今夜の晩酌は焼酎。芋焼酎。5対5のお湯割りにして。マグカップ1杯。鯵の塩焼きを肴にして。チョビチョビ。これが楽しみの時間。それからあつ湯に長長と浸かった。温まった。これで酔いがまわった。お蒲団に潜り込んでしばらくしてたら、寝息を立てていた。それから一時間半して目が覚めて、トイレにたった。なんだまだ宵の口じゃないか。明け方までに3回トイレに通う。毎晩。その途中途中がちょっと辛い。寒い夜は特に。年寄りだからしようがないかな。
玉葱苗、植え終わりましたよ。これで一段落がつきました。苗を買って来ても、植えないうちに腐らしてしまうのはいかにも勿体ないからね。寒いかと思って厚着していったけれど、途中で脱いでしまった。こそこそこそだけど、やっぱり働いているとちょっと事情が違うのかも知れない。ともかく日暮れまでに作業が終了した。整地しただけでも気持ちいいのに、そこに新しい野菜が一品加わって、畑が落ち着きを取り戻し、充実して見えました。今夜はぐっすり眠れるぞ。
浮いているような気がするのです。しっかりと地に足をつけて歩きたいのです。しっかりとした地はあっても、軽挙なわたしの足が宙に舞っているのです。
ブログを書くとそれが少しばかり変貌するような気がするのです。少しだけ地に近くなった気がするのです。でももちろんこれは気持ちだけです。
やっぱり儚い蜉蝣です、わたしは。そこらを当てもなく飛び回り、彷徨い続けるばかりです。
ブログが艫綱の役割を果たしてくれそうな気がするのです。港の杭に繋げてくれそうな気がするのです。それでちょこちょこ諦めもせず書き続けています。
それでいいじゃないか。
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秋空はそれおんな宮(ぐう) おとこらは鰯雲なり あかあか参り 薬王華蔵
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天空はみな神の宮どころである。秋空は夕方近く。落日の光が女神のおんな宮を照らし出している。鰯雲のおとこ等が、いやいやこれも男神なのだが、群れをなして近くに馳せ参じている。あかあかの目をして、おんな宮の気に入られようとしている。それで平和が保たれている。だったら、それでいいじゃないか。
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短歌の字数は31文字。ことさら意味を込める必要はない。感覚で造営して、感覚で観賞すればいい。読んで一瞬そこに、あかあかとした風景が浮かび上がって、ざざざっと快感ホルモンが分泌されたら、もうけものだ。
日が射してきた。どうやら晴れに向かいそう。というまにまた日が翳る。薄暗くなる。この繰り返しかな、しばらくは。お天気の腰がしっかり据わるまでは、立ち上がれない。畑に行って玉葱苗を植え付けなければならないが、もう少し待つ。
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快感を感じると、βエンドロフィン、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンが分泌される。陶酔感、幸福感、満足感が得られる。別名ハピネスホルモンとも。不足すると無気力、意欲減退を引き起こしたり、感情にブレーキが効かなくなって平常心が保てなくもなる。
βエンドロフィンは脳内ホルモンである。鎮痛効果もあって、脳内麻薬とも呼ばれる。苦痛をも和らげる。モルヒネの6倍の効果を持っているらしい。これらの快感ホルモンはやる気をスイッチオンにする。らしい。
暇だからネット検索をして調べてみた。だからここに取り上げた知識は、受け売り無知の類いである。
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死ぬ際にも、脳内に快感ホルモンのβエンドロフィンが分泌されて死の苦痛を和らげてくれるらしい。巧い具合に造られているなあ、人体というのは。死なない内、つまり現在此処で、快感・幸福感・満足感・陶酔感を感じられるような考え方、生き方、行動が出来るといいなあ。
小雨。霧雨ほどかな。全体が薄暗い。玉葱苗を買って来ているから、畑に出て行って耕して畝を作って植え付けの下ごしらえをしておかねばならないのだが、ためらう。少雨といえど濡れてまではしたくない。珍しい新品種の赤100本、上等苗の早生100本。しめて1000円をはるかに超す。これに肥料代が掛かる。出来上がりを買った方が賢明でもあるが、育てる楽しみを選択する。老いたら、畑以外に行き所がないのである。土弄(いじ)り以外にすることがないのである。ちょっと悲しいけど。
外の足洗い場の水道の蛇口と壁との間の僅かな隙間に、でかい蜘蛛が蜘蛛の巣を張っている。巣の中央に陣取って獲物を狙っている。高さはない。そこに花が咲いているわけでもない。こんなところに蝶々が飛んでくる見込みは立たない、わたしには。わたしには立たないが、蜘蛛には立つのだろう。もうかれこれ一週間はのんびりここにこうしている。雨にも風にもマケズ。一日に一度は巣を作り替える。わたしはときどき用があって蛇口を捻る。すると、蜘蛛の巣がその分傷んでしまう。申し訳ないなと思いつつ、移植をした野菜の根元に水を撒く。一週間で獲物は僅かでもあったかどうか。なさそうにみえる。空腹も頂点に達したのかも知れない。で、今日はそののんびり屋の蜘蛛さん引っ越しを完了していた。蛇口に蜘蛛の巣の片端も見えなくなっていた。
蜘蛛さんと老爺。二人の関係が今朝方ぷつりと切れた。何処へ旅に出たのやら。ここは山里。ひっそりしたところである。
百千万億兆の絶対必須条件が全部完全にまとまってプラスに転じ、それでわたしの願いが聞き届けられた。で、わたしがこの星に生まれることになった。たった一つの条件が欠けてもそれは成就しなかった。最後に父と母がわたしを引き受けた。快諾しなかったら、わたしは誕生しなかった。わたしは卵子精子合併の意思一個から始まった。
百千万億兆の宇宙合意を取り付けておきながら、わたしはそれをすっかり忘却している。恩知らずだ。合意があったときには歓喜を爆発させたのに、それもすっかり冷え込んで小さくなってしまった。代わりにあれこれ文句を言うようになった。不満不平を述べるようになった。死ぬのが嫌だと言い出すようにもなった。
死ぬのが嫌だという主張は約束違反である。合意条件は、「はい、わたしは喜んで死にます」「生んでもらったらそれは当たり前です」「そこはあっさり越えて行きます」だったはず。承認済みだったはず。それを翻すことが多くなった。寝返り行為に等しい。
欲深が過ぎるのである。誕生させてもらった時点ですべてが満ちていたはずである。それを反故にして、その上その上の欲望を膨らませているのである。その傲慢な姿勢を恥じてもいない。百千万億兆の願い完成を見てこの世を生きているわたしである。わたしはただただ「有り難うございました」の一言を貫いて行くべきである。
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11月14日、朝方ふっとそれを思った。百千万億年にも及ぶ「人間に生まれたい」の祈りが届いて人間に生まれて来ているのである。それを必死で祈っていたときのわたし、百千万億年前のわたし、謙虚なわたし、こころ一途なわたしに、わたしよ戻れ! その頃のわたしは今のわたしのように傲慢ではなかったはずである。
昨夜、我が家は真っ白い茸入りカレーライスだった。ハウスバーモントカレーの中辛をつかって。ほどよい辛さだった。サイコロ牛肉ではない牛肉がたっぷり入っていた。おいいしかった。カレーにまみれた茸の歯触りが刺激的だった。加えて、小松菜の緑が鮮やかだった。僕はどってりしたのは嫌い。むしろサラサラしている方が好みだ。牛乳を加えて少し薄めて、お昼にまた食べよう。
ふふふ、なんでもあっさりがいい。サラサラしている方がいい。人付き合いもそう。親切もそう。愛情の盛りつけもそう。
おはようございます。米糠さん、おはようございます。
米糠は袋に入っています。3袋。1袋が200円でした。フカネギの根元にうっすらこれをかけて布団代わりにしてあげようと思っています。1列に1袋じゃ、足りないかも知れないな。勿論、その上に軽く土を被せて、風に飛ばないようにして。フカネギが寒がりだからではありません。成長を促すためです。そんな栽培法は、しかし、どこにも奨励してありません。わたしの思いつきです。アスパラガスの株元に盛るのは聞いたことが有ります。米糠を撒いておくとたしかに草は長期に生えにくくなります。
今日は、でも、雨になるのかな。曇天のよう。雨だと作業は延期。