ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

「金熙麗回顧展」を振り返って

2012-09-09 20:32:32 | 日記
 9月4日午前11時に開催された「金熙麗回顧展」が9日午後4時に閉会された。

 1日8時間、時間にして45時間もの間、白凛さんは一度も会場を離れることなく、「回顧展」を見守った。

 実行委員会の方々が交代を申し出たが、彼女は自分がいない間にお客様が来られたら申し訳ないからと、申し出を断ったそうだ。



 今日、最終日にもたくさんのお客様が来てくださった。





 私が到着したとき、コマプレスの朴サユさんが取材に訪れていた。

 大阪第4の父兄、姜さんは2回目来られていた。(この間はオモニムと今日はご主人と)




  
 文学部の韓さんは息子さんと来ていた。同級生のうちの長女も日曜日なので私を送ってくれたついでに4階まで上がって見学した。


(昨日長田からFbチングのパク・チャンリさんが来てくれた。)


(今日はパクさんの奥様の圭子さんがきてくれた。)


(昨日のお弁当は「豚肉とかぼちゃの甘辛いためと春雨サラダとおにぎり」)


(最終日の今日は大阪らしく「お好み焼きとツナ・コンサラダ」だったが、いつも食事中に必ずお客さんが来るので、凛さんは途中で立ち上がる。今日は東大阪支部の青年同盟の方たちが団体で来てくださった。)



 



 食事の途中だったがせっかく来てくださったお客様をそのままにして食事をすることはできないので仕方なく片づけた。ソン・ギチャン先生もお子さんを連れてきてくださったので、凛さんはいつものように一番最初から解説を行った。ソン先生も青年たちも熱心に聞いてくださっていた。

 今日で終わりなので解説が終わるのを待ってお別れの挨拶をしてから帰りたかったが、今日は孫のリファの初めてのピアノの発表会だったのでやむなく黙って会場を後にした。

 帰り道昨日の夜の「回顧展の懇親会」の模様が思い出された。


 (今回パンフレット制作や、搬入など裏方の仕事を黙々とこなしてくださった高ウオンスさんと、東京からワゴン車を走らせ作品を運んでくださった朝大の李ヨンフン先生)


(学美展に深い関心を示され、ウリハッキョの美術教育を支援してくださっている仲野誠先生が鳥取からワザワザ駆けつけてくださった)



 半世紀もの長い間、金熙麗先生と共に絵を書いて親交を深められた京都文芸同の河さんはじめ、自称弟子を自認されている共和病院の李先生、若いころ一緒に活動した画家の金石出さんと崔ジュンテさん、学美展の責任者である朴イルナム先生、大阪朝高の趙ガンレ先生はじめ美術部の皆さんが口々に先生との思い出を語ってくださった。

 私はここにおられるすべての方々のおかげで金熙麗先生は再び蘇られたと思った。又 素晴らしい作品を残された金先生と、その作品を後世に伝えようと頑張ってくださった皆さんがそばにおられたことは、金先生とご遺族にとって本当に幸運だったとつくづく思った。


 (同じテーブルに座った時、はじめいた女性4人で凛さん囲んで写真を撮った。)


 (最後に挨拶をと促され凛さんが語った。「皆さんの支えがあったからこそ回顧展を成功させることができました。有難うございます。」と。なんと謙虚な人だろう。)

 私は白凛さんのように、限りなく向学心に燃えた若い美術研究家が現れたことは、本当に喜ばしいことだと思った、在日の宝だと思った。

 私に今回できたことは1日1時間だけ彼女の傍にいてあげたことだけだ。でも彼女はまるで娘のように慕ってくれ、毎日会うのがどれほど楽しみだったかも知れない。長い間忘れていた金先生との逸話はボツボツブログにアップしょうと思う。若かった頃7年もの間机を並べた上司である金先生だが、今回の回顧展を通じて改めて偉大な画家と共に過ごした青春時代を誇らしく思った。皆さんコマッスムニダ!



コメント
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