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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

同悲と共苦という利他行の実践

2015年08月15日 23時56分42秒 | Weblog

「一切衆生病む。この故に我も病むなり」

維摩居士が病気になった。釈迦様に見舞いに文殊菩薩をお遣わしになった。ここで問答が始まった。

文殊菩薩:「どうしてまたあなたほどの篤信者が病に苦しんでいるのだ」

惟摩居士:「一切衆生病む。是の故に我も病むなり」

文殊菩薩:「病を脱することができるか」

惟摩居士:「もし一切衆生の病滅せば、すなわちわが病も滅せん。もし衆生、病を離るることを得ば、すなわち菩薩もまた病無かるべし」

人々が病に苦しんでいる。悩み苦しんでいる。ならば、菩薩はその苦しい病いの状況に身をおかねばならない。共に悩み苦しむ者でなければならない。これが同悲である。これが共苦である。おお、利他の実践とはかくも凄まじいのだ。

それまでの小乗仏教では、自利をして悟りを開いた者はここまで下りてきて病むことができなかったが、利他の大乗仏教の居士はここまで下りてきて同じ位置を貫徹するのである。おお、凄まじい。

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衆生病む この故に我も病むなり

2015年08月15日 23時15分19秒 | Weblog

無量百千万億劫離諸悪趣三昧(むりょう ひゃくせんまんおくこう りしょあくしゅ ざんまい)という利他のための三昧がある。三昧は精神集中法である。三昧にもいろいろあるようだが、これは百千万億劫という量り知れないほどの長い間、人々に諸々の悪趣(=悪世界)を離れさせることを念じた三昧である。無論、凡夫にできる業(わざ)ではない。菩薩にしかできない。悪趣・悪世界は苦しみの連続である。菩薩は代受苦ができるのである。苦しむ者に代わって苦しみを受けることができるのが菩薩である。彼はなぜこの代役に邁進できるか。それは彼が前もって悪趣に堕ちて苦しみを嘗め得たからである。彼はここを通過している。利他のためには悪趣にも堕ちるというのが菩薩道の必修科目だったのである。

ということは?

はい、悪趣に今現在堕ちている人は今後利他の菩薩になって、この無量百千万億劫離諸悪趣三昧を身につける条件が整ったということでもあるのだ。一歩も十歩も百歩も進んだ人たちなのである。

「一切の衆生病む。故に我も病むなり」。惟摩経にはこう説かれている。

惟摩詰ほどの修行者になると凄まじい。病むは利他のためなり、一切衆生もまた利他す、病むことを以て我も一切衆生と同化す、というのだ。

白隠禅師は、「お師匠さまが死んだらどこへ行かれますか」と尋ねられたときに、「坊様はみな地獄へ堕ちる」と答えられた。「坊様は地獄でこそ引導利他が本領発揮できるからだ」「だから、足からずり落ちて嫌々ながら行くのではなくて、この白隠は頭から飛び込んで嬉々として趣くのだ」と。これも凄い。

現世の地獄は病身である。病身を引き受けることができるのは、したがって、利他の菩薩である。彼をあやまって見ることなかれ。

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病身を通して求道をする

2015年08月15日 22時21分44秒 | Weblog

明日は弟の入院先の病院までサイクリングをして行って見ようか。何キロあるか分からないが、ゆっくり漕いで休み休みして行けば行き着くだろう。弟は病身なのでいかにもいかにも不如意の暮らしをしているけれども、その分は精神の向上を遂げているはずである。少なくともそこに目を向けて歩いているはずである。修行を余儀なくされているので、進歩を約束されているはずである。本人はそれと知らずとも。

妙法蓮華経「妙荘厳王本地品(みょうしょうごんおうほんじほん)第27」に浄蔵と浄眼という二人の兄弟のことが説かれている。ふたりは共に父である妙荘厳王の王子であったが、王子の身を擲ち、仏法を求めて一人の仏、雲雷音宿王華智仏(うんらいおんしゅくおうけちぶつ)を師と仰いで修行をし、ついには菩薩浄三昧、日星宿三昧、浄光三昧、浄色三昧、浄照明三昧、長荘厳三昧、大威徳蔵三昧、これらの三昧にもことごとく通達した。何度も生まれ変わったがそのたびにやはり同じ仏ももとで修行を続けた。ふたりはやがてその修行の甲斐があってお釈迦様のころに薬王菩薩、薬上菩薩となって現れ、大乗の説くところの利他の実践に邁進した。

今生に於いても仏道求道のこころざしはさぶろうと弟のこの兄弟に受け継がれていて、合い寄ると常に仏道の話に興じた。話はいつも尽きなかった。さぶろうは、この浄蔵・浄眼と薬王・薬上菩薩の話をさぶろうとその弟の身の上に重ね合わせて勇気を奮い起こした。だから何度生まれ変わってもやはり仏道を求めて行くはずである。いま弟の浄眼は病に倒れているが、これは修行の一方便である。弟は利他を実践する前段階にあって、病身を通して求道をしているのだと思うのだった。

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送り火

2015年08月15日 21時27分15秒 | Weblog

今日は8月15日。お盆の終わり。これから仏壇で読経をして送り火をする。この三日間、果物と盆菓子をお供えし、お団子に小豆を添えてお斎をして、ともに阿弥陀経の説くところを共有し、ねんごろに相互双方回向をした。子孫との交流を楽しまれたご先祖さまが異界にお帰りになる。といっても異界はこの娑婆世界とは同心円。こちらが気づかぬだけでいついかなる時にも終始守り守られ導き合って暮らしているのだろうけれど。

 

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美しい夕焼け空を見ながら

2015年08月15日 21時11分49秒 | Weblog

夕方6時10分にサイクリングに出発して7時10分に戻って来たから1時間ほどを走っていたことになる。いつものように城原川の川土手を南下してJRの鉄道踏切を渡り更に南下して国道34号線を尽ききって第一の小さな橋のところで小休止。ペットボトルの水を飲み干して、今日はここでUターンをした。帰り道、夕日が次第次第に山の端に沈んで行くのを見届けながら北上した。暮れてお暗くなって行く山の端の向こうに西の空が焼けて行く。このしばらくの天空の芸術作品が美しかった。この美しさを堪能した者は今日の収め分を尽くしたことになるのだと思った。八子橋にかかったところで停車した。ここからつぎの菅生橋の間の上空が、田圃の稲の農薬散布で一面真っ白になっていた。ここを通過すれば息が苦しくなる、目が開けていられなくなる、そう判断して大きく迂回する道を辿った。新しい自転車の車輪の長さは27cm。これまで乗っていたのよりも長い。それで一漕ぎして走る距離がそれだけ伸びているので、同じ距離でも時間短縮になっていた。風があったからだろう、漕いでも漕いでも汗を掻かなかった。

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不変の平和の波止場

2015年08月15日 15時46分38秒 | Weblog

世の中は常にもがもな 渚漕ぐ海人(あま)の小舟の綱手かなしも   鎌倉右大臣 源実朝

「もがも」は願望の終助詞。「な」は詠嘆の終助詞。「かなしも」の「も」も同じく詠嘆の終助詞。「綱手」は小舟を引く綱。小舟を港に留め置くときにはこれを繫留する鈎となる手がある。

この世はいつも変わらないでいてほしいものだなあ。(常に平和であってほしいものだよなあ) 変わらないものがあったよ。海人はいつも変わらず渚で小舟を漕いでいたよ。この(不変の)普遍性を平和の波止場に繋ぎ止めている綱手は(小さいながら)いとしいものだなあ。

作者源実朝はめまぐるしく移り変わる政争のただ中に身を置いていなければならなかった。征夷大将軍という頂点に暫くの間、君臨していたが、翻弄されるばかりで幸せが薄かった。不変を、猟師の小舟の綱に見て、これをいとおしんだ。そしてこの名歌が誕生した。

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我が心に楽しみを見出そう

2015年08月15日 15時17分47秒 | Weblog

楽しみを見出した方が勝ちだよね。だよ。

じゃ、そうしよう。

全島、目も眩むほどのダイアモンドからできている島がある。名づけてダイアモンド島。どこへ行ってもきらきら耀いている。日が東から昇ってくるとこれがますます耀き出す。さぶろうはここに宿を借りて寝起きしている。

でもここにいることは当たり前になっていて、それ以上でなければ楽しくない。さぶろう以外の人は、この島にいっときでもいられたらどんなに楽しいだろうかというけれど、それはその人たちのこと。さぶろうには該当しない。さぶろううには、逆にこのきらきらきらが目障りでしかない。あろうことか。あろうことか。

このダイアモンド島で楽しみを見出すのは、だから、至難の業なのである。ダイアモンド島以外で暮らしている人はそうではない。ダイアモンド島に移り住めば楽しみは倍加されるのである。この期待が残っているのだ。

だが、そうは言うけれど、ダイアモンド島には海と浜辺ばかりで山がないのである。お隣の石ばかりの島には山がある。山があるので谷間に谷間大の空がある。空があるので朝日が山に駆け上るし、夕日が山や谷間を赤く染め上げる。

楽しみを見出した方が勝ちだよね。ないものねだりではなくて、できればここにあるもので練り上げた楽しみ。その方がいいよね。手っ取り早くていいよね。

ダイアモンドそのものが楽しみなんかではないのだ。ダイアモンドを楽しむこころなんだ。楽しさの湧き出すところは。これは山や谷間や大空にだって言えることだ。そのものが楽しみなんかではないのだ。それを楽しめるようにしてあって、それにこころが反映をして楽しんでいる、そこが楽しい泉なのだ。だから、ほんとうはそこに何かがあると言うことは、二次的なんだ。見出すという動力モーターがそこに回っているってことが素晴らしいことだったんだ。

 

 

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風に吹かれてこよう

2015年08月15日 15時08分42秒 | Weblog

このところずっと、ずっとずっと、さぶろうは落選ばかりしている。新聞の読者文芸欄、詩部門の投稿作品も、短歌部門の投稿作品も選ばれなかった。次を書くファイトが起きてこない。詩部門は今日が締め切り日。でも、一行すら掛けないでいる。短歌部門は水曜締め切りだったがこれも逃してしまった。かなしい。かなしいと自信が生まれてこない。生まれてこないとこころが退却することになる。しようがないね、でも。才能なしだから、しようがないね。

夕方、サイクリングに行って風に吹かれてこよう。そうすればなにもかも忘れてしまえそうだ。さらりとしてこよう。

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仏陀の委嘱状

2015年08月15日 14時10分44秒 | Weblog

汝(なんじ)よ、(汝の)道力を以てこの天人衆を擁護すべし。また無上(道)を漸修せしめて退出させること勿れ。復(また)次に地蔵よ、未来世の中において、若しくは天の人であれ地の人であれ、業報に随(したが)って、応(まさ)に悪趣に落ちて在りて、(悪)趣の中に臨堕し、或いは門首に至らんとせんに、是の諸々の衆生、若し能(よ)く念じて、一仏名や一菩薩名や、一句一偈の大乗経典を得れば、汝(なんじ)は(汝の)神力を以て、方便もてこの諸々の種々をば救抜(くばつ)すべし。この人のいます所に於いて、無辺身を現して、この人の為に地獄を砕き、遣わして天に生まれ令(し)め、勝妙の楽を受けしむるべし。   地蔵菩薩本願経属累品より一部抜粋

ここの「汝」はお地蔵さまである。地蔵様に話をされているのはお釈迦様である。天人というのは天界の人と人界(地の界)の人のことである。お釈迦様が地蔵様に向って、「未来世の天・人の衆をあなたにお頼みいたします」と委嘱をしているところである。

1,地蔵よ、あなたの道力でもってこの人たちを擁護してくださいよ。2、この人たちに無上道(=仏道)を漸修させてくださいよ。3,この人たちを無上道(=仏道)から退出させてはいけませんよ。4,この人たちが、生前の報いによって悪趣(悪世界 地獄・餓鬼・畜生界)に堕ちて刑を受けようとしていたら、あなたの神力で以て救い出してくださいね。5,たとい悪趣界の何処に居ても変化身(へんげしん)を現して、地獄を粉砕してあげてください。6,この人たちを天界に生まれさせてください。7,天界では、どうか、勝妙の楽を受けさせてください。8,こうすればこの人たちは仏の名や菩薩の名を称えてくれるようになるでしょう。9,助かった人たちは大乗経典の一句、一偈を称えてくれるようになるでしょう。10,地蔵菩薩よ、あなたにこの未来世を生きて行く人たちのことをお頼みします。お頼みします。

お釈迦様は地蔵菩薩に諄いほど私たちのことを何度もことこまやかにお頼みをしておられます。これが経典です。全篇にわたってお願いをしておられます。

願いは成就されているので、わたしたちは擁護されています。いまここで救済されています。お釈迦様と地蔵菩薩の約束事なので、約束に背いてはおられません。これを経典に遺しておいてわたしたちに安心を届けておられます。仏さまにこれほどまでに一方的に頼まれているわたしたちです。そういうわたしたちを私たちはここで生きています。

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宝籤の楽しみ終わる

2015年08月15日 13時09分19秒 | Weblog

ふふふ。サマージャンボ・ミニジャンボ宝籤は捨て金になってしまった。11日が抽選日。当選金7億円も7千万円も、あわやの期待も希望も消えてしまった。しばらくを楽しんだのだから、これでいいのかもしれない。

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