感情に揺さぶられて右往左往します。わたしは波に漂う枯葉の一枚です。主体性を持ちません。そうであるのにちゃんと自己主張をします。正しいとか正しくないとかの自己判断を回りにも強制強要します。それに応じてくれないと怒りをぶつけます。揺さぶられている感情に正しさの判断なんかできるはずがないのに、です。愚かなことです。自分を取り戻すのに手間暇がかかります。間違いに気付いたら直せばいいのです。素直になれば直せるはずです。
さみしい。何年生きていても、さみしさが消えることはない。理屈ではない。理論ではない。空虚を埋め合わせられない。ぽつんとしてさみしい。偉ぶったら消えるものなら、偉ぶってみてみたいが、偉ぶるものがない。
冬玉葱を植え付ける時季が近づいて来ている。だが、植え付ける予定の場所はまた耕されていない。草に蔽われている。どうしよう。
どうするこうするの心配よりは、行動に移った方がいいのかもしれない。今日は雨の日だから、行動には移せない。もう玉葱苗は種苗店園芸店に列んでいる。
ふふ。老爺にもまだ働く必要があった。嬉しいじゃないか。玉葱を、しかし、植え付けたところで、たいしてものにはならない。病気にやられてしまうからだ。病気予防の薬もある。だが、面倒だから省略する。すると玉は太らない。いつまでたってもラッキョウの大きさにしている。例年そんな具合だ。肥料をたっぷり撒かねばならない。それで草だけが覆い尽くす。そういうことの連続だ。それでもやりたい。ほかに老爺がやることがないからだ。
玉葱苗は100株で数百円する。100株といっても植え付けるとほんの少しに見える。で、400~500株は買ってくる。早生苗、晩生苗、中生苗とある。赤い玉葱苗もある。遊ぶには事欠かない。これくらいの遊びは上々の遊びかも知れない。毒意もない。人に迷惑が掛かるわけでもない。
明日は自動車学校へ行く。これで2回目。免許更新の手続きの前に、高齢者講習を受けねばならない。講習代は4650円。講座がある。諸検査がある。身の衰えを測定される。たしかに衰えていることを実感する。実際に車に乗って練習場を乗って回らねばならない。監督官の指示に従えないときもあって、どぎまぎする。全体で数時間はかかる。高齢者が列をなしている。なべて心配そうな顔つきだ。寄る年波には勝てないからだ。自動車学校は余程前から予約を入れておかないと、希望者が殺到していて、受けられない。高齢者は多い。そして車は必要だ。田舎になればなるほど不可欠だ。ほかに交通の便がない。若者がいて運転をしてくれるような家庭は希だろう。若者も少ない。高齢者の事故は増えている。事故は他者を巻き込んでしまう。心身の機能は衰える一方だ。危ない。早期に免許証返上をしなくてはなるまい。そう思う。返上したら最後、家に引き籠もるしかないのかもしれない。
庭に山茶花が咲き出した。そこそこの大樹である。ピンクの色。今年はやや遅いようだ。木の下に立って見上げた。ベランダの雨樋にぽとりぽとりゆっくり雨音はしているが、降る雨は目に見えない。霧雨である。庭のあちこちにある石蕗は黄金の色を誇っている。近づいて行くと、薫る。女性のおしろいのような匂いだ。
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欲は波になる。潮になる。沖合から鬩ぎ合って溢れて来る。満ち潮になる。わたしの岸辺が波打ち際になって白濁する。潮騒の白い音がする。入江が静かになる。ここまでで終わる。それからは引き潮になる。欲は沖合に退いていく。岸辺の砂浜が姿を見せる。千切れた海草が打ち上がっている。満ちて引いて行く己の中の海。生命は全体で地球のようだ。海があり陸地があり、それを蔽う青い空がある。波はリビドーである。ひたひたと寄せては返して行く。
増上慢する。つけ上がる。まだまだ足りないと思う。要求してかかる。増長する。身太りしているのに更に太らそうとする。そういう慢心のさぶろうがいる。不満たらたらのさぶろうがいる。悪臭を放つ。
それを見ているさぶろう2がいる。ふたりがときどきやり合っている。綱引きしている。綱を持つ手を放して喧嘩になっている場合もある。
ほんとうに足りないのか? 十分足りているはずだ。片方が諫める。
足りているもんか。足りているはずはない。もう片方が食って掛かる。
11月8日、午前5時。久し振りの我が家のお蒲団は寝心地がいいぞ。もう毛布も挟んでいる。
5泊6日の旅から昨夜戻ってきた。遊んだ。楽しんだ。うまいものを食った。昼間も夜も連日ビールを飲んだ。焼酎を飲んだ。あちこちの名所旧跡を見て回った。温泉に浸かった。歩いた歩いた。紅葉の赤い山を見た。太平洋の紺碧の海に感動した。頻繁にタクシーの世話になった。貧乏財布が贅沢三昧した。散財した。
見ない間に畑の大根、白菜がさぞかし成長したことだろう。昨夜は暗くてもう見えなかった。おまけに雨も降り出していた。夜が明けたら見て回ろう。またひとり静かな農作業の日々に戻ろう。