アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

日本の奥地に梅がない…なぜ?

2024年07月24日 | Weblog
 2年前まで、北海道の奥地に住んでいました。麻生太郎さん(元首相)が札幌を「奥地」と言ったことがありました。べらんめえ調で舌禍が多い方。いくら得意技が「舌禍」でも、「奥地」はダメでしょう。野蛮人が住んでいるような印象を受けますから、差別用語ですよ。私など、「奥地札幌」より更に奥地に住んでいたので、縄文人のような格好で暮らしていたと思われていたんじゃないかなあ。

 古今集に載っている紀貫之の代表的な歌…
 「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける」

 この歌の「花」は、なんの花か。水仙、梅、桜、はたまた紫つつじ…。
 平安時代に「花」といったら「桜」に決まってるでしょ!という声が聞こえてきそうです。ここで蘊蓄。
 なぬ?また、係り結びの法則だろうって?あ、あのね、花の蘊蓄に係り結びは関係ないでしょう!「ぞ」を使って「ける(連体形)」で終わってますから、係り結びですけどね。

 閑話休題。「花」ですが…貫之は、なぜ「匂ふ」ではなく、「香に匂ふ」としたのでしょう。「桜の花」って、匂いは強くないですよね。その点、「梅の花」は、10m離れても匂います。
 梅が咲く頃は、夜、歩いていても、「あっ、いい匂い。近くに梅が咲いてるな」と、わかります。そのため、「色の桜、香りの梅」という言葉もあるぐらいです。ですから、目で見た場合は「匂ふ」、嗅いだ場合は、「香に匂ふ」。
 貫之の「人はいさ…」の「花」は、梅だということになります。

 奥地では、梅を見る事が皆無に近いです。「10m離れても匂うとか、夜に歩いていても匂う」んじゃなかったのかって?それは、奥地の話じゃなくて、学生時代を過ごした東京の話です。
 なぜ?奥地には梅が少ないのか?これも蘊蓄で申し訳ないが、梅が大陸から伝わったのは、奈良時代の少し前。太宰府のあたりに植えられた。それから、関西一円に広まり、東北まで来た。
 しかし、さすがの梅も津軽海峡を渡るのには苦戦した。「青函連絡船」も就航していませんでしたからね。よって、北海道には広まらなかった。当然、奥地まで梅は…来なかった。