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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

ミステリー頭

2021-12-31 21:51:12 | マレーシアでニャー2021

SFの中にミステリーを入れた感じの小説を書いてみた。短いけど、自分で言うのも何だけど、けっこう凝ってるなあと思う。なぜこんなのが書けるのか、自分でもわからないな。不思議だな。

それで、ちょっと思ったのは、物語を構成するのに割と適した脳みそを持ってるのかも、自分。でも、逆に不得意な点もあるらしい。もう少し探究しないといけないな。まあいいか。

とりあえず、お話はもう少しちゃんと考えていろいろ書き直してからどこかで公開しよう。

 

今夜は雨だな。この降り方だときっと長雨になるだろう。またどこかで洪水被害が出るような事にならないと良いが。

 

 

Turning Page - Sleeping At Last (Cover)

Can we get this cover of 'Turning Page' to 100 likes? 🎵 LIKE, SHARE, ...

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KFCは食いたい時に買え

2021-12-30 22:07:33 | マレーシアでニャー2021

明日、休もうかと思ったけど出勤にしておく。今年はたくさん家にいる時間があったから。それに明日は人数少ないかもしれないし。

 

この間、gooブログが遅かったのはどうやら解消されたらしい。よかった。

 

うちはいつも年末年始って大した事しない事になっている。キャサリンさんは年越そばとか作ってくれるけどおせち料理とかはほとんど用意しない。以前はちょっとだけ用意してもらってた事があったけど今は無い。それは1つにはマレーシアだからと言うのもある。ここでは1月1日は単にカレンダー上の切り替え日であって、誰にとっても日本的な意味での正月じゃないから。彼らの正月は全然別のところにある。

そして2つ目の理由ってのは...そうはっきりした理由は無いけれど、自分自身とはあまり関係ないイベント事に踊らされるのが嫌になってきたと言うのは自分とキャサリンさんの共通した思いとしてある。例えばクリスマスとか、いわゆる旗日だから祝うと言うのは今は全くやらないし関心が無い。別に神様がどう言おうと自分には関係ないし、そんな時間があるなら自分自身の大切な事をやっているか、勝手にダラダラしている方がマシなのだ。

そもそもカレンダーを見て人生のどこかに区切りを付けて考えると言うのがつまらない事だし、面倒臭い。毎日普通のものを食べてそれが美味しいならそれでOK。区切りを付けるのは自分自身で考えて区切りを設定すべきだと思う。何でも良いけど可能な限り自分自身で決める癖を付けて生きていかないとクリスマスみたいなどうでも良い事(どうでもよくない人もいるのは認める)でフライドチキンを余計に買わされるのはアホ臭い。そんなのいつでも食いたい時に買えるものだ。


良くも悪くも「評価される」場所に置く事

2021-12-29 20:02:19 | マレーシアでニャー2021

最近あるサイトで短い小説をいくつか読ませてもらった。たぶん、いずれもプロじゃない人が書いたもので、どうもそこで行われているコンテストに出品しているものだそうだ。けっこう数が多かったけれど、短いのでけっこう読める。

それがね、よく書けてるんだよね。すごいよく書けている。でもね、個人的な嗜好からすると全然面白くない。好きな人にはきっとたまらないんだと思う。だって同じ感じのを出品している人がたくさんいたから。これは作品がダメって意味じゃなくて嗜好の問題だなと思った。

そりゃそうだよね、何十億円使って大作映画作っても嗜好に合わなきゃ全然面白くないのと同じ事。でも、そうやって好みってものも塊が作られるんだよね。その塊作る人って元はそんなに人数が多くないんじゃないかな?数人とか?なんかそんな感じがする。まあいいけど。

 

メジャーになって何が良いかって言うと、これはたぶんだけど、お金とかよりも重要なのは、良くも悪くも「評価される」場所にいられるって事だと思うよ。めちゃくちゃダメ出しされても評価されるのはやっぱり良い事だよ。無視より1万倍良い。

そこ行くまでにアウトプットの場所決めて、そこで評価されるフォーマットに合わせるって事になるとちょっと逆な感じだけど。仕方ないんだろうな。どうしても人って合わせるのが上手だからその場に合った書き方をしてしまう。それで、どれ読んでも皆同じ人が書いたみたいになってたりする。作家性って何だろうな?とちょっと思う。

 


人生はポテトサラダ/こども庁署名拒否

2021-12-28 17:34:07 | マレーシアでニャー2021

昨日の記事にトーキングヘッズのOnce in a Lifetimeの翻訳を入れておいた。和訳が無いか探してみたけれど、どうも納得の行くのが無くて自分でやった。歌詞なんか短いからそう手間でもない。

たぶん、多くの人が(プロじゃない翻訳の素人場合)命令形になっているのを歌詞だからって軽視して翻訳してしまっているようだった。「○○だ」でなく「○○しろ」って叫ぶように言うのって最近の日本の歌にあるかな?洋楽に入っているメッセージだとそう言うのがけっこう強いけどな。慣れてないから命令形だと思わないのかもしれない。よくわからないが。まあいいか。

 

この曲は強いメッセージソング。人生の中で人が得ている物、家とか車とかそんな物で自分の人生を象徴させるというのは多くの人がやっている事だけれども、自分自身の志向や力で得ているように考えがちだけれど、そんなものは世の中の大きな流れの中の目立たない一部に過ぎないと言えないか?結局、自分自身でどちらの方向へ行こうと言う意思よりも流れ優先していて流されているだけだろう。そこで何かしようったって、何かが起きたって何も変わらずにそのままこの先も同じ事をやり続けるだけだ。歌詞では水の中で水を運ぶという言い方をしている。

そして解決策や結論も出していない。

こうしようとか、こうあるべきとか、全く無くて、ある意味とても怖い歌詞ではある。

 

ところで、皆さん...

「人生無駄にしてますか〜〜〜!」

人生のある1点の時間は一度流れ去ってしまうともう二度と同じ時刻点はやって来ない。そこで何かしていても、していなくてももうそれで終わり。そんなのは皆、わかっているが、だけって言っても誰も何もしない。またはできない。て、終わり。さようなら。

 

ちょっと前にポテトサラダ騒ぎがあった。

ある主婦がお店でポテトサラダを買おうとしたら、別の人がそんなもの位自分で作れと言った。作れの話はそんなの買おうと作ろうと自由だろ。それに家庭の事情だってある、というところで落ち着いた。そしたらそれを後から混ぜっ返すのがまたいて、主婦なんて家にいてお金に換算すると生産性が低いのだから自分で作れと言う。

ポテトサラダを作る時間x時間単価を考えると買うな、作れと言う話になるらしい。

 

それで話は戻るけど、人生有効に使うって考えると、けっこうその方式で考える人がいると思う。でも、家でゆったりお茶を飲んでいる、何も生産しない時間を過ごす事は人生の有効活用に入るのか?入らないのか?と言う問題が、生産性より先に出てくるのではないか?

世の中の趨勢からすれば生産しているのがプラス、ポジティブ、そして消費している、ボーっとしているのがマイナス、ネガティブのようになっている。

どうなのだろうか?

自分はよくキャサリンさんに言うのだけれど、家で何もやる事無くて昼寝しているとか、ボーっとしているとか、きれいな夕日を見ているとか、美味しいお菓子とお茶を楽しんでいるとか、そう言うのは人生にとって良い事だと思っている。

生産的であるのが人生の目的って考えるのはおかしな事で、サバンナのライオンのようにお腹空かなけりゃ日陰で静かに佇んでいるのが生物として普通だし、そこに景色とか美味しいとかが入れば最高じゃないかと考える。自己実現とかポジティブとか言ってもね、LinkedInやTwitter見ればわかるけど、ポジティブの先にあるのが創造性ならとても良いけど、かなりの人が広告と人転がしになっていて、オイオイ最後はそこかよ、と思うわけ。

だからポテトサラダの話のように自分の時間をお金に換算するって、わからないではないが、ホントかよと思う。自分で自分を奴隷にしてるじゃないか、と。

 

 

↓ これ、署名拒否です。署名してたらアホでしょ。騙されるよ。

 

先日、マスコミがこども庁とこども家庭庁の名前の事で騒いで記事にしていた。それ読んでいると、そうだ、そうだ、こども庁にすべきだ!、みたいに思いがちなのはわかる。でも、気をつけるべきだ。

この署名、それを利用して与党がこども庁創設の支持集めてるだけだ。この署名の主催者はそもそも与党議員なわけで、これに署名するとこども庁の名前だけじゃなくてこども庁創設自体に賛成しているとして署名を利用されてしまう。

よく考えてみればだ、確かに今の与党も野党もこんな名前の省庁を作ろうと似たような事を言っているが、その議論の中身を我々はきちんと知らされているか?特に与党からはそんな説明は皆無で、勝手にどこかで決めている。料亭でか?

それに名前が何であっても中身が変えられるでもない。意味ないだろうし、署名する自体が害だ。拒否すべきだろう。いや、無視すべきだろう。


今日もgoo遅い

2021-12-27 21:51:33 | マレーシアでニャー2021

今朝、戻ったと思っていたが、また午後から極度に遅くなって投稿できなくなってしまったいま。これもできるかどうかわからない。記事を書いて投稿を押すとエラーになったらしく接続解除になって書いた文字が全部消えてしまう。

一応gooに報告入れたいが、やはりフォームに書いて送信しても接続解除でたぶん送れていないと思う。gooに原因があるのか途中の経路かわからないが、直るのだろうか?もしこれが続くようなら長く使ってきたgooだけれど引越しが必要になるかもしれない。

 

今朝は車が空いていて、事務所の出勤率も2割かそこら。これはMCO行動制限が長かったから実質長期休暇だったけれども有給休暇が消化できなかった事による。実際ゴールデンウィークだろう、マレーシアは。

これで工場が動かせてるなら会社って体裁は止めてただの工場になった方が良いように思う。無駄だし。

 

 

 

Once In A Lifetime - Talking Heads Cover

Hi! I've got a tape I want to play. Performed, recorded and produced ...

youtube#video

 


良い和訳が検索で出てこなかったので自分でやってみた。

[語り]

And you may find yourself living in a shotgun shack

そして君は、君がショットガン・シャック(狭小住宅)に住んでいると知るかもしれない

(And:「最終的に」のようなニュアンス。口語的用法)

And you may find yourself in another part of the world

そして君は、思いもよらない場所にいると知るかもしれない

(in another part of the world:別の場所→思っていたのと違う)

And you may find yourself behind the wheel of a large automobile

そして君は、でかい車を運転しているのを知るかもしれない

(behind:陰に隠れている→でかい車の陰に→実力以上に見せている)

And you may find yourself in a beautiful house, with a beautiful wife

そして君は、美しい妻のいる美しい家にいるのを知るかもしれない

And you may ask yourself, "Well, how did I get here?"

そして君は、自分自身に問うだろう、「どうしてここにいるのだろう?」と

 

[歌]

Letting the days go by, let the water hold me down

月日が過ぎるままに、水の流れに身を任せよう

(きちんと考える事なく生きている。このままで良いじゃないか。)

Letting the days go by, water flowing underground

月日が過ぎるままに、水は見えないところを流れていく

(いろいろな事が自分知らないうちに知らないところで進んでいく)

Into the blue again after the money's gone

お金がなくなったら、また逆戻りだ

(the blue:青い海転じて→はるか彼方/blue:憂鬱な感じ)

Once in a lifetime, water flowing underground

一生に一度だけ、水は地下を流れる

(時間はもとに戻らないが知らないうちに進んでしまう)

 

[語り]

And you may ask yourself, "How do I work this?"

そして君は、自分自身に問うだろう。「どうすれば良いんだ?」

(this:人生や生き方)

And you may ask yourself, "Where is that large automobile?"

そして君は、自分自身に問うだろう。「あのでかい車はどこだ?」

And you may tell yourself, "This is not my beautiful house"

そして君は、自分自身に言うだろう。「これは僕の美しい家じゃない」

And you may tell yourself, "This is not my beautiful wife"

そして君は、自分自身にいうだろう。「これは僕の美しい妻じゃない」

 

[歌]

Letting the days go by, let the water hold me down

Letting the days go by, water flowing underground

Into the blue again after the money's gone

Once in a lifetime, water flowing underground

(前出)

 

Same as it ever was, same as it ever was

Same as it ever was, same as it ever was

Same as it ever was, same as it ever was

Same as it ever was, same as it ever was

ずっとそうだったようにこれからも変わらない

 

 

[語り]

Water dissolving and water removing

水は溶けていき、取り除かれる

(自分の人生は世の多くのそれの中に紛れていってやがて見えなくなってしまう)

There is water at the bottom of the ocean

水は大海の底にある

(自分の人生は世の中の底辺にある)

Under the water, carry the water

水の底で、水を運べ

(人生は水の中で水を運ぶようなもの)

Remove the water at the bottom of the ocean

大海の底で水を取り除け

(埋もれた人生をそこから取り除け)

Water dissolving and water removing

水は溶けていき、取り除かれる

 

 

[歌]

Letting the days go by, let the water hold me down

Letting the days go by, water flowing underground

Into the blue again, into the silent water

Under the rocks and stones, there is water underground

Letting the days go by, let the water hold me down

Letting the days go by, water flowing underground

Into the blue again after the money's gone

Once in a lifetime, water flowing underground

(前出)

 

[語り]

You may ask yourself, "What is that beautiful house?"

自分自身に問うだろう。「あの美しい家はなに?」

You may ask yourself, "Where does that highway go to?"

自分自身に問うだろう。「あの道はどこに向かう?」

And you may ask yourself, "Am I right? Am I wrong?"

そして君は、自分自身に問うだろう。「僕は正しい?それとも間違っている?」

And you may say to yourself, "My God! What have I done?"

そして君は、自分自身に言うだろう。「神様!僕が何をしたと言うのですか?」

 

[歌]

Letting the days go by, let the water hold me down

Letting the days go by, water flowing underground

Into the blue again, into the silent water

Under the rocks and stones, there is water underground

Letting the days go by, let the water hold me down

Letting the days go by, water flowing underground

Into the blue again after the money's gone

Once in a lifetime, water flowing underground

(前出)

 

[エンディング]

Same as it ever was, same as it ever was

これまで通り、なにも変わらない

Same as it ever was and look where my hand was

なにも変わらない、そして僕のやってきた事も

(hand:手→やり方)

Time isn't holding up, time isn't after us

時は止まらない。時は待ってはくれない

Same as it ever was, same as it ever was

これまで通り、なにも変わらない

Same as it ever was, same as it ever was

Same as it ever was, same as it ever was

Letting the days go by, same as it ever was

(前出)

Here a twister comes, here comes the twister

竜巻が来るぞ、竜巻が来るぞ

Same as it ever was, same as it ever was (Letting the days go by)

これまで通り、なにも変わらない(月日が過ぎるままに)

Same as it ever was, same as it ever was (Letting the days go by)

これまで通り、なにも変わらない(月日が過ぎるままに)

Once in a lifetime (Let the water hold me down)

一生に一度だけ(流れに身を任せろ)

Letting the days go by (Water flowing underground)

月日が過ぎるままに(水は見えないところを流れる)

Into the blue again

またブルーに逆戻りだ

 


gooブログが遅い

2021-12-26 23:30:39 | マレーシアでニャー2021

今日はgooブログが遅いなあ。どうしたんだろう?

遅いのはgooだけで他のサイトは普通。DNSを手動でgoogleのDNSに変更してみても変わらなかった。gooに障害が?(翌朝4時には解消されていた。)

ところで、この問題をレポートしようと思ってブログのヘルプからメッセージ欄に入れたかったが同じ遅いサイトでなかなか表示されず、出来なかった。twitterとか別の手段にしてくれた方が良いのだが。

 

 

久しぶりにナシダガンを食べる。

見た目と違って日本人に全く違和感の無い味だ。

 

 

今日は自前プロジェクトはお休み。日曜日とかクリスマスとか無関係にお休み。アウトプットは少し寝かせないといけないから。作成時の興奮を覚ましてから再点検しないとダメな場合もある。

 


小説をアプリケーションで分類すると

2021-12-25 21:21:34 | マレーシアでニャー2021

さらに昨日のお友達問題だが、お話を書いていて、2人がある事をするのだけれど、完成直前で止めてしまうようにした。どうしてかと言うと、完成すると終わってしまうから。

別の例だけれど、ある人が誰かに贈り物をしたとする。もらった人はすぐにお返しを用意して贈り物をくれた人に送る。これで一応完結する。放っておかなかった事で非礼になる事は防げた。だからまあ、心の中で贈り物を貰ってありがたかったと思っていたとしても、そのまま忘れてしまったとしても大丈夫となる。贈り物、お返しか長い時間が経ってそのままさようならになっても大丈夫と言うわけ。

それで、お話では主人公は完結するのを避けたかったから2人ですると決めた事だったけど完成直前で止めておいた。それが後になって再開した時の心理的押しになった。再開には謎があり、謎は障壁になったけれど、それを突破できた。突破する時に実はその当時でさえ気付かない障壁があった事も知る。とまあ、短いお話なんだけど、そんな感じで考えてみた。もうちょっとしてなんとなくできそうだったらまた下書状態で見せるかも。未定。

 

 

カズオイシグロがまた新作を発表したらしい。さっきニュース記事で読んだ。AI入りのロボットか何か、つまりアンドロイドかな?のお話だとか。記事ではAIの部分の描写はかなり昨今のAIの画像認識を研究して書かれているように読めた。でもAI入のロボットの方はかなりSFでインターフェイスとのギャップがありそう。まあ、読んで無いからわからないけど。面白いかな?

 

別の話だけど、小説ってカテゴリーがあるよね。SF、サスペンス、ホラー、歴史、ハードボイルドとかいろいろ。この分類ってさ、コーヒーのラベルで酸味と苦味の組み合わせがあるけど、あれと似ていると思う。コーヒー豆単体でそれがどうかと言うもの。

でも、コーヒー飲む時って、それも味に影響するけど、カプチーノ、アメリカン、エスプレッソとか、お菓子を浸したりとか、アイスコーヒーとか、アプリケーションがまた別にある。小説にはあまりアプリケーションが無くてどうしても分類で言われる。ラノベとかは多少アプリケーション方面かもしれないけど。でもそっちの中でもハードファンタジーとか、従来分類の方法論が出てきているからどうしてもそっち思考なんだろうと思う。

それで、思いっきりアプリケーション側に振ってみたらどうかとちょっと思った。と言うのは、ショートショートって言い方は極端に短い小説って意味で従来分類思考だけど、これをカフェノベルとかにして、コーヒー1杯をゆっくり飲んでいる間に楽しむ小説ってしたらどうか?って事。他にも通勤の電車で読むコミューターノベル、寝る前に読むスリーピングノベルとか。新たな地平が開けるって事ないかな?本を書店で選んで買うのをやめて駅でスマホにダウンロードするとか、カフェに小冊子のようにして置いてあって買うとか。


小説をタッパーウェアとして売れないか?

2021-12-24 21:40:53 | マレーシアでニャー2021

昨日の友達問題だけれど、やはり気になって書き始めてみた。でも、少し無理してやってみた。

どう書いてみたかと言うと、ある2人を生死がかかるほどでないけれど、極限的状態に置いてみた。1つは別れ、別れなければならないとわかってから2人で一緒に無理な事をやっておこうと言うような。それでどうなるか?と言うお話し。なんとなく行けそうな気がする。

それで、友達の行動だけじゃ青春ドラマになって終わりで面白くないから他で書いたお話しに接続してみることにした。まだ下書もしてないけど。つまり後半戦はSFになる。こう言う入口と出口が全く違うお話しって好きなのだ。

 

ところで、こうして最近適当に書いてどんどん出版してしまっているが、実際のところ小説ってほとんど読まれない。ただ、これをダメだと思ってすぐにやめてしまわないで、アホみたいに続けるとその先に何があるのか知りたい。そのままなのか、それとも何か別の展開があるのか。少しそれやってる人はいるのを知っているけど、ほとんどやらないのも事実。どこまでできるかわからないけど、もうちょっとやってみる。

そうそう、小説が読まれない件だけど、読まれるために誰か自分で宣伝する方法はある。その代わりにアムウェイとかタッパーウェアみたいな方法をやってる人がたぶんいないと思う。つまり出す側と受ける側の区別があるところを、受ける側を出す側に変えて巻き込むやり方。もちろん食品を冷蔵庫にしまうのは誰に言われなくてもやるから、書くのとは違うけど。どうしてもそこに区別があるってところを崩す、つまり読み手を書き手プレーヤーに変えるのは面白いアイデアだと思うんだけどな。

例えば、中高年小説講座とかやって、リレー小説を皆で書くみたいな。


友達がいるってどんな感じ?

2021-12-23 16:17:13 | マレーシアでニャー2021

今日はいつもの月末のマネージャークラスミーティング。いつもと変わらず。

話の内容をいちいち聞いていてもあまり実りが無い感じだな。だいたい聞いてるけど。一番面白かったのは、会社の導入したシステムの中でたまにデータが無いのがあって、その原因はゴニョゴニョだけど、解決策ぽい事言ってたけど、それ、無理だから。だってやると言ってる人間が仕事を部下に任せられないのにそもそも休暇取り過ぎだろ。他にもいろいろ面白い事があった。

総じて言えるのは、彼らの受け答えの構造が「問題は他人のところから来ていて自分のところが発生源じゃない」となっている。これが100%。

例えば、XX工程の生産のサイクルタイムは?と言う話になると、○○さん、あれどうなってるの?と逸らす。全部の発言がその構造にはまってるから誰も自分自身の問題で自分自身で解決と言うのが全くない。こう言う事がずっと続くわけだから、何も良くなりようが無い。

まあ、仕方ないな。アホ臭。

 

昨日のレッドツェッペリンのフレンズと言う曲。聞けば聞くほど不思議だ。聞いたところによるとギターのチューニングが普通と違ってるらしい。変則と言うより、そう言うチューニングの仕方があるとか。びっくり。

この曲でまた小説書いてみたいなと思っているけど、振り返って考えてみると、自分には友達と呼べる人がいるのかいないのかがわからない。だから友達をテーマにするとかなり難しいかもしれない。つらつらと頭の中で友達といるとどんな状態になるとか、どんな状況が発生するとか考えてみるけど、薄っぺらい。ダメだコリャ。

実際、Facebookには小中学校時代の友人がいるし、その後の友人と言うのもいる。けど、彼らは友達と呼んで良い人たちなのかがわからない。友達だったらこうで、そうでなかったらこう、みたいな事ってあるのか?

 

 

 


40代と50代の間には深い溝が(小説の事)

2021-12-22 22:57:19 | マレーシアでニャー2021

ここのところ、小説投稿サイトがずっと流行っているせいで書いてる人がたくさんいる。何となくそれもだいぶ安定的になってきているようで、高齢化が進んでいる気もする。高齢化って言っても自分より下だと思うけど、まあ40代がけっこういる感じ。でも、皆さんすごいなと思う。投稿小説の世界に関しては10代から40代までちゃんと話が通じているらしい。自分はその上だけど、たぶんそこに断絶ラインがありそうで、皆さんのお話しの内容が全部お子様の話に見えてしまう。だからって別にそれは悪い事でなくて、ただそれだけの事。

自分の場合は1人で勝手に人気の無い沼に入って釣り糸を垂れている感じ。ま、たまにしか書かないんだけどね。

 

 

全然関係ないけど、この曲が面白いなと思って聴いている。よくもまあ、こんな曲が作れるよなあと。いろいろカバーを探して見ているけど、ギターが良いカバーはたくさんあるけど、ボーカルが良いのがこれしかない。それはそうだよね、難しそうだ。

 

Friends - Led Zeppelin (Alyona cover)

If you like what I do - you can support me here: https://paypal.me/Aly...

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Little Talks 原案 (ショートショート小説)

2021-12-21 20:36:36 | マレーシアでニャー2021

Of Monsters and!enのLittle Talksをネタにして小説を書いてみた。そのうち半分ほど消してしまうかもしれないが、今のところは全文公開。

ポイントは個人と社会で別々に論じられる介護や高齢者の問題を1つのものとして扱っているというところ。ご意見や感想をいただければ幸いです。

 


「ねえ、君、僕のこと、やはりちょっとおかしいと思うだろう?」

「いいえ、そんな事はないわ。歳とれば誰だって物忘れは多くなるものよ。」

 

「いや、僕はただ忘れるだけじゃないよ。もっと酷い。」

「そう?私にはあなたがそう酷いようには見えないわよ。」

 

「僕ね、この家の中を歩いていると、なんだか自分の家じゃないような気がするんだ。」

「そうね。でももうここに来てからずいぶんと経つから、きっと飽きてしまったのね?」

 

「階段がギシギシするだろ、あれでなんだか怖くて眠れないときがあるよ。」

「そうね、あのギシギシ音は嫌よね。」

 

「この間、娘たちと話した時に、正直言って、自分の娘のはずなのに名前が出てこなかったよ。」

「それはあなただけじゃないわ。私、娘を孫の名前で呼んでしまったわよ。」

 

「僕ね、この家の中を歩いていると、なんだか自分の家じゃないような気がするんだ。」

「そうね、僕たちが最初に住んだあの家とはずいぶん違っているものね。」

 

「物がみつからないと、僕はいつも君が持って行ったと思ってしまうよ。」

「それは間違いないわ。私は昔から片づけられない性格なの。」

 

「散歩に出るとね、帰れなくなりそうで不安なんだ。」

「大丈夫、私が一緒に歩いてあげるから。」



私たち夫婦は毎日のようにこんな他愛もない会話ばかりしている。他にする事が何もないから。でも、私は夫とこんな会話をしている時間が大好きよ。だって、この時間が私たちに残された唯一の確かな時間なのだもの。



「ねえ君、そろそろお腹が空いてこないかい?何か食べようよ。」

「そうね、お昼はあなたの好きなフランボワンジにしましょう。これから用意するわ。」

 

「ねえ君、窓の外が暗いけれど、今年は庭のタマンラの花は咲いたのだろうか?」

「ええあなた、満開よ。ちょうど今が見頃ね。だけどもう遅い時間だから明日見ましょうよ。」

 

「ああ、誰かに財布を盗まれたようだ。何処にも無いよ。」

「あら!それは大変よ。大丈夫、私が警察の人に探してくれるように連絡するわ。」

 

「雷の音がするね。そろそろ雨になるかな?戸を閉めてくれないか?」

「はい、わかりましたよ。すぐに閉めておきますよ。」

 

「ティッシュ・ペーパーをもう1箱くれないか?こうして1枚ずつ折って用意しておかないと間に合わない。」

「精が出ますね、あなた。後は孫たちが来た時用に取っておきましょうよ。全部やってしまっては孫たちが来てからする分がなくなってしまいますから。」

 

「ねえ君、そろそろお腹が空いてこないかい?何か食べようよ。」

「そうね、お昼はあなたの大好きなバッパーロールにしましょう。用意するわ。」

 

「ねえ君、僕はそろそろ家に帰るよ。」

「そうね、ずいぶん長く休んでしまったわね。私も一緒に帰るわ。」

 

「ねえ君、ドアの鍵が見つからないんだけど、君が持っているかい?」

「ええ、私がポケットに入れて持っているから心配しないで。」



*****

 

「ここ最近の状態はいかがですか?」

「あまり良くはありません。夫の症状はどんどん進行していますわ。」

 

医者はいつものように当たり障りのない質問を終えるといつものように代り映えの無い処方箋を書いた。夫がその薬で少しでも良くなるとは思っていない。けれどももしこの薬が無ければさらに悪化してしまうかもしれないと考えると拒否することもできないし、私と夫にはもうこれしか選択肢はないのだ。

 

「あなた、お薬の時間ですよ。」

「薬だって?いつから僕は病気になったんだい?」

 

けれども、夫がこの、効くか効かないかわからない薬を生き続けている限りずっと飲んでいなければならないのだと考えると気が滅入る。それでも私の心の底では、このままずっと夫との変わりない生活を続けて行きたいという気持ちが強いことは確かだから、その為ならば、いや、もっと言えば今の状態を何も変えなくて済むのなら、毒でも偽薬でも何でも来いと思っている。例えそれが何であったとしても、夫の終わりは決まっていて、私にも夫にもどうする事もできはしない。だから医者がこれが良いだろうと言えばそれに従うだけなのだ。私たちはこれまでもずっとそんな態度で生きてきたし、ここでのそれ以外の選択肢はたぶん無いのだ。



そもそも私たちがここに来たのは、私たちが思慮に欠けていた結果じゃないかと思う。若いころ、夫も私も自分たちの将来は輝きに満ちていると思っていた。でも、確信していたというのではない。今思えば、漠然とそう感じていただけだったと思う。信じていたのではなくてただ疑う心が無かったのだ。その後の生活でもそうしていけば楽しく騙され続けてこられたはずだけれど、私たちだっていつまでもそんなに無邪気ではいられなかった。でも、知った後でさえ、そんな事を2人でちゃんと話し合う時間を持つことはなかった。

 

人というのはおかしな生き物で、騙されたと知っても、自分が騙されたと思うのは嫌で、どうにかそれを認めなくて済むように自分自身を騙してしまう。不都合をその源泉や外部のものだとして攻撃したり改善を要求する労力よりも自分自身の方を抑えて黙っている方を選んでしまう。





*****

 

けたたましい音でアラームが鳴った。こんなアラームをこれまで一度も聞いた事がなかったから、これが危険を示すものなのかどうか、私は判断に迷ってしまった。夫は船に詳しいはずだと思って夫を見たけれど、夫はこの音にちょっと反応しただけで、何を意味するのかを思い出す事は無さそうだった。リクライニング・チェアを大きく傾かせたまま天井を見つめている。けれど、大きな音がしているというのは確かな事だし、きっとこの大きな音に見合うだけの何かがあったのだ。その問題が何ともしようのないほど大きなものでも、逆に音から想像するよりたいした事がなかったとしても、私たちに何か危険を知らせているには違いないのだ。

 

だからと言ってどうすれば良いの?私も夫もここから逃げられはしない。

 

シューン、シューンと聞いた事のない音が何度もしていた。それが2時間か3時間か、それ以上だったかもしれないけれど、とても長い時間続いた後に船は停止したようだった。停止しようが進もうが、外は真っ暗な宇宙だからよくはわからない。感じられるのは停止途中の減速の挙動だけだ。

 

「船はアクティブ動作を停止しました。引き続き慣性航行は続いています。この緊急停止は船自体に異常が発生してのものではありません。ご安心ください。船が停止した理由は、操縦士の健康状態を考慮してのものです。これまで長い期間に渡りこの船を操縦していた操縦士長は突然酷い胸の痛みを感じ、皆さんの安全を考慮した上で船を停止させました。今後については現在検討中です。続報をお待ちください。」

 

そのアナウンスで私は少し安心し、少し不安なまま次の報告に期待して待った。けれども、次のアナウンスの内容は悲しいものだった。操縦士長が急に亡くなったと言うのだ。そして船の沈黙はそのままの状態を保ったままさらに1日半ほど続いた。

 

その沈黙を最終的に破ったのはアナウンスではなくて、ドアをノックする音だった。ドアが開くとそこには機関士長がいて、挨拶も前置きも言わずにさっさと話始めてしまった。

 

「確認させてください。ご主人は、以前この船の操縦士長をしておられましたね?」

「はい、そうです。10年以上経っていますが、以前には。ですが、今は・・・」

 

機関士長は私の言葉を遮った。

 

「存じております、ご主人の状態は。ですが、今の私たちには選択肢がありません。この船にはもう操縦経験者はご主人しか乗っておらず、後任の者の合流予定はずっと後となっています。」

 

私は今の主人に操縦は無理だと強く言ったつもりだったが、機関士長は聞かなかった。認知機能が衰えていたとしても操縦士長の免許は持っているし、若い頃に身に着けた技術は身体に染み付いていて簡単に忘れ去られてしまう事はないはずだと主張して譲らなかった。素人の私に反論する術は無いのだった。

 

主人は操縦室に連れていかれた。私は不安になったけれど、機関士長を信用する事にした。万一夫が操縦を忘れていても隣にいる機関士長が補助するのだろうと、勝手に解釈して自分を納得させる事にした。



やがて船は長い沈黙を破ってエンジンの音を響かせ始めた。エンジンばかりでなく、良くはわからないがそれ以外の機械も音を立て始めた。そしてゆっくりと加速しているのが身体全体に感じられるようになった。夫が船を操縦しているのだろうか。



その後の夫は少しずつ活気を取り戻し始めたかのように見えた。同じ言葉を繰り返す事も少なくなったし、ギシギシする階段を気にする事もなく、ティッシュ・ペーパーを丁寧に折りたたむのも止めた。いろいろな事を止めたけれども、それは疲れて寝る時間が増えた事が直接の原因だった。そうして私と夫の会話も無くなってしまった。まるで私と夫の若かった頃のように。




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操縦桿を握るとあの時の感覚が蘇ってくるのを感じる。既に長い時間、この仕事からは離れていたので、急に今日からお前がやるのだと言われた時には正直言って戸惑った。だが、この操縦室に連れて来られ、ここに座った瞬間に、これまでのブランクがまるで短時間の午睡だったかのように感じ、ここにある全ての機器の隅々にまで私の神経と血液が行き渡ったのだった。この巨体の最も遠い部分での小さな振動やほんの小さな変化がこの手に伝わってくるのだった。

 

全機能をオンにし、コンソールから全ての機能を点検した後にエンジンを始動した。エンジンの始動はこの仕事の中で最も神経を集中しなければならない神聖な作業だ。始動モーターを回し、エンジンが点火するまでの間の音や振動に全神経を集中する。この時にほんの少しでも乱れや異音があれば、そこでエンジン始動は中止ししなければならない。

 

始動では、燃料ポンプに泡が混入している場合、軸受のグリースが冷えて固まってしまっている場合、タービンに異物が付着してバランスが崩れている場合、ジェネレーターとの間のクラッチに異常がある事等、いろいろな問題が発生し易いのだ。またそれだけに機関全体の調子をモニターできる絶好の機会であるとも言える。



幸いにも今回の始動で異常は見られず、エンジンは徐々にそして順調に回転数を上昇させている。巨大なエンジンであるために100パーセント出力になるまでには始動から1時間を要する。エンジンが100パーセントになった後に巨大な船体が最高速度に達するにはさらに4時間が必要となる。都合5時間の間、特に作業は無いのだが目だけはモニターを集中しておかなければならない。とても神経を使う疲れる作業だ。



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夫と結婚したのは私が29歳の時だった。夫は、休暇中の旅行で乗った宇宙船の副操縦士だった。私は操縦士の仕事がどんなものかは知らなくて、それがあまり一般的でない仕事だとしか認識していなかった。私は夫と会ってすぐにこの人と結婚するのだと勝手に決めてしまっていた。今にして思えば夫はそれまでの私の生活の中にはいないタイプの人だったからだと思う。夫はたぶん、仕事中は機械を相手にしているだけで、誰かと面白おかしく会話をしたりしないから私にはちょっと違って見えたのだ。

 

夫と結婚したいと強く思ってしまった私は、結婚しても夫が仕事で長期間私の元に帰らない事を見逃していたし、実際に夫がどんな人間性を持った人かという基本的な事すらよくわかっていなかった。逆に言えば、私が夫の事を何も理解していなかった事が、かえって私の夫への思いを持続させたのだった。そしてその感覚はその後の結婚生活でもずっと続き、最後には諦めのような感覚をもって今という終着点にたどり着けたと言える。いろいろあったけれど、これで良かったのかもしれない。



結婚してから数年して夫は一度、操縦士の仕事を辞めた。そしてある程度お金が貯まった事で家を持つ事にし、地面の上での仕事を探す事にした。でも、そこには大きな障害があった。まず仕事を探してから仕事に便利などこかに家を建てるか買うつもりだったのだけれど、夫のキャリアは地上では特殊なものだと考えられていて仕事は決まらなかった。それに住宅ローンを組む事も難しそうだった。

 

そこで選んだのは船上での生活だった。地球上の土地と家の値段が高騰し過ぎた事と、これ以上地球環境に大きな影響を与える事無く多くの人間を収容できるとして政府が推し進めたプロジェクトの一環だった。宇宙は広く、食物やエネルギーを得るには都合の良い強い光が無尽蔵にある。その為に人はあまり働く必要もない。だから初期の設備投資分を長期間に渡って回収するだけの低い率の税金を払えば住み続ける事ができるというのがうたい文句だった。私たちは若かったし、明るい未来を信じていた。だからこの募集が出た時に真っ先に応募して、そして当選し宇宙船上に住処を得たのだった。

 

その応募に割合簡単に当選できたのは、夫が操縦士の免許を持っていたという理由による。夫はそこで、つまり宇宙に漂うその巨大な都市であり船の操縦助手の職も同時に得たのだった。夫と私は喜んだ。毎日がとても楽しかった。夫の仕事は忙しくはなかった。以前の移動を目的とした船と違ってこの船は決まった軌道上を何年もかけて回るだけで、軌道修正が必要な時や太陽との角度調整が必要な時だけ少し忙しいと言っていた。普通の船の操縦とは違って食料生産の効率が落ちないようにするのが主な目的なのだ。

 

夫はその仕事を27年間続けた。その間に操縦士長にまで昇格したけれども60歳の時に定年を迎えて退職した。それから今まで14年間、同じこの船上でこの生活を続けている。

 

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十分に速度が上昇したところで停止時間による太陽との角度調整遅れを取り戻す作業にとりかかる。角度ズレはそれほど大きなものではない。巡行方向迎え角で0.13度、ローリング方向で0.32度で済んでいる。数字上ではわずかな違いではあるが、このまま放っておくと食物生産量は1~2パーセント下落し、エネルギー生産にも同率で影響するだろう。ここに住む全住民にとってそれはクリティカルな問題と言える。

 

この修正にはデリケートな操作を必要とする。その根源的な理由はこの巨体だ。ズレを修正するためにあるポイントのエンジン出力を高める事はどんな駆け出しの操縦士でもできるが、修正が終わる前に巨体の慣性を見越して逆側のパワーを高めておくその加減とタイミングが非常に難しい。下手すれば止められずに逆向きに角度がついてしまったり、修正に修正を重ねて止められず作業が無限ループに陥る事になる。



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私たちがここに生活して41年だけれど、その間にここを出ようと考えた事は何度かあった。理由はいろいろある。最初の理由は、ここが政府が宣伝するほどに理想的な環境でない事が引っ越してきてすぐにわかった事。この船に乗った多くの人々は私たち夫婦と同じように感じていた。正直、騙されたとすら思ったものだった。

 

この金属製の人工地盤は本当に全くの不毛の地だった。広大な地面らしきものはあるのだけれども、植物の育ちはとても悪くて全住民分の食べ物を得る事はできなかった。後でわかったのは、本当は地球の土を使うと決められていたにも関わらず、納入業者が運びやすい月と火星からの土を大量に混ぜてごまかしていたのだった。そしてそれは政府内の汚職にも繋がっていたけれど、そちらは結局ウヤムヤになり、誰も責任をとらないまま話題にならなくなってしまった。政府は結局、追加で税金を使って土を交換する事になったし、食物生産が安定するまでは地球上から運び込む必要があった。

 

2つ目の理由は、これは地球上でもある事なのだけれど、人間関係に関するものだ。ここで人間関係が悪くなった時に、場所を変える、つまり引っ越しができないのだった。当初私たちの認識の中では、ここは理想郷であったけれど、政府の考えはそれとは全く反対だった。政府にとって、ここは低価格住宅という位置付けだった。だから投資効率を高めるために余計な居住ユニットは1つとして用意されず、全ユニットの販売が決定した状態でスタートしていた。そしてこの船は地球から遠く離れた軌道で航行していて、地球と行き来するためのシャトルも用意はされたけれど運賃は高額で便数も少なく設定された。こんな事も含めて私たちは全て後から知らされる事ばかりで、実質的な棄民政策が実行されたのだと知った。そうは言っても、ここに住んだほとんどの人たちは地球上の財産はほとんど処分して出てきていて嫌でも元に戻る手段が無いのだ。

 

それ以外にも問題は山のようにあって、最初の10年ほどは私もほとんどノイローゼ状態で過ごしていたと言っても大袈裟ではないだろう。主婦には細かい事はとても重要なのだ。例えば、調味料だけれど、ここの調味料の味は地球のそれと見た目は似ていても全く違う。と言うのは、ここでは地球上で発酵のために使われる微生物が育たなかったのだ。こんな事だって政府は研究者が警告していたのを無視して口を閉ざしていた。だから私たちはここで育つ別の微生物をj分たちで探して使うしかなかった。そんなわけで土壌も違っていて野菜の味も地球のそれとは全く違う。それでも慣れれば食べられるものも出てきたし、長い年月の間に新しい料理の方法も考え出された。夫の好きなフランボワンジなんかもその1つ。地球の人が食べたら1口食べただけで吐き出してしまうでしょうけれど。

 

ここでは食料生産が優先されるので花を育てるなんて趣味はできないわ。最初は地球にあるいろいろな花も持ち込まれたけれど、結局すぐに絶滅してしまった。桜もジャカランダも最初の3年ほどは咲いていたけれど今は無い。その代わりに緩衝用には人工植物が作られた。人工だからいつでも好きな時に満開にしてかまわないのだけれど、それだとただでも時間間隔が無い宇宙での生活に気持ちの上での張りが無くなるという意見が出て、律儀にも地球の四季に合わせて咲かせるようになっている。おかしな話ね。40年も経てばそんな事どうでも良いようなものなのに。



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前部ピッチング・コントロール・下部エンジン始動。出力23パーセント。その後時間あたりマイナス1ポイントずつ低下に設定。3時間経過後に再修正予定。上部エンジンはスタンバイとする。同時にヨーイング・コントロール・右舷エンジン始動。出力は18パーセント。こちらは時間あたりマイナス0.7ポイントずつ低下に設定。3時間経過後に再修正予定。

 

私は船のオート・コントロールは切り、そこから出力される数値のみを参考にする事にしてマニュアル・コントロールにセットした。この船のオート・コントロールでは積分値が過剰に重視される傾向があるために目標到達までの時間がかかり過ぎるのだ。マニュアルでやればオートで3日かかるところ1日以内で済む自信がある。



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こうして41年間、私たちはここに留まった。その間に皆が老いた。もちろん私たちも。ここには生きるために必要な一通りのものは全て備わっているけれど、それはそれ自体を維持するためだけにあるようなもの。私たち生活者が将来に希望を持つために存在しているのではないと思う。だから、ここで子供を産んで育てる人は少なくて、人口はずいぶんと減った。今は当初の半分ほどかしら。まともに子供を育てたい人たちは無理してでも地球に戻るか他の星に移住していってしまった。今となってはそれがとても賢明な選択だったと私も思う。

 

今回のように操縦士長が急に亡くなるような事が起きるのもそのせいだろう。若い操縦士が育っていなくてどうしても高齢者がそれをしなくてはならなかったのだし。

 

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「操縦士長、左舷より直径1メートル・クラスの岩石質宇宙ゴミが近付いてきます。落下までの予想時間は1時間32分。相対速度は安全範囲。落下予想地点は居住区ではありません。その程度でしたら放って置いても問題無いと考えられます。」

「了解。当該地域に警告を発しておいてくれ。修正作業はこのまま予定通り続行する。」

「了解。」



「機関士長、そろそろお腹が空いたのですが、一緒に何か食べませんか。」

「操縦士長、そうですね。B2レストランのパンコモーラなんていかがですか?最近シェフが変わったのですが評判が良いのですよ。」

「へえ、そうですか。それじゃ私の分も注文してくれませんか?」

「わかりました、10分で届くと思います。」



*****

 

今日は夫の帰りが遅い。たまにそんな事はあるから私は心配しない。こうして1人で食べる食事も私にとっては貴重な時間なのかもしれない。ここ最近は夫の状態が良くなかったからずっと一緒にいて世話をしなければならない日々が続いていた。そんな日々を私は人生の最後のまどろみのように感じていてとても好きなのだけれど、たまにOFFがあるのも良いようだ。

 

夫からメッセージが入った。操縦室で食事をとるからお弁当を届けて欲しいと。私は急遽いくつかの食材を見繕った。



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「操縦士長、パンコモーラが届きましたよ。温かいうちに食べてみてください。」

「ああ、どうもありがとう。では早速味わってみるかな。」

 

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お弁当を作って私は操縦室へ急いだ。夫は食べたいと言いだしたら長い時間待つ事ができないのだ。操縦室へは15分ほどかかる。そこは生活圏ではないから通路は細くて複雑で、まるで機械の中を歩くようなものだ。どこまでも続くオレンジ色の照明と、所々にある到着地を案内するボードの緑色が目立つそこを私は速足で歩いた。

 

やっとの事で操縦室に到着し、中からドアを開けてもらう。部屋の中央には夫があちらを向いて座っている。

 

「あなた、お弁当持ってきたわよ。」

「ああ、ありがとう、僕はお腹が空いて仕方なかったよ。」

 

「操縦士長・・・」

「機関士長、そろそろあなたもお腹が空いた頃でしょう。食べに行ってきてもかまいませんよ。その間は私が見ていますから。」

「操縦士長、あなたはほんの5分前に食べたばかりですよ。」

「あなた、そうなの?」

「いや、食べてはいないよ。僕は君のお弁当を待っていたんだよ。」

(ここから先は削除しました。理由はAmazonで発売したからです。)

This story was inspired by the song "Little Talks" by Of Monsters and Men.

 


高齢者問題でお話を書いてみようかな?

2021-12-20 21:39:53 | マレーシアでニャー2021

自前プロジェクトの小さい版でまたお話を考えている。今度はOf Monsters and ManのLittle Talksからテーマを貰ってみようと思っている。

この間ちょっと書いたっけ?この曲について。忘れた。とりあえず、説明すると、曲は一方が認知症になってしまった夫婦のお話。歌詞を読んでいるととても悲しい。そして誰にもその悲しみが訪れるわけだから決して歌の中だけの問題じゃない。

それで、これをSFにしたらどうなるかと考えるわけだけど、ちょっと捻る。と言うのは、文章になるって事は歌と違って、わざわざ書く意図を盛り込みたいと思うから。そうしないとただの代弁者みたいだし。

考えたのは、認知症と介護って問題は世間では個人の問題としてその方法論が言われるが、社会の問題と言うのはそれと別個に扱われる。それを文章の上で一緒にしてみたらどうだろう?と思った。現実の社会では、制度を整えるのを行政はやっているし、認知症かどうかわからないが高齢者の運転と言うのも問題視されている。決して介護の仕方とかだけじゃない。でもどうしたわけか別々に論じられる。テーマとして大きい感じで書いてしまったけど、実際のところは個人の場に全部集約されて出てくるので壮大って事もないかもしれない。

どうだろう?何か思いつく?

今度はこのブログに載せてみようかな?どうしようか?


雨止んで、洪水被害が次々と

2021-12-19 22:27:55 | マレーシアでニャー2021

今日の午前にはやっと雨が止んだ。でもその後続々と洪水で浸水した家や車の写真でFacebookのタイムラインがいっぱいになっていた。家の地上階の半分まで沈んでいたり車も屋根あたりまで浸かっているのがあった。家の天井を破って屋根瓦を外して屋根で救助を待つ人もいた。

それも治水の無いど田舎じゃなくて、パナソニックとかトヨタの工場なども近いけっこう住宅地での事。今までこんな事は無かったから備えが無かったのだけれど、それにしても酷い事になった。停電も広い地域で発生しているらしく、パンを予約していたけど焼けないと言うので来週になってしまった。まだ雨季は続くけれど、さらに被害が出る事が無いのを祈る。

 

 

昨日までで書き物が一旦完了したので、次のプロジェクトを考えている。書き物の続きをやりたい気もするが、前にも書いたように、書き物はやってもお小遣いにならないと言う性質があるために、続けてやって良いかどうか迷う。確かに毎月Amazonさんから中学生のお小遣い程度いただいているが、その中に占める割合は極度に低いから...

でも、時々はこうしてやらないといけない。出せるアウトプットは出せる時に出さないとダメだ。フラストレーションのもとになってしまう。ちょっと考えよう。


小説が売れないのでバイラルな方法を考えた

2021-12-18 20:37:50 | マレーシアでニャー2021

KL近辺、昨日からずっと雨が降ってる。こんなのは今まで無かった事で、多くの人が驚いている。日本だったらあり得るけど、マレーシアでは既にこれ、天変地異。道路は水没しているし。明日、KLへ行こうかと思ってたけど中止、中止。マレーシアでは水はけが悪いから雨が止んでその後にまだ道路冠水が出てくるし。危険な行動はしない方が絶対に良い。死にたくなければね。

えっ?雨位で? いやいや、大変なんだよ。元から治水がちゃんとできてないから。

 

 

昨日も書いたけど、この約2週間、小説を書いていた。ショートショートだけど。結局、今日までに7本書いた。小説なんて書いても儲からない(この前も言ったけど)からたまにしかこんな事しない。

で、儲からない原因がやっぱりあると思っている。

皆さん、儲からない原因として考えるのは、たぶん最初に「自分の書き手としてのスキルの低さ」と思うはず。でも、その意見はそうでもないと思う。確かに他人に好まれる文章はある。好まれない文章もある。でも、よく考えると小説に限らず酷い文章でも世の中では平気で読まれているじゃないか。だから、スキルは却下。

次は「宣伝力の無さ」。これはそうかも知れない。宣伝している人はいろいろやっている。Twitter、Facebook、ブログ、note、インスタグラム、Youtubeと可能な限り連携している。それ見て思うのは、良いコンテンツだからお客さんが付くとも限らない事。だから宣伝力は大事だ。

小説とい言うのは、実際はその宣伝力にかかっているのじゃないかな?と思う。出版の印税率が低いのは宣伝にお金を使う為だろう。

インターネット時代の今、いろいろやり方はあるにもかかわらず、出版社の宣伝に頼る構造はあまり変わってないのかな?電子書籍と言うフォームに変わっても、Amazon見てもそう思う。良い場所に陣取らないと売れない。検索じゃ補えないものがある。(先日、検索の話は書いた。)それはやっぱり本と言うフォーマットにこだわっているからだろう。Amazonの方の中をGoogle検索はできないし。

Googleが売ってる書籍はできるみたい。さすがGoogleだ。ちゃんと気付いているらしい。でも、別の意味でAmazonには勝てない。

それで、Web的な小説の方法が出てきていて、それは皆さんが知っているWeb小説サービスなんだけど、ここだけは書く人と読む人が一緒って事になっている。逆に言うと、読むだけの人がそこに入るかって言うとそうでもないと思われる。つまり、ネットワーク上のゲームサイトと同じ感じ。プラットフォームに拘束されている。

つまりは、小説に限ってはまだ最適解が見つかっていないのかも、と思う。

 

それでだけど、ちょっと考えた、と言うか、思い付いた。プラットフォームは何でも構わないけど、オープンソースみたいな考え方で、ある人が書いた文章を別の人が勝手に続編とかスピンアウトを書くって始められたら面白いのでは?普通に呼びかけてもきっと書く人なんてそういないし、そもそも他人の小説を時間使って読むなんて人も少ない。それに書くのが好きとか、訓練されている人も少ないからそう広がることもないだろうけど、最初に数人がいて、やろうってなってると呼水になってやりたい人も出てくるかな?と。つまり、ネット上のサービスであるバイラルな構造の種を作ってみると言う方法。

と言う事で、実は、今日、1本ショートショートを書いて単品で出版したけど、その中に続編書いてとお願いを書き、超簡単に誰でも書ける方法も章を儲けて書いておいた。まあ、そうそう成功することもないが、試しにやってみよう。


自分で書いて自分でグッときてる

2021-12-17 21:39:16 | マレーシアでニャー2021

おかしな話なんだけどね、昨日小説の話をしたでしょう。

それでね、校正しながら4回とか5回とか読んでいるわけですよ。もう大丈夫と思ってもまだまだ修正が出てくるわけ。まあ、短いのしか書かないから読むのは全然大変じゃないんですけど、どうも読んでいるうちに入り込んじゃう場面てのがあって、胸がグッときちゃうんだよね。

自分で書いた文章なんだけどね。自分でもおかしいんだけど。もうそうなっちゃうと、その文章が良いのか悪いのかがわからなくなるんだよね。たぶんね、自分でそうなっちゃう時って他人が読むとダメなんだろうな。つまらないかも。

ずっと前に、誰か忘れたけど、1年とか経った後に自分の書いたの読んで、自分では何書いたか忘れてるらしいけど、面白くてずっと読んでしまうって人がいたんだよね。正直、何言ってんだと思ってた。自分で書いて自分で面白いって、そんな事あり得るのかな?と。でも、今回ちょっとわかる気がした。でも、さっき言ったように他人が読んで面白いとかって意味とはたぶん違うと思うけど。ま、わかんないけどさ。

 

それで、短いのならこうして速書きできるってわかったけど、切れ目なくずっと書くって事はあまり考えられなくて、気が向いたら書くって感じにするつもり。だって、書こうと思えばいくらでもできちゃうけど、お小遣いにならないんだよ、実際のところ。

 

そうそう、今日から5日間無料にしてるけど、ここで宣伝してないからきっと探せないと思う。そこで、こうしてこんな事をブログで書いてしまった関係上、個人的にアクセスしてくれたら、どこで売ってるかを教えるかそれともメールか何かでPDFで差し上げる事はできます。独占販売契約だからあくまでも個人的にと言う事で。