<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

さまざまな空腹氏

2015年08月26日 12時44分49秒 | Weblog

午後になって日が射してきた。それにつれて気温も上がってきた。長袖はさすがに暑くなった。脱ぎ捨てる。昼ご飯がまだだ。喰うのが面倒臭い。でも、腹が空(す)く。

魂(soul ・spirit)の腹はどうか。空(す)いていないか。わが魂の腹の空きには何を食べさせたらいいか。肉体の腹は日に三度の食事で満たされていくが、魂のそれはどうか。

孤独氏にも空き腹がある。空き腹していれば、これもしきりにさみしがる。恋しがる。あたたまりたがる。異性の肌に触れてやればおとなしくなるはずだが、老人さぶろうにはそういう解消法はない。可哀想に。

腹が二つも三つもあって面倒だ。しかし、喰わせてやらねばさっそくひもじがる。魂氏には妙法蓮華経がある。これをちぎりちぎりして食べさせてやる。そうすると彼は昼寝をしてくれる。

性の空腹氏には打つ手がない。性は生のエネルギーと二人三脚をしているところがある。無視はできないが、方策はない。仕方があるまい。この高齢だから。百人一首の恋の巻を捲って見せてやる。疑似体験をさせて騙し騙し黙らせる。これが精一杯の奉仕作業だ。

さてと、そろそろ肉体の空腹氏へお膳を運んで来てやるとするか。パンがあったようだ。

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身の置き所

2015年08月26日 12時24分34秒 | Weblog

いつしかに日がしずみゆきうつせみのわれもおのづからきわまるらしも    斎藤茂吉

茂吉大先生、神妙である。諦観が滲む。はやる心に任せて投げた剛速球の歌ではない。無常の風に煽られておいでになる。「うつせみ」は「現人 うつつの身のもの」が語源らしい。平安時代になって「空蝉」の字を充てたとも。すると、「蝉の抜け殻」「虚脱」の意味にも転用された。「うつせみの」になると「身」「命」「世」「人」などに懸かる枕詞。茂吉大先生も我が身の落日へ沈んでおられ、すぐにも命が窮まってしまうことを予感しておられるようだ。恋の達人であったころもあったのに。いやいや、単なるジェスチャーかもしれぬ。実はまだ日は烈火のごとくあかあかと燃えて耀いておられるのだが、こういう落ち着き、身の置き所をも謡っておきたかったのかもしれない。

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たまきはるわが命

2015年08月26日 12時03分43秒 | Weblog

彼はおんなの人に会った。ここに明るさを見出した。細いけれども直な一本の道が、己の命の真ん中にあかあかと通じているのを見出した。暗かった我が道に光が射してきたのだ。堂々と胸を張ってこの道を行こう。彼の自己肯定はこれで揺るがなくなった。

あかあかと一本の道通りたり たまきはる我が命なりけり   斎藤茂吉

今日は茂吉に捕まって磁場を抜けられない。

「たまきはる」は「命」にかかる枕詞。魂や霊がその語源にありそうにも思える。よくは分からない。「あかあかと」は副詞だから文法上は「通る」を修飾しているだろうが、「あかあかとした」とすれば「一本の道」や「命」にも関わってきそうだ。背後の事件、歌われた場所に頓着せずともいいのかもしれない。

おおおお、我が行く道が決まった。一本の明るい道が開けてきた。我が命はたまきはる命、厳粛な命、神妙な命だったのだなあ。

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我が道をひた走る者

2015年08月26日 11時48分05秒 | Weblog

ひた走るわが道暗し しんしんと怺えかねたるわが道くらし    斎藤茂吉

茂吉ほどの歌人の歌がさぶろうほどのずぶにどれだけ分かるか。どれだけも分からないだろう。でも、惹かれている。茂吉の歌は強い磁石で、近づくと磁場に飲まれてしまう。

彼はひた走っている。だが、走っている道が暗くて、ガーターへ踏み外しそうだ。踏み外さないように慎重にしている。言い聞かせている。走っても走っても同じくらい道だ。光が見えてこない。でも、走らねばならない。とにかく進まねばならない。足がぐらぐらする。疲労がたまってもいる。怺えられそうにない。おまけに、雪が舞ってきた、しんしんと降り急いで来る。彼は二度も三度も我が行く道が暗いのを嘆かねばならない。足を投げ出してただずめるところはないか。こころをやすませてくれるおんなのひとはいないか。わが道はしんしんと冷えてくるばかりだ。

 

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あと、2つ残っている

2015年08月26日 11時40分08秒 | Weblog

いきなり寒い。台風一過のせいだろうか。あわてて箪笥から長袖を引っ張り出して来た。9月を待たずしてはや衣替えをせかれる。

昨日、サイクリングの帰り道で「まるいち」という菓子屋さんを見つけて立ち寄った。どら焼きを食べたくなったのだ。あった。新商品どら焼きを4種類も買ってしまった。さほど大振りではない。夕食の後でさっそくこの2つを3人で分け合って頬張った。しばらく甘いものを避けてきていたのでよけいにおいしく感じられた。あと、2つ残っている。

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歌はこころの貧困

2015年08月26日 11時11分35秒 | Weblog

最上川の流れのうへに浮かびゆけ  行方なきわれのこころの貧困   斎藤茂吉

茂吉にして貧困なのか。こころの貧困がある者は、これを埋め合わせんとて人を恋う。すなわちこころの貧困はわが恋の正体だ。貧しく困惑したる者はしきりに美を恋う。豊満なるを恋う。しかし、しきりに恋えばこれに吸いとられて、しきりに貧困化する。一筋縄では行かない。とうとう行方も定まらなくなる。右往左往する。会いたい会いたい。会ってはならぬならぬ。会う人も居ない。会いたいと言ってくれる人も居ない。最上川の急流の上には凍てついた冬の空がある。ここへわがこころを晒す。こころはただにヒュウヒュウと風に鳴る。風に鳴ったものが茂吉の卓越した歌になる。

清らなるをとめと居れば悲しかり 青年のごとくわれは息づく   斎藤茂吉

狼になりてねたましき喉笛を噛み切らむときこころ和むまむ   同上

彼は50才を越えた。30才ほども若い美しい人のもとへ走った。昭和12年、四国松山でふたりは三日三晩を過ごした。女の人の名は永井ふさ子。彼女はのちにこの事実を公表した。

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1000倍楽しんでやれ

2015年08月26日 10時50分21秒 | Weblog

さぶろうは嘘つきである。なかったこともあることにして書いている。その逆もある。あったこともなかったことにする。たいした差はないのだ。なぜ? どっちにしろ、一滴を薄めているだけだから。1000倍~1000億倍にも薄めてしまえば、もとの一滴は実態がなくなってしまう。毒だったか薬だったか。善だったか悪だったか。恋だったか怨嗟だったか。もう正体はない。1000倍に薄まったということはそこに1000倍の想像空間ができたということだ。うっすら、ここで遊ぶ。自由空間にして遊ぶ。遊びがこれでうんと楽しくなる。1000倍楽しくなる。もともとはたった一滴だったのが1000倍になっている。これで、しかし、鈍感なさぶろうは、やっと普通の人並みの楽しみに浸れることになる。嘘をつかなかったら、つまり想像空間を広げて棲んでおかなかったら、この楽しみすら洩らしてしまっていただろう。

虚空(おおぞら)を押して潰したフィクションの恋のルビーをころがすも遊戯(ゆげ)   薬王華蔵

 

 

 

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雨の中のサイクリング

2015年08月26日 10時39分33秒 | Weblog

2時過ぎに出発して5時過ぎには戻って来られた。弟は病院の食事は摂らず、やって来た奥さんと一緒に食堂でうどんを喰っていた。ここまで回復をしていた。よかった。寒くなったので長袖を着込んでいた。体重がずっと軽くなっているので、そのせいで寒さが余計に身に滲みてくるのかも知れない。3人でしばらくお喋りをした。五木寛之・梅猛対談集の「仏の発見」の本の差し入れをして帰って来た。帰りは緩やかな長い長い上り坂。あいにく雨になった。顔を雨が流れた。ペダルを漕いでもなかなか進まないで、少々いらついた。疲れた。帰宅後、シャワーを浴び、濡れたリュックサックを洗って軒端に干した。

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茸には耳がある

2015年08月26日 10時19分57秒 | Weblog

しらじらと胞子の声の部屋中の茸の耳をきにしてる君    薬王華蔵

茸は胞子植物である。ある一定の温度と湿度が満たされれば活動を始められる。でもこれは毒茸の嘘茸。茸という漢字にはたしかに耳がある。耳が植物になったかのように。きみはさっきから部屋に生えた茸の、聞き耳を気にしている。そう、お静かに! 会えた喜びを声にしてはならぬ。 

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うなりの音の空の波

2015年08月26日 10時08分36秒 | Weblog

僕の歌は嘘だけで塗り固めてある。これが短所。そして長所。どこもかしこも嘘ばっかり。ありえなかったことを、あり得させている。歌の中だけで。珠子なんて何処にも居ない。居てとしても僕とは関わり合うことがない。まるで一度も。でも、僕は会いたくなる。遭ったら逃げて戻ってくるはずなのに、生きてある間に遭っていたくなる。ことごとくが矛盾だ。空に音の波になって通り過ぎる珠子。歌なんて所詮慰撫に過ぎない。

ヘリコプターのうなりの音の空の波 珠子がひるまうなって過ぎた   薬王華蔵

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