秋空はおんな宮(ぐう)なり おとこらは鰯雲なり あかあか参り 薬王華蔵
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イメージを働かせてみた。秋空の全体が「おんな宮」である。万物の生命を宿している胎内か。精子のおとこらが、千万泳いで進んで行く。お参りなのだ。よく見るとそれはただの鰯雲だった。夕焼けがしてあかあかと輝いている。おんな宮の鳥居も赤く染まっている。
わたしもそのような存在なんだろう、おんな宮を慕う存在なのだろう。赤々と染まった赤い鳥居を仰いでいる。
秋空はおんな宮(ぐう)なり おとこらは鰯雲なり あかあか参り 薬王華蔵
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イメージを働かせてみた。秋空の全体が「おんな宮」である。万物の生命を宿している胎内か。精子のおとこらが、千万泳いで進んで行く。お参りなのだ。よく見るとそれはただの鰯雲だった。夕焼けがしてあかあかと輝いている。おんな宮の鳥居も赤く染まっている。
わたしもそのような存在なんだろう、おんな宮を慕う存在なのだろう。赤々と染まった赤い鳥居を仰いでいる。
曇天が続いているが雨はやんだよう、どうやら。だったら、農作業着に着替えて外に出てみようか。することはある。プランターに育っている野菜苗の移植を試みたい。でももうすぐお昼だな。じゃ、昼ご飯を済ませてからがいいかな。
ふっと足元にさみしさ様が来ている。いつのまにか。では、さみしさ様としばし遊んでやらねばなるまい。何をして? なんにもしなくていい。抱き上げて手にとって息をふううと吹きかけてやれば。蒲公英の白い綿毛にして、空へ飛ばしてあげればいいだろう。
穂の末(うれ)に武蔵の描く百舌鳥のゐて紙の如くに空破れたり 薬王華蔵
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穂は芒の穂である。すっと伸びて細長い。秋が深くなった野。そこへ百舌鳥が来ている。宮本武蔵が描いた百舌鳥1羽。枯淡極まった百舌鳥である。それが一声甲高く鳴く。するとナイフになった芒の穂が、風景を紙にして、一刀のもとに秋の大空を破いて見せてくれた。向こうに、武蔵がにたりとしている。こっちを見ている。過去と現在の時が重複して、面白いことに野原の此処では2つの構造になっている。
死と生は0と1との2進法 旨酒さえる秋すずしかり 薬王華蔵
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2進法には0と1しかない。死が0で、生が1。0が1を産み落とす。1が0のやすらぎを掘り当てる。恐れるな。怖じるな。こうして次へ次へ進んで行く。わたしたちは波形をなしている進む生命の波。波頭の今夜は涼しい秋、勇躍(ゆやく)して歓喜(かんぎ)の旨酒を飲もう。
☆ 天(あま)つ神国つ神ともはしきやしわれをまもるとひにけに語る 薬王華蔵
はしきやし=愛しきやし。愛情が溢れている。 ひにけに=日増しに
天つ神=天にいる神。または天から降臨した神々。 国つ神=地祇、地神。国土を守護する神々。天つ神国つ神=天神地祇。天と地の守り神。目には見えないでもわたしを守ることに専念している天地の善意。
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神々の語るを聞けばはしけやし 我を守ると今日もまた言ふ
こんな楽観的な発想をしてみました。その通りなのです、実際に。雨が降ったり風が吹いたり、青空になったり白雲が湧いたり。地に草が生えたり木が生えたり。畢竟するに、それらがすべてわたしを守ること、その一点に結果しているのです。
今日は朝から雨降り。畑仕事は出来ない。炬燵に足を延ばして、雨の音を聞いているしかない。炬燵に入らなくてもいいのだが、此処にパソコンが置いてあるので、オンにする。
そしてベートーベンを聴く。これでしばらくは満ち足りる。簡単な仕組みになっている。果敢にエベレストに挑戦して、危険を顧みずに登り詰めて、山頂に立って初めてそれを得る人も居る中で、この老爺は簡単な構成である。
しかもこの老爺、音譜も読めないのに、嵌まる。音楽のなんたるかも知らず、音楽の術中に嵌まる。ころりとなる。そして、とろりとろりになる。魂が垂涎する。難しい手間が要らない。まことに雑作もない作りなのである。
薄く薄くきってある。これがコツ。白ご飯の上にのせる。薫りがくんと引き立つ。カリカリ借りの歯触りもいい。漬けてから3週間目。いい味が出ている。今年は隼人瓜が僅かしか実をつけなかった。だから、貴重品。一飲みにはしない。噛んで転がして薫りを確かめて、食べる。やって来た友人にも、帰りにビニール袋に包んで、分けて上げた。
隼人瓜も先日の霜ですっかり縮れてしまった。葉の色も変わった。今年はこれでお終いだ。棚を作ってあげなかったので、畑に這うしかなかった。それで実のツキが悪いのだ。
今夜は割と温かい。着ているものを一枚脱ぐ。それでも火照る。もう一枚。両足はお蒲団の外に出している。これなら毛布も要らないかな。
なんだあ、まだ宵の口かあ。寝たかと思ったら、一時間で目が覚めた。今夜も夜が長いぞ。
左手の人差し指を。チョットだけなのに、おお、いてててて。たちまち赤い血がたらたらりと噴き出た。生きてた! 消毒して、カットバンを貼ってもらった。落ち着いた。お昼のことだ。夕方には今度は親指の爪をガリガリリー。注意してたのに。またしても手元が狂っちゃった。これも痛い。力強くノコギリを引いていたのだから、柔らかい指は、災難だった。
夜更けに目が覚めた。生傷のカットバンオジンを眺めているところ。
朝方の9時15分から夕方の17時まで、ノコギリを手から離さなかった。お昼はパンを食べ食べ作業した。
友人が来て、自分が言い出して、我が家の西側の境目のどんだに茂っていた女竹や雑木を、大きなノコギリとよく切れる鎌で、がさがさごそごそ切り倒してくれた。お陰できれいさっぱりになった。暗く鬱蒼としていたのが、途端に日が射して来た。ここは隣家との境目。竹や雑木が畑に覆い被さっていた。
切り倒された女竹と雑木を、主の僕がノコギリを使って小さくした。山が幾山もできた。
彼は用事があって、午前中11時には引き上げていって、午後3時にまたやって来た。その間に、竈にそれを適宜集めて燃やした。火事にならないように少しずつ慎重に。午後に入って、いよいよその境目のどんだがきれいさっぱりした。どんだは崖になっているので、怪我をしないように転げないように、気を付けてもらった。彼は16時には引き上げた。助かった。彼の親切が有り難かった。
燃やして燃やして燃やして、すべてを燃やし尽くした。背中に汗を掻いた。へとへとになった。