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もんく [とある港街の住人]

気が回る、回らないは教育から?

気が回る、回らないと言うのは果たして教育の成果なんだろうか? または生活習慣とかそう言うところから来るものだろうか? これは謎だ。

と言うのも、個々の仕事を単体でやるのは多くの場合誰にでもできる。知識や技能が必要なものは除いて。工場の仕事なんてそう高度なスキルを使うと成立はしないので細かく分けて、少しトレーニングすれば誰でもできるようになっている。なので、例えば1日同じ場所に立ってずっと同じ事を繰り返す仕事と言うのができる。

そう言う仕事は管理するのも割合簡単だ。ただ危険なのは品番切り替えがある時で、それさへ乗り切ればあまり苦労はない。が、逆にいろいろな事が同時進行で起きているところでやる仕事は大変だ。これも手順を作れば良いのだけれど、手順の途中で少しでも判断して何か調節するとか、仕事の切り替えをするとなると本当に大変。

こう言う仕事は全人的な能力のようなものを使う。

となると、ベースにあるその人の志向とか能力とか、そんなよくわからない部分に頼らなければならない事になる。ただ、これ、見極めるのは大変だ。もし、ずっと立ちっぱなしで繰り返し作業をするのが上手い人がいて、この人なら仕事ができるからと採り立ててその上のレベルのちょっと管理人にしたとする。

これで上手く行くかと思えばそうでもない。本人だってその仕事の事は良く知っていると思っているからできると錯覚するけれども、実際はそうでもない。

目に付くのは気が回らないと言う点。

どうも、気が回らない人は仕事全体の組み立てのようなのが出来ない。あれやって、次これ、そしてさらに次、と言う事が考えられない。もっともそう言う事が難なくできるのが要は気が回ると言う事なのだろうから当たり前なのかも知れないが。また並行して行われている事を統合して結果にするようなのもダメ。

まあ、世の中そんなものなんだろうけど。でも、こう言うのは教育なのか?それとも元々の能力?環境?何なんだろう?
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