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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

借金地獄を免れて行くべき方法はあるか

2016年06月09日 23時40分25秒 | Weblog

麦の種、粟の種、小豆の種、蕎麦の種も五升蒔いたら一斗が実る。我が蒔く悪の種もこうである。恐ろしい。倍にも倍々にもなって返って来る。人の蒔く善の種もこうである。倍にも倍々にもなって返って来る。そのうちの五合の善をお借りする。こちらの手元にはないのだから、しようがない。借りたらのちのち返さねばならない。倍額の一升の善を返すとなるとタイヘンである。手に負えるものではない。口がする悪、目がする悪、肌がする悪、こころがする悪。とめどがない。三悪道に堕ちて刑罰を受けるしかない。仏の極楽浄土へは到底行けそうはないようだ。

自力では業のカルマを抜けられそうもない。どうやっても。ではどうすればいいか。虫が良すぎるが仏の力を頼むしかない。懺悔懺悔するしかない。ギブアップするしかない。降参の白幡を揚げる。悪の借金地獄を免れて行くべき他の方法が見つからない。

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感じるためだけの手にしていたい

2016年06月09日 18時43分49秒 | Weblog

感じたいだなんていう手 手は何をかんじたいんだあなたのほかに

(..;)

感じていたい。いつも何かを感じていたい。あなたを感じていたい。愛を感じていたい。人間と人間との間でつながっているものを感じていたい。神様を感じていたい。神様とわたしの間でつながっているものを感じていたい。感じられるものを逃さないでいたい。わたしにそのための手がある。

(/_;)

感じるためだけの手にしていたいから僕はカバンを肩にまわした

僕がこ世を生きているという実感はどうしたら手にすることができるのか、知りたい。24時間なんにも感じないでいる自分に耐えられそうもない。

 

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未来はこの世の種しだい

2016年06月09日 16時56分20秒 | Weblog

「この世は前世の種しだい、未来はこの世の種しだい」

白隠禅師施行歌より

(..;)

江時代にも天変地異があった。地震も起こった、津波も襲った。火事もあった。飢饉にも苦しめられた。白隠さんはじっとしていられない。それで寄金を集めた。布施行をするように説いて回った。これはそのときの助け合い運動歌。今で言うキャッチフレーズ。分かり易い。

「麦稗一升蒔きおけば、五升や一斗は実るぞや」

これもよ分かる。

「いわんや施し多ければ、果報は倍々あるものぞ」

こういう調子で募金活動をされたのである。それでも渋るお金持ちがいると、「おのおの富貴で持つ宝、有れば有るほど足らぬもの」と煽られた。放てば手に満ちるようになるから、放て放て、と。

(/_;)

仏教は因果の道理を説いている。すべての結果には原因があると。よい結果を望む者はよい原因を作れ。今がそのときだ。いまここでよい原因を作れ、と。

今日のさぶろうは 前世の種が実った結果のそのさぶろうである。原因はすべてこのさぶろうにあったのだ。さぶろう、うんうん唸る。

 

 

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この世にいるときはこの世のからだとこころ

2016年06月09日 15時20分15秒 | Weblog

そうか。「残念無念」と同列に列べていうが、「残念」と「無念」は同義ではなかったんだ。残念は「心残りがある状態」であり、無念は「心残りがない状態」を指す用語であったのか。

(/_;)

但し、「無念じゃ」と殿様が宣うときは、うまくはめられてしまったぞ、「悔しい」「口惜しい」「遺恨がある」場合である。その反対に剣の道の無念無想流達人という場合はもはや邪念なしで、あらゆる余念が抜け落ちている。

(/_;)

中国宋の時代の禅僧がものした「大慧禅師発願文」にこうある。「安住正念」と。正念に安住す、と。これはこれから死ぬというときの心構えを言っているようだ。念が揺れていない。ぶれていない。定位置にあって動かない。そこが人間の原初でありふるさとである。ここにどっかと腰をおろしている。安住できる場所だと分かったからである。

(..;)

 

禅僧のようにはいかないだろうが、この世のこころは脱ぎ捨ててこの世を去りたいものだ。この世で使い古した執念は暑苦しい。この世にいるときはこの世のからだとこころ。次の世に進めばそこでまた新しく次の世にふさわしいからだとこころを賜るだろうから。

 

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もう点滴もはずれました

2016年06月09日 12時45分34秒 | Weblog

お昼をいただきました。満腹満足です。そぎ牛蒡の味噌汁と茄子の胡麻和えと白ご飯とメイン料理でした。メイン料理は牛の挽き肉を卵焼きで包んでここにケチャップがかけてありました。赤人参とブロッコリーが添えてありました。カリフォルニアオレンジも3切れ。みんなおいしくいただきました。もうベッドに腰掛けて食べられます。お茶も運んできて下さいます。ありがたいことです。

もう点滴もはずれました。食後に痛み止めと抗生物質と胃腸薬を飲んでいます。手術した部位の左足は下ろすと痛みが走ります。

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看護婦さんは偉いなあ

2016年06月09日 08時47分39秒 | Weblog

8時半。朝ご飯をいただきました。昨日の昼、夜と食べていなかったので、腹ぺこでした。夜勤の看護婦さんに一晩ずっと助けていただきました。いろいろ面倒をおかけしました。親切な看護をしていただきました。偉いなあ、みなさん。

痛みに耐える訓練をさせられています。今のところは凌いでいます。長い長い夜が明けました。外は雨が降っているようです。

 

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手術が終わりました

2016年06月09日 04時20分16秒 | Weblog

ありがとうございます。無事に手術が終わりました。予定が繰り上がって、2時45分から手術室に入りました。やがて酸素マスクをつけたあと、眠くなりました。麻酔は全身麻酔。2時間後、「終わりましたよ」の声をかけられて目を覚まし、ベットごと運ばれて病室に戻って来ました。点滴に痛み止めがいれてありますので、耐えられます。

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