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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

仕事を減らす努力が先だ

2018-06-30 23:18:26 | マレーシアでニャー2018
土曜日。

工場は今日の20時30分まで動いているので、自分は休んでいるけれど、実質的には完全な休日にはならない。いろいろメッセンジャーで連絡が来るから。これが毎週なので大変疲れる。

が、こう言う時に新現場管理人と補助役の訓練になるのでできるだけ自分たちでやってもらう。いつまで経っても指示が無いと何もできないのでは困る。実際の仕事には面倒な事の種類が多岐にわたる。なので彼らも頭が混乱してしまう。

ついさっき、もう仕事が終わってしばらくしてからメッセンジャーが入った。いろいろありすぎで自分にはどうにもならないとこぼす。そうだろう、そうだろう。バングラデシュ人どうしの気にいる気に入らないと言うような事、プロセス上の問題、作業手順の事、多部署から何か行ってきた、昨日やり残した仕事など。

それはわかるので、いつもこう言う。仕事減らしなさい、と。ここの本業は生産する事なのでそれに集中。それ以外の事は出来るだけ止める。多部署から余計な事を言われた場合はできるだけ無視せよ。品質に関わる場合は除く。誰かが医者に行きたいと言うなら自分で人事に行かせ、人事が送ってくれるのを待たず通勤バスを途中下車せよ。ローテーションが嫌なら自分で他人と交渉して代わってもらうようにせよとか。

余計な仕事はどんどん増えるが、これを問題にしたり仕事にしてしまうと切りがない。もともとキャパシティが無いのにどうでも良い事ばかりが仕事になってしまうので警戒しないといけない。本業だけが銭の素なのだ。


にも関わらず、今夜も難しいと泣き言を言ってくる。

回答はいつも同じような事。シンプルに考えなさい。ただ作業員の作業をちゃんと見ていつも同じかどうかを気にする事。もし作業員がいつも通りやっていたとと確認できて、さらに問題があるならマシンがおかしいだけ。後はメンテ要員を電話に出るまでしつこくかけ続けるのだ。

と、それへの返信は、なるほど、気が楽になった!、だと。


真面目な人は全部抱え込もうとして悩む。悩みをこちらに言ってくるからそれとわかる。真面目っぽく振る舞っていても言って来ないでどうにかやっているように見える人は実は真面目どころか大切で面倒臭い仕事を他の用事があるからと放っておいてつまらない仕事ばかりをルーチンにあうるサボり屋なのだ。

まあ、とりあえず、仕事を減らす努力から。

マハティールは電気自動車会社を作りたい..はず

2018-06-29 23:31:26 | マレーシアでニャー2018
5月に選挙で買ったマハティール首相、高速鉄道もKLのMRTもキャンセルさせた。何たってマレーシア政府、ナジブ政権で大盤振る舞いして負債を増やし過ぎてしまった。(日本のがもっとずっと多いらしいけど、海外にたくさんお金貸してたりするから許してもらってる。マレーシアだとそうは行かない。)

その負債を減らすためにいろいろ事業計画キャンセルかと思うと、逆に自動車会社もう1個作ろうと言い出す。あれ、負債のためのキャンセルじゃなかったの?、と言いたくもなるが、お金回収だけじゃやっぱり将来は無いよね、と言う事できっと自動車会社なんだろう。普通だよね。どっちの隣国も自動車では先行ってしまってこのままだと負ける。

が、今から自動車会社なんか作ってどうすんの? 今そう言う時代? と、普通に突っ込み入れたくなるのは人情。だけど、よく考えないと。普通の自動車会社だったら確かに意味はないけれど、東南アジア初のテスラだったらどうだ? これは有りかも知れない。

電気自動車の自動車会社。まだ東南アジアには少なくとも無い。または大きいのは無いはず。中国だってまだ始まったばかり。あとやりそうなのは欧米と日本か韓国、または台湾あたりだけれど、中国以外は人件費が高い国ばかり。なので今始めるしかない。上手く行けばゲームチェンジャーになれるかもしれない。

国内の事を考えると自動車会社は今でも裾野が広く就労人口を伸ばせる業種。鉄道じゃそうは行かない。裾野が広がるのは労働力ばかりじゃなくて、いろいろな技術もそう。たくさんの高度スキルを持った人も必要になる。

それを自前で、と言っても絵に描いた餅になるけれど、プロトンのように日本と組もうって事で何とかなる算段だろう。何しろ日本にはその要素技術は全部あるわけで、他と組むのは無しだろう。中国にもあるけれど、ブランド力で無理だろう。それにもしかしたらマレーシア国内の中華系偏重になってしまう可能性も無いでは無いではない。

となるとパートナーはやっぱり日本が妥当。

と言うわけで、早く話がまとまって立ち上がるのを見たいのです。

日本人的社会性で良いのは本人じゃなくて..

2018-06-28 22:41:29 | マレーシアでニャー2018
日本人はマレーシア人に比べるとはるかに社会性が身に付いているように見える。

社会性と言うのは他人と一緒にやって行く時に円滑にやる性質の事。つまり、並んで待てるとか大声で騒がないとか、そう言う事。それ以外にもちゃんと連絡できるとか、全体の目標を思って自分の行動を決められるとかも入るかと思う。

こう言うのは、すごく良い事だと思う。

でも、良いって言うのは皆さんがそうしてくれるのが自分にとって良いと言う意味。逆言えば、自分がそうした社会性を発揮すると良いのは他人て事になる。お互い様と言う言い方もできるけれど。日本人は他人にとって良い事が自分に良いと思っているフシがある。つまり、それが社会性。

でも、そらが本当に良いかと言うとどうだろう? あまりにも背景ばかり気にして中央に焦点を結ばないような感じもある。周囲との調和を大事にして自分の事が疎かになっていると言う事。

簡単に言うと、つまらない雑念ばかりでホントにすべき事に集中できない。

もっと自分本位でやるべきなんだろうな、と。でも頭の使い方は習慣になっていると抜けないから難しいかも知れない。えっ?、マレーシアなんかでのうのうとやってる自体がもう自分本位過ぎるって? いえいえ、そんな事ありませんよ。まだまだ修行が足りません。

月に三角の耳が生えてニャオと午前0時を知らせる

2018-06-27 23:49:39 | マレーシアでニャー2018
早くも今週も水曜日になっている。

キャサリンさんがいないので毎朝トーストをさっさと食べた後、夜中に出て行ったキナコを探しに行く。ご飯食べさせないと昼間何も食べられないから。猫ご飯を置いて出かけると野良猫たちに侵入されるので置かないようにしてるから。

そして猫たちのお茶碗を洗い、猫トイレのトレーも洗い、着替えて出かける。

夕方家に帰るとキナコは絶対いないくてツブアンだけだ。ツブアン、キャサリンさんがいなくて退屈しているようで妙に人懐こい。ご飯が欲しいでもないのに近くにいつもいる。こちらが動くとサッと反応して走ってご飯の茶碗の近くに行く。食べたいのじゃなくてそこでよくブラシをしているから、要はかまってほしいのだ。

キナコを探しに夜に外に出るとついてきて、帰ろうと向きを変えるとツブアンも変える。

この猫は1人では生きていけない猫になったらしい。生まれた時にはおばあちゃん、おばさんが一緒にいて、たまにいとこもいた大家族の一員だったからそうなのかも知れないが、わからない。


小学生の頃から家には猫がいて、猫が家にいるのは普通の事になっていた。インドネシアに住んでいたのはたった3年間だけれどそこにもいた。どれも皆思い出深いけれど、今のこのツブアンとキナコのようだったか?、と言うと何かちょっと違う気がする。

こんなに猫が家にいるって猫に気を使うものだったっけ?

そんな感じはしないんだよなあ... でも、今のこの現状、猫としては同じなのに、何でこんなに彼らに気を使って生活してるんだろ? 不思議だ。猫のために睡眠を中断して夜中、朝方の起きてるのはなぜなんだ? 前はどの猫たちの時もこんな事はしてなかったはずなのに。

もちろん散歩に一緒に行くなんて無かったはず。ブラシ?、猫は自分で舐めるのにブラシなんて! 毎月こんなにクリニックに行くとか、高級な猫ご飯を8kg袋で買ってオマケまでもらえるようになってるとか、何なんだろうか?

猫って放っとけば良いんじゃなかったの?

きっと何か世界は人間がわからないうちに変質してしまったんだろう。そのうち月に三角の耳が生えてきて、夜中にニャオと言って時刻を伝えるようになる。たぶん..

気が回る、回らないは教育から?

2018-06-26 13:50:25 | マレーシアでニャー2018
気が回る、回らないと言うのは果たして教育の成果なんだろうか? または生活習慣とかそう言うところから来るものだろうか? これは謎だ。

と言うのも、個々の仕事を単体でやるのは多くの場合誰にでもできる。知識や技能が必要なものは除いて。工場の仕事なんてそう高度なスキルを使うと成立はしないので細かく分けて、少しトレーニングすれば誰でもできるようになっている。なので、例えば1日同じ場所に立ってずっと同じ事を繰り返す仕事と言うのができる。

そう言う仕事は管理するのも割合簡単だ。ただ危険なのは品番切り替えがある時で、それさへ乗り切ればあまり苦労はない。が、逆にいろいろな事が同時進行で起きているところでやる仕事は大変だ。これも手順を作れば良いのだけれど、手順の途中で少しでも判断して何か調節するとか、仕事の切り替えをするとなると本当に大変。

こう言う仕事は全人的な能力のようなものを使う。

となると、ベースにあるその人の志向とか能力とか、そんなよくわからない部分に頼らなければならない事になる。ただ、これ、見極めるのは大変だ。もし、ずっと立ちっぱなしで繰り返し作業をするのが上手い人がいて、この人なら仕事ができるからと採り立ててその上のレベルのちょっと管理人にしたとする。

これで上手く行くかと思えばそうでもない。本人だってその仕事の事は良く知っていると思っているからできると錯覚するけれども、実際はそうでもない。

目に付くのは気が回らないと言う点。

どうも、気が回らない人は仕事全体の組み立てのようなのが出来ない。あれやって、次これ、そしてさらに次、と言う事が考えられない。もっともそう言う事が難なくできるのが要は気が回ると言う事なのだろうから当たり前なのかも知れないが。また並行して行われている事を統合して結果にするようなのもダメ。

まあ、世の中そんなものなんだろうけど。でも、こう言うのは教育なのか?それとも元々の能力?環境?何なんだろう?

Google Home mini、2個買えた

2018-06-24 23:49:34 | マレーシアでニャー2018
ところで、今日から家にキャサリンさんがいない。日本へ行った。すぐ帰るは帰るが、ツブアンはどうしているんだろう? ご飯は早朝に何回か食べたが、退屈はしているはず。

と言うわけで、今週は余程の事がない限り早く帰るつもりでいる。


ところで、6月20日の記事でGoogle Home miniを買おうかと書いていたのだけれど、結局買った。が、もちろんまだ日本にあって届いていない。けれど、上手いこと安く買えたと連絡あり。


2個、色違いで買った。1個で良いんじゃないかと思うかも知れないが、1個じゃつまらないだろう。情報によればブロードキャスト機能が付いたと言うし。


何と1個分以下の値段で2個買えた。最初に調べた時、元々3000円なのかと思っていたらセール中だったそうな。それも半額とか。よーく読んでみると6月21日までと。あれ?もう過ぎていると思ったのが22日。やっぱり元々3000円なのでは?とヨドバシとビックカメラなどの通販サイトを見るに、父の日セールは24日の日曜までと書いてある。

あれ、実はまだ続くかも知れないけれど、一応過ぎないようにとお取り置きで注文してみた。取りに行ってもらうの25日だけど。そして、今日、なぜかヨドバシから注目がキャンセルされたとメールが来る。おー!受け取りが1日後だから?それとも何か注文に問題が? それとも実は在庫切れか?

ではなかった。キャサリンさんが取りに行った時、非居住者向けの無税レジでなかったので、一度キャンセルして無税レジで支払ったためだった。それで、無税もあるけれど、セット割引があったとかで今日の1個分の半額以下で2個買えてしまった。

もちろん、この値段、マレーシアで買う場合の半額なのだ。(ACアダプタだけ用意しないといけないけれど、それは安いので。Mr. DIYあたりで買おう。)

ヨドバシカメラさん、ありがとう。


と、待ってる間に何しているかと言うと、IFTTTの使い方を調べている。

なぜなら、実はGoogle Home miniだけでは、現状あまり大した事が出来ないから。天気予報とか音楽かけるとか調べものとか、別にGoogle Home経由で無くてもできるわけだし。毎日iPadとPCとスマホで仕事してるからそこからGoogle Home用の事だけ取り出しても意味が無いのだ。

なので、もうちょっと特別な事をやらせないと。それにわざわざ最初から2個だし。

婚活アドバスとマウンティングでドヨドヨ

2018-06-23 19:26:40 | マレーシアでニャー2018
昨日、TwitterであるTwitter界の有名人と言う人が婚活中の女性達にアドバイスと言う事である事を言っていた。

簡単に言うと結婚してから10年、20年経った時の仕事、不動産価値、引退の事などを考えていない男は選ばない方が良い。今良い人に見えてもその時に地獄に突き落としたくなるとか。

言ってる事、間違ってないと思う。うちの場合なんか自慢じゃないけどまさにそれだし。(悪い例として)


でも、こう言うアドバイスするってどうなのだろう?

何か利点があるんだろうか? 書いてるご本人がそれで苦労しているからそうなのかも知れないなあ。でも、いくつかの点において意味ない気がする。

1) このアドバスは20年後まで有効な普遍的なアドバイスなのか?

近年の世の中の変化は激しさを増していて誰も予想なんかできないところがある。10年後の不動産価値が今から予測できるのだったら世の中停滞したままって事になるかも知れない。仕事の内容だって5年もすれば変わらざるを得なくて、予測可能な事やってる人とパートナーでいない方が良いかとも思われる。伝統工芸の職人さんなら別だけれど。

2) 人の幸せってもっとバリエーションがあって良いのではないか?

定番的な苦労のあまり無い生き方と言うのはあるかも知れないけれど、同じ事やっていてもそれを幸せと感じる人とその逆の人がいる。また、明らかにダメと思われる事をやっていてもある人は成功する場合がある。酷く確率の低い事をわざわざやり続けて突然賞賛されるようになる人もいる。

例えば奥さんと小舟でクラゲ採っていてノーベル賞とか、子供の頃から野球だけやっていて億単位の年俸をもらうようになる人 、魚の事にやたら詳しいだけで引っ張りだこになった人。生きているうちに賞賛は全くされないけれど一生絵を描いて生きられた人もある意味成功と言えない事もない。

そう思うと、人生って人の一生をかけた壮大な実験みたいなものとも言える。たくさんの人がいて似たような事、全く似てない事、いろいろやって気づかなかった可能性を探し出しているようなもの。アドバスしてもされても同じには行かないからどうでも良いと言えば良いようなもの。



ところで、また別の方面から思う事もあり。

最近、マウンティングと言う言葉が流行っていて、snsなどで誰かが言った言葉に対して自分の方が上、のようにとれる言葉をかぶせると言う事らしい。snsでなくても昔からちょっと自慢げに言うとか、蔑む言葉を被せると言うのはあった。ちょっと悪質だ。

でも、最近言われるマウンティングと言うのは全部が全部そうでも無いように見える。

自分の意見に賛成しないような場合にみんなマウンティングと言っているようだ。違う見解を示すとか、議論のための提起であるとか、そうしたのも全部マウンティングで片付けている。要は自分に賛成してくれないと不快だからあの人がマウンティングしていると言うように言う。

もともと言葉を書き合うと言うのはいろいろな意見があるから書くわけなので、反対意見が出るのは普通だし、見ている方向が違うのも当たり前。が、日本人的には賛成しかダメなのだ。反対意見をありがたく頂戴すると言う事ができない。

これがまた、海外に住んでいて違いが当たり前だとわかっている人でもなぜかそうだったりする。


そしてそもそも、アドバイスすると言うのが、先行する言葉が省略された状態のマウンティングではないかな、とも思える。他人より自分が先行していて、つまり意見を言うには有利な立場なのだと思って言っている。

ここにマウンティングの真髄あり、と思えなくもない。言葉が議論を前提としておらず、それが正しいと言う前提のみで放たれ、賛成者ばかり集める。日本の政治の状況とよく似ている。


と、読んでいてちょっとドヨドヨ。

全ての仕事は無くすためにやる事

2018-06-21 13:36:10 | マレーシアでニャー2018
仕事と言うのは、例えば工場で手作業するようなものでなければ一度にいろいろやらないといけない。

一度にいろいろやると言うのは良く言われる事だけれども効率が悪い。1つの事に一定時間集中した方が良い。けれど、その一定時間と一定時間と一定時間を足すと時間が足りなくなる事もある。(慣れない仕事だと遅いと言う事もあるし。)

なので、それぞれの仕事の重みに差をつける。ある仕事はみっちり、またある仕事は軽く、そして別の仕事は完全に無視するか近い将来無くす方向で処理するなど。脳みそのキャパシティは限られている。自分のように凡人は特にそうなのであまり多くの事は最初からできないしもしかしたらやらない方が良いかも知れない。

と言う事で、できるだけ仕事が近い将来には無いように、同じ事を繰り返さないようにしたい。


が、人間は面白い生き物で、その繰り返しを好む。どちらかと言うと、同じ仕事を繰り返し繰り返しやっている人の方が多い気もする。

例えば品質管理の事務員。出荷確認書類に書き込むある数値を手で計算して手でエクセルに書き込んでいる。例えば生産計画の事務員、生産実績の紙からエクセルに手で入力している。何となくパソコンの前にいて仕事してます的な雰囲気を醸し出している。例えばメンテ作業員、毎日か数日置きにベアリングを交換している。ベアリング等交換するものでも無いが、懲りずにやっている。

現場作業をやっている者でなくてもこうした傾向がある。そして忙しいと言う事になる。別に彼らが特別ダメ人間じゃないと思う。単に人間はそうしたい生き物なのだと感じるのだ。多分相当高いレベルの仕事をしている人でもそうだと思われる。仕方ない。その方が楽なのだから。


でも、やはり全ての仕事は将来、または近い将来に無くすつもりでやらないといけないと思う。ホワイトカラーの仕事はAIやロボットに取られる前に無くして行くためにする事なのだ。

Google home mini買ってもらおうかな

2018-06-20 23:59:59 | マレーシアでニャー2018
キャサリンさん、来週日本へ行く。

今日ネットショッピングをスマホでしたら小さい画面で間違えてカード会社に登録してある住所を送り先にしてしまって訂正のお願いをしたそう。スマホ画面で小さい文字やら写真やらがゴチャゴチャ出てくるのがいけない! パソコン欲しいと言っている。Youtube見るのも狭苦しいしと。

それなら日本でパソコン安いから買えばいいのにと言ったら選べないとかで、この案は延期。どうしても必要ってわけじゃないし。それに何でも良くて英語キーボードで良ければマレーシアで買っても良いって事で。


と、思っていて、フッと気付く。マレーシアってまだスマートスピーカーはあまり入って来ていない。売ってるけどシンガポールとか外国から並行輸入してるせいかちょっと高い。先日初めてGoogle Home miniがお店に置いてあったけれど、RM300 (8300円) の値札が付いていた。ネット通販ではちょっと安くてRM26x (7300円)。

同じ物が日本では....

ヨドバシで3240円!、半額以下と安い。

買ってきてもらおうかなあ?
常時接続してる必要があるから家で使えないかなあ?仕事場の机の上に置いて使い道あるかなあ?スマートに使えなくても外付けスピーカーとして使うのもできるしなあ?と、いろいろ考えないではない。

ちょっと考える。

その理由は単に脳みそが省エネしたいから?

2018-06-18 23:39:32 | マレーシアでニャー2018
作業員にメッセンジャーで連絡させているのでいろいろ連絡が入る。

中でも多いのがトラブルの報告。当たり前と言えば当たり前。何も無ければ何も言ってこない者だって不都合があれば何か書く。書くべき事に制限を加えているわけではないのでおはようの挨拶もあるが、必要に迫られてと言うのがどうしても多くなる。

このトラブル報告には一定の傾向が見られる。それは、こんな問題が出たよ、で終わってしまうもの。

例えば、今日来た例では「ネットワークが不通」、「メールが受信できない」、「XXが動かない」、「ケーブルが行方不明」、「XXにキズがある」と言うような物理的不具合。そして「夜勤の作業員がXXXと言った」、「メンテの作業員がXXXと言っていた」と言うように他人の言葉を引用するもの。

一見、これらは事実を連絡して来ているかのように見えるが、「だからXXXができない」と言う意味が裏に隠れている。何となく仕方ないように感じさせるのだ。

さらにもう1つ、別の意味も含まれる。それは「自分のせいじゃないよ」と。だって自分はやろうとしてもあっちが、またはこれがXXXだからできないでしょ、と。

こうした連絡をするのは外国人作業員だけと言うわけではなくて、その上のマレーシア人管理人も同じ。さらにその上の中間管理職すら同じ。えっ!?と驚く人もいると思うが、実はTwitterなどで日本人だって無意識に似たような事をしている。

日本人の場合はもう少し凝っていて、「専門家はこう言っている」とか「多くの人はこう言う」「(日本以外の)世界ではこうだ」となっていてちょっとわかりにくい。


どうも人間と言うのはそうする性質があるらしい。「そうする..」とは、思考停止のポイントを探すと言う事。何となく納得できる理由が転がっているとそこで自分の脳みそを使うのを止めてしまう。止めても良さそうな、他人に納得してもらえそうなポイントを常に探している。

本人は自分で考えての結論と錯覚するかもしれないが、やっている事としては、他人が納得しそうな材料を探してそれを理由付けに使っているに過ぎない。人間の脳みそはエネルギーを多く使うとか。それが本当であれば、省エネルギーを脳自身は欲しているのかも知れない。

移住って何?

2018-06-17 23:12:40 | マレーシアでニャー2018
以前にも書いた気がするけれど、「移住」って何だろう?

自分はマレーシアに来て8年経った。その前は台湾で6〜7年ほど。インドネシアにもいた。リタイアメントビザの満期10年んは及ばないにしてもある程度長い。この程度ではまだ知らない事もたくさんあってこの国を語れると言うには程遠いけれど、ある程度の長さはあり、生活していると言う事は言える。

が、これが移住かと言われると、全くそうは思わない。

周囲を見渡すと、自分と同じようにマレーシアに来て仕事をして暮らす人も普通に移住と言う言葉を使っている。なぜなんだろう?

移住と言うと、昔むかーしのその昔になってしまうけれど、船で太平洋を渡ってブラジルに行った人たち、ハワイへ行った人たちの事を思ってしまう。日本で生活するより仕事がある外国へ渡ってやって行こうと言うような。それには重大な決断が必要なような。

やっている事は似ているけれど、それと同じかと言われると全然違う。ここから日本へ行くにはこのiPadで飛行機のチケット買って何時間か乗れば良い。実際この9月から10月頃には運転免許の更新と言うちょっとした事務処理だけのために行こうと思っているし。値段だったそんなに高くない。重大な決断には遠い。

実際、マレーシアに来て、仕事しながら生活始めたは良いけれど、色々な事情や単に合わないと言う事ですぐに日本へ帰ってしまう人だっている。それも1つの選択肢であるし、常にそれはそこにある。撤退するのは簡単なのだ。自分はそうして撤退して行く人たちと違うわけではない。ただ、未だその選択肢を使っていないだけの事。短いか少し長いかだけの差。


この21世紀、物も人もサービスも全て同じかほとんど違わないものが世界中のどこででも手に入るようになっている。この状態でなぜ人が生きる場所だけが移住と言うほど重大な言葉で言われるのだろう? ましてこのマレーシアなんて、ジャングルの中で穴掘って芋探して食べなきゃいけないようなところじゃないわけだし。

しかしながら、海外に出て仕事したり生活すると言うのは未だに多くの人にとって大なり小なり、ある種の障害なのだろと思われる。それが、割合グローバルに生きているネットの住人にとっても、と言うところがちょっと面白い。

猫ご飯の謎

2018-06-16 23:30:17 | マレーシアでニャー2018
最近、うちの猫ご飯、高いのに昇格している。


その説明の前に、「猫ご飯」とは何だと言われるので解説。
いわゆる、それはキャットフードと呼ばれる。カリカリなのだ。うちには猫が同居しているので時々彼らのために何か買わないといけない。そう言う時、普通にスーパーマーケットもあるけれど、そこに無いとペットショップに行かないといけない。

が、ここにまず、第1の違和感が発生。うちの猫達の事、ペットとは思ってない。あくまで同居者なのだ。なのでペットショップに買いに行かないといけないと言うのはちょっと屈辱的な思いがある。でも、世の中は家に猫と言うとペットと言う扱いになってしまうのでペットショップ以外選択肢が無い。誰か何か人間でない家族のためのショップを作ってくれないかと思う。

そして、キャットフードも同じ事。うちの猫たちはペットじゃないので食べるものはキャットフードじゃない。だから猫ご飯と言うわけ。


それで、話は元に戻る。

同居者なのに一応猫は猫なのでそれなりのものを用意して食べてもらわないといけない。うちは人間もそんなに良いもの食べているわけでもないので猫達もそれなりだ。でも、同じものを食べるわけにはいかない。昔みたいにご飯に味噌汁かけてとかやってると腎臓がパンクするらしいし。自分が親の家にいた時代には煮干だけ食べていたけれど、あれはたまたまそれで良かっただけかもしれない。それにマレーシアでは塩分が少ない煮干は売っていない。

と言うわけで、どうしてもカリカリに頼らざるを得ない。

以前は人間と同じで99ショップ (マレーシアのミニスーパー) で売っている安いのをずっと食べてもらっていて、彼らもそれが好きだったのだけれど、ツブアンにアレルギーが出てから医者に勧められたロイヤル何とかと言う高いのに替えている。おかげでもうほとんどアレルギーは治ってきている。薬もつけているのでそれが効いたのかどうかは、本当はわからないが。

で、、今の猫ご飯の値段。これがけっこう高い。医者には値引きしてもらっているけれど、スーパーで売っている1.5kg入りの袋詰めに換算すると700円程度。スーパーで売っている普通のだと同じ1.5kg袋が350円だから2倍弱って事になる。

はっきり言って、その価値があるのかどうか、良く分からない。世の中の多くの猫達はスーパーの猫ご飯で一生過ごすわけで、700円になると2倍長生きできるのか? うーん? 医者にかかる頻度が1/2になるのか? うーん? 確かに毛艶は良くなっている。手触りが食べるご飯によってけっこう変わる。でも、それが本当に健康に良いかまではわからない。


そこで猫ご飯について日頃から思っている疑問を3つ。

1) 猫ご飯の高い値段と原料に魚や肉をふんだんに使っているとか、オメガ何とかやDHAまで配合していると言うのは、実は食べている猫に効果がある事じゃ全く無くて、猫ご飯を買って食べさせる人間の罪の意識を軽減させるのに効果を発揮してるのではないだろうか?

そりゃ、肉とか魚とか買ってきて食べさせてあげたいよ。でも、経済事情考えるとどうしてもカリカリに頼らざるを得ないのだ。下手すりゃ一生、うちの猫達はこのカリカリだけ食べて生きるってわけじゃないか。人間と言えば、あまり豊かじゃないにしろ、魚も肉も選べるし、お菓子だって果物だって食べられる。猫とは大きく違う食生活。

と、人間としては罪の意識ってのが常にあるわけで、そう考えると、猫ご飯のいろいろな能書きと値段は実は人間のその部分を狙ったものなのかも知れない。


2) 猫ご飯のツナ、シーフード、チキンなどのフレーバー。あれは実際に猫達はツナならツナとちゃんと認識できるものになっているのだろうか? 袋を開けて匂いを嗅ぐ。どれも皆同じようなもので何がツナで何がチキンなんだか全然わからない。あれは本当にそのフレーバーと言うのがそれらしきように入っているのだろうか?

実は、付けている色がちょっと変えてあって、実態は皆同じだったりしないのだろうか?

もし、袋だけ違っていて中身が全く同じものだった場合、気付いてクレームを言える人は世の中にいるのだろうか? 居ないような気がする。だって、少なくとも人間にはあれのどこがツナだかチキンだか、全くわからないと思うから。(まさか業界あげて全員詐欺って事はないと思うけれど。)


3) なぜ猫ご飯の産地はどの会社の製品もタイなのか?
不思議だ.... ヨーロッパとかアメリカあたりの超高級猫ご飯以外、なぜか全てタイ製。実は作っている会社って1つか2つ位しか無いとか?

こんな地味な場所でこんなちゃんとした和食店を!

2018-06-14 23:33:25 | マレーシアでニャー2018
昨日から工場は夜勤が無いので呼ばれる事もなく、よく眠れるはずなのだけれど、そうも行かない。うちにはツブアンがいるのだ。キナコはだいたい朝5時頃まではよく寝てくれるのだけれど、ツブアンは夜中の2時頃元気になる。テメー!絞め殺したろか!とは可愛いのでとても言えない。

今日は自分は休みだけれどカレンダー上は平日と言う事になっているので、平日ランチのある店へ行ってみた。何と珍しく和食の店へ。



マレーシアにも今は和食の店は珍しくないのだけれど、今日行ったのはKLの方面のメジャーな店とはほど遠い、地味な地元の店。ちょっと怖い。こんな場所で値段がワンランク上の和食の店ってどう言う事?、と言うわけ。



この地味な場所で何で和食の店なんか成立するとオーナーさん、思ったんだろう? 自分にはその感覚が全然わからない。この場所、KLからだと混んでなければ車で30分。KLへの通勤圏だけれど、山超えないといけない郊外で華やかさはカケラもない。ま、工場無ければ日本人は選ばないだろうところ。工場に来てる人だって高速乗ってもっとマシなところから通っている。

何しろ地味なのだ。

それで思うのは、こう言う商売する人の感覚は自分のような工場などに引きこもって仕事してる人間とは違うのだろうと言う事。店はショップロットの2つ分を繋げたものでけっこう広い。でも、その建物がある場所は全く繁華街のようではなくて、単なる道路脇に気まぐれに建てられた商業ロット。実は同じ建物に中華食堂もママショップ(カレー屋) も入った事があるけれど、どっちも短期間でつぶれている。フォルクスワーゲンの販売店も潰れて、残っていたのは熱帯魚屋と布屋だけ。


そこにど言うわけか和食の店ができた。最初見た時は驚いた。あり得ないと。どうせ潰れるだろうなと思っていたが、そうでもなかった。あれからもう1年以上?

で、今日その店に初めて入ってまた驚いた。けっこうちゃんとしてる。回転寿司の設備があるし、メニューがかなり多い。座席がパーテションを兼ねたレザーシート。レジの機械もタッチパネル付きのちゃんとしたやつ。全面は大きなガラス、内部の柱までちゃんと内装している。

つまりはちゃんとビジネスしようと思ってちゃんとそれなりにやっているとわかる。出てくる料理だってお父さんの趣味じゃなく、普通の食堂かレストランレベル。

これを気まぐれとか行き当たりばったり、増して一か八かの賭けではできないだろう。やるべき事をちゃんとやっている。ただそれだけで凄い。はっきり言って、ちょっと羨ましい。こんな地味な場所でこれを始めようと思って、そして成立させてしまう感覚と実行力。素晴らしいとしか言えない。

そもそも人はどんな原理で動くんだろう?(改)

2018-06-12 22:13:08 | マレーシアでニャー2018
組織と言うのは常に最適じゃない人材を使って最適に近い結果を得ようとするものなのだ。

時分のところの作業員は全員外国。、ここに来るまでどの会社で働くか、何をするか、はたまたマレーシアのどの地域にそれがあるのかと言う最も基本的な情報すら知らないで連れて来られている。知っているのはマレーシアと言う事とだいたいどれだけ給料がもらえるか。が、住居費、光熱費、トランスポート、税金などでどれだけ差っ引かれるかすら知らない。(それで良く決断したものだ!)

それでも、実際の仕事に入って求められる事は以外に高度だったりする。

外国人作業員として働いてお給料だけもらってと言う安易な事は周りが許さない。本人たちは、例えばこの田んぼで稲刈り毎日できるだけずっとしてなさい、みたいなつもりで来るのだろうけれど。実際にはトレーニングを施され、書類に記入なんかも求められ、しまいには何かの判断までせよとなる。

実際に可能かどうかを考慮せずに。


そうなってしまう元はやはり雇う側にあるように思える。それは何かと言うと、思い込み、希望的観測、幻想のようなところから来ている。簡単に言うと、組織を構成したところで思考停止してしまうとか何かそんなような事かと思う。

つまりは、この組織のこの部署のこの人はこう動くのが理想と言うのが意識的にも無意識にも構成されてしまう。こうある「べき」が、実際にこう、本当はこうを押しつぶして見えないようにしてしまっているのに本人が気付けなくなるのだ。

組織の管理者を自認している人はそう言う、言わば脳天気に陥りやすい。長くやっていればやっているほどそうかもしれない。「べき」と言うのには全く根拠なんて無いと言うのに、なぜか人の頭の中では大きな位置を占める。


実際に、人はどう動いているかと言うと、観察するに、どうもすぐ周囲にいる他人との関係で動いているように感じられる。それは、関係を良くしようとか、自分の方がちょっとあの人より上だとか、立場の強い人には迎合して平穏に過ごそう、又はそれらの複合的な感情だろう。

上司から命令されて動くと言うのもあるが、それで動くのは限られた場合のみになる。上司が命令すればするほどその時だけの機関限定で動くけれども、これは全く長続きしない。長続きさせるためには毎分のように、機関銃のごとく命令し続けてている必要がある。もちろん、そんな暇があるなら自分でやれば良いわけで、このやり方には意味が無い。

命令が無くなるとまた人は元のバランスに戻り、周囲の人との関係を作るか維持するように戻る。これは組織図よりも上司よりも時に強力だ。そしてその部分を動機とした行動は強い命令よりも長続きする。

この事は、組織にとって良い方向に働くかそうでないかとは無関係だ。組織はその組織を維持するのを目的として動くようになると言うが、まさにその通り。組織の目的とは関係ない人間関係の維持が目的になるのだから。

よくある例は、あるグループは他のグループのサービス部門と言う位置付けであるのにその機能を果たせない、果たさない場合。よく見てみると彼らは自分のグループの内部関係を崩さないために動いている。グループのリーダー的存在の面目を保つために失敗しない事しかやれないとか、ある構成員が言った事が決定事項のように理解されそれを誰も崩せないような事。


そう思えば、組織図を描いてこうあるべき、に終始してしまうのは本当に全く意味が無いと言える。人の動きを左右するものは組織図のような目に見える簡単なもんではなくて非常につまらない空気のように目に見えない何かなのだ。組織図なんかを描いて満足しているのはマネジメントでも何でもないと言うべきだろう。

手が2本しかないんだ! どうしよう?

2018-06-11 13:56:29 | マレーシアでニャー2018
今週は後半公休なので3日間しかない。が、荷に間に合わせるために作業員は日曜も休まず働いている。(給料は法律で決められた2倍額なのだけど。) だから今週は3日じゃなくて先週からの続きで長い。だけれど、もう少しの辛抱。

とまあ、こんな月曜の朝に人事から連絡が入る。イミグレから呼ばれて2人ほど朝から連れて行くとか。それは良いが、そのメッセージに変な文が添えてある。“昨日の夕刻にイミグレから連絡があった”、と。

おぉーーい! 行政機関であるイミグレの事務員が日曜出勤するのか? ま、イミグレには飛行機乗って出て行ってり帰ったりする人がいるから日曜出勤、無いとは言えないかもしれない。が、が、あんた、それ、どこでメール受信してんの? パソコンはラップトップじゃなくてデスクの上にモニターあるあれでしょ。

スマホ設定して家で受けてるの?.... ゼーンゼン考えられないなあ〜おじさん。
絶対金曜日前まであたりに連絡受けてて忘れて担だよねぇ〜。


ま、だいたいそんなものだと思う。


そして、実は知ってるけどまだ来てない連絡は1つある。14日が休みになった事。選挙の後の2日間が突然休み宣言されてたけど、これは企業で勝手に変更可能な休みなので先週末に14日となったとか。その連絡、まだ来てない。何やってんだろね? 飯でも食いながらWhatsAppでもちょっと書けば良いのにそれもできないのかなぁ?


マレーシア人のよく言う言い訳に「自分には手が2本しかない」と言うのがある。

言い訳できない時、やってる時間がないと言う意味でよく言う。でも、こう言うのは慣用句的なものなのでまともに聞く必要は全くない。仕方ないでしょ、的な事なので。そう言う言い訳をさせる事自体、意味がないので注意して質問しないといけない。

そして、それ言ったとしても無視しておく事。意味ないから。話を次へどんどん進めないと気持ちがその変な言い訳のところで固まってしまうから。


(追加)
これ書いてから20分後に人事からWhatsAppにメッセージが入った。14日の件じゃなくて、今日の夕刻に断食明け(前)記念夕食会の場所を示す地図が。そう言うのだけはよくやるよなあ...