juntarouじいじの日々是好日

保谷障害者福祉センターの卒業記念に「じいじにも出来るよ」と言われて始めたブログ、早いもので、もう19年目に入りました。

六本木

2018年06月03日 | 健康・病気


六本木ヒルズの屋上から眺めると、こんな風なんですね。

キューリー夫人が一昨日の金曜日に六本木ヒルズの森美術館へ行かれた際、屋上まで足を延ばされたそうで、その写真が届きました。超高層ビルが多くて私にはどれが何のビルやら、さっぱりわかりませんが、 東京タワーとその向こうに増上寺、右手の方のレインボウブリッジとお台場のフジテレビ(多分)位は分かります( ◠‿◠ ) キューリー夫人が仰るには、森ビルの屋上に行ってこの写真を撮るために、1900円もかかっているんだそうですよ。しかもシニア料金で( ◠‿◠ )

昨日、ばあばと私も六本木へ出かけていました。

ばあばは、お友達が出展されている日洋会の展覧会が開かれている国立新美術館へお出かけ。ここだけの話ですが、お仲間4人でお昼は新美術館近くの孫成順さんのお店で豪華に頂いたそうです。たまたま昨日は孫さんが店にいて、帰り際に、ばあばが手を振ったら、挨拶に出て来てくれたそうで一緒に写真も撮って来ていました。さすがオバタリアン( ◠‿◠ )

私は福井の高校の同窓会があって、同じく六本木へ。

毎年同じ場所で開かれるのですが、今までは四谷まで電車で行って、そこからタクシーと言う方法で行っていたのですが、昨日は初めて車で出かけて見ました。四面道から環八で高井戸、高井戸から首都高に乗り霞が関で下りて、溜池からサントリーホールの前を通り会場へ。途中環八の渋滞は相変わらずで、首都高でも三宅坂の所で交通規制があったみたいで15分くらいストップさせられたので、1時間半かかりました。帰りは首都高に入らず、赤坂から四谷、新宿、へ出て青梅街道で帰って来ました。久しぶりに首都高や都心を走りましたが、それほど緊張しなかったですよ( ◠‿◠ ) でも、緊張しないって言う方がちょっと危ないかも知れませんね( ◠‿◠ )

昨日の参加者は35名と、例年40~45名なんですがちょっと少なめでした。内女性が13名。みんな、良いじいじとばあばです。

ビュッフェスタイルで2時間半の懇談、中に数人、私の顔を見ると、必ず私のピッチャー時代の話をする人がいて、何時もは私は黙ってにこにこしているだけなんですが、昨日は、「ひょっとして、テレビで、東海大相模で、私と同じ名前を見つけたら、それは、私の孫だからね」と、R君のことをしゃべってしまいました( ◠‿◠ ) みんな、「それは凄いね。さすがじいじの孫、また甲子園行けると良いね」とエールを送ってくれました。

最後は校歌を歌って解散。3番まであるんですが殆ど全員あやふや( ◠‿◠ )

余談ですが、私の母校藤島高校は福井藩の藩校明道館が始まりで、校歌の2番には、今NHK大河ドラマ「西郷どん」の中にも出て来た「橋本左内」が出て来ます。「常盤の森の足羽山 麓に眠る橋本が 新しき世を迎えんと 若き魂かたむけし ~」と、こんな歌詞です。

帰る時に、玄関先で一緒になった4,5人が「じいじさん、どんな風に運転するの?」と、聞くので、実際に見せて、手動装置の仕組みを説明して来ました。みなさん初めて見るようで、興味津々感心しきりでした。



前の記事で、ズミの花ってどんな花って書いたら、スーパーじいじWさんから追加の写真が届きました。以下Wさんの説明です。「ズミは高原に咲くバラ科りんご属の落葉樹で木の高さは5m位になる。花はつぼみの時はピンク色だが開くと白になり、リンゴの花のような感じになる」乗鞍では大きなズミの木だったが三窪高原ではツツジに混じって沢山咲いていたそうです。

ゴヨーツツジさま、母の日プレゼントに、母の大好きな人のコンサートチケットを送るなんて、素敵な息子さんで、お幸せですね。


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2 コメント

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じいじ様達も六本木だったのですね (きゅりー婦人)
2018-06-04 07:37:41
じいじ様、六本木までマイカーでしかも緊張もなく行かれたのですね。信じられません。私には到底真似できません。じいじ様こそスーパーじいじです。その若さと行動力に感心しっぱなしです。尤も、じいじ様は運転免許試験も優秀でしたし、日頃から愛車で都心へお出かけですので当然のことかもしれませんが。それにしても、六本木は変わりましたね。私の知っている六本木はアマンド(喫茶)、ニコラス(ピザ)、キャンティー(イタ飯)ぐらいでした。

じいじ様の母校藤島高校の話を聞くといつも思います。何故校名を福井高校にしなかったのかと。総理大臣(岡田啓介)やノーベル学者(南部陽一郎)、加えて深田久弥や宇野重吉のような著名人を多数輩出した福井を代表する名門高校なのに。調べてみると、福井市立と大阪府立の福井高校がありましたが。そうそう橋本左内は26才の若さで斬首(安政の大獄)されたのでしたね。可哀想。

この写真を撮った六本木ヒルズの屋上(スカイデッキ、海抜270m)はチャンスがあったらじいじ様にも是非お勧めです。下階にも360度の展望室がありますが、矢張り窓越しでない屋外からの景色は格別です。でも、車椅子だと途中に階段があるので無理なのと別料金(500円)が掛かるのが問題ですが。因みに、初めて登って、青山墓地があんなに広いとは思いもしませんでした。しかも都心のまん真ん中に。

ごようつつじ様は山岳部だったのですね。私は山が苦手で、飯田(長野)時代は遠足と言うと山登りばかりで大嫌でした。苦労をして山に登っても、皆はお弁当を食べた後でいつも私だけ寂しいお弁当でした。正確には一緒に付き添ってくれた先生と一緒でしたが。でも、今となってはその時のキャンプや飯盒炊爨(はんごうすいさん)は楽しい思い出です。
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Unknown (エイム・ハイ)
2018-06-05 17:00:20
こんにちは
六本木で少々・・・
んん十年前、小生の入社した会社は当時恵比寿に事務所があり、そこへ通勤していました。銀行は六本木の銀行に口座を作りました。今でもそこが我が家の主銀行になっています。
当時その銀行は六本木に2店舗あり、駅に近い東六本木支店という方でした。(今ではここを六本木店としているようです) もうお解りでしょうか、太陽神戸三井です。へへへ、今でもこのカードを使っていますよ。すぐ「さくら銀行」に名称が変わったのでこのカードを見せると若い行員の方は驚きますね。
当時土曜日は半ドンで家内が小さい娘を連れて恵比寿のガード下でよく待ち合せをしたものでした。そして六本木や広尾、青山など行った覚えがあります。まだ高層ビルが無かった時代でした。若かったなぁ。
ハハハ勝手なことを書いて、ごめんなさいね。
では
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