おはようございます。11月29日、月曜日です。わたしは死なずに目覚めています。
生まれて死んで、死んで生まれる。
どっちが先立ったんだろう?
生まれたから死んだんだよね、やっぱり。
死んだから生まれた、んじゃなくて。
生死は輪廻する。繰り返す。じっとしていない。
生死の間に中有があるとすれば、3進法。0・1・2。
死生の間にまた中有があるとすれば、0・1・2・0。
0120120120120を繰り返す。永遠に。
このサイクルを永久離脱する「上がり」があるか。ある。
あるとされる。それが解脱だ。運行を永久中止する。
それが仏陀だ。たとえば太陽系の中心に位置するようになる。
そこに仏陀系惑星が回転をするようになる。
仏陀は単数ではない。ガンジス川の河沙のようにたくさんいらっしゃるので、無限級数に近い。
それを可能にするのが仏陀の智慧、仏智である。悟りの智慧である。
智慧の中には慈悲がある。利他救済の慈悲が働くようになる。
生存の全エネルギーが、利己ではなく利他になる。
利己を克服できたのだ。そこでは利己の苦悩がなくなっている。
生まれて死んで、死んで生まれる。間、間で、軌道調整もしくは修正を図る中有があって、次の生を模索する。
これでよかったのかな? うううん、まだまだだったな。次こそはこの弱点を補強して生まれて行こう。・・・などなどと。
そう、生死には次があるのだ。一回二回の生死では完成を見ないのだ。百回も千回も繰り返すのだ。未完成未完成未完成未完成を繰り返して次第に完成に近付いていく。
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もうすぎ1サイクルを終えようとしているお爺さんは、ベッドの中でそんなことを考えてみた。
完成したら光り輝く一等星の恒星になる。だったら、いいな。ロマンチックだな。
その全課程をじっと見守って導いて助けて働きかけて行く「力=パワー=エネルギー」が存在していなければならない。存在しているので、わたしの生死が具体化しているのだ。
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7時。夜が明けた。障子戸の向こう、南の空がほんのり赤い。雲が朝日に染まっている。
薄暗がりの庭には雀たち。チュンチュンチュンチュンチュンチュン鳴いて賑やかだ。