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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしには血が流れている

2019年08月22日 22時02分06秒 | Weblog

わたしには血が流れている。血が流れていることで、わたしは人間になっている。わたしを人間になそうとして、血が流れている。

わたしの全体を皮膚が覆い尽くしている。皮膚が覆い尽くしていることで、わたしが人間になっている。わたしを人間になそうとして、皮膚が全体を覆い尽くしている。

わたしの内奥で五臓六腑が活動をしている。五臓六腑が活動をしていることで、わたしが人間になっている。わたしを人間になそうとして、五臓六腑が活動をしている。

わたしを人間にしようとしている意志の、実践実行によって、わたしが成立している。わたしの中で人間が川柳している。すべてがわたしに寄り添っている。

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幸福者しか人間の修行ができない、のではない。

2019年08月22日 21時39分04秒 | Weblog

幸福でなければ、人間の修行ができない、ということはない。不満足の中では、人間の修行ができない、ということはない。

小さな幸福が、人間の到達点ではない。小さな満足が、人間の到達点ではない。

ここは、未熟者人間の修行の場である。早々と完成を企むところではない。

 

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即興詩 「いいを言い続けると」

2019年08月22日 21時26分16秒 | Weblog

いい。いい。いい。「いい」を百回言い続けていたらいいだろうな。

雲がいい。山がいい。松がいい。風がいい。松風の音がいい。

海がいい。波がいい。沖がいい。夕日がいい。おだやかな光がいい。

砂浜がいい。砂浜を歩く裸足がいい。

いい。いい。いい。「いい」を言い続けて歩いて行けばいいだろうな。

 

 

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この世を楽しく嬉しく生きる検定試験一級合格者

2019年08月22日 19時55分25秒 | Weblog

この世を楽しく嬉しく生きる検定試験一級合格者を目指しているわたしです。

 

 

これは、英語検定試験一級取得よりも大事です。

 

 

トンボはこれに合格しています。ミズスマシもこれに合格しています。桔梗も竜胆も合格者です。

 

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これでもう十分。出来上がった。

2019年08月22日 19時40分03秒 | Weblog

夕食を終わった。並んでいるご馳走で、日本酒の熱燗を飲んだ。おお、久しぶり。2合ほど。すぐに、酔った。出来上がり。老爺はかくも簡単だ。世話はいらない。ああ、うまい!ああ、、うまい!で、いい気分。

食後のデザートには、冷たく冷やした梨。これでもう十分。出来上がった。

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家族といれば、孤食をしないですむ その2

2019年08月22日 18時43分57秒 | Weblog

家族といれば、孤食を免れることが出来る。家族の者がみなテーブルに着いて、「いただきます」「ごちそうさま」「おいしかったよ」が言える。お喋りも弾む。たまには庖丁も握る。エプロンもかける。玉葱を刻むことだってある。後片付けのお皿も洗う。

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家族といれば、孤食をしなくてすむ その1

2019年08月22日 17時59分00秒 | Weblog

家族といれば、ともかく、孤食をしなくて済む。此は大きな利点だ、僕の場合は。一人留守番をしてたら、僕はインスタントのチキンラーメンにお湯を注ぐだけになる。なんでもいいから、空腹を満腹状態にすればいいってことになる。単品だから、食事もすぐに終わる。ゆっくり味わうということがない。

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小さいときに、自転車乗りに挑戦をしたよね、誰もが。

2019年08月22日 17時26分55秒 | Weblog

誰もが小さいときに自転車乗りに挑戦したよね。で、なんども、倒れて擦りむいた。怪我をした。それに怯まずに、兎に角がむしゃらに乗ろう乗ろうとしていたら、いつのまにかバランスを取るコツみたいなものを身につけてしまった。するとフシギやフシギ、倒れなくなった。自転車が前に進むようになった。両手を放して万歳万歳をした。夢中になってやっているうちに身につけてしまうというアレ。アレはその後もなんどか似たようなことで、経験した。その度に、その範疇でも一歩二歩前進した。知識ではなくて感覚がそれを成功裏に導いた。

習うより慣れろってヤツかなあ、これは。場をこなすと、それらしくなってくる。コツが掴める。自信がつく。褒められる。図に乗る。もっと上手になって行く。プラスへプラスへ進んで行く。

僕の此のグー・ブログもそんなものかなあ。何か掴めていくのかなあ。何か掴みたいよ。

毎日、沢山書いているよ、ともかく。愚にもつかぬ事を。ずっとずっと下手の鉄砲の部類かなあ。

 

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でもそれはやはり危険極まりないか

2019年08月22日 17時17分56秒 | Weblog

ふふふ、前回は、呪文のことを調べて書いたけど、読者諸氏は興味が無かっただろうなあ。というより無視したくなっただろうなあ。胡散臭いの一言であっさり片付けられただろうなあ。

知っていることだけに窓を開くっていうのは科学的・理知的だけど、その他の窓もたくさんあるんだよなあ。その窓の一つからにょきっと顔を出して、覗き見たら、案外、新鮮な驚きが沢山得られるとも思うけどなあ。

でも、やはりそれは危険極まりないかな。ふふふ、ヘンなところを覗くことになったらタイヘンだものね。足跡がたくさんついているところだけにした方が無難かもしれない。

 

 

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呪文は宇宙中に満ちているパワフルなサウンド

2019年08月22日 16時25分36秒 | Weblog

た・なかな・ま・なさな・・・・・ら・なわな・やな。

午後の呪文だよ、これが。

「呪文」を辞書で引いてみたらこうあった。

呪文=1,密教・修験道・陰陽道などで唱える神秘的な文句。

2,一定の手続きの下で唱えると、自然力あるいは神や人間の行動を積極的に統御しうると考えられる文節・語句または無意味な綴り字の連続など。

呪文の「呪」は「まじない」とも「のろい」とも読む。これも辞書を引く。

呪(まじん)い=(多く迷信として)神秘的なものの威力を借りて、災いを除いたりまた逆に起こしたりする術。

呪(のろ)い=呪うこと。呪詛。

呪=真言。梵語マントラの訳語。密教で、真理を表す秘密の言葉。陀羅尼(だーらにー)。

呪=明呪(みょうじゅ)=密呪=秘密語。

梵語のdharani(ダーラニー)= 「総持」・「能持」と漢訳。音訳して「陀羅尼」

=「よく善法を持して散失せず、悪法を遮る力」を意味する。

梵語の文章を翻訳しないでそのまま読誦する音。一字一句に無辺の意味を蔵し、これを誦すれば、もろもろの障碍を除いて、種々の功徳を受けるとされる。一般に短い呪文を真言、長い呪文を陀羅尼と区別する。

「陀羅尼呪」とも。

呪文=呪音。音の持つ力。音のパワー。わたしたちには聞こえないが、宇宙中に鳴り響いている音。これを聞けばパワフルになれる。元気になれる。宇宙力と同調が出来る。

わたしはここではこういう含みを持たせておこう。

た・なかな・ま・なさな・・・・・ら・なわな・やな。

人間の科学の智力が理解し得ない領域は広大で無辺である。呪文は、裸足で、未知の領域、未開拓の原野にもするするすると入り込める。

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