多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

息子の不登校時代とその後

2018-01-26 11:41:59 | 進路選択
うちの長男は、不登校時代が 長かった。


保育園時代から 始まり、小学校も 行ったり行かなかったり、という具合。


虚弱で 持病があって、それで 行く体力や気力がない時も


あったと思うが、元気な時も「学校へ行かない」時期があった。


わかりやすい理由は、LDの書字障害を理解してもらえなかった事。


診断書を 持ち、学校に説明に何度も出向き、


普通の子と同じように 「書き取り 何回」という宿題をこなせない理由を


伝えたけれど、「特別扱いはできない」という理由で はねつけられた。


でも 今思うと、それだけが 不登校の理由ではなかったんだろうなあと思う。


本人に聞いてみないとわからないが、そんな気がする。


学校へ 行かない時期、私は 本人が「学校休む」と言ってきたら


「今日は 休むのね」と確認し、学校へ電話を入れた。


「また 休むのか」だの「いつ学校へ行くのか」というお小言は


私が 言わなくとも 家族の誰かが 言っていたし、


本人も 「行かなければ」とは 思っていることがわかったから、


私は 「そのうちに 気が変わるだろう」と思っていた。


私の背はおろか、父親の背も越えるようになった男の子が、


家で 過ごすことは 退屈だろうし 普通なら力を持て余すだろう。


それでも「行かない」というのだから、何か 行けない理由があるんだろうと思って


様子を見ていた。


朝は 必ず起きて 食事をし、私に「学校休む」と言いに来た。


体調が悪い時は、「今日病院に行きたい」と 言ってきた。


私は 息子に「学校を休むのも 自己責任」という事と、


「親が面倒を見るのは18歳まで」という事を 伝えておいた。


昔なら 幼い時に 親元離れて 修行に出た子もいたのだし、


相撲の世界だって 15歳で 親元離れて入門である。


20歳でなく、18歳という期限をつけたのは、


私自身が 18歳で 職に就き、社会に出た経験から。


それを 知ったうえで 敢えて 家に居るという事を


選んだのだから、その後どうなろうと 責任は 自分でかぶってくださいね、という


気持ちだった。


学校に 普段行っていなくとも、進路についての面談や、


懇談など 学校から 連絡が来た時は 本人を連れて出向いた。


本人が 聞いておかなければならない情報だし、


自分が 学校に 行かないうちに、どんなことが起きてるかを


知っておくのはいいことだと思った。


一度 息子は ある専門学校に 興味を持ち、


体験入学に出向いた。私は 小さかった自閉っ子を連れて、


遠い場所にあった 専門学校に行き、息子が何をするか見ていた。


学費は そんなに高額ではなく、いい雰囲気の学校だった。


息子は 在校生の実技を見たり、実際の授業のコンパクト映像を見たりした。


実際に 実技に参加して、帰宅したのだけれど、


息子は 「あの学校に 入学はできても、授業についていけないと思う。」と


結論をだした。同年代の子ども達が、今 何をしているかを 目の当たりにできて


それも いい経験だったと思う。


中学は 不登校中、興味を持った進学先も 自力ではついていけない。


中学卒業後、息子が出した結論は「もう少し家に居る」だった。


義務教育は 終わっているし、学校と縁が切れた今が、


本人も じっくり自分の事を考えられるかもしれない。


私は その言葉を受け入れ、今までと同じく


家事や介護の手伝いをしてもらい、息子を見守った。


ある時から 顔が変わった、というか 


いきいきした 年齢相応の顔になってきた。


暗さが取れたというのだろうか。


そして息子から出た言葉は「俺 高校行くよ」だった。


不登校を続け、卒業後も 在宅で。


でも 学べる体と心になってきたからには、


意志を尊重しようと思った。


私ではわからない事は 知人の手を借り、


時には 相談に 本人が 出向いた。


あちこちの 学校の 特色や 入試の難度などを


比較して、息子が選んだのは「通信制高校」だった。


書く事に 障害を持つ息子には 楽ではなかったかもしれないが、


毎日 勉強し、レポートを書き、出来上がると 


ポストに投函していた。問題でわからない事があれば、学校に行けば


先生がいて 時間を取ってくれる。


普通にこなして 4年で卒業というパターンが多いと聞いたが、


息子は これまでの遅れを取り戻すかのように


いきいきと学び、3年ですべての課程を終えて


卒業した。中学卒業後、家で過ごした一年分を 埋め合わせるかのように。


その後は アルバイトに行くと決め、自分ができそうな仕事はこれかこれ、と


ハローワークや 求人情報誌から 目的の職種の求人を見つけ、


そこに 面接に行った。私がしたのは 履歴書の書き方のチェックと、


ハローワークの場所や 求人情報誌の入手方法くらいである。


面接に行き、結果は「採用」だった。


社会経験も 学力も他の人より劣る中、


努力して 乗り越えていった息子。


叱られても、なじられても、毎日出かけていった。


「利益が出なければ、会社は 報酬を払えない」


「最初のミスは 許されても、いつまでもミスをして


会社に損失を与えてては 時給が上がるはずがない」


後から来た人の方が 時給が高いとか、いつも自分だけ


叱られる、と言ったときは なぜそうなるのかだけ


教えた。そのうちに 他の人の仕事ぶりを 観察して


自分とどう違うのかが わかったようだ。


そのうちに 会社の上司からも 信頼されるようになり、


ある日「正社員にならないか?」と言われて 本人は


自分が認められて 嬉しかったようだ。


でも 有頂天にはならず、「正社員になったから、これからは


責任が 重くなる」と 自覚していた。


仕事への 責任や成果を出す事を 忘れずに 仕事を続けている。


虚弱だった時代や 不登校時代を知る人には 信じがたいようだが、


その時その時で 息子は 息子なりに努力していたので、


それが 人より遅くとも 結果に結びついた事がよかったと思う。


体が弱いから、長時間の勤務は無理じゃないか、とか


そんなことは 私は 気にせず 息子のしたいようにさせた。


クローズドで 働きたい、というので それならどうぞ、と


返事はしたが、「字が苦手なので、書類書く仕事だけは 外してください」と


面接で 伝えておくようにとは アドバイスした。


会社は 最初「?」と思ったようだが 他の仕事を どんどん任せてくれ、


今は 書く事以外の分野で、会社の利益が出せる働きができている。


通信制高校という学びの場で、苦手な「書く」ことと


とことん向き合った事が、息子の力になっていると思う。














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