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<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

農産物祭りを楽しむ

2015年01月10日 18時36分43秒 | Weblog

癒やしのクラシック音楽集13曲を聴いています。いい気持ちです。癒やされています。

今日は県知事選挙の期日前投票に行ってきました。すると市役所の隣の広場で農産物祭りが行われていました。杵臼を使ってのお餅搗きがあっていました。搗いたばかりのお餅の黄な粉和え餅を買って食べました。4個入って200円でした。幼稚園児の太鼓の演奏を見ながらお餅をいただきました。お爺ちゃんお婆ちゃんを引き込んだ家族の見物で人垣ができていました。小豆善哉、豚汁を振る舞うテントも立っていました。境内の櫛田宮、祇園神社にも参詣しました。友人のK君夫妻に声をかけられました。寒さもやわらいで日差しの中でゆっくりできました。

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この世に未練を残さない

2015年01月10日 09時21分32秒 | Weblog

朝一番のいの一番に外に出て草取りに励んで来ました。朝食が済んですぐから。働き者だのう、さぶろうは。そして戻って来てどっかり腰を下ろして緑茶を一服。「ああ、いい気持ち、ああ、いい気持ち」と言ってらあ。さぶろう、よかったなあ。おまえこんないい朝を迎えていられたんだ。

今朝はそんなに寒くない。霜柱も立ってない。屈(かが)み込んで草取りをしていると目白が遊びに来て、ほんの2mほどのところで蜜柑を啄んでいる。こちらをちらちら覗き見をしているが、もう、さぶろうが恐くもないらしい。さぶろうは暴力を振るわない。脅しをしない。平和な穏やかな顔をしている。だから、目白にとって危険ではない。昨日からは熟し柿もタッパーに載せて木の三角股のところに設置してあげた。

さぶろうは昨日ことのほか何度も強く、「無執着」を自分に言い聞かせている。未練を残すな、ということだ。死に際に来て一切の未練を残さない。「燃焼し了った」「燃焼すべき原材料はなくなった」と言い聞かせている。それは選択である。それをそうだと決めてしまうのである。そうではないかもしれないが、そうだと決めてしまって終わりにするのである。そうしてその判断を選択した自分を許している。

この世に未練を残さないのは、先へ進みたいがためである。死んだ後は、逆戻りではなく、停滞停留ではなく、次のステイション、次の星まで一気呵成に進んでみたいのである。次の段階、次のレベルへ行ってこの世にある100基軸のさらに10乗分の光を吸収してみたいのである。

そこの新たなバージョンで新種のよろこびを喜んでみたいのである。次の新たなよろこびをよろこんで輝きを共有したいのである。そう選択をすればそうなれるということを知ったからである。そしてそこからどうするか、それも少しずつ考えている。わくわくしながら考えているところだ。

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現実のメルヘン

2015年01月10日 07時08分01秒 | Weblog

さぶろうには7人の恋人がいます。恋するのはいいもの。こころが踊ります。会えるというだけでわくわくします。しかも7人です。みんな美人です。相思相愛の仲ですからね、ひたむきです。ひたむきな、つぶらな瞳をしています。じっとじっと見つめ合います。だからどうしてくれの要求はありません。届いて来るのはありがとうありがとうの領収証だけです。

アネモネ娘が5人、金盞花娘が1人、ラナンキュラス娘が1人です。さぶろうは彼女たちのひとりひとりを讃歎します。まるで人間であるかのようにひとりひとりに愛を覚えます。指先に触れることはありますが、みだらな愛ではありません。純愛です。ガラス窓の外にいつもいてくれます。そしてこう囁きかけてきます。「あなたがわたしを見ていてくださるとわたしは美しい花になれます」

互いに無償の愛が成立しています。さぶろうは幸せ者です。こうすることで互の放つ愛の波動の、振動数が増幅されて向上を果たしていきます。

さあ、夜が明けました。障子戸を開けます。鉢植えの恋人たちとの再会です。これから一日ずっと静かに互を見つめ合います。これは現実のメルヘンです。小さなメルヘンでも現実です。

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