パソコンのモニターが届いた。楽天市場で中古を見つけて注文しておいた物だ。今回はちょっと大きめの24インチで1920x1200だ。机が無いのだけれども、それもどうにかして中断していた書き物を再開しようと考えている。
今日のところはこれで終わり
パソコンのモニターが届いた。楽天市場で中古を見つけて注文しておいた物だ。今回はちょっと大きめの24インチで1920x1200だ。机が無いのだけれども、それもどうにかして中断していた書き物を再開しようと考えている。
今日のところはこれで終わり
朝からマイナンバーカードの申請をしてきた。自分でもできるのだが、近くにある市役所で写真撮影と申請書の作成まで全部やってくれるというのでお願いした。簡単に終わった。
マイナンバーとマイナンバーカード、賛否両論あるがもう止める事ができないというのが実際のところだろう。止める事ができないというのは2つの意味でだ。1つ目は政府がこれを推進する事に関して方針を見直す事は無いだろうという意味。
もう1つは、どこかの誰かが必死になって名寄せしてお金儲けするだろうという事。役所でくれるマイナンバーカードのパンフレットには、マイナンバーは手続きをする行政職員だけが手続きに必要な情報に限ってアクセスできると書いてある。そこだけ読んでも既におかしいのは、民間の銀行だってナンバーの提出を求めているわけだから行政職員に限られてはいないのだ。
それに口座と番号を国の中央データベースに保存しないにしても、政府が口座情報を得ようとした時にナンバーを元に銀行に問い合わせするという事になるとすれば、銀行にはナンバーが保管されているわけだからどうにかしてそこをクラックしたり故意に情報を売買する可能性はゼロではないはず。
もしナンバーが流出した場合、一時停止できると書いてあるが、番号を変更せず一生使うのであれば一時停止後にもその情報は使えるわけだから、一時停止には何の意味も無い事になる。クレジットカードなら番号流出で停止して別の新しい番号にすぐに替わるがマイナンバーは変わらない。流出したクレジットカード番号を一時停止して再利用するなどあり得ないが、マイナンバーはそれをする。
もっと合法的に名寄せする方法としては、例えばGoogleが銀行業務や送金業務(決済銀行)を始めるとすると、マイナンバー情報を顧客に記入させればその情報に紐付けられる情報は相当な量になる。なぜならGoogleは1人のアカウントを一箇所で保管して全てのサービスに関連付けているので、マイナンバーと特定のサービスだけ別保管はあり得ない。サービス毎に会社が別れている楽天だって中身は同じようなものかもしれない。(自分は楽天モバイルと楽天カード、楽天銀行等のユーザー)
とは言え、自分はマイナンバーとマイナンバーカードを拒否する事は無い。なぜなら隠すべき事が何も無いから。以上
引越に伴って数多くしなければならない仕事といえば、「登録住所の変更」だ。銀行、クレジットカード、保険、その他いろいろ。
なので朝からその手の作業を半日がかりでやった。その後に警察署へ行って運転免許の住所変更もした。ただ、ネットで完結できないところもあって、後で郵便物が届くというのも出てきた。
そして1つ、くだらないのもあった。「昔と違って今はインターネットでできる」と聞いていたそれは、検索してそのサイトに行ってみると・・・・・・
「申請用紙をここからダウンロードして記入の上、こちらに郵送してください」だとっ!
そんなアホな!
家に全ての荷物を運び込んだ。と言っても軽自動車で2回に分けて自分で運べただけの量しかなかった。なぜならば、家には既にいろいろな物があったから。
前のオーナーにお願いして処分する物の多くを置いていってもらった。だから家具や家電、そして食器から調理器具、それに照明器具や掛け時計にカーテンまであった。買った物は冷蔵庫と洗濯機のみ。
そして、何気なくトイレに入るとそこにはトイレットペーパーがホルダーにセットされていたし、風呂に入ると新しいシャンプーのボトルが置かれてりた。ここはホテルか?って感じ。
ありがたい事だ。普通なら今日、明日などは家財道具を買いに走らなければならなかったはずだ。しかしそんな必要は無いから、久しぶりに豆を挽いてコーヒーを淹れて飲む事ができた。
家を買ったというよりも貸別荘に入ったような感じだ。
そうそう、楽天で買った冷蔵庫と洗濯機は今日到着した。全くスムーズな新生活の開始だ。
明日は前の自治体の保険証を郵送するのと警察署で免許の住所変更手続きをする予定。
今夜から新しい家で眠る。
暖かい! 先日まで住んでいたところと同じ県内なのに気温が5℃違う。さすが海の近くだ。何しろこの家は海からたった80mしか離れていない。つまりここから80m行った先に魚が泳いでいるのだ。カニやイソギンチャク、そしてウミウシなんかもいるかもしれない。そう想像すると不思議な気がする。それはそうと、この時間(夜10時半)に気温が17℃もある。予報ではこれから冷え込んでも14℃止まり。ありがたい、この冬に最中に。
つぶあん、長い時間箱の中に隠れていたが、さっきやっと出てきて階段で遊び始めた。きなこは早くから家中を歩き回っていたが、今ではダイニングの椅子で寝ている。慣れるのが早いようだ。
今日、代金と手数料を全額払ったので家(土地含)が自分の物になった。
昨日、仮住まいだった母の住む町の住民票は転出となり、今朝、家のある街の役所が開くと同時(8時30分)に転入した。新しい住民票を取って、9時になったところで銀行に電話をかけて振込限度額を広げてもらった。
それから待ち合わせ場所に指定されていたロイヤルホストへ行った。役所からは車を運転して30分だった。司法書士の方に説明を受けて登記の手続きをした。売主さんご夫婦も来て、銀行振込をこのiPadでやった。保険屋さんも来て火災保険にも入った。全ての手続きがスムーズに終わり、家の鍵を貰い受けた。
そこからは売主さんご夫妻と長い雑談をして別れ、家に向かった。車に満載していた荷物を下ろしたところで今日の予定は終了。
なぜ海と船の写真がここにあるかと言うと、家が海から近いから。眠いから寝る。明日は残りの荷物を積み込んで最終引越しをする。
ところで、家を買ったお金がどこから出てきたかと言うと、マレーシアで働いて貯めたお金だ。
ただ、マレーシアでの給料レベルは、ずっと前にも書いたけれど、日本で一所懸命アルバイトするのと変わらない。自分はエンジニアだったから、一応専門職ではあるが、そんなものだった。そして給与レベルはマレーシアにいた13年間ほとんど変わらなかった。賃上げはインフレ率に負けていた。
マレーシアに入って最初の何年かは手取り額の何割かが預金として貯まっていった。贅沢はしなかったし、住んだのは中位クラスのアパートだった。銀行に入れておいた預金は今なら少なくとも投資信託などで運用すれば良いのだが、銀行金利がまだ少し高かったのでしなかった。後半は金利は低くなってきたが複数銀行のキャンペーン金利を利用してお金を細かく移動させていた。その結果、最後の今年の円安も手伝って、13年間平均で見ると、給与所得全額を預金していたと同等の結果で終える事ができた。
というわけで、その半額がこの家に変わった。(半額=家の金額+手数料+諸費用+保険)
明後日でこの町を離れて買った家のある街に行くので2匹とも今日がこの動物病院での最終の受診となった。
つぶあんは塗り薬を使った結果がまずまずで、皮膚の赤いところが小さくなってきている。なのでこのまま同じ薬を塗り続ける事になった。(ビクタスS MTクリーム)
きなこは結石はもう問題なくなったが、口をモゴモゴやっているのが心配。軽い歯肉炎があるが軽度であるし、薬を使うこともできるが薬でも完全に治癒する事は困難なので悪化するようなら医者に診せてとの事だった。
2ヶ月の短い間だったけれど、この動物病院に感謝!
勤労感謝の日、今日は1日中雨だった。
いや、このままじゃなくて止んでくれた方が良いんだけど、雨。
追記
夜になって母が大声で呼んだ。はて、何かな?、と思い居間に行って聞いてみると、これまでどこに住んだか、いつ結婚したとか、つまり経歴を書けと言う。
はて、いきなりどうした事やら? これまでにそんな事に全く興味を示さず、きちんと聞かれた事は無かったのに。もちろんこちらも隠すつもりは無かったし、手紙の転送等で必要があれば居場所は教えてきた。結婚だって知らせておいた覚えはある。
ただ、母はこちらがしてきた事を快く思ってはいなかったのは知っている。何故なら、母の思う普通の人生の処し方ではなかったからだ。大学を出てからずっと一つの会社に勤めていたわけではないし、海外に出て仕事を探したり、途中で大学に入り直したり、他の人が普通に働いている平日に休んでいたりもした。母がそれを恥ずかしいと思っているのは知っていた。
それを、何を今更と思うのだ。
けれど、それはまあ、それでも良い。恥ずかしかろうが、知りたがろうが、好きにすれば良い。問題はそこじゃない。
その経歴を紙に書けと言う言い方が、どういうわけか怒り口調なのだ。最初に書けと言われた時に、自分でもあまりはっきり覚えていない事が多いし、面倒なので「後で」と言ってしまった。それで、少し経った時、怒った口調で何か叫んだ。続けてぶつぶつと何かを言った。
そこでふっと思い出した。自分がこの家を、この場所から離れていたいと思った理由を。
子供の頃の記憶。今は亡き父は、母によく怒鳴っていた。それは喧嘩なのか、それとも一方的な暴力なのか、そしてその両方なのかわからなかったが、この家の中ではいつでも何かのきっかけでそうした事が起こりえるのだった。学校から帰ると毎日のようにビクビクとして過ごしていた。
そんな状況をどうにかやり過ごして大学を卒業し、別の地方へ就職した。遠い場所に行きたかったからだった。そうだ、あの時と同じだ。ここから遠ざからなければいけないのだった。
いよいよ買った家の引き渡しが3日後、引越しが4日後に迫ったので役所へ転出の届を出してきた。そして郵便局へ行って郵便の転送依頼を出してきた。
それから午後、使い道の無いみずほ銀行の口座を閉じてきた。(以前は貯蓄口座が有ればインターナショナルキャッシュカードが持てたが、今は貯蓄口座にその機能が無い)
みずほ銀行に行ったところ、待ち席の並んでいる奥の方に通されて窓側の長机に案内された。そこに担当者がキーボード付きタブレット端末を持って来た。それも1台じゃない。普通預金、貯蓄預金、定期預金の3つを閉じる為にそれぞれ1台だった。タブレットと言ってもキーボード付きだから小さなノートPC程度の物で、複数台持って移動するのも大変なのに。
担当者は親切に画面に写っている一つ一つの工程について説明し、確認しながら進めてくれた。それぞれの画面はいつも簡単な帳票のようになっていてちょっと素っ気ない。それを確認しながら最下段のボタンを押して次の画面に移る。難しい事も無さそうだが、説明が書かれていないので人が説明するらしい。
全部終わるまでに1時間かかった。自分のこの作業を終えるのに1.5人がずっとついていてくれた。口座を閉じるという銀行にとって一文にもならない作業の為にだ。ちょっと申し訳ない感じがした。通帳もキャッシュカードも身分証明書も持って行ったのだからそれらを読み込んで数個のボタンの中から「現金を持って帰る」を押せば全部自動で済むようにプログラムを組めなかったのだろうか?
タブレットをあっちへ持って行き、コッチへ持ってきて、また窓口に持って行ってと、それは紙を移動するより重いしリスクが大きい作業になっているけれど、大丈夫なのだろうか? 無線でできる事ではないだろうか?
とりあえず、みずほ銀行の行員のみなさん、頑張ってください。
またまた母の事を呟くが、この86歳は、死んでも構わないような事を口走るが、本音では全くそう思っていない事がよくわかる。死んで構わないのならば食べずにいれば良いはずだが、食欲は旺盛だ。歳であまり食べられないとか、油っこいのはダメだとも言うが、それもイメージだけの事で実際にはバクバク食べる。
そして、本当に歳の事を考えているのであれば、他人に厳しく言うとか他人を批判する等はあり得ない。何故なら、残りの人生の時間がもったいないからだ。そう考えると母は自分のこの先の人生の時間がまだまだあると感じているか、そういう事をまるで考えられなくなっているかどちらかだろう。
自分だったら、余命があと10年だったとして、そんなくだらない事に時間を使いたいとは思わない。例え他人から何か言われたとしても、相手にしているだけ無駄なので極力反応しない方が良いと思っている。
またも母(86)の事になるが、考える範囲というか、考える時の視点のようなものが極度に限られているように感じられる。思考の視野狭窄と言って良いかも知れない。
これは単に老化というよりは積年の癖という要素が大きい気がする。母は記憶にある限り本を読まないし、仕事等で何かを客観視する訓練も無い。それ故、自分と離れた別のポイントから自分や自分の周辺を見てみるという事ができないのだと想像できる。
そうすると、思考の視点は常に自分にあって別の見方がある事自体を想像できないのではないだろうか? そうなれば視点は常に自分に固定されるし、自分の感情にのみ左右されるだろう。
こうした事は母に限らないと思われる。特に身体のどこかが痛いような状況ではそうなりがちなのかもしれない。痛みは常に自分の身体に貼り付けているのだから。
自分がこう思う、考える事を客観視して、それは何故かと問うたり、それ以外の答えを探してみたりというような事は自動的に思考してしまう人間には難しいだろう。
車の1ヶ月点検に行って来た。特に問題無し。
あったら困るが・・・
最近思うのだが、人間の半分以上は自分の感情に焦点を当てて物事を考えている。いや、感情に焦点が当たっている以上考えているという表現は当てはまらないだろう。考えてはいない。
母は時々、いやけっこう頻繁に気持ちが不安定になり怒ったり投げやりになったりしている。そういう時には何をどう言っても、説明してもダメ。昔からこんなだったかなあ?と思わないでもないが、とりあえず今はそう。これは性格に加えて高齢者の脳機能の衰えかもしれないし、身体が急速に動かなくなっている事から来る焦燥や諦念によるものかも知れない。
いずれにせよ、感情を全面に押し出している時はどうにもならない。だからこちらは適当にあしらうしかない。こちらの問題はそれで良いが、本人はその感情に自分自身が振り回されていて、そしてその感情のために多くの時間を費やす。普段ならできる事も正確性を欠き、判断力も鈍る。要は本来の力を発揮できないという事。
普通だよね。
仕方ないな。
今日は買った(まだ契約しただけでお金は払っていないので「買った」と言って良いかどうかはわからないが)家を見に行った。
敷地の測量が済んで隣地との境界線がはっきりし、隣地の持ち主からの了解も得られたそうだが、引き渡しまで家を全く見ていないというのもどうかと思うので見に行った。結果、無くなっていた境界線標識も取り付けられていたのが確認できた。その他は何も問題無いようだったし、売主さん家族も既に引越していた。
そして近くにある市役所で転入の申請用紙をもらい、ある程度説明を聞いた。警察署にも行き、免許証の住所変更の手続きのやり方も聞いておいた。大丈夫だろう。
そして、不動産屋さんから連絡が入り、家の引き渡し日が決まった。11月25日金曜日だ。いよいよだな、ウシシ。
明日、買った家を見に行ってみる事にした。未だ敷地境界線確定のための書類が揃わず引き渡しができていない。なので不動産屋さんにも売主にも言わずに現状がどうなっているかを見て来る。隣地の持ち主がドイツにいるとの事で書類だけの問題なのだが、一応、現状がどうなっているのかを確認したい。
この写真は8年前の11月16日に写したものだ。Facebookが思い出として出してきた。今時は思い出すという個人的なはずの作業も機械任せになっている。人間が特に思い出さなくても良いと感じているか忘れてしまった事を機械が勝手に判断して思い出させるとは面白い世の中になったものだ。それが良いか悪いかはわからないが。
それにしても、人が未来を予測して思い描く能力というのはかなり貧弱だ。というのも、この写真の時点で、自分が今こうしてここでこんな事をしているとは全く予想できていなかった。こうして日本にいて冬を迎え、そしてこの写真の猫のポコがこの次の年に子猫を産んでその2匹の子たちがここにいる。それどころか、写真を撮った次の年にはあの家を引き払って別の家に住んでいた。自分がこの一瞬先のことを何も思い描く事ができていなかったとわかる。(まあ、そんな能力があれば株でも買って今頃は大金持ちになっていたはずだが。)
だからこそ人はできるだけ確実で予想できる道を歩こうとするのだろう。一所懸命勉強すると成績が良くなるはずだし、成績が良ければランクの高い学校に行けるはずだし、ランクの高い学校へ行けば収入の多い仕事にありつけるはず。収入が多ければ大きな家が買える。そんな事は誰にでもわかる。
でも、それが楽しいかどうかはわからないし、人生という長いスパンで良い事かどうかは全くわからないにしても。