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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

行った先の極樂では我々は何をしているか

2018年02月09日 12時34分02秒 | Weblog

其の国の衆生は、常に清旦を以て、各々は衣裓(えこく)を以て、衆(もろもろ)の玅華(みょうけ)を盛り、他方十万億の仏を供養す。即ち食時(しょくじ)を以て、本国に還到(げんとう)し、飯食(ぼんじき)し、経行きんひん)す。        浄土教典「仏説阿弥陀経」より

「其の国」とは、阿弥陀仏画建立された仏国土=極樂のこと。「衣裓(えこく)」は花皿のこと。「玅華(みょうけ)」は美しい花々のこと。「清旦」は清らかな朝のこと。「経行(きんひん)」は座禅の後でリラックスするためにする体操のこと、普通は静かにそこらを歩き回る。(落ち着いた生活をしているんですね)

阿弥陀さまのおられる極樂にわたしたちは招かれて往生(おうじょう)します。で、そこで何をしているのか? その問いの答が此処に述べてあります。

①、清らかな朝が来る。②目覚めたらすぐに花園へ出て花を摘み、たくさんの美しい花々を花皿に盛る。③十万億もある他の仏たちの国土へ各々みな出向いて行く。④瞬時に到着を果たしてその仏に遭う。⑤そこで持ってきた其の国の仏さまと人民に花皿の花を捧げる。⑥静かに仏の説法を聞く。⑦毎朝毎朝それぞれの国土を歴訪して宇宙の広さ、宇宙の真理に目覚め実感する。⑧どんどん仏智見を開発して行く。⑨瞬時に自国(=極樂世界)に戻って来る。⑩ご飯を頂く。(お粥だろうか?)⑪腹一杯になる。⑫リラックスタイムになって自由にそこらを散歩する。⑬ そこでそれぞれが尋ねて来た仏国土の様子や其の国の仏さま、人民の暮らしなどを報告し合う。⑭また次の朝には別の仏の仏国土を尋ねる。⑮新しい仏と成ってもじっとしていない。活発に利他の活動をする。⑯十万億の仏国土以外へも出掛けて行くようになる。⑰この迷界の娑婆世界にも来るようになる。⑱衆生を救済する活動に入る。

行った先の極樂浄土では、まあこんなスケジュールが組み込まれているようです。忙しそうですね。でも、生き生きしている様子が伝わってきます。 

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山頭火のこの句に連れられて のこのこと

2018年02月09日 11時07分51秒 | Weblog

久しぶりに掃く垣根の花が咲いている      種田山頭火

また此処へ来た。山頭火の所へ来た。彼がいる。顎髭、頬髭を剃っていない。ここは肥後の片田舎。大正14年。片田舎の小さな観音堂の堂守をしている。堂の周りを遠く垣根が囲んでいる。朝の勤行が終わった。作務をする。禅の雲水には作務がある。じっとしているばかりではない。体を動かさねばならない。竹箒を取って庭を掃く。散乱している枯れ葉を集める。なんだか久しぶりに開放感を味わっている。いい気持ちになっている。爽やかな気分が胸の内を占拠している。よく見ると薺の花と仏の座がもう咲いていた。ほんの少し。よおく見ないと見えて来ないくらいだけど。それを見た。見たというだけなのに、それが久しぶりに快感を伴った。こんな快感すらも、過分に思えて来て、思わず後ろへ身を退いてしまった。嬉しいじゃないか。ともかく暮らしが立っている。親切な人たちが来てくれてあれこれと親切をしてくれる。

山頭火の此の句に連れられて、2018年2月9日、金曜日、我が輩も気持ちを少し楽にする。

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ひょっとして楽しんでいいことを楽しまないでいるだけかも

2018年02月09日 10時46分11秒 | Weblog

何か楽しいことがないかなあ。向こうの方から楽しいことがわたしへ高く手を挙げてにこにこして手を振りながら走って来ないかなあ。などと思う。こっちは何にもしないで、向こうからそれが愛嬌を振りまいてきてくれることを望む。そりゃ、たといそうなったとしても、ちょっと虫がよすぎはしないか。うん、よすぎるように思う。でも、しかし、考えてみるとほとんどは向こうからやって来ているのも事実だ。梅が咲く。梅に浮かれる。桜が咲く、桜に浮かれる。こちらがそういう浮かれを建設することは出来ぬ。皆向こうからこちらへ、わたし目掛けてやって来たものだ。そういえば今朝はしきりに目白が鳴いている。垣根の藪のところに。これとて、わたしが呼び寄せたものではない。向こうからの善意表白だ。こっちは、蜜柑を輪切りにしてサービスに相務めるぐらいだ。

初めに戻る。何か楽しいことがないかなあ。ひょいと楽しいことに出くわさないかなあ。ああ、こんなところで楽しいことが待っていてくれたのか、それに気付いて飛び上がる。そういうことがないかなあ。「喜びが喜びを連れてくる」とも言い習わされている。まずは一番にこちらがその気になって、待ち受け態勢を整えておくことから始まるのかも知れない。

楽しい事ってなんだろうなあ。ひょっとして楽しんでいいことを楽しまないでいるだけかもしれない。大袈裟ではなく、それと気がつかないくらいなものなのかなあ。

 

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降ったり照ったりは世の常じゃないか

2018年02月09日 10時22分32秒 | Weblog

天気がさっぱりしない。ぐずついている。日が射して来ないので、全体的に暗い。気温も低めだ。こういうときはなんだか不安心理が働く。先々、明るさが見えて来ないような気になってしまう。じっとしていると奈落へ突き落とされてしまうような、そういう心理状態になる。

ここは、しかし、踏ん張っているしかない。人間、「少々の雨嵐になってもビクともしない大木(たいぼく)大山(たいざん)」のような意識、不動心、どっかりした度胸というのを腹の底に据えておかねばならない。すうするとうろちょろしないですむ。うろちょろすると、枯れ尾花も幽霊になる。

待てば海路の日和あり。そういう諺があったっけ。待つ。好天気になるのを待つ。降ったり照ったりは世の常じゃないか。

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天の網にや 地平の吹雪く

2018年02月09日 08時19分50秒 | Weblog

仏から逃ぐる悪たれ絡め取る天の網にや地平の吹雪く                 薬王華蔵

わたしは悪たれである。悪蔵である。餓鬼である。仏から逃げてばかりである。仏智見から逃げてばかりである。仏智見に遭えばもろに我が煩悩など木っ端微塵に砕け散ってしまう。身も心も砕け散って粉々になってしまう。それを知っているから、逃げるが勝ちに出る。それしかない。我が煩悩は我が欲望である。あれもしたいこれもしたい。悪行の魅力が奥が知れない。逃げるしかない。それを執拗に追いかけて来る。大網を投げて絡め取ろうとする。仏のお慈悲はあたたかいと聞いている。あたたかいだろうが、かくも激しくもある。逃げる。地平が吹雪く。吹雪の中を逃げ惑う男がいる。天の網を地上一杯に張られているので逃げられるはずはない。それでも逃げる。地平の先まで吹雪いている。風が舞っている。

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こうしてはおれぬぞ死ぬぞ

2018年02月09日 08時06分51秒 | Weblog

こうしてはおれぬぞ死ぬぞ 死ぬまでを梅を見てゐむ その他がない       薬王華蔵

「こうしてはおれぬ」とはいつも思うこと。われはまもなく死ぬ。死ぬ身である。死ぬべき身が生きている今、何かを為さねばならぬ。そうは思うのだが、その思いに応えることはしていない。何もしていない。怠け者をしているほかは。梅が咲いた。まだほんの蕾だが、もう赤い。死んでしまうまでは恐らくこうしているだろう。他に取り柄がない。生きている我が身には申し訳なく思うのだが、ぼんやりと庭の梅を見て過ごしている。どうしていたら、「よし、これでよし、死んでよし、生きるに値することは為し終えた」ということになるのだろう。当てもない。

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生きている間はしゃんとしているべし ほんにほんに

2018年02月09日 07時59分17秒 | Weblog

もっとこう胸をば張ってしゃんとしておれぬかおのれ たんぽぽが咲く           薬王華蔵

この寒さにめげていない。木枯らしの中に蒲公英が咲いている。地平すれすれに身を伏せたようにしながらも。健気である。おのれは、このところずっと意気消沈している。何がそんなに面白くないのか。それもこれも楽しめないでいる。たんぽぽに教えられる。肩をぽんと叩かれる。「胸を張って生きるべし」「生きている間はしゃんとしているべし」と。ほんにそうであったそうであった。

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ちっとも面白くない男が昼から昼酒

2018年02月09日 07時50分54秒 | Weblog

青鬼の昼酒喰らって赤鬼ぞ 熟睡(うまい)詰(なじ)るや地が吹雪きをり     薬王華蔵

わたしは青鬼である。瘦身である。胸も薄い。あばら骨が見えている。もてる要素は何処にもない。おまけに蛸入道の頭つるつる禿げている。人嫌いである。ちっともおもしろくない。融通も利かない。金もない。遊び相手もいないので、昼から昼酒を飲んでしまった。酔って、これで赤鬼となった。うとうとしてしまう。寝てしまう。暫く寝て目覚めたら地が吹雪いていた。悪行を詰られているようにも思った。風が出ている。横殴りに吹き付けている。雪が舞っている。枯れた苦瓜の蔓が宙でブランコをして遊んでいる。

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老い恥ずること断ちぬ 雪の日

2018年02月09日 07時40分11秒 | Weblog

園児らの声の天まで高ければ老い恥ずること断ちぬ 雪の日    薬王華蔵

雪の日の幼稚園に来てみた。中には入られないので外にいる。歓声が冬の天までも上がっている。運動場を駆け回っている。無邪気が無邪気のまんまじゃないか。邪鬼のある老爺はこれを恥じる。歓声はいよいよ高くなる。楽しそうだ嬉しそうだ。片方で雪達磨をこしらえている。片方で雪合戦をしている。加わってしまおうではないか、いっそ。そういうわけで、老いの頑固さを止めることにした。羞恥心を断ってしまうことにした。今日はこうして清新溌剌としていよう。散歩の足を遠くへ延ばしてみた。

この作品を投稿していたが落選だった。つまらなかったのだろう。

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どっかへ遊びに行こうかな、今日は花金

2018年02月09日 06時30分59秒 | Weblog

どっかへ遊びに行こうかな。今日は金曜日。花金っていうらしいし。明日は土曜日。明日は行くところを見つけた。中央公民館ロビーで「懐かしい歌を歌おう会」に行ってみたい。でもその前の今日、金曜日は、じゃ、何をしよう。なんの遊びをしたらいいのだろう。決まっていない。ストレスが溜まっている。長引いている。これを何かで解消しなくちゃ。競輪競馬などの賭け事は出来ない。飲む相手もいない。だとすると、やっぱり畑に出て畑仕事かな。年末に植え付けたフカネギに施肥をする仕事がありそうな。天気がよければね。雪が降ってこなければね。

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