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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

でっかくなった親芋も捨てない。いのちが繋がって行くからだ。

2021年11月29日 17時19分00秒 | Weblog

今日は午前中、一輪車を押して北の畑に行った。里芋畑の赤芋を掘った。四株掘った。親芋の周囲に子芋がぶら下がっていた。十分な収穫を得た。しかもみな太っていて、でかでかしかった。

 

我が愛情が里芋に行き渡ったのだろう。肥料をしたり土寄せをしたり、夏の炎天下に幾度か草取りをしたりした。「畑のものはみな人間の足音を聞いて育つ」の格言がある。その通りのようだ。

 

世話を焼くために足繁く通い詰めておかねばならない。好きな人の元へ通い詰めるようなものなんだろう。だから、里芋の子芋は相互交換の愛情の子芋でもあるのだ。

 

収穫した子芋は一輪車に載せて戻って来た。戻って来て、土を落とし、ごしごし擦って水洗いをした。友人宅へ、上等から選んで持って行った。

 

でっかくなった親芋も捨てない。畑の隅っこに深い穴を掘って埋めておいた。こうすれば寒さも防げるだろう。来春にはまた芽吹くはずだ。そうしたらまた畑に移植してあげよう。里芋はこうして命を繋いでいける。

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猫のAちゃんは暇を持て余していない。寝ている。いつも寝ていられる。

2021年11月29日 17時05分19秒 | Weblog

我が家の飼い猫のAちゃんは日の当たるベランダの濡れ縁の上でよく寝ています。寝ている時間が長いです。ときおり鼠を捕まえて来ます。捕まえて来て、これがAちゃんのお仕事です。

 

(鼠はすぐに食べません。ニャアニャアニャアと鳴きます。自慢をします。そしてそれを寝床の段ボール箱の中に暫く放置しています)

 

お仕事の時間は短いです。残りの時間はほとんど長く寝そべっています。ときどき目覚めて欠伸をして、四股を延ばします。よくそんなに寝られるもんだなあと思います。

 

暇そうにはしていません。退屈そうにも見えません。このお爺さんは暇がありすぎると退屈をします。そういうときには決まって要らぬことを考えます。

 

雑念妄念が湧きます。そしてそれに苦しめられます。苦しまないでいいように、本を読んだり音楽を聴いたりしています。

 

Aちゃんはどうでしょうね。雑念妄念なんて湧いてこないのでしょうか。

 

人間は案外馬鹿だなあ、などと思っているのでしょうか。おれたちは寝て過ごしていられるようになっているのに、人間たちはそうではないようだ。働いている。忙しそうにしている、暇を持て余している、などと観察しているのかもしれません。

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雀はどうやって情報伝達をしているのだろう?

2021年11月29日 16時44分20秒 | Weblog

もうすぐ午後5時になるところ。薄暗くなって来た。お爺さんは一足先に、畑から戻って来て、いまは炬燵の中であたたまっている。

 

庭に来る雀たちはもう塒(ねぐら)に戻っているようだ。姿がない。夕食は済んだのだろうか。炬燵の中に座っていて、窓の外が見える。

 

徐々に庭の餌場に来る雀の数が増えている。ということは? そうだ、情報伝達がなされているからなんだ。「あそこのお爺さんの家の、庭に行けば餌がもらえるよ」 そういう情報を広げているからだろう、数が増えてきたというのは。

 

雀の情報伝達の手段のことが気になる。伝達するための独自の「言葉」があるのだろうか? では、どういう言葉を使っているのだろう。チュンチュンチュンだけで、幾通りにも使い分けているのだろうか。尻尾の振り方に工夫を加えているのだろうか?

 

「あなたお腹が減っているのね」「だったらわたしについておいでよ」「そこへ行けばお腹いっぱい食べられるわよ」そういう誘いかけをしているはず。

 

だとすると雀は案外、社会性に富んでいるのだ。1人で餌を独占しない方針を立てているのだろう。お互い様で、互いに食べ物を分け合って暮らしているのだろう。雀はなるほど集団で暮らしている。助け合っているのだろう。

 

このお爺さんよりはよほど賢い。偉い。情愛が豊かである。

 

 

 

 

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今日は友人宅へ行く

2021年11月29日 08時56分03秒 | Weblog

午前9時。外気温8・9℃。日脚が室内にも延びて来ている。

 

僕は今日は白石の友人宅へ行く。甘柿と生姜と隼人瓜とつくね芋をもらいに。

 

昨日電話をもらった。彼は車に乗らないから、こちらから。

 

こちらからは、薩摩芋、里芋、百合の球根を届ける。彼の畑は猪に荒らされて全滅したらしいから。

 

 

 

 

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人は誰もが光り輝く一等星の恒星となる。

2021年11月29日 06時29分15秒 | Weblog

おはようございます。11月29日、月曜日です。わたしは死なずに目覚めています。

 

生まれて死んで、死んで生まれる。

 

どっちが先立ったんだろう?

 

生まれたから死んだんだよね、やっぱり。

 

死んだから生まれた、んじゃなくて。

 

生死は輪廻する。繰り返す。じっとしていない。

 

生死の間に中有があるとすれば、3進法。0・1・2。

 

死生の間にまた中有があるとすれば、0・1・2・0。

 

0120120120120を繰り返す。永遠に。

 

このサイクルを永久離脱する「上がり」があるか。ある。

 

あるとされる。それが解脱だ。運行を永久中止する。

 

それが仏陀だ。たとえば太陽系の中心に位置するようになる。

 

そこに仏陀系惑星が回転をするようになる。

 

仏陀は単数ではない。ガンジス川の河沙のようにたくさんいらっしゃるので、無限級数に近い。

 

それを可能にするのが仏陀の智慧、仏智である。悟りの智慧である。

 

智慧の中には慈悲がある。利他救済の慈悲が働くようになる。

 

生存の全エネルギーが、利己ではなく利他になる。

 

利己を克服できたのだ。そこでは利己の苦悩がなくなっている。

 

生まれて死んで、死んで生まれる。間、間で、軌道調整もしくは修正を図る中有があって、次の生を模索する。

 

これでよかったのかな? うううん、まだまだだったな。次こそはこの弱点を補強して生まれて行こう。・・・などなどと。

 

そう、生死には次があるのだ。一回二回の生死では完成を見ないのだ。百回も千回も繰り返すのだ。未完成未完成未完成未完成を繰り返して次第に完成に近付いていく。

 

 

もうすぎ1サイクルを終えようとしているお爺さんは、ベッドの中でそんなことを考えてみた。

 

完成したら光り輝く一等星の恒星になる。だったら、いいな。ロマンチックだな。

 

その全課程をじっと見守って導いて助けて働きかけて行く「力=パワー=エネルギー」が存在していなければならない。存在しているので、わたしの生死が具体化しているのだ。

 

 

7時。夜が明けた。障子戸の向こう、南の空がほんのり赤い。雲が朝日に染まっている。

 

薄暗がりの庭には雀たち。チュンチュンチュンチュンチュンチュン鳴いて賑やかだ。

 

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集団の中を嫌います、わがままですわたしは。

2021年11月28日 13時44分07秒 | Weblog

9時から1時間程度、檀家寺の草取りに行きました。わたしはの長老の方から無理矢理、係にさせられています。イヤダイヤダというのに。もう3年が経ちますから、他の人に代わってもらいたいのですが、引き受ける者は見つかりません。

 

みなさんは草刈り機を持参されていましたが、わたしは持ちません。左足麻痺ですから、立ち仕事はできません。丸椅子を持って行って座って、庫裏の裏手の草取りをしました。する仕事は楽でした。

 

パンを二個と缶ビールとペットボトルのお茶とお菓子とを頂いて帰って来ました。わたしはわがままで、協力性社会性が希薄です。集団の中を嫌います。いいことではありません。高齢者になっていよいよこの短所が極まって来ました。

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つむじを曲げているのかも

2021年11月27日 17時34分41秒 | Weblog

畑に出て、九条葱の土寄せをしました。有機牛糞肥料を施肥しながら。寒い中を。

 

今年はうまく育っていません。生育が遅くなっています。まだ食べられる状態に達していません。

 

鍋物、すき焼きの材料にしたいのですが、そこまでの段階に達していません。焦ります。

 

どうしたんでしょうね。いつもの年のようにいきません。

 

つむじを曲げたのかも知れません。

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何かをしてもいいし、しなくてもいい。自由。

2021年11月26日 07時40分22秒 | Weblog

寒い。気温が6・7℃しかない。こんなに冷え込めば、そろそろ霜が降りるかもしれない。

僕は炬燵に入ってさらにエアコンをつけて避寒する。それでも肩の辺りが冷える。ジャンパーも着込んでいるのに。

でも、障子戸の向こうには朝日が輝いている。日が輝けば大空も大地もあたたかくなるだろう。

僕は今日は何をしようか。何かをしててもいいし、何もしなくてもいい。自由でいい。自由でいいなんて、なんて贅沢老人だろう。

何かをしよう。北の畑の里芋を掘り残しているから、北の畑に行ってみようか。里芋は寒さに弱い。早く掘り上げないと腐ってしまう。

 

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なんでも「・・・したつもり」になってご機嫌。

2021年11月26日 05時03分44秒 | Weblog

おはようございます。ただいま午前5時をちょっと回ったところ。目が覚めました。気温は7℃。寒い。ジャンパーを着込んで、暖かい炬燵に入る。

 

そしていつもの7つのチャクラを開くための音楽を聴く。スーハースーハーゆっくり深呼吸をして、健康宇宙と健康エネルギー交換を開始する。・・・したつもりになる。

 

なんでも、「・・・したつもり」になって、それでご機嫌。お安い。何もできないよぼよぼ爺さんのハッピーハッピー瞑想操作術。「したつもり」だけでも幸福ホルモンのセロトニンが横溢する。

 

両翼をつけて大空を飛び回る。飛行機ほどの高さではなく、鷹(たか)や鳶(とんび)ほどの低さで。ゆるやかに上下して、美しい地上の楽園を見て回る。回ったつもりになる。ご機嫌になる。

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道に迷っている方をお助けできました。

2021年11月25日 18時02分45秒 | Weblog

雷山千如寺は雷山の山麓にあります。住所は福岡県糸島市雷山636となっています。山深いところに位置しています。

前に尋ねた折に、福岡県の方から行きました。紅葉がちょうど見頃の頃でしたので、山麓までの道が渋滞して行き着くまでに長く長く待ちました。

で、今回は裏手から迫りました。佐賀県側の上無津呂から小さな林道が続いています。林道に入る入口が初めての人にはなかなか分からないのです。

途中で車を呼び止められました。道に迷っておられたようです。雷山観音はどう行けばいいのでしょうかとお尋ねになりました。反対の羽金山の入口に車を止めて、走って来られました。

わたしたちもこれからそこへ行こうとしています、と答えました。後についてきていいですか、と言われます。こちらもこの道は昔々通ったことがあるきりで、いまもこの道を行けば、目的地に辿り着けるのかどうか確証がありません。

林道ですから細い道です。それがうねうねと曲がりくねっています。でも、大丈夫でした。小半時ほども山路を走り抜けて目的地に到着しました。長崎県諫早市から来られた老夫婦の方でした。

観音様のお導きに会えましたと言われました。喜ばれました。ネットで調べてもこの林道はついていないはずです。面目を果たしました。でも、これは観音様のご発遣だったのでしょう。そのお遣い役ができたということになりました。何だか誇らしくなりました。

 

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