今夜は仲秋の名月。外に出て見上げる。せっかくなのに、あいにく雲が懸かっている。
☆
僕は道元禅師の書物を読んでいる。難解だが、読み進める。ところどころで、肯く。それくらいでも、癒される。安らげる。
☆
心をもてはかることなかれ。ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて仏の家になげ入れて、仏のかたより行われてこれに従いゆくとき、力をもいれず、心をもついやさずして生死をはなれ、仏と成る。たれの人か心にとどこほるべき。 道元禅師「正法眼蔵 生死の巻」より
☆
我が心に滞っているな、と教えているようだ。棄てよ捨てよすてよ、と教えているようだ。自己を空じろと教えているようだ。
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「無所得無所悟にて端座して時を過ごさば、即ち仏祖なるべし」。そうも書かれている。得ようと思わなくてもいい。悟ろうと思わなくてもいい。ただ坐っていればいい。坐っているだけで、もう釈迦牟尼の姿だ、と。それでよかったんだ、と楽になる。
今夜は仲秋の名月。外に出て見上げる。せっかくなのに、あいにく雲が懸かっている。
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僕は道元禅師の書物を読んでいる。難解だが、読み進める。ところどころで、肯く。それくらいでも、癒される。安らげる。
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心をもてはかることなかれ。ことばをもていふことなかれ。ただわが身をも心をもはなちわすれて仏の家になげ入れて、仏のかたより行われてこれに従いゆくとき、力をもいれず、心をもついやさずして生死をはなれ、仏と成る。たれの人か心にとどこほるべき。 道元禅師「正法眼蔵 生死の巻」より
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我が心に滞っているな、と教えているようだ。棄てよ捨てよすてよ、と教えているようだ。自己を空じろと教えているようだ。
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「無所得無所悟にて端座して時を過ごさば、即ち仏祖なるべし」。そうも書かれている。得ようと思わなくてもいい。悟ろうと思わなくてもいい。ただ坐っていればいい。坐っているだけで、もう釈迦牟尼の姿だ、と。それでよかったんだ、と楽になる。
萩が咲いていました。見つけました。白い萩です。長き長い枝に花をふんだんにつけています。いかにもいかにも清楚という感じがします。
こんなにもこんなにも、たくさんの清楚な花を着けるのは、何か訳があるのでしょうか。あるのでしょうね。
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わたしが感化を受けます。どきどきします。ああ、こんな清楚な世界にいてもいいのだろうか、わたしのような、汚穢の者が、と思います。
夜明けが近い。ただいま午前5時15分。まだ明るくはなっていない。まもなくだろう。いくぶんか涼しさが感じられる。
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草や木には、感覚器官がない。ないように見える。はっきりとは見えない。なくていいのだろうか?
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目がない。鼻がない。口がない。唇がない。舌がない。耳がない。顔がない。指がない。脳がない。ないように見える。はっきりとは見えない。なくていいのだろうか?
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しかし、それで安らいでいる。落ち着きがある。憂鬱そうには見えない。不満そうには見えない。これでよし、になっている。充足の息を吐いている。
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それはなぜか?
人間にはあって、彼らにはない。あきらかに違いがある。それはなぜか?
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何故なのか?
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なくてすんでいるからである。彼らは、人間ではないからである。草や木は、そういう生き方を選択したのだ。
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進化する過程で、その必要性に至り着かなかったのである。
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などと、考えてみる。勝手な推測をしてみる。
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少なくとも、人間の生き方以外の生き方もあるということである。
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山にも野にも草や木が隙間もないほどに繁っている。みなみな一様にひっそりとしている。口がないからだ。あれば、どうなっていたのだろう?