人だすけ、世だすけ、けんすけのブログ

愛知13区(安城市・刈谷市・碧南市、知立市、高浜市)
衆議院議員 おおにし健介

委員会での資料提出

2007年02月19日 | 国会
 民主党を大混迷に陥れたいわゆる「永田メール事件」から約1年経ちます。
「永田事件」の後遺症は意外に深く、「疑惑のデパート」状態の安倍内閣に対して、予算委員会での野党の追及の手は鈍く、萎縮効果が続いているように思います。

 永田事件では、メールが偽物だったことが最大の失敗であり、その後もネタ自体は必ずしもガセネタだったとは限らないのではないかとも言われています。しかし、メールが偽物だと判明した以上はそれ以上何を言っても無駄です。

 今回、予算委員会で、尾身財務大臣が予算編成の責任者の立場にありながら、要求側に対して個別案件に関するアドバイスを行ったのではないかという疑惑について、その証拠となる電話会議の議事録を委員会に提示するに当たっては細心の注意を払いました。

 週刊誌や新聞記事を引用するだけでは弱い。証拠となるブツを突きつけてこそインパクトがある質問になります。しかし、不用意にブツを出せば「自分で作ったんじゃないか!」、「またガセネタか!」との野次を浴びて、問題の本質よりも資料そのものの真贋に論点がすりかえられてしまうことにもなりかねません。

 今回は、資料についてはできる限りのウラをとって、内容からも政府部内で作成されたものとの確信を持っていました。しかし、最初の質疑では、出所が明らかにできない資料を最初から提出することは避けて、当該資料の存在を指摘して、理事会に提出することを求めました。

 しかし、最初の質疑では時間配分に失敗し、肝心の資料についての論証が十分できなかったことに加えて、やはり肝心のブツを突きつけられなかったことで質問の迫力が半減してしまいました。

 理事会協議では簡単には資料が提出されないということを受けて、2回目の質問では、十分に傍証の論証を行った上で、タイミングを見計らって「その資料と言うのはこれではありませんか?いまこの場所で確認してください!」という形でぶつける作戦をとりました。
 この作戦が見事的中!野党理事が委員長席に詰め寄り、資料の確認を求め、委員会は紛糾、10分の質問時間を後回しにして、後刻理事会で資料の確認をすることになりました。私としては、昼休みを挟んで10分の残り時間の質問をやるよりは、理事さんにがんばってもらい「休憩にして、いますぐ理事会を開いて確認しましょう!」と詰め寄って欲しかったところですが、それは欲張りすぎか・・。

 資料の真贋については慎重に判断をした上で採用するのが原則ですが、疑い出せばきりがありません。テープだって、文書だって捏造されたものでないという保証はどこにもない。しかし、そんな時も、資料の真贋だけに注目が集まらないように質問の仕方で工夫することは私は可能だと思います。

「幸せのちから」

2007年02月19日 | 日常

週末の土曜日、レイト・ショーで

ウィル・スミス主演の 「幸せのちから」 を観ました。

上演開始が午後11時50分、終わったら午前2時でした。でも、1,200円ですし、ガラガラの映画館で映画を観るのはなかなか贅沢な気分です。

映画の方は、ウィル・スミスの実の息子の好演を除くと、ストーリーは平板で少し期待はずれでした。医療器械のセールスをしている主人公は、家賃の滞納で借家を追われ、奥さんにも逃げられ、幼い息子と一緒に不幸のどん底に落ちます。しかし、わずかなチャンスをつかみ、最後には自分で会社を起こし大成功するというアメリカン・ドリームの典型のような話です。

ストーリーは、実話に基づいているそうですが、主人公がチャンスをつかむきっかけは、株の仲買人の養成講座、と言っても無給のインターンで1名だけが正規採用されるというものです。安倍さんがこの映画を観たら「これぞ、再チャレンジ!」とでも言うのだろうかと思いながら観てしまいました。映画のクライマックスは、正規採用される場面で後は後日談がテロップでながれるだけです。したがって、全編のほとんどは、不幸、不幸の連続でいたたまれない気持ちになります。

映画の原題は、PURSUIT OF HAPPYNNESS。「幸せのちから」という邦題はどうかな?と思います。そのままズバリ「幸福の追求」の方がよいのではと思います。というのも、この映画の主題は、アメリカ独立宣言にある「幸福の追求」だからです。

幸福追求権は、ワーキング・プアと呼ばれる貧困の問題に直面している日本でも考えさせられるテーマです。