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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

書店ゼロの街

2012-08-13 13:23:00 | いろいろ雑記帖
増える 書店ゼロの街 -東京新聞(←クリック)

こう言う記事が出ていた。ここにあるマップを見ると我が故郷の街の名が...。

残念か?、と問われればたしかにそう。ただ、関東地区の郊外の街とは言え、書店のみならず今では他の商店もほとんどがシャッターを下ろした。昔あった映画館も無い、パチンコ屋も無い、電器屋も、多分靴屋も、思い出せないがもっとずっといろいろあった店が本当に何も無い。けれど今一番多くなったのは飲み屋かもしれないが、所謂シャッターストリートになっているので、さもありなむ、である。

中学校の頃は小さな町でも書店は2軒あった。本を読むのは好きだったので立ち読みも含めてよく通ったものだ。

それがいつの頃からか町の外にできた郊外型の大型書店がいくつもできてしまったので自然と在庫の多い、そして立ち読みしていても迷惑にならなそうな、そして夜10時まで開いているそちらに行くようになった。そこには徒歩では行けず、スクーターや車を使う。


そう言えば、記事のマップには書かれていないが小さな古書店も1軒あったはず。そちらは今どうなっているのだろう。

年賀状の写真に一般的傾向らしきものが

2012-02-26 08:40:18 | いろいろ雑記帖
前に書いたように1年半分の郵便物をまとめて受け取ると年賀状は2年分まとめて受け取ることになります。

2年分見ると女性からの年賀状写真には共通する傾向があるのに気付きました。


(1)結婚前
動物の写真が大きくプリントされています。
犬が多いようです。けれど、なぜか本人の写真が無い場合が多いです。

(2)結婚の年
結婚式でのウェディングドレス写真。
気持ちはわかります。

(3)子供が生まれたばかり
だんなさんとともに子供を抱いた写真。
これも気持ちは理解できます。

(4)子供が成長
家族写真。
幸せそうです。

(5)さらに子供成長
本人が消え、子供の写真がたくさん。
集合写真でなくなるのは、子供に一緒に写真を撮ってもらえなくなるから? このあたりからどうも親の思いが一方通行だったとわかる? いえいえ、それは子供がちゃんと成長している証拠であります。健全健全。ただ問題は、写真だけ見て誰から来た年賀状かが全くわからなくなる事です。

(6)さらに年月が過ぎて
干支のイラストに手書きの短いメッセージ。

(7)もっと過ぎて
たまにそう言う葉書もありますが...



みなさん年賀状ありがとうございます。ほとぼりが冷めてしまいましたが、そろそろ返信させていただきます。2年分まとめて。

直った EeePC

2012-02-21 06:44:16 | いろいろ雑記帖
横長画面なのに4:3比率の画面解像度しか選べなかったEeePC。

タスクバーやスタートボタンが見えない位置になってしまうのでそれを画面の上部に移動してみた。なぜなら直す方法が無いから。

そうしているうちにまた自動でWindowsのアップデートが行われ、再起動すると"ようこそ"画面が横長になった。そして画面の解像度設定を開くと、何と、直っている。1024x600が選べるようになっていた。マイクロソフトが不具合があったのをわかって直したのでしょうか?


これでキャサリンさんブログ更新できます。ファンをがっかりさせないで済みます。最近人気が出てきているようなので。

Windowsアップデートでトラブル

2012-02-20 22:07:25 | いろいろ雑記帖
キャサリンさんのパソコンがおかしい。

Windowsのアップデートが自動で行われた後に画面の解像度の選択肢が800x600と1024x768しか無くなってしまった。ほしいのは1024x600なのに。インテルからグラフィックドライバの最新版をインストールしてもダメでシステムの復元を試しているが、なぜかWindowsのアップデートがまた始まった。

それが終了してもまだダメ。

どうしようもないので今日は終わり。

違うように作ること

2012-02-14 22:23:03 | いろいろ雑記帖
工業製品と言うのは、通常の場合いくつもいくつも全く同じ物をたくさん作れるのが良いこととされています。

ネジのような誰でもがいろいろな事に使う汎用的な製品では実にそうでなくてはなりません。体重計などは形ばかりでなく同じ体重の人は同じように計られるようになっているべきです。自動車だってどこかをぶつけて壊してしまっても同じ部品が交換できる程度に同じでなくては成立しません。

なのに、このTwisterは、絶対に工場で作られている物であるにも関わらず、こんなに形も大きさも違う粒が1つの袋にたくさん入っています。いったいこの会社はこのスナック菓子をどのように作っているのでしょうか? 難しい問題ではありませんか!

作り方
練った粉がある小さな穴から押し出されて油の中に出て来るとした場合、(本当にそうかどうか知りませんが) これだけサイズが違うと言うことはどれだけたくさんの種類の穴がノズルに開いているのでしょうか? しかも長さも違うのでどこかで切るのですが、どうやって切っているのでしょう? モーターが普通に同じ回転数で刃を回して切っているとしたら変です。かなりテキトーに回るモーターがあるのでしょうか?

管理の問題
大きいものと、小さいもの。もしものすごく長いものが出来てしまったらどうなるのでしょう? 袋に入れる時に折れれば良いです。

では、もしものすごく小さいものが出来てしまったらどうでしょう? どの大きさからOKにして、どの小ささからNGにして廃棄するのでしょう? これは悩みます。生産している人、出荷前に検査している人がこの小ささまでならOK、としなくてはなりません。これはけっこう難題ではないでしょうか?



同じ物を全く同じに作るのも難しいと思っていましたが、こうしてTwisterを見ていると全く同じに作らないのもかなり難しいのだろうなと思いました。

朝から地震のニュースを読みます

2012-01-29 08:20:58 | いろいろ雑記帖
最近日本では地震のニュースがとても多いです。

昨日も山梨で震度5があったと書かれています。ちょっと前は震度5だとかなりの大地震に思えましたが、今はニュースの扱いも(少なくとも記事を読んでいる限りにおいて)それほどでもありません。実際にそこに住まれている方にとってはそうでないはずであるにも関わらず。



311大震災の後、今までは黙っていた研究者さんたちが躊躇無く「またあるぞ」と警告を発してくれるようになりました。

総合してみますと、これから10年以内にこれまで以上の大震災が2つほどは起こる可能性があるようです。もしかすると5年以内かもしれませんし、スマトラの例と比較してみれば3年以内と言うことも十分にあり得ます。


今は東北の震災一過ではなくて単なる始まりなわけです。

そう考えると、もう今まで通りは通用しないし、生きていくための前提条件として設定していたもの、たとえば土地、家、仕事、会社、持っている物、お金、これから入るはずの収入などもゼロベースで考え直しておかなければならないのかな、と感じます。

それらがまるでゲームでサイコロを振って悪い目が出てしまったように突然全て取り上げられてしまう事が実際にあるのです。(あったのです。)


だから時間を費やすべき事、お金を費やすべき物事、守るべきもの、そう言ったいろいろが変わってきてしまったかもしれません。また、変わらなければならないのかもしれません。いろいろな物事が仮に無くなってしまっても、それでもなお、まだ笑顔でそこから始まる時間を生きていけるようにしなければならないのではないでしょうか。

何かがあって、上手くいって、両手で掴んで逃げられるものはたった2つです。命を守ろうとすればそれだけで、掴んで逃げることができる確率はかなり低いでしょう。



地震があって何も持てなくなっても生きてさへいれば"幸せにも"人生は続けることができます。そこで何かこれまでと違った自分のストーリーをゼロから始めなくてはならないのではないかと思います。それがどう言うものかはわかりませんが、考えておくべきなのかなと感じています。


我が両親は危ない断層上に住んでいますが、何か起こったらその時はその時などと言います。友人知人も多くが関東地区ですから、悪い想像をすれば、何人かは知らないうちに亡くなっていたなどと言うことにもなるでしょう。彼らは皆、現在は普通に暮らしています。幸運を祈るしかありません。



最後に、
今からゴミ収集の回数も少なくしても多少道路に穴が開いても放置するなど、公共サービスの止めても我慢できることは我慢することにして大地震が起きても誰も死なない街に改造するなんてできないものでしょうか?

脱獄によせて

2012-01-18 23:53:42 | いろいろ雑記帖
刑務所によって(犯罪を犯した)人の自由を奪うと言うのは、逆を言えば自由と言うものが大事だとみんなが知っているからだと思うのです。

でも、面白いことに自由になってもその場所(檻とか)をなかなか離れない動物がいるものです。人間もけっこう何かに縛られていた方が快適だったりしますよね。昔は会社員は会社に飼われている社畜と言われたものですが、今は正社員になるのが勝ちみたいなところがあって、何だかおかしいです。

そう思うと刑務所って実は人間にとって良いところ?

金正日とは、人の人生とは

2011-12-21 23:02:56 | いろいろ雑記帖
金正日が亡くなりました。

ニュースでは北朝鮮はこれからどうなるのだろう、北朝鮮と周辺国の関係は?、と言う話題で持ちきりです。彼の周辺部やら自分の国との関係に焦点が当てられているようです。


ところで、金正日本人とはいったいどんな人間なのでしょう?

これだけ世界中で有名な人物であるにも関わらず彼がどんな人間であったかを知る人はたぶん誰もいません。News weekには「金正日、7つの爆笑エピソード」などと言う面白い記事が出ています。これには初めてのゴルフで11回もホールインワンを出した、誕生前に空に二重の虹がかかり光り輝く新星が現れたとか、ウンチをしないとなっています。

もちろんこれは実態であるはずがないですが、そうした事を本当の事だと一つの国家が真面目に信じ込ませようと宣伝しているわけですから、実際の人間としての金正日に関する事は知られるはずがありません。


多くの人間は「自分のことを誰かにわかって欲しい」と感じているものだと思います。

ある事で注目された人は周囲からそう言う目で見られます。いつしかそう言う目でしか見られなくなり、それに反する行為をする事が「その人らしくない」となります。アイドル・タレントさんが作られたイメージの中に自分を押し込めて生きなければならないのを後に苦しかったと告白するのもそれだと思います。

それはきっと本当の自分、たとえばだらしないところ、たとえば子供っぽい趣味を持っていることなどをそのまま認めてもらいたいと言う事だったのではないでしょうか。それでも愛される、いつでもキチンとしていなくてもいつでもカッコ良いイメージ通りでなくても誰も周りから居なくなったりしないのが心地良いのです。


金正日に関しては自らの実態を明かす事は不可能だったでしょう。彼は生まれた時点からずっとそれをする事を制限されてきました。それすらも本人の意思で始まったわけではありません。物心ついた時にはもう流れは決まっていていくら彼が自分で何を決めても良い地位に着いたとしてもそれだけは変えられませんでした。

「バカらしい、こんなのもう止めようよ」と言えたかもしれませんが、それをした途端に彼の命は消えてなくなったとも考えられます。親愛なる指導者、偉大でわがままな独裁者にもその点についてだけは気まぐれは許されませんでした。


そんな人生、どうだったのでしょうか?

何でも思い通りにできた人間であっても自分の実態をさらけ出して、ボクこんなんだけど皆許してくれる?、とだけは言えなかった。その人生はどんなものだったのでしょうか? 世界の見えないところに彼のことを全て分かってあげられた人が一人でもいたのでしょうか?

夢にあって実際に無い歌

2011-12-19 06:45:17 | いろいろ雑記帖
今朝方見た夢の中で高橋真理子の歌が出てきたけれど、あの歌は実際には無い歌らしいと今調べてわかりました。

あまり良くない生活をしていた女がやっと(多分男と出会って?)憩いの街を見つけて静かに暮らし始めたと言うような内容の歌でした。その歌に行くまでに桂三枝の落語のビデをを見て解説者が語ると言うテレビ番組から入って、ビデオが切り替わり桂三枝が高橋真理子の歌を歌ってみせると言う場面が出てきてから実際の高橋真理子の歌のビデオに入ったのを見ていました。

自分は畳の上に横になって頭を左腕で支えながら見ています。近くにコタツの布団を取り除いがちゃぶ台がありその上には何かいろいろ乗っています。

歌を聴いていると胸にこみ上げてくるものがあって、本当に良い歌だなあと思いました。夢の中で勝手に他人の歌を作って思い出しているってことがあるのですねえ。

明日のためのその1 (オートバイに乗ろう)

2011-12-10 13:23:18 | いろいろ雑記帖
私はオートバイに乗るのがそれほど上手くはありませんが、長いこと乗っている事には間違いありません。

そこで、最近、キャサリンさんがオートバイに乗ることについて聞くので本当に基本的なことから少しづつシリーズで簡単に書いてみます。

乗り方と言いましても、いわゆる"ライディング・テクニック"ではありません。そして"スポーツ・ライディング"でもありません。大事なことは無事に生きて帰ってくる事だと思うのでそれについてだけ書きます。


その1:まっすぐ走るべし!

オートバイの醍醐味はカーブだと言う人が多いと思います。ですが、本当に一番大事なのは何があっても真っ直ぐに走ることです。


(1)道路に穴が開いている→真っ直ぐ走りなさい。
もし、穴を避けようとしたらオートバイに対して曲がる操作をしなくてはなりません。曲がる事におけるリスクはこのようなものがあります。
a.曲がろうとして近くを走っている車にぶつかる。
b.オートバイは真っ直ぐに走ろうとしていますのでバランスが悪くなります。
c.それを見ていた周りの車が慌てます。

オートバイの場合は真っ直ぐ走っていれば勝手にバランスを取ってくれる構造になっています。だからちょっとやそっとの障害物踏んだ程度ではバランスが崩れません。だから穴に入る方がマシなのです。

(2)道路に突起があります→真っ直ぐに走ってジャンプしなさい。
これは穴と同じです。ただ、突起の場合はお尻の位置を少し後ろにずらすだけで安全にジャンプできます。だから真っ直ぐに走ります。

(3)道路に泥や砂が落ちています→真っ直ぐに走りなさい。
これも(1)や(2)と同じです。ただ、ここではブレーキを使わないことを追加します。泥や砂の上では真っ直ぐに同じスピードで進むことがバランスを崩さない唯一の方法です。だから真っ直ぐに進みます。

(4)他の車やオートバイが右左からビュンビュン抜かして行きます→真っ直ぐ走りなさい。
こうした場合、自分が動くのはとても危険です。抜かされるに任せましょう。もし後ろが詰まってきてしまってもそんなのはかまいません。動く方が危ないので真っ直ぐ走ります。(心の中でごめんなさい、を忘れずに。)

(5)正面から車が突っ込んできた→真っ直ぐに走りなさい。
車とぶつかる場合、避けようとしてバランスが崩れると車の下に滑り込んでしまって死にます。ボンネットに転がる方が助かる可能性が高いです。だから真っ直ぐぶつかります。


とうとうニコンが.....

2011-12-04 10:24:28 | いろいろ雑記帖
とうとうニコンP50のUSB端子の接触が悪くなって画像転送ができなくなってしまった。

これでニコンは寿命にまた1歩近づいたらしい。ちょうど去年の今頃にレンズ位置のエラーが出ていたがその後は叩いたりすると復活できることがわかったし、電池残量が少なくなったときに起こることもわかったので使い続けることができていた。

そう言っていても仕方ないのでずっと前に買って使っていなかったSDカードリーダーを使うことにした。

いまさらブログって

2011-11-29 22:26:03 | いろいろ雑記帖
"「ブログくらい書けないと社会人としてヤバい」時代が訪れる(2011年11月29日(火)イケダ ハヤト)"と言う記事が現代ビジネスに出ていました。(←リンクして無いので検索の事。)

今時、ブログなんて誰でも書けてしかもほとんどの場合無料です。学生、主婦、そして子供だって書こうと思えばかけるのになぜに社会人が書けないと"ヤバい"になってしまうのでしょうか? 何か特別な書き方でもあると言うのでしょうか? もしそうなら是非教えていただきたいところではあります。


読んでみるとそれほどの事でもなかったのですが、(1)ブログが社会との接点となり(2)書くと書かないでは機会格差が大きいと書いてあります。

まあ、それは確かにそうかもしれません。キャサリンさんの例をとってみるとよくわかります。最近までキャサリンさんはパソコンは持っていても他人の情報を見ているだけで自分から発する事などは全くありませんでした。自分で検索はするもののチャンネル数の多いテレビのような使い方だけをしていただけです。

それが、ここ最近の約4ヶ月、ほとんど毎日のようにブログにいろいろ書いているのです。カメラで写真を撮ってきては書いてアップしています。それがなかなか面白く書けていてびっくりです。さすが小学校の時に作文をほめられた人だけの事はあるなあ、と感心します。

そして注目すべきはそのブログを通して今まで知らなかった人と交流が生まれている事です。確かに社会との接点になっているし、関連したいろいろな機会も増えているようです。それはブログだけが外界との接点になっているだけではありません。ブログを書くのが習慣になると今度は逆にブログのネタのために積極的にいろいろな所へ出かけていったり他人に話を聞いてみたりして、自らの機会を増やす方向に動いているのです。


そうして次第にアクセスカウントが上がっていくのが楽しみになる事も手伝って、ブログを中心とした循環行動システムが出来上がります。キャサリンさんはもともとそう言う人ではないらしいのでこれは明らかな変化です。さらに文章を書く事が見て来た物事と別の情報との関連付けに役立っているようです。

こうした実例を見ていますと確かにブログは良いものだと思うのです。



ただ、こうした事によって自分をどこか一箇所に強く固定してしまう可能性もあるかも知れません。

森進一が自分のモノマネを見て森進一らしさを増強させたのと同じことで、強く自分はこんな人間でそれ以外は自分ではないとか、自分のやり方ではないと決め付けてしまう事です。それは良い方向に行く場合と可能性を捨ててしまうだけになる場合の両方があると思います。

それはそれとして自分で認識していれば引き返すことも曲げることも可能かと思います。そう考えればブログを書くような事はなかなか良いことではないでしょうか? Facebookは確かにもっと簡単に書けるのですけれど、どうしても他人の反応が常について回るのでこちらの方が安心な気がします。誰が見ていようが見ていまいが勝手に書くこと自体が自分のためになると思えますので。

街おこしへの違和感

2011-11-26 23:34:47 | いろいろ雑記帖
Yahooニュースを見てみたら、何と自分の育った小さな街の話題が写真付きで紹介されていた。アートで周辺の町と市を含めて街おこしをすると書いてある。

こうしたニュースは時々聞くことがある。遠目に見ていれば、そうかそんな地域があってがんばっているのかと感じる。が、良く知っているあの街での事と思うとなぜか大きな違和感を感じざるを得ないのが本音だ。

"街おこし"をせねばならないほど寂れてしまっているのは知っていた。自分の仕事を持って以来あの街にいた期間は長くないが両親を訪れる度に街を歩く人は少なくなり、見知った風景は枯れていく。商店街はシャッターストリートになっていた。そうなれば"街おこし、確かにな"、と思わないでもないが、逆にそんな事をしたい人間があの街にまだ残っていたと思うと不思議でならないのだ。

残っていたのであればこの寂れようはもう20年前にわかっていたはず。我が同級生も多くは街を去ったと思う。ショッピングの中心は郊外の大型店舗に移り、狭い土地ながらも中心産業であった農業は廃れた。それにともなって農協は農業支援のために仕事をすることからアパート経営を後押しする金貸しになってしまった。街には下らない薄っぺらなアパートが乱立して街全体が石膏ボード色になった。

東京からほど近い場所とは言え、歴史の教科書に載るほどでも無いとは言え確かにそれなりの時間の積み重ねは存在していたはずの街だった。が、その事を街の誰もが大切には考えていなかったのは確かだ。だからこそああなってしまったのだと思う。もうきっとダメなんだろうな、と行く度に思った。東京へ通勤するためのベッドタウンの端っこである以外に何も無いのだろうと。


そこへ来て芸術?、アート?、街おこし? さて一体全体どこをどう振れば芸術やらアートやらが出てくるのだろうか。そんな思いが心の片隅にでもある人間が住んでいたとしたらあの石膏ボード色の白茶けた街並みは一体何なのだろう? あれらと芸術をどうやったら結び付けられるのだろうか?


さて、残念ながらそれを確かめるために自分であの街を訪れて見る機会は当分ありそうにない。もっともその気があれば機会を作れなくもないかも知れないが心の中ではそれを拒否する思いの方が今のところ強い。やりたきゃ勝手にやってくれ、と。芸術やらアートやらを特別視して持ち上げる前に自分の家のブロック塀やら壁やらをどうにかしろ、と。

海外派遣で人材は育つか

2011-11-20 11:17:02 | いろいろ雑記帖
若手社員を海外へ 国際競争で危機感持つ日本企業 グローバル人材急ぐ 産経新聞 11月19日(土)13時25分配信(←クリック)

若手の海外派遣「義務化」 伊藤忠など グローバル人材育成 フジサンケイ ビジネスアイ 11月18日(金)8時15分配信(←クリック)


上のようなニュースは日本ではどう捉えられるでしょう?

今の時代の流れからすればこうした動きは当然かなと思います。こうして国際派の人材を企業が育てて国際ビジネスを伸ばしていく方向へ行くのでしょう。多少会社員には厳しくなりますけれども仕方ない動きなのではないかと考えます。


ただ、2点ほど思うことがあります。
(1)経験主義
こうした動きを日本人が自然だと考えるのは仕事は経験主義の上にあると考えるからです。何も事前に知識がなくとも、多少時間がかかっても人をそこに放り込んで数年すれば経験を積むことができて一端の人材になるはず、と言う考え方です。習うより慣れろ。技術は学ぶより見て盗め。そんなやり方が日本人には文化として普通なのです。

それで済む事もありますが、果たしてそれだけで全て済むものでしょうか?

海外に放り込まれると言ってもそこにはきっと先輩がいます。日本企業の場合は特にあまり日本人が行きたがらない地域には主のようにずっといる先輩がいるでしょう。その人の経験はどう受け継がれるでしょうか? 経験上、そこで長くやっていけるからと言って、それが本社から評価されているからと言って本当にそれが最適なやり方なのかどうかは議論の余地が無いではありません。正直言って大丈夫かな、と思うこともあります。さらに、上手くやっていると言うのが、"日本人社会の中で"と言う注釈付きであればなおさらです。

経験に基づくものも必要でしょうけれども、きちんと体系的に学んだり研究すると言う視点が日本には欠けている可能性が高いと思うのです。「グローバル人材」の定義とはいったい何なのでしょうか。

(2)終身雇用と自前主義
日本の会社は"人材を育てる"事に積極的です。これは育てた人材がその後もずっとその会社にいる事が"今でも"前提になっていることを示します。こうして育った人材がずっとそこに居て将来の会社の戦力になってくれる事を期待してると言うことです。

逆に見れば、社員は従順で文句も言わず、会社の方針がこうだから仕方なしにでも海外で数年間は我慢しようと言う人が重宝されます。大学を出ても専門知識に秀でている自信家より従順なバカの方が良いわけです。

さらには、もし仮にそのグローバル人材に近い人間が既に社会にいて活躍できる状態であったとしても日本企業はその人を高いお金を払って採用するより素人の若手を自ら養成する方を選びます。どちらが良いかはもちろん企業と国の文化にもよりますが、こう考えて行くと目指す"グローバル"とこうした動きの相関関係はどうなるのだろうと感じます。

こうした自前主義がグローバル化をどう推し進められるのか、私にはわかりません。グローバル化がグローバルにお金を集めると言うだけならそれでも可でしょうが、もしそうでないならグローバル化するための方法論も先にグローバル化するべきではないでしょうか?

「高くても国産」89%...それは信じられません

2011-11-20 10:37:44 | いろいろ雑記帖
コメ「高くても国産」89%…読売新聞世論調査 読売新聞 11月19日(土)22時0分配信(←クリック)

このような調査結果を読売新聞が発表しています。

アンケート
「仮にコメの輸入が自由化された場合、価格が高くても国内産のコメを主に買いたい」
(1)はい (2)いいえ (3)わからない

あなたはどれを選びますか?

次の質問です。
「仮にコメの輸入が自由化された場合、国内産のコメ(10kgあたり4000円)、外国産(10kgあたり1500円)となりますが、国内産を主に買いたい」
(1)はい (2)いいえ (3)わからない

あなたはどれを選びますか?


10kgあたり1500円はマレーシアで手に入り、マレーシアで生活する日本人がこれでも良いと言って買っている韓国産のお米の値段です。はるばる日本にほど近い韓国から運ばれてくるのにこの値段で買えます。しかもマレーシアでは韓国、日本タイプのお米は主流ではないので流通量は多くは無いです。日本だと近いのでもう少し安く買えるかもしれません。


次の質問です。

「農家に補助金を直接支払う制度の拡充に関しては....」
(1)賛成 (2)反対

あなたはどれを選びますか?
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読売新聞がどう言うアンケートのやり方をしたのか、具体的にはわからないので何とも言えません。日本人は外国のお米の値段は報道では出てくるにしても具体的にどの程度かは知らないと思うのです。またそれが値段に対して相応の美味しさなのかそうでないのかも。ですから実際には外国のお米がスーパーマーケットに並ぶまでは本当のことはわかりません。

何度も出てくる話ですが、昔々、携帯電話が日本で使えるようになったときにほとんどの人が「日本人のメンタリティに合わない」と言って普及しないと予言しました。その予言は3年後までに覆されました。iPadも実際そんな雰囲気がありました。パソコンより性能も機能も低くてWindowsで使えるソフトが全然使えないのにいったい何に使うのかと。その意見も否定されています。外国製の携帯電話が入ってきてもiモードは使えないしお財布携帯でもないしどうするのかと。これもフタを開けてみたら違いました。


今自分が考えてこうだと思っている事など、実際はその時点になってどう変わるかわかりません。もし自分が日本に住んでいて読売新聞のアンケートに答えたら「高くても国産」を選んだ可能性が無いとは言えません。ですが、スーパーで外国産のお米を見たら違う反応を示すだろとは想像できます。