Of Monsters and!enのLittle Talksをネタにして小説を書いてみた。そのうち半分ほど消してしまうかもしれないが、今のところは全文公開。
ポイントは個人と社会で別々に論じられる介護や高齢者の問題を1つのものとして扱っているというところ。ご意見や感想をいただければ幸いです。
「ねえ、君、僕のこと、やはりちょっとおかしいと思うだろう?」
「いいえ、そんな事はないわ。歳とれば誰だって物忘れは多くなるものよ。」
「いや、僕はただ忘れるだけじゃないよ。もっと酷い。」
「そう?私にはあなたがそう酷いようには見えないわよ。」
「僕ね、この家の中を歩いていると、なんだか自分の家じゃないような気がするんだ。」
「そうね。でももうここに来てからずいぶんと経つから、きっと飽きてしまったのね?」
「階段がギシギシするだろ、あれでなんだか怖くて眠れないときがあるよ。」
「そうね、あのギシギシ音は嫌よね。」
「この間、娘たちと話した時に、正直言って、自分の娘のはずなのに名前が出てこなかったよ。」
「それはあなただけじゃないわ。私、娘を孫の名前で呼んでしまったわよ。」
「僕ね、この家の中を歩いていると、なんだか自分の家じゃないような気がするんだ。」
「そうね、僕たちが最初に住んだあの家とはずいぶん違っているものね。」
「物がみつからないと、僕はいつも君が持って行ったと思ってしまうよ。」
「それは間違いないわ。私は昔から片づけられない性格なの。」
「散歩に出るとね、帰れなくなりそうで不安なんだ。」
「大丈夫、私が一緒に歩いてあげるから。」
私たち夫婦は毎日のようにこんな他愛もない会話ばかりしている。他にする事が何もないから。でも、私は夫とこんな会話をしている時間が大好きよ。だって、この時間が私たちに残された唯一の確かな時間なのだもの。
「ねえ君、そろそろお腹が空いてこないかい?何か食べようよ。」
「そうね、お昼はあなたの好きなフランボワンジにしましょう。これから用意するわ。」
「ねえ君、窓の外が暗いけれど、今年は庭のタマンラの花は咲いたのだろうか?」
「ええあなた、満開よ。ちょうど今が見頃ね。だけどもう遅い時間だから明日見ましょうよ。」
「ああ、誰かに財布を盗まれたようだ。何処にも無いよ。」
「あら!それは大変よ。大丈夫、私が警察の人に探してくれるように連絡するわ。」
「雷の音がするね。そろそろ雨になるかな?戸を閉めてくれないか?」
「はい、わかりましたよ。すぐに閉めておきますよ。」
「ティッシュ・ペーパーをもう1箱くれないか?こうして1枚ずつ折って用意しておかないと間に合わない。」
「精が出ますね、あなた。後は孫たちが来た時用に取っておきましょうよ。全部やってしまっては孫たちが来てからする分がなくなってしまいますから。」
「ねえ君、そろそろお腹が空いてこないかい?何か食べようよ。」
「そうね、お昼はあなたの大好きなバッパーロールにしましょう。用意するわ。」
「ねえ君、僕はそろそろ家に帰るよ。」
「そうね、ずいぶん長く休んでしまったわね。私も一緒に帰るわ。」
「ねえ君、ドアの鍵が見つからないんだけど、君が持っているかい?」
「ええ、私がポケットに入れて持っているから心配しないで。」
*****
「ここ最近の状態はいかがですか?」
「あまり良くはありません。夫の症状はどんどん進行していますわ。」
医者はいつものように当たり障りのない質問を終えるといつものように代り映えの無い処方箋を書いた。夫がその薬で少しでも良くなるとは思っていない。けれどももしこの薬が無ければさらに悪化してしまうかもしれないと考えると拒否することもできないし、私と夫にはもうこれしか選択肢はないのだ。
「あなた、お薬の時間ですよ。」
「薬だって?いつから僕は病気になったんだい?」
けれども、夫がこの、効くか効かないかわからない薬を生き続けている限りずっと飲んでいなければならないのだと考えると気が滅入る。それでも私の心の底では、このままずっと夫との変わりない生活を続けて行きたいという気持ちが強いことは確かだから、その為ならば、いや、もっと言えば今の状態を何も変えなくて済むのなら、毒でも偽薬でも何でも来いと思っている。例えそれが何であったとしても、夫の終わりは決まっていて、私にも夫にもどうする事もできはしない。だから医者がこれが良いだろうと言えばそれに従うだけなのだ。私たちはこれまでもずっとそんな態度で生きてきたし、ここでのそれ以外の選択肢はたぶん無いのだ。
そもそも私たちがここに来たのは、私たちが思慮に欠けていた結果じゃないかと思う。若いころ、夫も私も自分たちの将来は輝きに満ちていると思っていた。でも、確信していたというのではない。今思えば、漠然とそう感じていただけだったと思う。信じていたのではなくてただ疑う心が無かったのだ。その後の生活でもそうしていけば楽しく騙され続けてこられたはずだけれど、私たちだっていつまでもそんなに無邪気ではいられなかった。でも、知った後でさえ、そんな事を2人でちゃんと話し合う時間を持つことはなかった。
人というのはおかしな生き物で、騙されたと知っても、自分が騙されたと思うのは嫌で、どうにかそれを認めなくて済むように自分自身を騙してしまう。不都合をその源泉や外部のものだとして攻撃したり改善を要求する労力よりも自分自身の方を抑えて黙っている方を選んでしまう。
*****
けたたましい音でアラームが鳴った。こんなアラームをこれまで一度も聞いた事がなかったから、これが危険を示すものなのかどうか、私は判断に迷ってしまった。夫は船に詳しいはずだと思って夫を見たけれど、夫はこの音にちょっと反応しただけで、何を意味するのかを思い出す事は無さそうだった。リクライニング・チェアを大きく傾かせたまま天井を見つめている。けれど、大きな音がしているというのは確かな事だし、きっとこの大きな音に見合うだけの何かがあったのだ。その問題が何ともしようのないほど大きなものでも、逆に音から想像するよりたいした事がなかったとしても、私たちに何か危険を知らせているには違いないのだ。
だからと言ってどうすれば良いの?私も夫もここから逃げられはしない。
シューン、シューンと聞いた事のない音が何度もしていた。それが2時間か3時間か、それ以上だったかもしれないけれど、とても長い時間続いた後に船は停止したようだった。停止しようが進もうが、外は真っ暗な宇宙だからよくはわからない。感じられるのは停止途中の減速の挙動だけだ。
「船はアクティブ動作を停止しました。引き続き慣性航行は続いています。この緊急停止は船自体に異常が発生してのものではありません。ご安心ください。船が停止した理由は、操縦士の健康状態を考慮してのものです。これまで長い期間に渡りこの船を操縦していた操縦士長は突然酷い胸の痛みを感じ、皆さんの安全を考慮した上で船を停止させました。今後については現在検討中です。続報をお待ちください。」
そのアナウンスで私は少し安心し、少し不安なまま次の報告に期待して待った。けれども、次のアナウンスの内容は悲しいものだった。操縦士長が急に亡くなったと言うのだ。そして船の沈黙はそのままの状態を保ったままさらに1日半ほど続いた。
その沈黙を最終的に破ったのはアナウンスではなくて、ドアをノックする音だった。ドアが開くとそこには機関士長がいて、挨拶も前置きも言わずにさっさと話始めてしまった。
「確認させてください。ご主人は、以前この船の操縦士長をしておられましたね?」
「はい、そうです。10年以上経っていますが、以前には。ですが、今は・・・」
機関士長は私の言葉を遮った。
「存じております、ご主人の状態は。ですが、今の私たちには選択肢がありません。この船にはもう操縦経験者はご主人しか乗っておらず、後任の者の合流予定はずっと後となっています。」
私は今の主人に操縦は無理だと強く言ったつもりだったが、機関士長は聞かなかった。認知機能が衰えていたとしても操縦士長の免許は持っているし、若い頃に身に着けた技術は身体に染み付いていて簡単に忘れ去られてしまう事はないはずだと主張して譲らなかった。素人の私に反論する術は無いのだった。
主人は操縦室に連れていかれた。私は不安になったけれど、機関士長を信用する事にした。万一夫が操縦を忘れていても隣にいる機関士長が補助するのだろうと、勝手に解釈して自分を納得させる事にした。
やがて船は長い沈黙を破ってエンジンの音を響かせ始めた。エンジンばかりでなく、良くはわからないがそれ以外の機械も音を立て始めた。そしてゆっくりと加速しているのが身体全体に感じられるようになった。夫が船を操縦しているのだろうか。
その後の夫は少しずつ活気を取り戻し始めたかのように見えた。同じ言葉を繰り返す事も少なくなったし、ギシギシする階段を気にする事もなく、ティッシュ・ペーパーを丁寧に折りたたむのも止めた。いろいろな事を止めたけれども、それは疲れて寝る時間が増えた事が直接の原因だった。そうして私と夫の会話も無くなってしまった。まるで私と夫の若かった頃のように。
*****
操縦桿を握るとあの時の感覚が蘇ってくるのを感じる。既に長い時間、この仕事からは離れていたので、急に今日からお前がやるのだと言われた時には正直言って戸惑った。だが、この操縦室に連れて来られ、ここに座った瞬間に、これまでのブランクがまるで短時間の午睡だったかのように感じ、ここにある全ての機器の隅々にまで私の神経と血液が行き渡ったのだった。この巨体の最も遠い部分での小さな振動やほんの小さな変化がこの手に伝わってくるのだった。
全機能をオンにし、コンソールから全ての機能を点検した後にエンジンを始動した。エンジンの始動はこの仕事の中で最も神経を集中しなければならない神聖な作業だ。始動モーターを回し、エンジンが点火するまでの間の音や振動に全神経を集中する。この時にほんの少しでも乱れや異音があれば、そこでエンジン始動は中止ししなければならない。
始動では、燃料ポンプに泡が混入している場合、軸受のグリースが冷えて固まってしまっている場合、タービンに異物が付着してバランスが崩れている場合、ジェネレーターとの間のクラッチに異常がある事等、いろいろな問題が発生し易いのだ。またそれだけに機関全体の調子をモニターできる絶好の機会であるとも言える。
幸いにも今回の始動で異常は見られず、エンジンは徐々にそして順調に回転数を上昇させている。巨大なエンジンであるために100パーセント出力になるまでには始動から1時間を要する。エンジンが100パーセントになった後に巨大な船体が最高速度に達するにはさらに4時間が必要となる。都合5時間の間、特に作業は無いのだが目だけはモニターを集中しておかなければならない。とても神経を使う疲れる作業だ。
*****
夫と結婚したのは私が29歳の時だった。夫は、休暇中の旅行で乗った宇宙船の副操縦士だった。私は操縦士の仕事がどんなものかは知らなくて、それがあまり一般的でない仕事だとしか認識していなかった。私は夫と会ってすぐにこの人と結婚するのだと勝手に決めてしまっていた。今にして思えば夫はそれまでの私の生活の中にはいないタイプの人だったからだと思う。夫はたぶん、仕事中は機械を相手にしているだけで、誰かと面白おかしく会話をしたりしないから私にはちょっと違って見えたのだ。
夫と結婚したいと強く思ってしまった私は、結婚しても夫が仕事で長期間私の元に帰らない事を見逃していたし、実際に夫がどんな人間性を持った人かという基本的な事すらよくわかっていなかった。逆に言えば、私が夫の事を何も理解していなかった事が、かえって私の夫への思いを持続させたのだった。そしてその感覚はその後の結婚生活でもずっと続き、最後には諦めのような感覚をもって今という終着点にたどり着けたと言える。いろいろあったけれど、これで良かったのかもしれない。
結婚してから数年して夫は一度、操縦士の仕事を辞めた。そしてある程度お金が貯まった事で家を持つ事にし、地面の上での仕事を探す事にした。でも、そこには大きな障害があった。まず仕事を探してから仕事に便利などこかに家を建てるか買うつもりだったのだけれど、夫のキャリアは地上では特殊なものだと考えられていて仕事は決まらなかった。それに住宅ローンを組む事も難しそうだった。
そこで選んだのは船上での生活だった。地球上の土地と家の値段が高騰し過ぎた事と、これ以上地球環境に大きな影響を与える事無く多くの人間を収容できるとして政府が推し進めたプロジェクトの一環だった。宇宙は広く、食物やエネルギーを得るには都合の良い強い光が無尽蔵にある。その為に人はあまり働く必要もない。だから初期の設備投資分を長期間に渡って回収するだけの低い率の税金を払えば住み続ける事ができるというのがうたい文句だった。私たちは若かったし、明るい未来を信じていた。だからこの募集が出た時に真っ先に応募して、そして当選し宇宙船上に住処を得たのだった。
その応募に割合簡単に当選できたのは、夫が操縦士の免許を持っていたという理由による。夫はそこで、つまり宇宙に漂うその巨大な都市であり船の操縦助手の職も同時に得たのだった。夫と私は喜んだ。毎日がとても楽しかった。夫の仕事は忙しくはなかった。以前の移動を目的とした船と違ってこの船は決まった軌道上を何年もかけて回るだけで、軌道修正が必要な時や太陽との角度調整が必要な時だけ少し忙しいと言っていた。普通の船の操縦とは違って食料生産の効率が落ちないようにするのが主な目的なのだ。
夫はその仕事を27年間続けた。その間に操縦士長にまで昇格したけれども60歳の時に定年を迎えて退職した。それから今まで14年間、同じこの船上でこの生活を続けている。
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十分に速度が上昇したところで停止時間による太陽との角度調整遅れを取り戻す作業にとりかかる。角度ズレはそれほど大きなものではない。巡行方向迎え角で0.13度、ローリング方向で0.32度で済んでいる。数字上ではわずかな違いではあるが、このまま放っておくと食物生産量は1~2パーセント下落し、エネルギー生産にも同率で影響するだろう。ここに住む全住民にとってそれはクリティカルな問題と言える。
この修正にはデリケートな操作を必要とする。その根源的な理由はこの巨体だ。ズレを修正するためにあるポイントのエンジン出力を高める事はどんな駆け出しの操縦士でもできるが、修正が終わる前に巨体の慣性を見越して逆側のパワーを高めておくその加減とタイミングが非常に難しい。下手すれば止められずに逆向きに角度がついてしまったり、修正に修正を重ねて止められず作業が無限ループに陥る事になる。
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私たちがここに生活して41年だけれど、その間にここを出ようと考えた事は何度かあった。理由はいろいろある。最初の理由は、ここが政府が宣伝するほどに理想的な環境でない事が引っ越してきてすぐにわかった事。この船に乗った多くの人々は私たち夫婦と同じように感じていた。正直、騙されたとすら思ったものだった。
この金属製の人工地盤は本当に全くの不毛の地だった。広大な地面らしきものはあるのだけれども、植物の育ちはとても悪くて全住民分の食べ物を得る事はできなかった。後でわかったのは、本当は地球の土を使うと決められていたにも関わらず、納入業者が運びやすい月と火星からの土を大量に混ぜてごまかしていたのだった。そしてそれは政府内の汚職にも繋がっていたけれど、そちらは結局ウヤムヤになり、誰も責任をとらないまま話題にならなくなってしまった。政府は結局、追加で税金を使って土を交換する事になったし、食物生産が安定するまでは地球上から運び込む必要があった。
2つ目の理由は、これは地球上でもある事なのだけれど、人間関係に関するものだ。ここで人間関係が悪くなった時に、場所を変える、つまり引っ越しができないのだった。当初私たちの認識の中では、ここは理想郷であったけれど、政府の考えはそれとは全く反対だった。政府にとって、ここは低価格住宅という位置付けだった。だから投資効率を高めるために余計な居住ユニットは1つとして用意されず、全ユニットの販売が決定した状態でスタートしていた。そしてこの船は地球から遠く離れた軌道で航行していて、地球と行き来するためのシャトルも用意はされたけれど運賃は高額で便数も少なく設定された。こんな事も含めて私たちは全て後から知らされる事ばかりで、実質的な棄民政策が実行されたのだと知った。そうは言っても、ここに住んだほとんどの人たちは地球上の財産はほとんど処分して出てきていて嫌でも元に戻る手段が無いのだ。
それ以外にも問題は山のようにあって、最初の10年ほどは私もほとんどノイローゼ状態で過ごしていたと言っても大袈裟ではないだろう。主婦には細かい事はとても重要なのだ。例えば、調味料だけれど、ここの調味料の味は地球のそれと見た目は似ていても全く違う。と言うのは、ここでは地球上で発酵のために使われる微生物が育たなかったのだ。こんな事だって政府は研究者が警告していたのを無視して口を閉ざしていた。だから私たちはここで育つ別の微生物をj分たちで探して使うしかなかった。そんなわけで土壌も違っていて野菜の味も地球のそれとは全く違う。それでも慣れれば食べられるものも出てきたし、長い年月の間に新しい料理の方法も考え出された。夫の好きなフランボワンジなんかもその1つ。地球の人が食べたら1口食べただけで吐き出してしまうでしょうけれど。
ここでは食料生産が優先されるので花を育てるなんて趣味はできないわ。最初は地球にあるいろいろな花も持ち込まれたけれど、結局すぐに絶滅してしまった。桜もジャカランダも最初の3年ほどは咲いていたけれど今は無い。その代わりに緩衝用には人工植物が作られた。人工だからいつでも好きな時に満開にしてかまわないのだけれど、それだとただでも時間間隔が無い宇宙での生活に気持ちの上での張りが無くなるという意見が出て、律儀にも地球の四季に合わせて咲かせるようになっている。おかしな話ね。40年も経てばそんな事どうでも良いようなものなのに。
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前部ピッチング・コントロール・下部エンジン始動。出力23パーセント。その後時間あたりマイナス1ポイントずつ低下に設定。3時間経過後に再修正予定。上部エンジンはスタンバイとする。同時にヨーイング・コントロール・右舷エンジン始動。出力は18パーセント。こちらは時間あたりマイナス0.7ポイントずつ低下に設定。3時間経過後に再修正予定。
私は船のオート・コントロールは切り、そこから出力される数値のみを参考にする事にしてマニュアル・コントロールにセットした。この船のオート・コントロールでは積分値が過剰に重視される傾向があるために目標到達までの時間がかかり過ぎるのだ。マニュアルでやればオートで3日かかるところ1日以内で済む自信がある。
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こうして41年間、私たちはここに留まった。その間に皆が老いた。もちろん私たちも。ここには生きるために必要な一通りのものは全て備わっているけれど、それはそれ自体を維持するためだけにあるようなもの。私たち生活者が将来に希望を持つために存在しているのではないと思う。だから、ここで子供を産んで育てる人は少なくて、人口はずいぶんと減った。今は当初の半分ほどかしら。まともに子供を育てたい人たちは無理してでも地球に戻るか他の星に移住していってしまった。今となってはそれがとても賢明な選択だったと私も思う。
今回のように操縦士長が急に亡くなるような事が起きるのもそのせいだろう。若い操縦士が育っていなくてどうしても高齢者がそれをしなくてはならなかったのだし。
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「操縦士長、左舷より直径1メートル・クラスの岩石質宇宙ゴミが近付いてきます。落下までの予想時間は1時間32分。相対速度は安全範囲。落下予想地点は居住区ではありません。その程度でしたら放って置いても問題無いと考えられます。」
「了解。当該地域に警告を発しておいてくれ。修正作業はこのまま予定通り続行する。」
「了解。」
「機関士長、そろそろお腹が空いたのですが、一緒に何か食べませんか。」
「操縦士長、そうですね。B2レストランのパンコモーラなんていかがですか?最近シェフが変わったのですが評判が良いのですよ。」
「へえ、そうですか。それじゃ私の分も注文してくれませんか?」
「わかりました、10分で届くと思います。」
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今日は夫の帰りが遅い。たまにそんな事はあるから私は心配しない。こうして1人で食べる食事も私にとっては貴重な時間なのかもしれない。ここ最近は夫の状態が良くなかったからずっと一緒にいて世話をしなければならない日々が続いていた。そんな日々を私は人生の最後のまどろみのように感じていてとても好きなのだけれど、たまにOFFがあるのも良いようだ。
夫からメッセージが入った。操縦室で食事をとるからお弁当を届けて欲しいと。私は急遽いくつかの食材を見繕った。
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「操縦士長、パンコモーラが届きましたよ。温かいうちに食べてみてください。」
「ああ、どうもありがとう。では早速味わってみるかな。」
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お弁当を作って私は操縦室へ急いだ。夫は食べたいと言いだしたら長い時間待つ事ができないのだ。操縦室へは15分ほどかかる。そこは生活圏ではないから通路は細くて複雑で、まるで機械の中を歩くようなものだ。どこまでも続くオレンジ色の照明と、所々にある到着地を案内するボードの緑色が目立つそこを私は速足で歩いた。
やっとの事で操縦室に到着し、中からドアを開けてもらう。部屋の中央には夫があちらを向いて座っている。
「あなた、お弁当持ってきたわよ。」
「ああ、ありがとう、僕はお腹が空いて仕方なかったよ。」
「操縦士長・・・」
「機関士長、そろそろあなたもお腹が空いた頃でしょう。食べに行ってきてもかまいませんよ。その間は私が見ていますから。」
「操縦士長、あなたはほんの5分前に食べたばかりですよ。」
「あなた、そうなの?」
「いや、食べてはいないよ。僕は君のお弁当を待っていたんだよ。」
(ここから先は削除しました。理由はAmazonで発売したからです。)
This story was inspired by the song "Little Talks" by Of Monsters and Men.