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乙女高原ファンクラブ活動ブログ

「乙女高原の自然を次の世代に!」を合言葉に2001年から活動を始めた乙女高原ファンクラブの,2011年秋からの活動記録。

北海道・釧路湿原の谷地坊主を見てきました

2014年07月27日 | 参加報告
 日本で唯一,天然記念物に指定されている谷地坊主が釧路湿原にある(1975年,市指定)。乙女高原の谷地坊主を天然記念物に指定すべきと考えている植原は,2014年7月24日から27日にかけて釧路を訪れ,実際に現地で谷地坊主を観察したり,釧路市教育委員会の担当者や博物館の学芸員から話を聞いたりしてきた。


■釧路市湿原展望台遊歩道の谷地坊主


なんと谷地坊主の形をした展望台!











 2日目(7/25),道東で自然ガイドを営んでおられる「釧路湿原やちの会」のIさんの案内で,釧路湿原西南部に位置する釧路市湿原展望台を起点とする遊歩道を歩いた。
 木道遊歩道の歩き始めは湿原より高い丘陵地のミズナラ林内だったが,そのうち木道は下り坂となり,湿原に下りて20mも進むと谷地坊主が見られ始めた。ハンノキがまばらに生える林床に,ミゾソバ,クサソテツなど雑多な植物と一緒に生えていた。一つの谷地坊主は高さ40~50cmほど。形態といい大きさといい乙女高原の谷地坊主に驚くほど似ていた。ただし,頭上に他の草が生えている谷地坊主の割合は乙女高原よりずっと高いと感じた。
 しばらくはそこここに見られた谷地坊主だったが,木道が丘陵地から離れ,湿地にヨシが優占するようになると見られなくなった。釧路湿原全体で考えると,谷地坊主の分布は限定的かも知れない。



■達古武湖畔遊歩道の谷地坊主







 最終目(7/27),釧路湿原東部の達古武(たっこぶ)湖畔の遊歩道にて谷地坊主の観察をした。ここは岩間さんに紹介していただいた谷地坊主観察スポットである。やはり木道の遊歩道だが,湖畔を巡る遊歩道なのでほとんど平坦だった。100mほど歩くと谷地坊主が観察できた。釧路市湿原展望台遊歩道の谷地坊主群落と周辺の環境が似ていた。遊歩道の左奥は湖であり平坦な湿地にハンノキ林が広がっているが,遊歩道の右側は斜面になり,山につながっていた。つまり,雪解け時等には緩やかな流れのありそうな湿地なのである。
 ここにミゾソバやクサソテツ(山菜のこごみ)に混じって谷地坊主が観察できた。乙女高原の谷地坊主群落は「谷地坊主の純林」といえそうなほど谷地坊主の優占度が高いが,ここ達古武湖畔といい,釧路市湿原展望台遊歩道といい釧路湿原の谷地坊主は「他の草に混じって生えていて,群落内における優占度は決して高くない」と感じた。




■標茶町国道脇の谷地坊主
 最終目(7/27)の朝,釧路湿原東北部,標茶(しべちゃ)町の宿周辺で谷地坊主の探索をした。というのも,宿の方から「近くで谷地坊主が見られるよ」というお話を伺っていたし,宿発行のオリジナル周辺マップにも谷地坊主が載っていたからである。





 ものすごいスピードで走ってくる車に気をつけながら,宿の前の国道391号線を歩いて行った。国道の右側(東側)はしばらくは牧草地だったが,牧草地が切れると谷になり,水音も聞こえてきた。うっそうとしたヤナギの林とヤナギの林の間は,ミヤコザサやアキタブキ,ヨモギなど背の高い草につる草のからまった藪となっていた。国道から目を凝らして見ても谷地坊主は見つからない。意を決してシカ道をたどって藪の中に入っていった。しばらく藪をかきわけて進むと,谷の底部で谷地坊主が見つかった。数が多くないし,木や自分の背丈を越えるような背の高い草に完全に覆われてしまっていたため,国道からは発見できなかったのである。





 帰りは国道の左側(西側)を歩いた。国道に平行してJR北海道釧網線が走り,さらにその向こうに釧路川が流れているのであるが,国道と線路の間も川(湿地?)になっているようで,明るいヤナギ林やヨシ群落が見られる。ここでもシカ道を頼りに斜面を下ってみた。案の定,背の高い草むらに隠れて,谷地坊主がひっそりと茂っていた。



■釧路市丹頂鶴自然公園の谷地坊主



 初日(7/24),空港でレンタカーを借り,すぐ近くのこの公園を訪れた。この公園内の谷地坊主こそが天然記念物に指定されている谷地坊主だということは事前に調べて知っていたので,受付のスタッフに訪ねたのだが,スタッフはまったくわかっていなかった。





 炎天下のアスファルトの園路を歩きながら,フェンスの向こうにいるタンチョウの親子の様子を観察した。もちろん,谷地坊主も探したが,見つからなかった。園路の一番奥まで行って(通行止めの看板があったので)戻りながら,タンチョウのフェンスの反対側を見ていったら,どうもそれらしいものがあった。



 公園を訪問後,釧路市教育委員会を訪ね,天然記念物の谷地坊主について取材したが,そのときに提示された資料によると,どうも公園内の天然記念物の谷地坊主は,園路の一番奥の,通行止めの看板があったさらに奥のフェンスの中にあったらしい。





●見たり,谷地坊主の展示●

 2館の博物館を訪問した。釧路市立博物館と美幌博物館である。
釧路市の人口は18万0千人で,甲府市の19万4千人より少し少ない。美幌町の人口は2万1千人で,山梨市の3万5千人よりずっと少ない。それぞれ甲府市・山梨市より小規模なのに自前の博物館を持つことで,地域の自然がしっかりと調査・研究され,その成果をさまざまな展示や調査報告書によって還元し,地域住民のみならず私のような外部の人間にも地域の自然の価値を発信できているのが素晴らしいと感じた。
 さて,釧路市立博物館に谷地坊主の展示があった。







 一つは球形の透明カプセルの中にある谷地坊主のレプリカ。後述するが,他の施設の谷地坊主展示がすべて春だったが,ここだけは秋だった。谷地坊主の上で他の草花が花を咲かせている状況が展示されていた。また,谷地坊主の「頭」の部分が一部縦切りされていて,「頭」の内部の様子が分かるようになっていた。



 印象的だったのは,釧路湿原開拓の際に用いられたという,谷地坊主を掘り取る専用の鍬があったこと。K学芸員から説明を聞いた。
 博物館のほかに谷地坊主展示のある施設として,釧路市湿原展望台,塘路湖エコミュージアムセンター,細岡展望台があった。訪ねた施設としては,他に,丹頂鶴自然公園,温根内ビジターセンター,川湯エコミュージアムセンター,コッタロ湿原展望台があるが,谷地坊主の展示は見当たらなかった。すべて谷地坊主の頭上にスゲが生え出した状態,つまりは春先の状況を紹介していた。







里山モニタリングの講習会に参加してきました

2014年03月01日 | 参加報告

■モニタリングサイト1000とは・・・
 里地里やまの自然の変化を,市民による調査によって全国規模で調べていこうという環境省/(公財)日本自然保護協会によるプロジェクトです。調査項目は9つありますが,乙女高原では、このうち『カエル調査』に取り組みます。乙女高原は2013年にサイト登録したので,今回が初めての調査になります。

 今回は神奈川県鎌倉の谷戸を活用した公園での講習会に,ファンクラブを代表して3人で参加してきました。



 講習会場となった鎌倉中央公園は,もともと山崎の谷戸と呼ばれる里山でした。谷戸とは雑木林に囲まれた谷で,両側の林から水が滲みだし,たえずジュクジュクしている,細長い湿地状の場所です。ここでは,昔から田んぼがつくられていました(谷戸田とか谷津田と呼ばれます)。1990年,ここに都市公園をつくる計画が発表されました。その中には芝生の広場やコンクリート護岸の池や全面ガラス張りの建物が描かれ、その池には吊り橋まで架かっていたそうです。この発表を知って驚き、その内容に猛反発したのが、ここでで乳幼児の青空保育をしていた「なかよし会」というグループのお母さんたちだったそうです。最終的に,市民の粘り強い活動によって,この地の自然や景観を大きく変えることなく,谷戸を生かした公園として鎌倉中央公園は生まれ,鎌倉市と協働で公園の維持管理や公園を活用して環境教育などの活動をしていこうというのが,今回の講習会の協力者である『NPO法人山崎・谷戸の会』なのだそうです。
http://www1.ocn.ne.jp/~ya-yato/



 講習内容はアカガエル類の産卵調査。講師の前田さんによると,アカガエル類は1シーズンに1匹のメスが1つの卵塊しか産まないので,卵塊の数を数えれば,それがその地域の卵を産んだメスの数になり,継続調査すれば,カエルの数の増減が見えてくるのだそうです。30名ほどの参加者と一緒に,現地の自然保護活動をされている久保さんの案内で,谷戸の昔ながらの田んぼに産み落とされたカエルの卵をじっくり観察してきました。カエルの卵をカルガモやアオサギが食べると聞き,びっくりしました。



下の写真は休耕田の写真ですが,カエルたちが産卵できるように草刈りをしたそうです。





北広島の草原(雲月)と湿原(霧ヶ谷湿原)を案内してもらいました

2013年10月14日 | 参加報告
 10月13日(日)、広島県庄原市で行われた自然観察指導員講習会終了後、広島自然観察会の吉岡さん・和田さんの車で,日本自然保護協会の福田さんもいっしょに北広島町へ。「高原の自然館」という地域のミニミニ博物館(=ビジターセンター)の学芸員白川さんと合流。泊まった民宿はタニモト。

(一番奥のうすむらさきの建物がタニモトです)

なんと北広島の芸北地区は「どぶろく特区」。民宿で仕込んだ自家製どぶろくをいただきました。とくに「生」どぶろくは,宿泊客にしか出さないのだそうです。おいしくて,飲みすぎました。
 翌朝,民宿の近所を散歩しました。休耕田・・・といっても,見た目には「今年から作付けしなくなったのかな」と行った感じの田んぼに黒毛の牛が4頭います。きっと休耕田の草刈り要員として放し飼いされているのだと思いました。田んぼのまわりには細長い針金が張られていました。弱い電気が通っている電柵なのでしょう。

(電線が見えますか?)

 朝食後,まず案内していただいたのは雲月という山。「うんげつ」とも「うずつき」とも呼ばれるそうです。「ひょっこりひょうたん島全体が草原になっている」といった感じの,なだらかな稜線です。標高911m。稜線の向こうは島根県で,天気が良ければ日本海も見えるそう。となると,標高が低いとはいえ,冬には日本海を渡ってきた季節風が上昇してくるのですから,ここは雪がいっぱい降る所です。
 ここには火を入れている(いた)し,牛も放している(いた)そうです。それで,草原が保たれています。
 今日は広島観察会のメンバーも数人来てくださいました。やっぱり大人数のほうがワイワイと楽しいですね。


 歩き始めて,すぐに「?」と思ったのは,歩道の広さと平坦さ。山の歩道としては,この広さも平坦さも必要ないと思いました。それを察した白川さんがさっそく教えてくださいました。
 「交流事業でここに来た子どもたちの中に車椅子の子がいました。その子はこの歩道を歩くことなく,バスに乗って別の場所に行ってしまいました。それを見た地元の子どもたちが『なんかかわいそうだね』と,歩道のバリアフリー化を提案したんです。歩道を広くし,チップ舗装する際には,子どもたち自身が歩道を調べ,アセスメントに取り組んだんですよ」


 歩道を歩きながら,いろんな植物に会えました。
 ヤマラッキョウ,リンドウ,ウメバチソウ,アキノキリンソウ,マツムシソウ,ワレモコウ,カワラナデシコ,シラヤマギク…など,乙女高原との共通種もいっぱいありました。ただ,どれも背がとても低かったです。


 一方,サイヨウシャジン,カキラン,ショウジョウバカマ,リュウノウギク,ヤマハッカ,ムラサキセンブリなど,乙女では見られないものもありました。びっくりしたのは,斜面のちょっと濡れているところにモウセンゴケがあったこと。「なんでこんなところに?」と,不思議でした。

(サイヨウシャジンはツリガネニンジンそっくり)


(ムラサキセンブリ。センブリなら見たことあるけど)


(写真中央に見える「土が見えるところ」に下写真のモウセンゴケが・・・)


 途中,ちょっと平らなところに出ました。おもしろいんです。歩いている途中は,種類こそ違うけど,雰囲気は乙女高原にとても似た草原(花野)だったのに,ここだけ,「田んぼのあぜ」みたいな登場人物(草)と生えている様子なんです。ヨモギがいっぱいで,クローバー(シロツメクサ)も見えます。「ここだけ雰囲気が違うでしょ?」と白川さん。「ここは少し平らになっていて,牛たちの休憩場所なんです。休憩場所だけあって,ここでウシたちは糞もします。それで,ここだけこんな植生になっているのです。ここから草原の景色を見ると,同じような場所が点々とあるでしょ?」


 稜線に出ました。こっち側は広島県。あっち側は島根県です。県が違うのですから,土地の管理も違っています。こっち側は火を入れているので,見ていて気持ちのいい草原=花野になっていますが,あっち側は火を入れてないので,一面の笹原です。両方で2m四方のコドラート内の植物を調べたところ,広島側は40種の植物が見つかりましたが,島根側はたった3種だったそうです。
 「島根側に延焼してしまったことがあって,たいへんだったんですよ」とのこと。確かに,「白骨化」している立ち枯れの木が群れていました。


 ピークまで歩いてきたら,「野外お茶会」が始まりました。広島観察会の方が準備してくださいました。いやー,野原に座ってのお抹茶…おいしいですねー! 口の中ばかりでなく,気分までさっぱりしました。

 山から降りながらも,いろいろな植物が観察できました。場所場所によって,咲いている花が違っていました。少しずつ環境が違い,条件が違うんでしょうね。遊歩道には,乙女高原のような『ここから入っては,いけません』という杭とロープがありませんでした。それがとても心にひっかかりました。

 楽しい雲月山ハイキングが終わり,車で移動しました。車中でのお話もとてもオモシロイものでした。それはまた別の機会に…。
 途中,道の真ん中に大きなくろっぽい塊が。クマの糞です。車を降りて,さっそく観察。小枝でホジホジしましたが,臭いにおいはまったくありませんでした。で,中からドングリの殻の破片が出てきました。食べているんですね,ドングリ。


 白川さんの勤め先『高原の自然館』に到着。棟続きの隣がレストランになっていて,白川さんがそこに予約してくださった地域の食材を使ったおいしいおいしいお弁当を,横に建てられた古民家の座敷でいただきました。予約をしたお客さんは,この座敷で食べることができるそうです。トマトをジューサーにかけ,レモン汁を入れて,固めたゼリーがとてもおいしかったです。
 高原の自然館は,資料がとても充実していました。それもそのはず。ちゃんと学術調査を行っていて,その成果をここで展示しているのです。それに,ここにいる動植物をただ単に紹介しているだけでなく,彼らがここにいる存在価値を展示しようという意図が感じられました。展示を見ていて,頭にパッと浮かんだフレーズは「これは普通名詞の展示ではなく,固有名詞の展示だな」。なんか理屈っぽくてすみません。でも,そう思っちゃったんです。
 でっかいホワイトボードが目につきました。教室の黒板くらい大きいです。そこに,観察会の予定が書いてありました。「ハハン,これも大切な展示なんだな」
 こんなに小さな施設なのに(失礼),販売物がいっはいで,充実していたのにも目を見張りました。たくさん買ってしまいました。


 中に,午前中に歩いた雲月山の写真集がありました。「この著者の女の人(淀渕可菜とあります)って,どんな人だと思います?」と白川さん。ぼくが「?…」としていると,写真集の後ろのほうのページを出して,「小学校6年生です」ショックでした。小さな小学校が学校みんなで雲月山の学習をし,その集大成がこの本だったのです。学校での環境教育(学習)として,こういうことがやりたかったんだよなあ。
 なんでも,広島県には青少年育成広島県民会議という公益社団法人が行っている『夢配達人プロジェクト』というのがあるんだそうです。これは「県内の小学生から夢を募集し,その中から選ばれた夢の実現に向けて,子ども達と地域の人たちが夢配達人(夢の実現をサポートする専門家など)と一緒に行う活動を支援する」というもので,これにかなちゃんが「カメラマンに手伝ってもらって,雲月山の植物の写真集を出したい」という『夢』を応募し当選したのだそうです。 (淀渕可菜・編『雲月のたから』(NPO)西中国山地自然史研究会,2010)

 午後からは自然館のすぐ近くの霧ヶ谷湿原を案内していただきました。
 この湿原の履歴はおもしろくて,1960年代に「開発」されて牧場になったのだそうです。1986年に牧場は閉鎖され,その後,放置されました。すると,ススキ・ハルガヤ・ヨモギなどの草原とカンボク・カラコギカエデなどの低木林が広く見られるようになってしまいました。なんとかしてこの地に湿原を復元させたいという自然再生事業が2007~2009年の3年間行われ,湿原がもどりつつある場所だそうです。この再生事業のキーマンである和田さんに「熱く」案内していただきました。

 車を降りて,歩いたところはカンボク・カラコギカエデの林の中。土は…乾いていて,湿地のおもかげはどこにもありません。「この様子を覚えておいてくださいね」と和田さん。


 しばらく歩くと,湿原に出ました。今まで歩いてきたところと雰囲気が全然違います。「ここも再生事業までは,さっきの林みたいだったんですよ」


 ススキやノイバラなど乾いたところに見られる植物もありましたが,イ,ミゾソバ,ママコノシリヌグイ,エゾシロネなど湿ったところが好きな植物もありました。

(マアザミ(キセルアザミ)にオオマルハナバチが来ているのを見逃しません! )

 どのようにして湿地を再生したか,和田さんが熱く話してくださいました。
 湿地を牧場にする,つまりは土地を乾燥化させるためには排水が必要です。そのため,湿地の中に深い排水路が作られました。この地を湿地に戻すために,まずは深い排水路を埋めて,浅くする必要があります。ですが,浅くするためによその場所から石や土を持ってきたら,よその植物も連れてくる可能性があります。そこで,水路のコンクリートの上半分を壊して,壊したコンクリートの破片を水路に埋めるという工法で浅くしたそうです。これなら外からいろいろ持ってくる必要はなく,水があふれやすくなりますし,重機を入れるのも最小限で済みます。次に,水路の途中に堰を作って流路を分け,枝流が湿原の中を流れるようにしたそうです。さらに,等高線に沿って溝を切り,枝流からあふれた水が湿地全体に行きわたりやすくしたそうです。これらの工法は,実際に予備実験を行い,効果を検証してから大規模導入しているそうです。また,再生事業が終わったあともモニタリングをずっと続けていて,湿地全体の動向を詳しく把握していました。そのきめ細やかさに感心しました。



(深い排水路を崩して、底を浅くしている)


(堰の向こう側が深くなっているのがわかりますか?(大きな石も落ちてるけど) そこは昔の排水路のまま)

 たった1日でしたが,とても密度の濃い自然観察ができ,大満足で夕方の新幹線に乗って帰ってきました。家に着いたのは,ぎりぎりその日のうちでした。
 すごく充実した1日になったのも,白川さんや和田さんなど案内してくださる方々がいたからです。あらためて,案内人の大切さを感じた1日でもありました。

第9回全国草原シンポジウム・サミットinみなかみ に参加

2012年10月27日 | 参加報告
 10月27日(土)~29日(月)にかけて「第9回全国草原サミット・シンポジウム」が群馬県みなかみ町で行われ,参加してきました。地元役場職員を中心としたスタッフの皆さんの「おもてなしの心」を絶えず感じながら,有意義な時間をすごすことができました。

■1日目 現地見学会
 天気予報は確か晴れだったはずですが,雨がぱらつくあいにくの天気。集合場所はスキー場の駐車場でした。さすがは谷川岳を越えるとすぐに越後の豪雪地帯となる『関東の北の果て』です。そこからさらに少しだけ車で送り迎えをしていただき,現地に向かいました。そこは乙女高原の草原と同じくらいの広さの草原『上の原』です。
 ここはもともと広大な地元の入会地でしたが,ご多分に洩れず,そのほとんどがゴルフ場になってしまったそうです。かろうじて残った草原を『森林塾・青水』という団体が借り受け,地元の人々といっしょに生きもの調査をしたり,野焼きや茅刈りを復活させたりしています。そんな活動が背景としてあり,今回の草原シンポジウム・サミットの開催となったわけです。



 さて,1日目のプログラムは茅刈り体験と見学会の2コースに別れて行われました。ぼくは見学会のほうに参加しました。


ゼッケンをつけている人は茅刈り体験をする人です。

 まずは青水の増井さんと地元の林さんの案内で草原を歩きました。歩くときには雨も上がり,助かりました。青水によって草原管理が復活される前は,13年前の乙女高原と同じように,草原の中にシラカバがかなり侵入していたそうです。「そのときのシラカバを全部伐らないで,何本か残しました」とのこと。乙女高原と同じだなと思いました。林さんからは,「昔の草原とのつきあい」に関するおもしろい話がたくさん聞けました。


プレートを持っているのが青水のホープ増井さん,説明しているのは塾長の清水さん。


茅刈り体験では,このような形に茅をまとめます。

 その後,マイクロバスで移動し,首都圏の水がめの一つ藤原ダムを見学しました。ダム職員の方からも話を聞きましたが,青水の清水さんから「ここはコンクリートのダムですが,森や草原は緑のダムです」という説明がありました。
 諏訪神社の舞殿と雲越家住宅も見学しました。これらの家屋の茅葺きに使われている茅は上の原で刈られたものだそうです。3年前に訪れたときには,諏訪神社の舞殿の屋根は相当年季の入ったもので,たくさんの若木まで生えていました。それが,今回,屋根の半分が葺き替えられ,新品になっていました。


上は2009年に訪れたときの諏訪神社の写真。下は今回の写真です。



雲越家住宅です。



■二日目 草原シンポジウム
 午前中は養父・和歌山大学教授による基調講演と各地からの実践報告(ここで乙女の報告も!),午後は4つのテーマに分かれての分科会,そして,夜は懇親会が行われました。

 朝から雨でした。シンポジウム会場は,地元・藤原地区の「藤原小中学校体育館」。わかります? 小学校でも中学校でもなく,小中学校。この学校ははじめから小学校と中学校がいっしょというコンセプトで作られています。ぼくのことですから,早めに行って,周りを少しブラブラ(自然)観察。すぐ近くに自然観察の授業に使えそうな山があったり,校庭にブナの木がごく自然にあったり,校庭の隅っこには炭焼き小屋があったり。校舎は2階・一部3階建ての鉄筋コンクリートでしたが,屋根が水平ではなく斜めになっているのは大雪対策かなと思ったり,古い校舎(おそらく物置として利用されている)の廊下にスキー板が並べて置いてあるのを見つけたり。


藤原小中学校の校舎。右側の3階建てを横から見ると,屋根が斜めになっていました。

 体育館に入ったら,体育館がパーテーションによって前と後ろの2つに大きく分けられていました。後ろ(つまり入り口に近いほう)がさらに2つのエリアに分かれていました。一方が展示エリア。たくさんのポスターが貼られていました。乙女高原からも5枚のパネルを出展させていただきました。もう半分は地元の物産展ならびに直売所になっていました。地元の野菜や工芸品が手頃な値段で売られていました。
 前半分はシンポジウムの会場になっていました。雨が降って寒いなと思っていたら,スタッフの方がどこからかストーブを運び込んでくれました。おもてなしの心を感じました。

 基調講演は和歌山大学教授の養父志乃夫(やぶしのぶ)さん。著書として,たとえば『里地里山文化論』(上下)農文協があります。里山を上手に利用してきた里山文化こそ,今後,私たちが持続的に暮らしていくためのキーワードであるというテーマのお話でした。里山でのさまざまな動植物の利用法や田畑の作り方,暮らし方が,どれくらい生態学的に理に適ったものなのか,例を挙げてお話くださいました。また,東南アジアの「稲作文化圏」では,日本の里山と同じような生活の知恵や生活様式がみられるという興味深い話もありました。
 個人的におもしろかったのは,島根県隠岐の「牧畑(まきはた)」です。焼畑はもちろん聞いたことがありましたが,牧畑というのは初めて聞きました。牧は個人所有地ですが,牛や馬を放牧するときには共有地として扱われ,牛や馬を放牧することでその糞により土地の生産性を高め,そこで麦,芋,豆,粟・稗を作り,生産性の落ちたところで,また放牧地として活用していくサイクルなんだそうです。そんな牧が何箇所かあり,それらが順番に活用されていくところは,まさに焼畑や雑木林と同じような持続可能・循環型,そして,生物多様性を高める効果のある土地利用です。


養父さんの基調講演です。映っている写真の山で焼き畑をやっているそうです。信じられます?

 実践報告は3箇所から。
 一つ目は乙女高原での活動を植原が,二つ目は阿蘇での活動を阿蘇グリーンストックの山内さんが,最後は昨日の見学会でも訪れたみなかみ町藤原地区上の原での活動を海老沢さんから。それぞれ特徴があっておもしろかったです。
 乙女の活動は,小さな草原でも地元の人たちに愛され,行政と一体となって活動しています。
 阿蘇の草原は雄大で,報告された山内さんは「阿蘇グリーンストック」という公益財団法人の専務理事です。草原も雄大なら,活動規模も大きいです。高齢化によって野焼きの存続が危ぶまれ,野焼きボランティアによる応援態勢を整えるまでの苦労話などを聞くことができました。
 上の原での活動は「流域コモンズ」というコンセプトのもと,川の上流の自然を下流に住む都市住民が協力しながら保全していこうという活動です。アクションをしかけているのが森林塾青水という都市住民であるところが特徴だと思いました。野焼きや茅刈りを復元するのですが,現代的な視点や遊び心・オチャメな要素を取り入れているところがいいです(茅刈りのコンテストや昔の道をフットパスというなんだかハイカラな言葉で再発見・再利用しているところなど)。

 午後の分科会は4つのテーマに分かれ,それぞれ民宿を会場に行われました。
 一つ目は,地域のいろいろな資源を地図にしていくことを通して,地域資源を確認したり,外に発信していく活動。二つ目は,草資源をどのように多面的に活用していくかという話。もちろん,その中には茅葺き屋根も含まれます。3つめは,草原の価値を表現するのに,万人にわかりやすいように,お金に換算できないかという話。そして,4つめが草原の活用の一つとしてのエコ・ツーリズム。自然に親しみ,自然を知り,自然を守る旅行形態についてです。
 ぼくはこの第4分科会に参加しましたが,印象に残ったのが,地元の温泉旅館の社長さんのお話でした。「温泉泊覧会(博覧会ではなく泊覧会なんだって。愛称は「おんぱく」)」というイベントをしかけ,観光客の皆さんにプログラムを提供するのですが,そのプログラム一つ一つは,決して大きなものではないのですが,地元の方が提供しているもので,コンセプトは「地元の宝物,再発見」というものでした。観光客の皆さんは他の地域にはない「オンリーワン」の体験ができ,地元の皆さんは地域資源が地域の財産であることを(観光客を通して)再確認できる,すばらしい場を提供しているなと思いました。


分科会の報告会です。


 夜の懇親会は,スキー場のレストハウスに会場を移しての実施でした。結婚式の披露宴みたいな豪華なバイキングでした。出された料理は,こごみのおひたしやかぼちゃをペースト状にしたもの,鯉こくなど,地元産のものばかり。どれもとってもおいしかったです。
 アトラクションとして地元愛好団体によるオカリナ演奏や合唱(地元ソングもありました),そして歌唱ショーなどもあり,たいへん賑やかでした。



■三日目 草原サミット
 いよいよ最終日。草原を抱える9人の市町村長さんたちが登壇し,それぞれ話をしていただくという草原サミットです。
 まず,昨日の草原シンポジウムの報告を,全国草原再生ネットワークの橋さんがしました。「シンポジウムの報告」といいながら,私たち民間レベルで考えている草原を維持していくための課題を,市町村長さんたちに伝えていく場になっていました。「そうか,(シンポジウムとサミットを僅差の時間差で開催することには)こんなしかけがあったのか」と感心しました。
 市町村長さんたちの話を次々に聞くのだから,つまらないかなーと思っていましたが(失礼!),それぞれの市町村長さんのお話は,それぞれ特徴があったり,おらが町の自慢話が入っていたり,いろいろな取り組みがあったりと,とてもおもしろかったです。乙女高原のある山梨市長さんがこの場にいてくださったらなあ・・・と思いました。
 中でも印象に残ったのが,前回の草原シンポジウム・サミットを開催した北広島町の町長さんのお話です。「わが町には宝があります」と話し始められたので,「どうせ(失礼)町の風光明媚なところの自慢をするんだろう」と思っていたら,「それは,町の職員の○○クンです」と,町の職員の自慢をされたのです。「地域の生物多様性についての宝は○○クン,観光についての宝は□□さん,・・・」というように,町の職員を大事にされているのかなーと思いました。北広島町では草原シンポジウム・サミット開催後,町村レベルでは全国で初となる『生物多様性の保全に関する条約』を制定したそうです。



サミットに先立って行われたアトラクションです。


9つの市町村から市町村長さんが集まって,それぞれの取り組みなどを発表していただきました。