<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

わたしという人間も、物理学、力学の応用範囲なのだ

2018年02月17日 22時04分07秒 | Weblog

物理学、力学は物質の学問分野のはずだが、人間心理現象にも適用できるものらしい。あるときあるところであることが起こりそうだという心弾む予感がするだけで、世の中が明るくなったり暗くなったり、軽くなったり重くなったりする。パワーを充満させたり、抜いてしまったりもする。心待ちに出来ることがあると、そこに薔薇が一斉に咲く。神々すらも我先にというように勇んで支援を申し出てこられる。これで車輪が動き出す。動かなかった重たい錆び付いた車輪が動き出す。そうだったのだ、わたしという人間も、物理学、力学の応用の範囲なのだ。

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はい、これは余計なことでした

2018年02月17日 20時40分40秒 | Weblog

ここの宿の泊まり客は少ない。夕食会場を見渡してそう思った。3組しかいなかった。これじゃ、採算がとれない。従業員数が勝ってた。土曜日なのに、これじゃ。日帰り入浴客は多かった。これで成り立っているのかなあ。余計な心配するな。はい、これは余計なことでした。そう。別な会場があって、団体客がどっさりなのかもしれないではないか。

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おめでとう 金と銀の冬季日本スポーツ

2018年02月17日 19時45分02秒 | Weblog

羽生の二大会連続金メダル、宇野のいきなり銀メダル。凄いなあ。昼間、車を止めて、車テレビで試合を見てた。夕方のニュース番組でも見てた。凄いなあ凄いなあを連発してた。ピョンシャン.オリンピックの日本のメダル数が最多になった。これも凄いなあ。

僕はスポーツにも詳しくない。知らない。知った振りは、だから、出来ないけど、それでも何だか凄いなあ。

そして二人とも人格者だなあ。傲慢がない。自慢がない。受け答えを見ていてそう思わせられる。それだけ苦労を重ねたんだろうなあ。

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ぶらりぶらりして長崎県小浜市に来ました 至る所に湯煙が騰がっています

2018年02月17日 15時35分02秒 | Weblog

ぶらりぶらりして長崎県小浜市まで来ました。途中ずっと、干潟の広がる有明海を左手に眺めました。朱塗りの拝殿のある多良嶽神社に詣でました。小浜には小浜温泉があります。至る所に湯煙が騰がっています。海に面しています。道路の直下には波が寄せています。今夜は此処に泊まります。古い宿です。広い和室の部屋をもらいました。

しばらくまた怠け者をします。家にいても外へ出ても怠け者、これが治りません。結構な身分じゃないかと人からは揶揄されます。遊ぶ金はどうするんだと心配をしてももらいます。金は天下の回りもの、出すと入るシステムになっているはず、と大見得を切りますが、見栄はすぐに破けます。はったりでは、道は開けませんよね。

それでも働かずにいます。ただただ怠けています。財布も底をついているのに、これです。ま、そのうちに拾う神、福の神が現れてきて、解決するでしょう。世の中よくしたものです。捨てる神あれば拾う神あり、にできています。こんなふうに太平楽を言って、これまで過ごしてきました。

出した分の金は入ってきます。懐にしまい込んだお金はいつのまにか家出して出て行きます。だったら、出した方が得をします。ですよね。出せば他人を潤します。潤して他人を幸せにすることもできるのなら、一挙両得じゃありませんか。、、、なんて浮ついた理論は通りますまいが。

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どんちゃんどんちゃん 鉦と太鼓を叩くといいかもしれない

2018年02月17日 09時32分26秒 | Weblog

何処へ行ったところで寂しい。寂しさがまぎれることはない。だったら、行かないでもいいじゃないか。それはそうなんだが、此処も寂しい。此処の寂しさを抜け出したくなる。それを第一義にして、旅に出る。ぶらりぶらりする。身についた花粉を振り払うように、寂しさを振り落とす。振り落としたと思わせる。花粉症の鼻詰まりが軽くなる。夕方には宿に着く。酒を飲む。すると夜半になる。振り払ったつもりの寂しさが、牧の子馬を数頭引き連れてきて、騒ぐ。蹄の音を立てる。酔った勢いで眠りに入ろうとするのだが、すぐに目が覚める。長い夜を悶々として過ごす。また其処が此処になる。此処の寂しさを抜け出す必要に駆られてくる。逃亡者みたいになる。追っ手が追いかけて来る。癒されるということがない。

でも、いま出遭っている此処の寂しさを逃れたい。この苦境を忘れしめてくれる者は遊び相手かもしれない。どんちゃんどんちゃん、鉦と太鼓を叩くといいかもしれない。その遊び相手の鉦と太鼓は何処にあるか。探しに旅に出ることになる。

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遊び相手を買って出てくれる者はいない そんな粋狂はいない

2018年02月17日 09時19分43秒 | Weblog

我と来て遊べや親のない雀  

一茶の句だったかな、これは。親のない雀なら小雀だろう。どうして親なしだと分かったのかな。もしもそういう身寄りのない雀がいたのなら、という想定だろう。どっちに主軸があるのか。雀の方なのか、わたしの方なのか。わたしと遊んでいっておくれ、と言いたいのか、小雀に憐れを催したものなのか。たぶん、この小雀は、我が子なんだろう。一茶は幼いわが子を亡くしている。それで、我が家に来て遊んで行きなさいという親心を示しているのだろう。

それはそれとして、一茶は小雀と遊ぶ気分になった。雀がちゅんちゅんと鳴いて近寄ってくる。お米や麦の余ったのをそこらに撒いてやる。

一方の落ちぶれ者のさぶろう老爺は、「我と来て遊べ」の前半部分に惹かれている。つまり遊んでくれるものはいないか、というところだ。雀でもなんでもいい。どんな雀でもいい。しばらく遊び相手を買って出て欲しい。今日は2月のもう半ば過ぎ。土曜日、上天気だ。でも、なかなかその遊び相手を買って出てくれる者はいない。そんな粋狂はいない。

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灌木の茂みの侘び助の花片が朝日に匂っている

2018年02月17日 08時31分37秒 | Weblog

庭に咲いている侘び助を切ってきて花瓶に生けてみた。うっすら薄いピンク色をしている。なんだか控え目に見えて、慎ましい。茶花に愛用される。椿の一種か。書斎の本箱の上に載せている。ときどきそちらを見遣る。ああ、美しいと思う。庭の方には屋根ほどの高さの花灌木の茂みがあって、そこに溢れている花片が朝日に匂っている。昨日降り続いていた小雨も止んでいて、今朝は上天気だ。メジロにやる小蜜柑を挿していた紅梅の木の枝には、ヒヨドリが大挙して訪れて、ねだっている。先日のはすぐに食い尽くしてしまって、その次をねだっている。ヒヨドリはメジロよりも体が太い。食用も旺盛だから、小蜜柑くらいは何個刺していても簡単に食い尽くす。メジロにはやらない。味を占めたので、書斎の窓の方を向いて甲高く鳴いて、ねだる。甘藍、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、小松菜の青い葉が狙われる。なにしろ数が多い。たちまちのうちに白い茎だけになってしまう。山には雪があって、彼らも今年は余計に野菜不足なんだろう。さあ、また来たようだぞ。

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