アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

学力のファンクションは「秋田を追い越せ」

2010年08月03日 | Weblog
 全国学力学習調査の結果が出ました。この全国テストのファンクションは、児童生徒に係わって、「学力を測る」「自覚を促す」「学習欲を引き出す」。国(国民)に係わっては、「学力の状況を知り改善について考える」。分かりきったことを書くなって?ひと味違うと思いませんか?もっとも、ファンクショナル・アプローチの横田尚哉さんが考えたファンクションで、私は一項目付加しただけなのですがね。

 これから、流行ってくると思われる価値工学の手法が、「ファンクショナル・アプローチ」。ファンクションは、「本来の、機能、働き、作用」ですから…ファンクショナル・アプローチは、「何のためにするのか(目的)」、あるいは「何のためにあるのか(機能)」という視点で徹底的に分析することで、問題の本質を明らかにしていくというもの。63年前(1947年)にGEが考え出したもの。新しいものではない。

 「今日本の赤字をどう解消するか?」「消費税を上げよう」といったうわべの対応しか考えつかないようでは、一時的に問題は解決できても、根本的な解決にはなりません。
 その背景には、それが生まれるに至った「ファンクション」があるわけで、改善すべき点は(事態への対応にあるのではなく)、「ファンクション」にあるわけです。

 教科書は何のためにあるかと問われると…まず、そんなことを問われることがないのですが。問われたとしたら、「そ、そりゃあ、教科書というものは、まあ、いわゆる一つの…学習内容をまとめた本だな」となる。横田さんのファンクションでは、「教科書は(学習内容を)伝えるもの」。「教科書=伝える」この等式は意外だが、「教科書を教える」のか「教科書で教える」のかの議論に使えます。どう使うんだって?「教科書は伝えるものだから、良く伝わるように使わなければならない。内容によっては、教科書を教えるのが良く伝わる場合があるし、また別な内容では、教科書で教えるのが良く伝わる…」と。

 教員のファンクションはというと、「学習内容を伝える」「学習状況を観る」「学習意欲を引き出す」…どれも当たり前ですが、こういう考え方って普通はしませんから…何だか新鮮。

 時間割は何のためにあるか?と、問われたら、「国語の次は道徳で…水曜日は5時間授業で…」なのだが、時間割のファンクションは「学習漏れをなくす」。
時間割がなければ、必要な学習量が確保できなくなるかもしれない。その結果、教え漏れが生じる可能性があるということ。時間割が、「学習漏れをなくす」…この考え方って、教育現場からは出てこないと思います。

 休み時間の役目は…「そりゃあ、おしっこタイム」でしょう!しかし、BUT、ファンクションでは、「緊張をほぐす」「学習効率を高める」…。休み時間は、おしっこをして、水を飲んで…なのですが、これは、「緊張をほぐす」ためです。緊張がほぐれると、次に時間のモチベーションが高まる。そのため、「学習効率が高まる」。

 学校教育のファンクションは、「定められた学習内容を伝える」「学習欲を引き出す」「学習効率を高める」「学習環境を整える」「(児童生徒の)基礎的な資質を養う」ということになります。

 冒頭の全国学力テストのファンクション・・・国(国民)に係わっては、「学力の状況を知り改善について考える」。都道府県や市町村は、競って学力を向上させていただきたい。ファンクションは何かって?「追い抜き」です。隣の学校を追い抜き、隣の町を追い抜き、秋田県を追い抜く。こういうことを書くと、一部の民主的な人たち(口先は財産の共有化ですが、私腹を肥やすことに躍起になっている自分だけ良ければいい人たち)から非難囂々なのは分かっています。しかし、ファンクションなんだからしょうがない。