goo blog サービス終了のお知らせ 

もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

2024年最後に悪い出来事と良い出来事が同時に来た

2024-12-31 21:02:49 | 日本でニャー2024
2024年最後に悪い出来事と良い出来事が同時にあった。

ある近所の人、一人暮らしで買い物に行く時に家の前を通るのだが、毎日買い物に出る時もあれば数日出てこない時もある。そういえば、ここのところ何日も見ていなかったと思ってその家の玄関で呼んでみた。応えがない。2〜3日前に配った市の広報もそのままポストにある。気付けばエアコンのファンは回っている。電話番号を近所で聞いて電話しても出ない。

まいったなと思い、よし警察を呼ぶしかないなと警察の電話番号を検索してかけた。しばして警官が来て親戚関係に電話が行き、その後消防署と救急車が来て窓を壊して開けた。彼ら、慌てずに粛々と仕事をする。しばらくして玄関が開き何かに包まれた長いものが運び出される。ストレッチャーの高さが調整されて載せられる。キャスターの音がコロコロと鳴り通りに停めた救急車に運ばれて行った。


ここからは良い出来事。

手遅れじゃなかったのさ。呼んでも応えられなかったけど、どうやら間に合った。目覚めた時には2025年になっていて驚くだろう。



みなさん良いお年をお迎えください。


地球は太陽の周りを一周して去年あったところに戻る「らしい」としか自分には言えない

2024-12-30 19:42:26 | 日本でニャー2024
あと1日経つと地球は太陽の周りを1周して去年と同じあたりに戻ってきたことになる・・・らしい。

それはあくまで「らしい」だ。なぜなら自分で見て確かめられないから。明日31日の24時に夜空に描かれたゴールラインがスーッと通り過ぎるのが見える、わけがない。見えたら面白いのだけれど、絶対にそんなことはない。

それにしても昔の人は人工衛星もロケットも望遠鏡も無いのに1年がある一定の長さだとよく見抜いたものだ。そもそも1年という周期があるとカレンダーが作られていない時代にわかるものなのだろうか?今の自分は感じるより先に教えてもらっているからそんなものだと思っているが、誰も教えないということは誰かが発見しなければならないわけだし、今感じている冬という現象が前に感じた冬の再来で、その前に来た冬のさらに再来だと認識しておかなければそんな発見すら無いだろうに。周期があるとわかるには数えなければならず、記録もしなければならない。

すごいな、人類。

自分だったらぼーっと過ごしてしまって一生何も気付けないまま死んでいく・・・そっちの方の自信はある。みなさんはいかがだろう?


何はともかく、地球は今年が始まった場所へちゃんと戻る「らしい」。本当か嘘かは知らない。でも、まあ、なんとなく戻るところまで確認できそうではある。それはきっとめでたい事に違いない。なんとなくそう思う。

我ら日本人は儲かるかもという時恐れ、絶対損する時に金を払う

2024-12-29 20:39:19 | 日本でニャー2024
今日は本は来ないのわかっていたけれど、インクも来なかった。中継国から飛び立ったのは確認したがなぜか降り立ってない。月で中継か?明日は本来るだろうか?




日本人は失敗を恐れる国民だそうだ。グラフはOECD加盟国の15歳を対象に調査した結果だそうだ。大人への調査は別のところがやっていて、やはり日本人は恐れる傾向が高いと出ていた。(データ表割愛。自分で検索して)

それがどうしてかと理由を考えるのはここではしない。だって既にそんなのは多く言われているから。それが正しいかどうか自分で考えて欲しい。

今、ここで問題にしたいのは理由じゃなくてチグハグさ。

例えば最近流行りの新NISAだけれど、未だにそのリスクについて言っている人がけっこういる。わかったよ、わかったよ、そりゃ株やら債券やらそんなものは絶対儲かると保証は付いてないさ。放っておいてやれよ。誰でも知っているし。けどね、とりあえずやってみるっのは有りだろう。例えば1万円とか少額でね。それなら損しても1万円で済む。けど、リスクを大きく言う人は絶対やらない。(言っておくが、やるべきだなどと言ってはいない。ただの例としてあげただけ)

逆に、我々はけっこう高い物(もの)を平気で買う。100万円とかもっと高い何かを買う。しかし・・・それってさ、純損(純粋な損)になるものが多いよね。車とか、絶対価値が落ちるわけだし、家も行政が勝手に耐用年数決めているからちゃんとメンテしてても価値は下がる一方。(マレーシアの家なんか数年以内に床のタイルはバリバリ割れるし壁にヒビ入るしどこか沈むとかいろいろあるけど値段は上がっていく。日本ではそれは無い)つまりリスク100%なのだ。他にもいろいろあるけど、ともかく消費って範疇にある場合の行動ではリスクをリスクとも思わない。

何てチグハグな!損するとわかっているものには手を出すけれどもしかしたら儲かるってことではリスクを恐れる。

まあ、いいけど。

凡ゆるものは自分のものにしようと思っていないと得られない

2024-12-28 19:42:12 | 日本でニャー2024
今日も本とインクは来なかった。本はトラッキングできないから普通郵便だろう。土日は配達が無い。インクはなんと経由国から出たとなっていた。中国から直日本の空港じゃないとか、香港あたりか?すぐ隣の国なのに何の都合なのだろう?


粘土細工を時々しているが、焼くのはまだまだ先になりそうだ。早く焼いてみたい、と思うのは作った形が本当に焼ける形なのか知りたいというのと、釉薬じゃない方法で彩色したいというのがある。

いっそのこと、窯を買ってしまおうかと考えて検索すると安いので5万円、10万円とか最も高い中古でも20万円で買える。ただこれからずっと続けてやるかと考えるとどうだろう?と思う。5万円程度で手放すことができるのなら燃料費(電気代)だけで済むとは思うが・・・この件はひとまずこれで中断。





「バビロンの大富豪」の中で、主人公が言ったことの中にこういうのがある。

「自分にお金が貯まり始めたのはそれ(自分がもらえるべきお金)を自分のものにしようと考えた時からだ」(正確なセリフではないが、そんな意味の言葉)

あれはお金の話だったけれども、自分が得られるものは特にお金ばかりではないわけで、時間とかその他にもいろいろある。でも、得られる「べき」何かを自分のものにしようと真面目に考える人はけっこう少ないと感じる。通り過ぎるのを平気で見送ってしまう。いただけるものを拒否してしまう、というのが多い。

価値のあるものに価値を感じないとか、無尽蔵にあって当たり前のように思うとか、自分にはそれを受けるだけの価値がないとか、そんなことだと思う。それともっと感じるのはいつでも受け身だからじゃないだろうか?いつでも価値あるものは誰かが作るなりして与えてくれる。自分はそれを選びさえすれば良いという生き方が身についてしまっていて手を伸ばして取るのを知らない。自分が作るというのを考えないのだろう。

何か作り出す人はそれと反対だ。脳みそに細い毛が生えていてそれが何でもちょっとしたものにくるりと巻きついて取っていく。自分の今の状態とか仕事とかそんなものとはかけ離れていたとしても何かを常に得ようとしている。少なくともヒントを得ようとする。そこに良い、悪い、好き、嫌いの判断は要らない。どんな物事や人からでも何かしら得られる。そしてそれは時間を経てその人のアウトプットに変換されて出て来るはずだ。

好きとか嫌いとか正しいとか間違っているとか、そういうことに脳のエネルギーを使うのは愚者のすることに違いない。(自省)


でも、先日もこんなこと書いたが、人間て本当に空っぽだと思う。自分から出てくる何らかの意欲のようなものはとても少なくて、他人とか環境への不満とか単なる反応に能力や時間を注ぎ込んでしまう。そんなつまらないことをして自分は思考しているとか思うわけだし、正しいというようにも考える。まあ、アホに違いない。

頼んだ本は届かないしお金は無くすし、でもどうやら今年も平和、平和

2024-12-27 20:33:59 | 日本でニャー2024
 Amazonで買った本が未だ届かない。一昨日の水曜日に発送されているのは知っているが、やはり年末だからだろうか?

そして同じ日に中国の空港から飛び立ったプリンターのインクは日本の空港に着いたことになっていない。追跡できていないのか?

まあいいけど。



今日、キャサリンさんが朝から「あの○十万円どうしたっけ?」と言い始めた。とはいえ、無くしてしまうことなどあり得ないので最悪どこかを探せば出てくるだろうし、そこまでいかなくともきっとどこかで処理しているはずだと思った。スられたとか落としたというのはまず無いので。

結局、ある銀行口座に入れていたのを忘れていただけだった。そんなものさ。

そんなものとか言いながら、自分にとっては大金には違いない。だってここ2年間無収入だし・・・




タイのビザ、今は整備されて取りやすくなっているようだ。
もちろん今すぐにとは考えていないけれど、この要件ならちょっと惹かれる。まあ、10年後かな?

ところで、タイのきれいなビーチフロントで旅行じゃなくて住むのに良い場所ってあるのだろうか?誰か知っていたら教えてほしい。

人間は本当は空っぽなのにそれを隠そうと必死になって埋めようとする

2024-12-26 19:28:41 | 日本でニャー2024
人間というのは本当に空っぽだなぁと思う。

でも、空っぽでいるのが嫌だし、空っぽでいるのが悪いことのように教育されているから何かで必死に埋めようとする。勉強したりとか、仕事したりとか、そんなものがあれば一応空っぽを埋めていることになる。だからそういうのをやり続ける。

やることにどれだけ意味があるかより空っぽを埋めていることの方が重要なのだ。


自分とは何かを問う人が多いし、生きる意味を考える人も多い。でも、実際のところ空っぽだ。自分とか意味とか、もともとそんなものは何もなくて、そこに何かを埋めようとしてどんどん埋める。たいていは碌でも無いもので埋める。ロクでもない時間を使う。碌でも無い消費をして楽しんだフリをする。碌でも無いことをやりながらやらなければいけないと思い込む。

でも中には埋めたものを良いものにしてしまう人もいる。形にならない粘土をこねくり回して、こねくり回して、そして何か作り上げる。そうしたものだけがその人自身になるかもしれない。意味があったと言えるようになるかもしれない。

でも、それは結果の話。何にもならないかもしれない。そんなものかもしれない。

ともかく、結果はわからないが埋めてみることと時間は必要そうだ。まあ、最初にくだらないことは止めるべきだ。ちょっとのお金と引き換えに時間を無駄にするとか時間切れとともに完璧にさよならになってしまう仕事のようなものは。

すべてはそれからだ。

良い人とか親切とかおもてなしとか、そういうのは必要無くて、こうでありたいと思うようにすれば良いだけ

2024-12-25 18:57:34 | 日本でニャー2024
昨日、WFPに寄付したと書いたけど、こういう書込みすると絶対変に誤解されるよなあ〜と思うんだ。

そもそも我々日本人って寄付とかほとんどしないわけで、それだけでもある意味変なんだよね。そう思うでしょ?


まず考えるのは、寄付とかしてそれをしましたって公開すると、ある人は単に「優しい」とか言うだろう(そこで思考は止まる)し、ある人はそんなことわざわざ言うのは偽善だと言う。それとかお金あるからと変に勘繰る人もいないとは限らない。(うち、真面目にお金そんなにないよ。減らさないようにやってはいるにしても)

でもね、真相はそんなのとは全く違う。

これは単に生活のスタイルの問題。日本だと働いていて税金払ってさえいれば自分周辺の全ての環境整備って役所がやるみたいな考えになっている。でもそれだけじゃ世の中成立しないよな、と感じている。実際、この周りにはギリギリの人もけっこう多いし、自分も・・・少し先にはどうなるかわからない。


だから、優しさ、おもてなし、思いやり、やる気、なんて個人の気持ちにそういった行為が還元されて評価されるべきじゃないと考えている。優しくなくても親切でなくてもお金があるとか無いとかそんなのはどうでも良いのだ。

時々買い物ついでに他人を車で拾ったりしているけど、そんなこと誰にでもできる。歩道で高齢者や足が不自由な人が買い物帰りに疲れてしまっていたり、外国の人が道に迷っていたりしたとき、それを全て税金で動いている役所の人や警察官がどうにかしなければならないとしたらどうだろう?高齢者だけが住む家でゴミを回収する場所まで運べないというようなのは現実にあると思うが、それを解決するために役所が何かすべきだろうか?することも無いとは言えないが、完全に解決できる気もしない。

だから、誰かが何かできる範囲でするということが、そもそも必要なのじゃないかと思っているだけ。そういう社会の方が良いと思っているだけ。


重ねて言うけど、別に親切とか良い人とかそういうのじゃない。こうなったら良いなと思う状態に自分を当てはめているだけだ。

まあ、こう言っても多くの人は何も理解しないだろうけど。




カレーを食べられたし、きなこは健康だし、少し寄付してもバチは当たらない

2024-12-24 20:08:20 | 日本でニャー2024
昨日、「日本には正しさはあるが理想は無い」と書いたが、「正しさはあるが責任は無い」の方が良いのかもしれない。ちょっと考え直した。そう思わない?ま、考えてみていただきたい。






今日は昨日役所へ郵送した書類への補足資料としてメール添付で写真を送った。工事の写真と空き家バンク登録用の写真だ。

今時写真をメールで転送するのはちょっと面倒な気がする。何より添付すると送信容量が増えて途中のメールサーバーが対応していないとか役所は大容量ファイルを受けない設定になっている可能性も無いとは言えない。だからといってファイル共用サービスを使うとそれもブロックしている可能性もある。セキュリティのためとかサボり防止のためだろうが。最近はインターネットのスピードがかなりアップしたので画像縮小など考えもしないのだが、メールで送るとはそういうことなのだった。

アップロードのフォームでも役所のサイトに用意してあれば良いのに。でも仕方ないな。役所のホームページなんてお知らせ表示だけで他に何の機能が無いのだから。




さっきWFPに寄付した。
少額だが、仕方ない。


うちは今日カレーを食べられたし、


きなこは健康だし、ご近所さんからいろいろいただき物もある。少し位寄付してもバチは当たらないだろう。たぶんね。

日本には正しさはあるが理想はない。これからもそれで良いのか?

2024-12-23 22:36:11 | 日本でニャー2024
ラッキーバナナクラブの屋根と電気工事完成報告を役所に郵送した。
あとは、明日、工事の写真と支払い領収書の画像、空き家バンク登録用の画像をメールで送信する。

読書クラブに関してはまだ迷っている。将来的に100冊書店を開ければと思ってはいるのでそのベースとしては良いはずだ。ただ、いくつかハードルはありそうだ。この件はまたそのうちに。



先日、「君たちはどう生きるか」について書いた。

冒頭のところで主人公が自分がこの世の中の一つの細胞だと考えて、そして各細胞が網目のように繋がっていることも思いついた。このところ、大人が読むと当たり前だろうと流してしまうポイントじゃないだろうか?それは知識として知っているから。知識として知っているからそれで終わり、それ以上のことではないと考えてしまう。社会ってそんなものだよ、と。

それじゃ、そこで自分はどうしたら良いのか?まあ、これはこの本のテーマに繋がるわけだけど、実はほとんど考えはしないのじゃないだろうか?

ちょっと話変わるけれど、自分の家を建てる時に、その家が自分にとってどうなのかは誰でも考える。でも、その同じ家がその横を通る人たちにとってどうなのか、何かの役に立つとか、どんな印象を与えるか、街にとってどうかを考える人はほとんどいない。結果、日本の街並みは今のようになっている。つまらない場所、退屈な風景。ヨーロッパなど観光地に行って街並みの写真を撮ってくるが自分の住む場所は・・・

つまり、責任を何も感じない。

時々言うが、アメリカ映画。スパイダーマンなど子供向けヒーロー映画ではその責任が強調される。日本ではそんなもの全くない。日本のそれはあっても何が正しいかだけ。小学校の校舎の壁に昔貼ってあった「廊下を走るな」と同じ。それは規定やら道徳やら正しいことが書かれてはいるが見る者に何も考えさせはしない。

自分たちはどんな理想の世の中にしたいのか、だからどんな態度をとるのか、つまり責任を負うことを求めない。ただ正しさに追従することだけを求める。

正しさがあれば、それを知っていれば良いようになるかというとそんなことは全くない。なぜなら正しさはたくさんあるから。狭い場所に入れば狭い正しさがあり、西に行けば西の正しさがある。企業に所属すれば、そしてある部署に所属すればそこだけの正しさがある。それさえ守っていれば生きていかれる。特に理想も何も必要はない。その場の正しさに従えば世の中の正しさと矛盾しているのも構わない。

そういう生き方、どんなものだろう?

ラッキーバナナ読書クラブを作りたいが、無駄かな?

2024-12-22 16:22:55 | 日本でニャー2024


ラッキーバナナクラブの看板に「読書」を足してみたものだが、FBグループで地域の読書グループを作ったらどうかと思っている。

でもね、本を読んでそれに対してまともに感想なり短文なりを書く人ってほとんどいないんだよなあ。読む人でもほぼ読むだけ。最近は世界観とか便利な言葉があるからそれが良いとか好きとかで終わってしまってちゃんと言葉で表すのは稀。映画評でもそう。自分の言葉で言えないからすぐにネタバレになっちゃう。Youtube動画なんかも観て自分が何を得たとか考えたとかを言葉にせずに終えてしまうから丸呑みになって感情だけ揺さぶられるってことが起こる。

何にせよ一度は自分の言葉にしてみないと鑑賞したものの価値も批評も何もないわけで、こういうのはやっぱり多少の訓練というか、習慣なのだろう。テレビのCMとか番組の作りとか、全部がそれで次から次へとジャンジャン出してきて考えさせないのがミソなんだよな。

まあ、話逸れたけど、読書して多少なりともアウトプットする人がいれば、または増えれば成立すると思うのだが・・・
読書クラブ、無駄かな?

何か意見ある?

「君たちはどう生きるか」を周回遅れ、しかも漫画で読む

2024-12-21 20:24:48 | 日本でニャー2024
この本(漫画)、とても良い本だったよ。



まず言えるのは、ポジショニングが独特だということ。
教養系の本は知識側に偏った本とその解説本が多くて、応用はノウハウ本に譲る。知識系は読んでいてつまらなくなるのが多く、ノウハウ系は著者の意見に基づくのが多くていろいろアレ(略)だ。



この本は一般的な知識とか常識的なことをベースにした応用というか、アプリケーション本になっている。我々は学校で勉強して知っていることは多いがその使い方とか考え方とかはテストで出ないし勝手にしろで終わってしまう。この本はそれを補っている。(でも正解を提示いているのではない)



一例としてナポレオンの話が出てくる。ナポレオンが偉大な人だとは誰でも知っているが、どう偉大なのかは問われないし考えもしないし、ナポレオンから学ぶべきところもスキップして済ましてしまう。これはそれに関してちゃんと焦点を当てている。

また、悩みや苦しみに関しては「先生に相談しなさい」じゃなくて、それに対するある考え方が提示されていてその後に自分のとるべき行動は何?みたいに踏み込んでいる。子供向けの本だけれど大きくなり過ぎた子供も読むとよいと思う。


これに類する本は他にあまり無いのじゃないだろうか?ブックオフで220円で買えるし漫画だから1〜2時間で読み終えられるのでお勧め。来年になると思うが、ラッキーバナナクラブの本棚に置いておこう。


ところで、この原作から宮崎駿監督でアニメ映画が作られていたのは知っているが観ていない。そのうち機会があれば観てみようと思う。ずいぶん違うのだろうけど。

来年のことを言うと鬼が笑う前に失敗する

2024-12-20 19:47:24 | 日本でニャー2024
もう今年も終わり。この時期になると「来年のことを言うと鬼が笑う」という言葉を思い出す。昔はそんなことよく言ったものだった。けれど、なぜ鬼に笑われるのかまでは考えたことがなかった。



調べてみると単に「先のことなんて誰にもわからない」という理由らしい。なんだ、割と軽いじゃん。


でも、あれやってみよう、これやろうと先のこととして考えるとだいたい失敗・・・というか、やらないで終わる。どこかに書いてあったけれど、人間は3日間やらないでいると一生やらないという性質があるそうだ。自分について思い起こしてみても確かにそんな感じがする。


やらないで失敗というのはけっこうある。あの時始めていればというやつもあるし、今がとりあえず安定しているから別の何かを始めると厳しいと予想して、いてはいけないところに居続けるというのが多い。安定というのは毒薬で、仕事なんかでもあの人はよくやってくれるとか褒められるようになったりすると自分自身の仕事から回すだけのそれになっていて得られるものがないのに続ける状態になる。


まあ、そんなことはどうでも良いけど、あまり考えないでパッと始めたことの方が上手くいっていた気がする。そんなものかもしれないね?

無駄話でした。


資本主義を説明するイラストを少し実用的に補足してみた

2024-12-19 19:36:51 | 日本でニャー2024
昨日の補足。

昨日の1枚目の画像には実は省略されているところがある。なのでこれ。



昨日の1枚目の画像は実体経済の部分しか説明していなかったけれど、裏側にはその5倍を超えるお金が動いている。それに金とか、今では仮想通貨も入ってきていて複雑に渦を巻いている。

えっ、5倍?間違いじゃないの?
いや、本当。もしかすると今はもっと多くなったかもしれない。

つまり、我々が見ている働いてお金を得て、物やサービスを買って・・・というのは薄いプラスチックでできた下敷の上にある磁石のようなもの。下敷の下側ではその磁石目掛けてお金が吸い付いたり、別のもっと強力な磁石のところに移って行ったりしている。そういうお金の方が下敷の上で動いているお金よりずっと多いというわけ。

我々一般人は企業Aが良い製品を発売してヒットし大儲けしたからその会社が儲かった。従業員にはボーナスが多めに配られたと思う。でも、裏側から見ている人はその会社と全然関係ない人だけど株が上がるなと思って株を買って値上がりしたところで売る。だから実際に会社が儲かったとかより多くの他人があの会社に注目して株を買うだろうと思うだけ。

そして、あのアベノミクスというのはどうやらそっちに注目してやっていたものと思われる。我々は牛乳が高くなったり学費が高くなったりみたいなことに注目しているけど、彼等はそうじゃないところを見ている。

そりゃ、話が噛み合わないわけだよね、政治家とは。

そんなわけで、昨日のよりこっちの画像の方が皆にとって実用的じゃないかと思う。というのは、自分の立ち位置をどこに置くべきか考える参考になるから。


たまにはちょっと要求してみる。もし少しでも参考になったと思ったらこの下のところにある「いいね」か何かを押してみて。

資本主義を説明する大雑把すぎるイラスト

2024-12-18 21:00:48 | 日本でニャー2024
さっきあるYoutube動画を見ていたら資本主義の説明が入っていたけど、説明がイマイチだったのでこんなのを持ってきた。



資本主義を説明する時にその成立の歴史から入るのが多いけど、一般人が読むのは面倒で途中で飽きるから現状どうなっているかという説明。

一般に資本家の対義語は労働者だけど、消費者って立場の方がわかりやすいかと思う。政府はお金を刷っているように見えるが実際の役割としては額面は同じで価値を分割している。なぜそんなことをするかというと、欲しい人(シェアを重視する人)が増やし易いから。逆にいうと100円は100円と主張する人は欺かれていることになる。


2枚目は今起こっていること。


お金が多く見える方が景気が良いように見えるのでジャンジャン刷っている。でもやり過ぎると外からそっぽ向かれることになる。それが為替の作用。

この、「借りるよ」って軽く考えがちだけど実際は実貿易摩擦額の2倍かそれ以上あるからちゃんと見てないと危険なのだ。そんなわけで、「いくらでも刷れば」という意見は「そっぽ向かれない間はね」という条件付き。

日本の場合は割合そっぽ向かれ難いのではないかな?と想像する。(だからもっと刷れとは言わない) なぜなら、徹底的に円の価値が無くなっても日本の企業を買えるから。例えばEVへの移行期だとしてもトヨタが二足三文で買えるなら買ってみようかと思うから。ソニーとかパナソニックでも何でも良いけど、買って使い道のある現物資産は他国よりありそう。

トランプは表立ってお金の話をし、日本の政治家は裏でコソコソ

2024-12-17 19:23:11 | 日本でニャー2024
空き家バンク用にラッキーバナナクラブのだいたいの見取図を描いた。全部の窓が描かれていないが写真で確認してもらおう。





こんなニュース、前回のトランプ時代にもあって再度となるが、たぶん日本人のほとんどが胡散臭いと感じるだろう。

胡散臭い2人が胡散臭い話で盛り上がる。どう見ても胡散臭い以外の言葉は無いはず。でも、孫正義氏のポジショニングが実は最も正しいものじゃないだろうか?

というのは、今、日本政府と日銀には打つ手がほぼ無い。政府は財政バランスのためだけにどうやって税収を上げるかしか考えていない。つまり、税という名のピンハネで借金を返すしかないと考えている。日銀はもう通貨のばら撒き行為に限界が来ているが、ばら撒きをやめて金利を上げようとすれば破綻に限りなく近付く。どっちへ行っても地獄だ。

その日本に我々は日本円というお金を持って立っている。大丈夫なの?

まあ、孫正義氏は資本家だから攻めていけば良いけれど、そうでない我々は彼のそれよりずっとずっと小さなリスクを負って守りに入るってのが良いような気がする。もちろん自分は孫正義信者でも好きでもないが、どう考えてもそういうことじゃないかと思う。


それと、日本の政治家ってのはいつも裏でコソコソ話していて、面に出すのはぼんやりとした綺麗事ばかり。アメリカが羨ましいのは大統領自ら表でお金の話を正々堂々としていること。だから日本の政治も政治家もダメなのだろうな。