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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

正義は否定がお得意だ

2016年06月21日 23時51分08秒 | Weblog

否定。正義は否定がお得意だ。人と人。国と国。宗教と宗教。イデオロギーとイデオロギーたち。まるで否定をするための道具みたいに酷使される正義。泥をかぶらない正義者。完璧のためには非があってはならないのだ。あやまちも笑いもユーモアもあたたかさも遠ざけられた極寒の地。

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そこはシベリアだ

2016年06月21日 23時38分23秒 | Weblog

愛は滅茶苦茶なところがある。どこか暴力的でもある。理性に踏みとどまれない。奪い取ろうとする。熱をはらんでいるからだ。セイブがきかない。独占欲が潜んでいるからだろう。これを悪として排除することもある。排撃することもある。だが、愛は善と理性と理想を主賓としているわけではない。肌をあたためる感情がこもらなければ、そこは凍土の続くシベリアだ。

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善はどこか冷淡でもある

2016年06月21日 23時28分34秒 | Weblog

善はどこか冷淡でもある。よそよそしい。不干渉も一見善を装っている。独立を尊重するあまり、相手に触れない。正義は凍り付く。あたたかさがないところへは手をかざせない。拒否には見えないけれど、そうするために正義を利用するということもある。

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改善

2016年06月21日 23時02分48秒 | Weblog

もう毎食前、寝る前にしていた血糖値測定もしなくてよくなった。低いところで安定をしているかららしい。ほっ。抜糸もすんだことだし、患部の付け替えもないし、入院している意味がなくなってきたようだ。看護婦さんが訪ねて来ることもほとんどない。体温測定、血圧測定も卒業だ。ま、リハビリ歩行訓練が本格化しそうだけど。これだけだったら、通っても来られるね。でも、家に帰ったところでじっと寝ているだけだったら、それもあまり変化は見られない。病院にいても寂しいけれど、家にいても寂しい。我が家は常に相互不可侵主義。相手の自由圏内に立ち入らない。無事で平和だけど、平和も不満の種になる。パーフェクトなんて望むのがおかしいんだよね。

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何処にでも住めるようにしてあるから、何処にでもおる

2016年06月21日 16時49分39秒 | Weblog

ずっと安静にしてやすんでいたら、痛みがやわらいで来たようだ。でも右脇腹下方背中沿いがやっぱりずきんずきん、ときんときんしている。リハビリは行かなかった。我が儘を通した。その間はじっくり仏教経典を読み進めた。濃い時間になった。おいしい魂の食事になった。

「能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は即ち是れ応身なり」の経典の句をこう読み替えてみた。「語るのは報身仏、語る手段は応身仏の文字経典、語る内容は法身仏の真理世界」「報身の釈迦が応身の色相の文字を以て法身仏を説きあかす」なんだ、どこをとってもつまりは仏の独壇場じゃないか、と。

さぶろうは、では、ここの何処に住んでいるか。答えは、「自在して遍満す」「何処にでも住めるようにしてあるから、何処にでもおる」

独り遊びをした。観念の念に遊んだ。

コメント (2)
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どうもヘンだ

2016年06月21日 11時20分45秒 | Weblog

リハビリを一気にたくさん遣りすぎたのであろうか、右脇腹から背中にかけて腰上部が強ばってしまった。痛い。息を吐くのも慎重を要する。尋常ではない。安静が一番と思ってベッドに横になっている。身動きがとれない。ヘンだ。せっかくここまでたどり着いたというのに。朝起きたときには異変は感じられなかった。ヘンだ。

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