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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしの今夜の即興詩 「尺取り虫」

2020年05月10日 23時43分37秒 | Weblog

わたしの即興詩 「尺取り虫」

 

くにゅくにゅ。くにゅくにゅ。尺取り虫が尺をとる。

尺の向こうに何かがあるらしい。

楽しいことがあるらしい。待ち受けているらしい。

 

くにゅくにゅ。くにゅくにゅ。尺取り虫が懸命に身を乗り出している。

何かがあるらしい。うん、何かが何かがあるらしい。

その遥か前方に嬉しいことを見つけたらしい。大事件らしい。

 

くにゅくにゅ。くにゅくにゅ。尺取り虫がよいしょと立ち上がる。

此処は緑色をした草の原っぱ。そこで五月が昼寝をしているばかりなのだが。

尺取り虫の疳の虫には、何かが読み取れているらしい。

 

くにゅくにゅ、くにゅくにゅ。なあんだ、そうだったのか。

仲間がいたんだ。仲間の中に好きな子がいたんだ。

その子もやっぱりくにゅくにゅくにゅとして、早く早くというように進んで来る。

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実に安上がりな老爺であります。

2020年05月10日 20時35分13秒 | Weblog

午前中、雨が止んでいるときに、畑につくね芋の苗を3株植え付けました。

草を抜いて、耕して、肥料を施してから。

丸い小さな椅子に座って、小さなスコップで深く耕した。芋がでかく育つように。

とにかく畑にいるだけで、しばらくいるだけで、この老爺はご機嫌なのである。

実に安上がりな老爺であります。

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即興詩 「母の日のわたしの詩」

2020年05月10日 18時17分44秒 | Weblog

今日のわたしの即興詩 「母の日のわたしの詩」

 

お母さん、おはようさん。

お母さん、こんにちは。

お母さん、こんばんは。

お母さん、おやすみなさい。

お母さんに挨拶をします。

 

なんでもいいんです。

とにかく会話をしていたくなったのです。

今日はお母さんを思っていたいのです。

お母さんにつながっていたいのです。

 

お母さん、わたしは75才になっています。

歳月が沢山流れました。

お母さんは此処にはもういません。

お母さんの姿はもうありません。

姿があろうとなかろうとお母さんはお母さんです。

 

臍の緒がまだあるのです。わたしが幼稚だからです。

よくみるとわたしの臍の所に臍の緒があるのです。

まだお母さんの栄養がわたしに届いています。

わたしがお母さんを思うとそのときにどどっどどっと、

お母さんの愛情の血流がわたしに届いて来ます。

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わたしを子にしたお母さんがいた。

2020年05月10日 18時10分16秒 | Weblog

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わたしを子にしたそのお母さんがいたのだ、この地球に。わたしにはお母さんがいたのだ。

わたしをこよなく愛していた母がいたのだ。わたしがどんな不出来な子であっても、それをそのままで愛してくれていた母がいてくれたのだ。

忘れてはいけない。忘れてはいけない。今日は母の日である。

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母を母にして、甘えていたい。

2020年05月10日 18時07分13秒 | Weblog

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甘えたい。母を母にして、甘えていたい。母を母にすることが出来るのは子であるわたししかいない。べったりべったり母にくっついて、母を母にしていたい。

赤ん坊のように甘えられる人は、一生涯を通して、赤ん坊をしていたときの母より外にはいなかったではないか。

 

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甘えるという感情は蜜の味がする。

2020年05月10日 17時57分09秒 | Weblog

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母は子に甘え、子は母に甘えることができる、そういう間柄である。そこはおもいっきり愛情が通い合う泉である。

甘えるという感情は蜜の味がする。

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無形の母となり、無形の子となる。

2020年05月10日 17時49分15秒 | Weblog

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両者が死んだ後は、両者は無形の母と無形の子となる。それが決まっている。

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無形になったらなおさら、互いに思う存分甘えていられるといいなあ。

無言の内にも母は子を呼び子は母を呼んで。それで静かに安らいでいて。

 

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母の胎内を出て来たのだから、此処がわたしのふるさと。

2020年05月10日 17時46分58秒 | Weblog

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わたしが死んだら、もしかしたらわたしは元の位置である母の胎内に戻るのかも知れない。

此処を出て来たのだから、此処へ戻って行くのかもしれない。

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此処が一番落ち着く場所のはずだから。

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いや、わたしを我が子にした母だって、それを望んでいるのかも知れない。

 

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思い出はあたたかいばかりである。

2020年05月10日 17時26分16秒 | Weblog

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母がなくなってもう10数年が経つ。何年が過ぎていこうとわたしを生んで育てたのは母である。変わることがない。

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偉かったのか偉くなかったのかは問題外である。母には、当然母の短所があったが、思い出はあたたかいばかりである。

 

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あれこれ思いだしてくると泣きたくなる。

2020年05月10日 17時18分36秒 | Weblog

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わたしが嫁さんを連れて来た後、一度も嫁さんの悪口を言わないでいてくれたのも、その同じ母である。

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認知症になった父の母を最後まで家の中で大事にしていたのも母である。わたしのこどもたちの面倒を見てくれたのも母である。

あれこれ思い出してくると、泣きたくなる。詫びたいことがいっぱいある。

 

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