ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

春は「タラの芽(タラボウ)」かと思いきや、海からきた「タラ」だった

2011-05-02 09:30:36 | 第1紀 生きる


常連の釣り吉三平ならぬM君が夕方こいつを持ってきた。
全長50㎝超はあろうかというタラである。
いつもは宮古など三陸が拠点の彼だが、確か陸奥の方にでもいったのか、結局は坊主らしく船頭さんにいただいてきたのがコレッ。

豚や牛の内臓ならお手の物のワタシラにも、魚編が得意なのはおらず、不肖ワタクシめが短い筋きり包丁で格闘した。
 (いや、今日は輪番で中華名人がお休みなのだ。彼なら刺身からなんから、すいすいとやってのけるのだが)
もう、お見せできないほどの不器用さで、とても「おろす」などとはいかず、相当乱暴に、骨など手で押し曲げたりしながらとりあえず準備。



しかし、鍋にするとそれまでの工程はともあれ、新鮮なタラからはオイシイだしもでていい具合。



夜の営業が終わり、従業員みんなで鍋をつつく。



これは頭のところで、ワタシは切り分けにあきらめたのだが、鍋にずぼっと入れて煮込むとまあ塩梅のいいありさまで、ワタシは一番オイシイ目玉を、Nさんはこれがチャンジャの元だろうと分厚い胃袋に挑戦する。



J氏はフリッターのような天麩羅を揚げて、こりゃまたオイシイと、ついつい生ビールからボウモアへと杯は進む。



常連さんの「山の会」からのお土産の山菜の天麩羅も季節を感じさせ、オイシイ。

外は桜が満開なのだが夜闇で見えない。
見えないのだが花見は進む。

そういうシアワセな「をかしら屋松園東黒石野店」の夜。


強い風に建物が揺れて、また余震かとびくびくする朝。
桜は雨と風に舞ってしまったのかと思ったが、どうやら事務所から見る花はどうにか頑張っている。
タラと楽しい花見のおかげで熟睡したせいか、朝は6時前に起床。
そのまま昨日から読み続けていた伊集院静の「いねむり先生」を蒲団の中で読了。
早朝の読書なんて、何年ぶりだろうか。
先週、大きい仕事をあらかたやっつけて、少し気持ちに余裕がでてきた。
なんにせよ、好きな本を読めるのはとても素敵なことだ。



伊集院と色川氏の、その二つ並ぶ独楽が舞うような物語。
人というものの奥底をかいま見るような、深く切なく、そして静かな読了感。
また、本棚の色川さんの棚(一応、好きな作家は棚別に区分してある)から何冊か取り出して読み返してみよう。
「いねむり先生」はこのあと松園店I店長の「だんな様」にお貸しする。
並ぶ文字は一緒でも、人それぞれに感じるものは違うのか。それとも、、、、
若かりし頃はこの程度の厚さなら2時間程で読み終えたものだが、今は、文字を追うにも時間がかかるし、時々、行間に詰まりながら進み、また止まるという読み方。
年齢によっても感じるものが違ってくるのだろうと、最近はやたら昔読んだほんの読み返しが多い。

そして、「軽くすませよう」と思った朝飯。
先週末、カウンターで話し込んだお客様の「あの店のフレンチトーストがね~」というのが耳に残りマルイチで単身生活では珍しく買い求めたサンドイッチ用パンを取り出し、ワタクシ的フレンチトースト。
つまり、甘くない奴。
パンをオリーブオイルとマーガリンという名のバターで両面を焼き、小麦粉を牛乳とタマゴで溶かしたのに漬け込み、またフライパンで両面を焦がす。
なかなかにオリジナルで、原型の「フレンチ」の名をかたるのも憚れる。
本物のミルクたっぷり、砂糖の甘さも溶けあい乳と甘さのお子様シアワセ気分とはほど遠いが、ワタクシ的にはパリ・エッフェル塔なのであります??



ほうれん草グジュタマをつきあわせで。
余った小麦粉は味をつけていつものように調理する。

嗚呼、「簡素」なはずの朝食が、いつのまにやらカロリーたっぷりに。

そう、昔は「カロリー」なんていう名の洋食屋さんもあり、当時はその店名が本格的な料理を想像させてたいそう響きのいいものだったが、この荒廃した思慮のない薄っぺらな現代ではね。。。その言葉さえ、眉を潜めて語られるんだから、もう。。

などと考えながらゆったりした朝も終わり。
さて、仕事しに行ぐべが、、

じゃ、
ワタシは今日は大通店です。