孫たちを空港に送り届けた。13日からだから、8日間いっしょに遊んだことになる。毎日毎日何処へ連れて行った。運転手役をした。朝も昼も夜も、抱き付かれていた。パワフルな孫たちに、振り回され、翻弄され、圧倒された。楽しかったが、その分は、疲れた。なにしろ、爺は高齢者である。孫守りはタイヘンだった。
武雄市立図書館とその傍のこども図書館を訪ねました。どちらも新しい。広い広い。中には、TSUTAYAさんとスターバックスコーヒー屋さんが入っていて、堅苦しい雰囲気がありません。椅子に座って、コーヒーを飲みながら、ケーキを食べながら、本を読めます。近くにあれば、毎日でも来ていいなあと、思えるくらいだった。
宇宙科学博物館にやって来た。此処は1階の地球発見ゾーン。孫の6歳の男の子は、すぐさまノリノリ💃
興奮して、鼻血を出した。小学6年生、女の子は、慎重。夏休みとあって、こどもの魚がうようよぞろぞろ。深海のよう。奇声も聞こえて来る。引率の若いお母さんお父さんはタイヘン。爺婆さんはもっとタイヘン。ベビーカーに乗った赤ちゃんだけは静かにしている。
我ら爺さん婆さんはただ見てるだけ。孫たちはまもなく3階の宇宙発見ゾーンに掛け上がって行った。
感情を持ち合わせているからね、これを満たしてやらねばならない。そうしないと、拗ねる。悲しがる。
満たしてあげられたときは、嬉しがる。だから、嬉しがらせるために、また努力をする。
いつもタイヘンだね。自分のことながら、ね。
ふむふむ。ふむふむ。そうかそうか。
カマキリは秋風が吹き出すと、緑色の羽が枯れ草色に変わるんだ。で、もう、つついても、斧を振りかざさなくなる。ふうむ。
昆虫類は、概して、みな同じかもしれない。夏の間に種族保存が成立したら、いのちの営みを完了するんだな。それでいいんだよなあ。それでいいんだよなあ。それ以外はないんだよなあ。
それ以外があるとする人間さまは、そこが違う。でも、違いが必要なのかどうかは、分からない。
うん、願いが叶って、此処に生まれさせてもらえたからね。そこを嬉がっていればいいのだ。あれこれを言い出して、あれこれを不満にするな。願いが叶って、此処で暮らさせてもらえたんだからね。願いが叶えられたことを感謝すべきなんだ。叶えられて叶えられている自分の現在ということを、ときには、思い起こしているべきなんだ。
そうなんだよ。時間も空間も、わたしが死んでも、消えてしまわないんだよね。そのまま残っているんだよね。誰かが、利用している。それでいいんじゃないかな。自分も、利用させてもらったんだからね。譲って行くんだよね。わたしが死んでも、時間も空間も、変わらない。そのまま残って行く。それを嬉しがっていればいいのだ。
嬉しがっていればいいのだ。悲しがるよりは、嬉しがっていればいいのだ。
左足はもう20年間ほども、麻痺している。柏ノ木の、木の棒切れになっている。硬いまんま。ほっそりしている。筋肉や神経が麻痺してるからね。うまく動かせない。
利用が制限されている。やりたいことも、随分制限されてきた。
好きな山登りも制限された。走れなくなった。スポーツから遠ざかった。そして、健康の有り難さを思い知らされた。
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お陰て怠けられた。ぐうたらぐうたらできた。
何がいいか、よくないかは、分からない。
なんだかなんだかなんだか、力がない。沸き起こらない。ふ、夏バテなのかな?
なにしろ、年寄りだからなあ。といっても、同じくらいの年齢でも、元気な人は元気。パワフルな人もいる。
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ま、長くいりゃいいてもんでもないさ。早く行ったっていい。どの電車に乗ったっていいさね。
生きても死んでも、時間は続いている。時間はなくなったりはしないからね。何処に行ったって利用は可能なんだ。
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ま、此処で、ゆっくりしてても、いいけどね。ふふ、ま、何処に行ったって、ゆっくりしいられるけどね。楽しんでいたらいいのだよ、ね。
おはようございございます。夜中の風雨雷鳴は、朝方は小振りになっています。秋の虫たちの鳴き声がしています。今日は8月20日。忍び足で秋が来ています。
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今日の夕方6時の飛行機に乗って孫たちが東京に戻っていきます。これで、我が家は静かになります。孫たちは若い。若々しいパワーに触れるのは、楽しいこと嬉しいことだけど、ついていくのは骨が折れる。たいそう骨が折れる。そう言いながらも、8日間を過ごした。