朝の10時、ベースキャンプに降りたのが午後4時ですから、標高差1200mを16時間かけて登って降りてきたことになります。さすがにこの時は、テントに着いて、物を持とうとしたら、力が入らずに、物がストンと落ちてしまいます。「これはもう休まなきゃだめだ」と思って、そのまま寝てしまいました。「さすがに6000mを超える山は、簡単に上れる山ではないなあ」と思いました。
 この山も乾燥地帯にありました。4000m付近では、渓谷の真ん中に川が流れていて、川に沿う形で登山道が付けられていて、ベースキャンプまで登っていきます。こういうところには植物はほとんどありませんが、川沿いではいろいろな植物に出会えました。たとえば、Geranium himalayenseというフウロソウです。乙女高原でいうとタチフウロですね。花の大きさが5cm弱くらいです。フウロソウにしては、本当に大きくて、きれいです。名前にヒマラヤが入っていて、ヒマラヤ山脈でよく見られる植物です。Rosa webbianaというバラ科植物は、日本でいうとタカネバラに似た花です。ゴマノハグサ科のLancea tibeticaも咲いていました。一見、なんの仲間かわからなかったのですが、後で調べたら、こんな学名の植物でした。
 こういうところには、きれいな花を咲かす植物ばかりではなく、イラクサ科のUrtica hyperboreaという植物もありました。植物体のいたるところがトゲだらけで、このトゲは刺さるだけでなく、毒もあります。ですから、刺されると本当に痛いです。この谷には家畜が入ってきますが、この植物は絶対に食べません。ガイドにも「これだけは絶対にさわるな」と言われます。イラクサということで思い出すのは、パプアニューギニアに行ったときのことです。市場に行ったら、売ってるんです、イラクサ科の植物を。何に使うか聞いてみたら、肩に貼って、肩こりを治す薬だそうです。これを肩に貼ったら、とんでもないだろうなと思いますが。
6000m近くになると、植物がどうこうという世界ではありません。ガイドとザイルで結ばれずに滑落したら、たぶん1000mくらい落ちて、間違いなく死んでしまうような所です。そうなると、たぶん、遺体の収容はされないでしょうね。頂上に立つことができました。
 ストック・カンリ山はベースキャンプより上は氷と雪の世界でしたが、ここも環境の変化が進んでいました。私たちが行った年はたまたま雪が多くありましたが、話を聞いたら、前の年は雪がまったくなくて、頂上に登るのに苦労したそうです。雪があるとアイゼンとストックで登れるので、登りやすいんです。雪がないほうがかえって大変です。
 ここでも、植物は流れている川の水分を利用して生きていました。ですから、山の上の氷河が無くなってしまえば、当然、供給される水も無くなり、それらの植物は絶滅していきます。ああいうところは夏の間は、地元の人たちが家畜を連れてきて放牧します。植物が無くなれば、家畜の餌も無くなります。温暖化が進むことで、植物はもちろん、まわりまわって人間にも影響が現れるということです。

 このように、地球温暖化が進むと、積雪量の減少から乾燥化・砂漠化が起き、積雪からの水分を糧にしていた植物たちがなくなりますが、反面、乾燥化・沙漠化が進むと、とんでもない水害が起きることもあります。水害による環境破壊も起きてしまいます。このように、温暖化が進むと、相反した悪影響が生じます。
 また、温暖化によって、これまで侵入できなかった動植物が侵入できるようになり、生態系の破壊を産むことになります。先ほど、日本の帰化植物の話をしましたが、現在は交通機関が発達していますから、人は地球上のどこへでも行くことができ、今までだって、人の往来があると、人の服に付いていたり足に付いていたりしたり、あるいは家畜の餌にまぎれて、外来植物は入ってきましたが、今は本当にたくさんの植物が入ってきたり、逆に日本から海外に出てしまったりしています。
 そんな外来植物の9割9分までは、新たに入ってきたとしても、新たな生息地はもともとその植物の生息環境とは違うわけですから、いずれは絶滅します。ほんの一握りの植物だけが繁殖に成功します。その植物の自生地であれば、その植物を食べる動物やその植物に寄生する菌類がいるので、その植物が大繁殖することはないのですが、たまたま、新天地で繁殖できれば、そこには敵がいません。菌もいません。ですから、異常繁殖してしまいます。外国から入ってくることに成功する植物はほんとうに少ないのですが、ひとたび入ることに成功すると、オオハンゴンソウのように爆発的に増えてしまいます。

  【全体のまとめ】
 18世紀半ばから19世紀にかけて産業革命が起こりました。人類はそれまで農耕生活を送っていたわけですが、工業の発展によって、環境が急激に変化しました。産業革命から今まで、せいぜい200年経つか経たないかくらいなのですが、この間に、それまでの地球の歴史の何千年分もの環境の変化をもたらしてしまいました。あまりにも環境の変化が早すぎて、生物、特に動植物は環境変化に適応できません。
 生物にはときどき突然変異が起こります。でも、突然変異によって生まれた生物の性質は、その時の環境に適しておらず、絶えてしまうことがほとんどです。でも、たまたま、環境の変化が起きていると、突然変異によってその環境に適した性質を持つ個体が生き残って、やがて新たな種になることがあります。これまでは、地球の環境が少しずつ変化し、それに従って、動植物も少しずつ姿かたちを変えていって、今日の地球に至っています。植物についていえば、乾燥地帯から、山の上から、湿潤な熱帯地域から、水の中から、現在の地球上のすべての植物を合わせると、30万種あるといわれています。地球環境が少しずつ変わっていって、それに合わせて少しずつ変わっていき、30万種です。
 ところが、このわずか200年の間の急激な環境変化には、動植物はついていけません。特に世代交代の時間が長い動植物であればあるほど、突然変異の起きるスパンが長いですから、環境の変化についていくのが難しくなります。環境の変化に一番ついていきやすい生き物は、ウィルスと菌類です。コロナ・ウィルスを思い描きますが、ウィルスを生物と言っていいかという課題もあります。ウィルスと菌類は1日に何世代も世代交代が起きています。スパンが短いので突然変異も多く、あっという間に環境に適応してしまいます。抗菌剤をつくっても、あっという間に耐性菌が出てくるのは、世代交代が早く、その分、突然変異も生じやすいからです。

 特に、高山植物は現在でも稜線に近いところに生育しています。世界の一番上にいるわけです。日本で植物が生育している一番高いところは北岳の3100mです。これらの植物は、これ以上温暖化が進むと逃げ場がなくなってしまいます。あとはもう、この世から消えてしまうしかありません。

 人類も含めた動物は、すべてエネルギーを植物に依存しています。生物学では、葉緑素を持っている植物は独立栄養生物といいます。緑の植物は、お日様の光をエネルギーに、二酸化炭素と水を原料にして栄養素を作ることができます。それに対して、人間を含めた動物は従属栄養生物です。自分で栄養を作ることができない生物です。自分で栄養を作れないので、栄養を作れる植物を食べて栄養とするか、植物を食べた他の動物を食べて栄養とするかしないと生きていけません。ですから、人間を含めた動物すべては、植物がないと生きていけません。
 現在、私たちが使っている衣食住全部含めて、もともとの植物をたどれば、野生の植物です。野生の植物から、人間が知恵を使って、人間が利用できる植物をつくってきました。
 その中には、地球上の生き物の中で、人間だけが行っている植物の使い方もあります。それは、「植物をながめることによって心を癒す」という使い方です。これは人間だけがやっていることです。サルが花を見てうっとりしたという話は聞いたことがありません。
 野生の植物がなくなるということは、私たち人間が、自分自身の首を絞めていることになりはしないかと思っています。

 最後です。地球の環境を破壊したのは人類です。だけど、それを修復できるのも人類・・・だと信じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年度 第7回 乙女高原連絡会議・乙女高原FC世話人会 議事録

2024年01月18日 | 世話人会
日 時:2023年1月18日(木)  午後7:00~8:30

乙女高原連絡会議

■第21回乙女高原フォーラム (検討・連絡会議)
・本日1/18の山日と朝日新聞に告知記事が掲載された
・弁当22個に修正。オーチャードカフェ @600円 11:30に配達される。
・市長は公務のため、あいさつ後、退席する。
・新乙女高原フェロー 計5名。
・令和6年能登半島地震義援金の募金箱を置く
 →後日、清算して山梨市の義援金に追加。
・定刻に始め、終了時刻が後ろにずれないようにする。
・県FSCコーナーにはパネルとパンフレットを置く。
・春日居の観察会のちらしを置くのを承認。

■そ の た
※今期の連絡会議は本日で最終。
・来年度も今年度なみに「連絡会議・世話人会」を開催する。
・来年早々に「遊歩道づくり」というタイミングなので、チラシについては事前に検討する。

乙女高原ファンクラブ世話人会
■第5期乙女高原案内人養成講座2024 (検討・連絡会議)
・テキスト入稿済。今後、校正し、印刷・製本する。頒価1,500円の予定。
・山梨県・山梨市・山梨市教育委員会の後援承認。
・ちらし完成。県1,000部、市1,000部配布協力依頼。
 それとは別に市内全組回覧に1,500部
 今後、遊歩道作りや草刈りボランティアも
 「市内全組回覧」を活用してはどうか。
・講師に依頼文とチラシ送付。
・すでにネット上で受け付けを開始している。2名の申し込みあり。
・「TOYO TIRE」の助成は1月下旬に決定。通ればいいが、通らないと大変。

■2023年度総会にむけて   (検討・世話人会)
・座談会で県の出前講座「甲武信エコパーク」を申請したが、不可との返答があった。
・会計監査 2/7(水)19:00ガスト山梨万力店にて開催。会計監査人の駒田さん、小林奈さん、会計の小林茂さん、角田代表、植原事務局が出席予定。
・決算報告、予算案については世話人会を開催せずに、メールにて検討・承認をいただく。
・お茶はペットボトル(足りなかったら、買い足す)

■そ の た
・イオン「黄色いレシートキャンペーン」はイオン石和店+ザ・ビッグから、ザ・ビックのみに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年1月の自然観察交流会

2024年01月06日 | 乙女高原観察交流会
※参加した鈴木さんがレポートを書いてくださいました。

1月6日、新年最初の自然観察交流会は雲一つ無い穏やかな晴天に恵まれました。参加者は8名。いつものように道の駅に集合後、乗り合わせて乙女高原へと向かいます。
冬の楽しみの一つである氷華を見るため、最初にサワラ林に立ち寄りました。暖かい日が続いたせいか5mm程のカメバヒキオコシの氷華が数株のみ。今冬の見納めになりそうです。

乙女高原に到着すると積雪は一部に数cm残っている程度です。いつもは遊歩道に沿って観察するところですが、草刈後のこの季節は堂々と真ん中を登って行くことができます。



高原を彩っていた花たちは枯れて天然ドライフラワーと化しています。ヒメトラノオ・オケラ・タムラソウ・リンドウ・コオニユリ・チダケサシ・ハバヤマボクチ等々、拾い集めているといつの間にかショップで売っているような花束のできあがりです。参加者のひとりから「オヤマボクチの萼の棘は、ハバヤマボクチに比べて大きくて尖っているよ」と教えてもらいましたが、その場で見比べることはできません。


枯れ葉に混じってフユノハナワラビの緑色が華やかです。またよく見ると1cmほどの小さな黒い生き物がすばやく動き回っています。ハエトリグモの一種のようです。雪の上には2~3mmの小さな種と種を包む殻(果鱗というようです)がたくさん落ちていました。カバノキの仲間の種であることは想像がつくのですが、一体何の木かはわかりません(高原にはシラカバ・ダケカンバ・ヤエガワカンバの3種があります)



疑問を残したまま散策を続け、ブナじいさんまで足を延ばします。ブナじいさんの南斜面にオヤマボクチが咲いていたのを覚えていたので、先ほど確認できなかったハバヤマボクチとの比較をしたかったからです。比べてみると違いは一目瞭然、オヤマボクチの萼は大きく尖っていました。実際に見て触って比べることで記憶に残ります。



そんなことをしながらロッジへ戻るともうお昼過ぎ。ここでもうひとつの謎解きです。途中でカンバ3兄弟の実を拾ってきたので、高原内に落ちていた種が何であったのか種を取り出して確認作業。それぞれ形は特徴的で「シラカバは透明感・ダケカンバはクリオネ・ヤエガワカンバは飛行機みたい」と声があがりました。雪の上に散らばっていたのはダケカンバだったとわかりました。


昼食後は湿地へと向かいました。雪の上にはテンやイタチの足跡が残っています。急に方向を変えたりしているのを見ると「獲物を追っていたのかな?」などと想像してしまいます。ササの葉はほとんどシカに食べられています。姿は見えなくても、フィールドサインが厳しい冬の中で必死に生きている動物たちの存在を教えてくれます。

一見何もないような季節に思えますが、多くの新しい発見ができた楽しい1日となりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする