<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

曼珠沙華の花が小径に咲き出している

2019年09月06日 15時29分25秒 | Weblog

おややーあ、雨だあ。雨の音がする。雨には脚があるので、雨脚という。雨脚はわたしに、あなたの細いうつくしい脚を連れて来てくれる。あなたは天女。羽衣を着ている。羽衣が赤い曼珠沙華の花のところに下りて来る。雨に濡れている天女の羽衣。わたしは雨傘を差してあげる。あなたはわたしに何かしきりに語りかけるが、わたしには天界のことばが分からない。だから、そっとそっと抱き寄せる。するとそこであなたは消えてしまう。なんて、他愛もない想像をして遊ぶ。今日は9月7日。土曜日。

曼珠沙華の花が田圃の小径、畦道に咲き出している。雨に濡れた花がいよいよ火のように赤くなる。もう秋の彼岸。

 

 

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目に写し取られた独自の絵の中で、言葉の馬が遊ぶ。万葉集を読む。

2019年09月06日 13時07分04秒 | Weblog

うらさぶる情(こころ)さまねし ひさかたの天(あめ)の時雨(しぐれ)の流らふ見れば    万葉集巻の1の82 長田 王(ながたのおおきみ)(おさだのおおきみ)

2☆

「うらさぶる」は、心寂しいの意。「さまねし」の「さ」は接頭語。「まねし」は、斉藤茂吉「万葉秀歌」の註では、「多い」「頻り」の語に当たる、としてある。辞書にも「多し」「度重なる」「しげし」としてある。また、「あまねし」とも解釈してある。「ながらふ」は、時間的継続を表す、とも。「ひさかたの」は、「天」に掛かる枕詞。時雨は秋に降る雨。

二句切れ。倒置法か。

3☆

秋になった。時雨が天空を次々と流れて行くのを見ていると、「うらさぶる」感情が幾度も湧き起こってくる、というのである。

4☆

「うら(=心)」は、表に見えないものの意。「こころ」や「おもい」

「さぶる」は、「寂びる」「荒れる」「衰える」「痛む」「傷つく」か。

5☆

長田王(ながたのおおきみ)は、長親王(ながのみこ)の子に当たる人。伊勢の御井で詠まれたことになっているようだ。

6☆

此の歌。なんだか好きだなあ。わたしは万葉学者ではないから、「なんだか」くらいで好き嫌いを言える。此処がいいなあ。

7☆

そこに風景がある。それを歌人は己に心象に撮してみる。するとそれに感情が糸を引いて繭を造る。或いはその逆向きだってありうる。はじめに心情があって、その色眼鏡で風景を見る、そういうこともある。ともかく風景が、色を帯びる。色彩を持つ。絵になる。絵の中でことばの馬が遊ぶ。

わたしという馬も今日は此処へ来て遊んだ。なんだか楽しめた。

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水彩絵の具で、朝顔の絵を描こうかな。

2019年09月06日 13時05分13秒 | Weblog

5☆

水彩絵の具で朝顔の絵を描こうかな。葉書の裏面に。気分転換に。

6☆

ハーモニカを吹いてもいいな。童謡を何曲か。誰も聴かないコンサートだけど。

7☆

仏教経典を読むのもいいな。朗読する。仏典はみなお釈迦様の説法である。

読むと、声が、お釈迦様の声になる。お釈迦様に遭えた気分はいいものだ。

 

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暫くやすもうかな。ベッドにごろんと横になって。

2019年09月06日 12時48分24秒 | Weblog

暫くやすもうかな、ベッドにごろんと横になって。

2☆

屁をへってもひとり。誰かの句だったよな、これ。

3☆

お昼を作って食べるのが面倒くさい。抜いてもいいな。怠け者はすぐにこれだ。

4☆

肉体労働なんかしていないから、腹も減ってはいないよ。

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待っていた便りが、届きましたよ。えへっ。嬉しい。

2019年09月06日 12時21分29秒 | Weblog

17

うっふっふ、おっほっほ、えっへっへ。昨日から鶴の首になって待っていた便りが、えへっ、届きましたよ。嬉しいーっ!

遇ったことがない78歳の女性の方から。N新聞社に届いたのを、文化部のSさんが、返送してくださったのです。便箋4枚に自筆で書かれていました。

わたしが先日新聞投書したエッセーを読んで下さった方のようです。

老人介護施設に入所されておられる方のようです。緑内障に罹って文字が読みづらいので、4倍に拡大コピーをして部屋に飾って、読んで元気勇気を湧かしています、と書いてありました。あれこれお辛い状況に置かれている方のようでした。

投書したわたしのエッセーが、一人でも人のこころに届いたのが、とても嬉しい。嬉しいと思う。

人は何かを機縁にすることができる。それを縁にして、立ち上がって進むことが出来る。その機縁になれたことを嬉しく思う。

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無償の愛は、償いを求めて来ません

2019年09月06日 12時03分37秒 | Weblog

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無償の愛は、償いを求めて来ません。これは人間には不可能です。神の愛か、仏の愛の部類です。与えるだけで求めて来ません。

鼻が吸う空気が、代償を求めて来たら、一月だって生きてはいられません。あれはただです。無償です。値段もつけてありません。見返りを求めて来ません。光の中で暮らしていますが、この光も無償です。「わたしに感謝しなさい」とは言いません。恩に着せません。でも、空気や光がないと、すぐにも死に絶えてしまいます。

 

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有償の愛とは、償いを求めて来る愛です

2019年09月06日 11時50分19秒 | Weblog

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もうすぐ正午になります。日が射して来ています。

愛には、有償の愛と無償の愛に分かれます。

有償の愛とは、償いを求める愛です。わたしがあなたを愛したから、あなたもわたしを、それ以上に利子をつけて、愛しなさいと命令して来る愛です。愛を装えば装う分だけ、それは猛毒に変質する愛です。自分の体内に沈澱して、自分を苦しめます。苦しみから逃れる方法は、憎しみと恨みと敵愾心です。すぐにも憎しみに変わる愛です。

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毎日わたしは愛の飢餓状態

2019年09月06日 11時46分47秒 | Weblog

14

でも愛されていたいのです。しつこく愛を探して回ります。はっきり愛を形にして見ていないと心が安まらないのです。わたしは、愛される愛を欲しがるばかり。

不心得のなすところなのでしょうが、毎日わたしは、愛の飢餓状態にいるのです。愛が足りていないと不平不満を零して、暗い顔をしているのがわたしです。今生のわたしの成長度合いはここまでのようです、どうやら。

 

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愛されているというのは、否定できない事実

2019年09月06日 11時43分40秒 | Weblog

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愛されているというのは、これは否定の出来ない事実でしょう。でも、あらためてそういう認識に立つというのは稀です。人は万物から愛されていないと、この地上には存在できません。空気も水も光もみなこれは、天地万物の愛です。

愛しても愛しても、愛される量の億万分の一くらいなのかも知れません。意図して人に与える人間の愛は、微々たるものかもしれません。大きな大きな愛に包まれているだけなのかもしれません。それを知らずにいるだけの不届き者で一生を終えて行くのでしょうね。

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愛する量が、愛される量を超えるということは可能か?

2019年09月06日 11時31分25秒 | Weblog

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愛する量が愛される量を超えることは、はたして、できるのでしょうか?

愛されたことすら秤には測れないのです。第一、これが愛だとは区別認識ができないのです。混濁して流れ着いてくるケースもあるでしょう。交じり合って交じり合っているのが、寧ろ普通かも知れませんよ。金(ゴールド)を選り分けて抽出するようにはいかないかもしれません。愛は、大きな顔をしていませんから。

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