<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

どこまでが<わたし>なんでしょう?

2014年02月22日 17時19分47秒 | Weblog
「わたしのスケッチfantasy」

わたしにできることって何だろう?
自問しますがなかなか見つかりません
でも周囲を眺めてうっとりすること
これならいつだって楽にできます

春夏秋冬「ああ、きれいだ」を乱発して
そこでしばらくうっとりをします
褒められている桜や菫やタンポポには
人間のような耳は見えませんが
でも届いているのだと思います
体中くすぐったいかもしれません

そうでなくったっていいのです
わたしたちはエネルギーなのですから
いつかいっしょになります
隣同士になることもあるはずです
「ちゃんと聞いていましたよ」
「やっぱりそうでしたね」
そこでそういう会話が成立します

わたしは自分の個人的無能力さが
ちょくちょく嫌になります
それでちょくちょくふさぎこみます
恨んだり羨んだりして悲しみます
自暴自棄を蔑んだりして苦しみます
自分に拿捕されてしまわないように
努力するだけで疲労困憊します

こんなときは件のうっとり消防車を
非常時出動させて切り抜けます
あちらへひょろりこちらへひょろりと
自転車を漕いで出かけて行きます

川縁に座ってスケッチをします
うっとりは桜だけではありません
町も村も 麦畑も赤い鉄橋も
空も山も海も 鳥も虫も魚もそうです
きりがないほどです
ぼんやり堪能しているだけで
あやうく一生が過ぎそうです

わたしたちはたがいに
この宇宙を形成構築するエネルギーです
生まれたり死んだり壊れたり壊したり
わたしを死んであなたに生まれたりして
みんなで相関と変化を楽しんでいます

わたしたちはだから全体なのです
時間的空間的無際限の全体です
錯誤と不完全を補い合って
全体としての個々を体現しています

これは突拍子もないfantasyですが
わたしが秋の高い高い空になるときには
羊を遊ばせたわたしの空を
小鳥たちに褒めてもらえるかもしれません

********

これは2012年度の県文学賞に投稿した作品です。

入選の中では末席の<秀作>に選ばれていました。



<わたし>というのはどれくらいの大きさでしょう?

どこまでが<わたし>なのでしょう?

この<肉体>だけが、<わたし>なのだろうか?



答は?

うん、僕の答はね、「拡大縮小も自由」です。

<わたし>を拡大するのも縮小するのも、それは自由です。

限定したりしないでもいい。はみ出したっていい。

<わたし>の中に<あなた>を含めたっていい。

<あなた>の中に<わたし>を含めたっていい。

・・・のではないか。



<わたし>としているわたしを、どんどん膨らませていって、秋の大空にする。

すると<わたし>の肺も大空大になっていて、深呼吸をすると星が吸いこまれてくる。

反対にどんどん小さくなっていって、ついにどんな境界線も通過ができるまでになる。

すると<わたし>は、もう形をも失ってすっかり透明になっている。
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