多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

発達凸凹でも、自分で選択して生きていいと思う

2018-01-25 16:05:58 | 私の思考
私は 幼い時に 自分が「人と違う」事に気づいた。


きょうだいとも 違うし、周囲の子とも違う。


どこに行っても「困った子」だったし、


人と一緒に何かする事が 苦手だった。


家の中でも 学校でも その他の場所でも


楽しくない事は いっぱいあったけれど、


自分の意志というのは いつもしっかり持っていた。


それが 必ずしも 得られるものでなかったとしても、


私は 人生をあきらめなかった。


親と対立しても、先生と対立しても、


「自分が したい事」は あきらめなかった。


結果が 希望通りではない事もあったけれど、


その行き先で また 新しい選択を自分でしてきた。


一回で すんなり ゴール、でなくても、


何回「振り出しに戻る」でも


そこで あきらめなければ、その場所で


自分の出来る事を 探せば 何とかなるものだ。


私は 過去に たくさんの困難や 失敗をしてきたけれど、


それはそれで 後から出会うもっと大きな困難を 越える力になった。


子ども達が 私と同じ 発達凸凹だと 気付いた日。


その日の事は はっきり思い出せるけれど、


私の 人生の妨げにも 重荷にもならなかった。


むしろ 新しい楽しさの 始まりになった。


子ども達は それぞれ 違う困難を抱えていて、


私には わからない悩みや 苦労があったかもしれない。



子ども達は それぞれ 自分たちで したいように


自分の道を選び、悩みや苦労を いつしか 自分で勝手に


解決していけるようになっていた。


私がしてきたのは、「何がしたいのか」を 子ども達に聞き、


私でしかできない ちょっとした手助けをしただけ。


年月とともに 私が 手助けする事もなくなり、


今は 私が 子ども達に助けられている。


色んな人たちに「それは 無理だ」「そんな事をさせたら


将来が心配だ」と 言われたけれど、 子ども達は


自分で 選んだその環境で 努力する事を続け、


自分の人生に 満足し、毎日 いきいきと生活している。


発達凸凹だから、IQがいくつだから、体にハンディがあるから、


そういう理由で 子ども達の選択を あきらめさせずに、


自力でどこまでやれるか 本人が体験できたことが


良かったと思う。


自分で選んだ環境が、予想以上に 過酷な場所でも、


周囲が 思う以上の 力を発揮できたのは、


やれそうな事、やりたがる事には


まず挑戦させる、という幼い時からの体験の積み重ねが


基礎になっているように思う。



































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クリエーター情報なし
花風社
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