アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

涙が涸れたら、また顔を上げよ!

2021年07月24日 | Weblog
    高体連たけなわです。私自身の高体連は…何十年も前のことですから忘れました。本当は、はっきりと覚えていますけどね。忌まわしい思い出です。思い返す度に腹が立って血圧を上げていますよ。

 スポーツで勝敗を決める…これは…いわば残酷。例えば、「百分の一秒差」。これってなんですか?!ハナクソ一個分の差じゃないですか!そんなモノで、勝敗を決める…これは残酷。
 写真判定、これはぁ、まあいいのですが、大相撲の写真判定は「やめていただきたい」。両者死に体なのに、「髷が先に土俵についた」とか、「土俵下に落ちたとき、こちらの肘が早く落ちた」とか。「そんなの相撲じゃないっ!」。そんなことで勝敗をきめるから、大麻を吸ったり、反社とつきあったり、賭博をしたりするのです。なぬ?「関係ないだろう」って?大いに関係がありますが、説明が長くなるのでこの場では言及しませんがね。

 閑話休題。最後まで勝ち残るのは、一個人か一チーム。ほかの全てが敗者。試合によっては、「双方が勝者でもいいじゃないか!」と、言いたくなる試合もあります。

 誤解しないでいただきたい。「みんな一等賞の運動会」がいいとは言っていません。
 みんな一等賞では、「能力の差」「自らの力」を知らない人間になってしまいます。 このところたてつづけに起こっている、「子どもを(結果的に)死なせる事件」、この子どもを死なせる人間は、人の能力差、自身の力を知らないうちに思春期を迎えた人物だと思います。残酷であっても、勝敗を決することは必要なのです。

 ぎりぎりの緊張感の中で、もがき敗けていった若者たち。涙が涸れるまで泣けばよい。この経験は、今後の人生で決してマイナスになることはない。
 自分の非力さを思い知り、そのすべてをしっかり受け止めてほしい。そして、涙が涸れたら、顔を上げてほしい。
 以上、田舎のアンティークなおじさんからのエールです。



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