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愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

「党人河野一郎最後の10年」

2010年12月01日 | 書評
「党人河野一郎最後の10年」
河野洋平(監修)/小枝義人(著)
春風社/1800円(税込)

「豪腕」という冠のつく政治家は、今なら「小沢一郎」ですが、かつて「河野一郎」というもう一人の「一郎」がいたのをご存知でしょうか。
河野洋平前議長の実父であり、河野太郎代議士の祖父です。

河野一郎という政治家のすごいところは、大胆な決断と強引ともとれる抜群の行動力ですが、それが時代の先を読む構想力に裏打ちされているところがミソだと思います。

「政治は時代の先取り」、「政治というものは先手を取らなければならない。後始末ばかり、困ったからやるというのは政治じゃない」と河野一郎は言っています。まさに、そのとおりであり、時代を読む構想力を持ち、それを決断と行動で実現に結び付けていくのが、本当の政治主導というものです。

たとえば、河野一郎は、昭和32年に京都に国際会議場を建設するという構想を立て、実行に移しています。私は、大学が京都だったので、宝ヶ池の国際会議場は馴染みのある施設ですが、そんな昔に、あんな辺鄙なところによくも国際会議場を建設しようなんて考えたなあと思います。
スイスで開かれたガット総会に出席した河野一郎は「国際社会の仲間入りした日本は世界各国と盛んに交流を深めなければならない。そのためには同時通訳などの施設を完備した国際会議場が日本にも必要だ。」、そして、それは「必ずしも東京に設ける必要はなく、風光明媚な京都に建設すべきだ」と考えたのです。
実は、都心に近く風光明媚な地として、箱根も誘致競争に名乗りをあげていました。箱根は河野一郎の選挙区であるにもかかわらず「地元のための話じゃない。国全体の話だ。国際会議場は断じて京都。」と押し切ったというからさらにすごいと思います。「京都議定書」の例に見られるように、「京都」の持つブランド力を当時から見抜いていた先見性はさすがです。

本書の中に、河野一郎が9年にわたる閣僚・党役員を辞した後に関係者に宛てた手紙と言うのが出てきます。その中の一節が興味深い。
「私は戦前からの議員で、かつて軍事が政治に先行した時代の推移を身をもって知っておりますが、一言にしていえば現在は経済が政治に先行して政治が経済の後を追いかけているといった感を否めないように思います。」
河野一郎をしても、高度成長期には、経済がそんどん進んでいって、政治はそれを後追いしているという感じていたというのは興味深いと思います。反対に言えば、「政治は時代の先取り」と考える河野一郎は、政治は経済を後追いするのではなく、政治家自身が「将来、国をどのような方向に導きたいか」を考えて先手を打っていくべきだと考えていたのでしょう。


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