ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

監獄ロック

2007-07-11 10:14:52 | 第1紀 食べる・飲む
そういえば、昔あったな。監獄バーとか、監獄風の飲食店が。
入店すると、守衛風の店員に鉄棒で囲まれた監獄風個室へ連行されるという。
料理は鉄格子の小窓から差し入れられる。
けども、それなりに広かったような・・・。

月曜日の夜。久しぶりに家族三人で夜の外食。
最近、花巻駅付近は大手の居酒屋が開店ブームだ。
妻のボーナス目当てなので、銀行に隣接する某店へ。
カードでおろしてそのまま店へ。いいね、これ。銀行さん、「をかしら屋」にもぜひATMを設置してくださ~い。

ここは全室個室と聞いた。
期待し入る。
靴を脱ぎ、案内に従う。

??????。
なに、これ!!!!!!。

通されたのは廊下に面した一坪弱のテーブル。
2対2のシートとテーブル。そしてベンチシートの端が引き戸。
右ベンチ、テーブル、左ベンチと三つの引き違い戸。
入る時は右戸、左戸とも中央へ。
料理は中央のテーブル側の引き戸が開いて供される。
ここに、(大きな会社が好んで使う)システマティックな個室が誕生するのだ。一坪弱の、二畳分の、学生アパートより狭い、ドイツ人より合理主義的な、猫の額よりは少しだけ広い、ただ座って食べればいいという、豚舎や鶏舎に通じる効率的な一室が出現したのである。
嗚呼。
さすがの奥さんも、「まるで独居房ね。」と苦笑。
しかし店員はすまし顔で、「五兆もんが決まりましたらボタンを押してお呼びください。」と。
身動き取れない。ただ座って食べろってか。
この狭さじゃ、監獄ロックも唄えねえぞ。

まあ、世の流れか。
クローズした方が受けるのかな。若いアベックや、子連れ家族なんかには。
いやはや、としているうちに、我が方も段々慣れてくる。豚舎の豚さん、鶏舎の鶏さんみたいに。
妻は適応性が高いから、壁にへばりついている液晶テレビに興味を示す。
「なんで、せっかく家族で外食しに来ているのに、会話もせずテレビなんだ。じゃあ、家で食べればいいじゃないか。」と思うが、ここだと料理の準備も後片付けもいらないからなあ。
大体が妻はこの年代に良くある「テレビっこ」で、家にいれば四六時中、テレビの前にいる。掃除よりも洗濯よりも料理よりも、「テレビ」。テレビの前で、笑い、悲しみ、喜び、頷き、首をかしげ、時に怒り、時に、いや頻繁に涙ぐむ。
テレビの前の彼女の笑顔は、私に見せるそれより完璧に明るい。
私より、テレビと会話する時間が多い。
「ん、なに?」と彼女の声に反応すると、「いいの、いまテレビと話しているんだから」と我に返り冷めた口調で言う。
テレビさまさま。
だから、液晶テレビがある事に満足して、ちょこちょこチャンネルをかえながら楽しみ始めた。
まあ、いいか。
そして、料理は中戸があけられ運ばれる。独居房に。

料理は思ったより高い。そして、懸念したよりはきちんとした中身である。すこしだけだけど。
酒は、ビールは高いが、ワインは安い。もっとも、スーパーで数百円のチリワイン。でも、さすが大手チェーン店。しっかりしたものを選んでいるので思いのほかおいしいワイン。
戻るけど、料理はこれでいいのかなと思うのがほとんど。見た目はなんとか保っているけど、中身はなんかな?。
ぬるい刺身とイカソウメン。レンジで解答していると思うんだけど、刺身って普通は冷たいものよ。
ホッケの焼き物や他の料理も、セントラルキッチンやメーカーでプリフライなどの加工を施したものだと思うけど、そうとわかる出し方はどうなんだろう。
食器だって、さすがにメラニンは少ないが、いかにも安っぽいものを使うことはないだろう。大手なら窯に指示して安く作れるんだから、家庭ではでてこないそれなりの器を使ったらいいんじゃないかな。

私は、居酒屋もラーメン屋も基本的には大手チェーン店には入らない。
料理もサービスも画一的で、食事を楽しむ要素にかけているからだ。
戦後ははるかに終わり、食事は楽しむ場になっている。
一人でも、家族でも、友人どおしでも、カロリー補給所ではなく、生き楽しむ時間を過ごす場なのだ。
料理そのものにも、器にも、盛りつけにも、店内の空間や食器にも、サービスにも価格にもその店なりのものがあり、それが自分と会うことによりその店に通うことになる。
そんな風に考える。
だから、普遍的でなくていいんだと思う。
近代工業的な安定的。効率的な再現性を目指す料理・サービスでなくていいんだと思う。
店の主張があり、定番メニューに頷き、季節・時々の料理に驚き、いつものたたずまいにくつろぎ、いつにない空間や食器・調度品に目を奪われ、見慣れた店員の温かいサービスと笑顔に喜び、時に思いがけない応対やサービスに驚き感心する。
それが、料理と食べる場を供する飲食店のあり方だと思うんだが、チェーン店にはその半分しか、つまり「いつもの事がきちんとなされている」という面しかないんだなあと思う。
だから食べに行くことはあっても、「食事」にチェーン店を選ぶことはまれである。

と、これは私の独論でした。

にしても、この独房。
なんとかしてよ、動物愛護団体さん。

PS:このチェーン店の方へ。私なりのヒント。
あと15センチメートル、テーブルと引き戸の間があれば、部屋としての空間性が生まれますよ。
店員が廊下から料理を出すんでなく、一歩でも中に入れば。
都会では採算性を問い直す15センチメートルかもしれませんが、田舎ではできるはずですが・・。