徒然なか話

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帰って来たシェーン! ~午前十時の映画祭~

2011-02-10 16:36:41 | 映画
 不朽の名作とはまさにこんな映画のことを言うのだろう。第2回目となった今年の「午前十時の映画祭」、熊本における先陣を切ったのは西部劇「シェーン(1953)」。僕が劇場で見るのは、初めて観た50年前以来3回目だ。その間、ビデオで観た回数は数知れず。にもかかわらず、やっぱり今日もラストシーンでは泣いてしまった。同年輩の方はおそらくみんなそうだと思うが、少年時代に観ているので、ジョーイ少年と全く同じ視点で観ているのだ。つまり、ジョーイ少年への感情移入が甚だしいためだと思われる。また、何度観ても、極めて丁寧な作りには感心する。子どもたちを始め、馬や牛、犬などの動物の描き方に至るまで、一つも手を抜かず、意味のある映像になっている。ジョージ・スティーヴンス監督作品は、他の作品もそうだが、そんな丁寧さが格調の高さとなって表れているような気がする。ただ、残念だったのは、覚悟はしていたものの、フィルムの傷みがひどかったことだ。この作品は2003年問題の時に、「ローマの休日(1953)」などとともに話題になったが、著作権が既に消滅したとされている。しかし、マスターフィルムを所有していると思われるジョージ・スティーヴンス・ジュニアもしくはパラマウント社がデジタルリマスターをしていないので、劣化した映像しか見られないという悲しい事情がある。いつの日か、デジリマ版が上映されることを願ってやまない。それにしても、平日の朝、しかも旧作というのに観客の意外な多さには驚いた。「シェーン」人気の根強さをあらためて感じた。


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4 コメント

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Unknown (きりん堂)
2011-02-10 20:34:05
「シェーンカンバック」のあまりにも有名なシーンですね。この映画のどこかにその当時あるはずのない列車が走っているシーンが誤って写っているという話を聞いたことがあります。それはともかく、高校時代に良く通った映画館を思い出しました。上通りを入って北側(熊日新聞の反対側)に洋画専門の2(3?)番館がありましたね?定期考査の時は昼から授業がないために勉強そっちのけで、良く映画に行ったものです。何という名前でしたかね?
 
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Re:きりん堂様 (FUSA)
2011-02-10 22:29:10
> 当時あるはずのない列車・・・
オープニングタイトルのシーンですね。
アメリカ人って意外とそういうのは平気ですよね(笑)
> 熊日新聞の反対側に洋画専門の・・・
ありましたね!名前が思い出せないんですが、どこかに「南」という字が入っていませんでしたか?
なにしろ、昭和30年代の初め頃は、たしか熊本市内に30館以上あったらしいですよ!
映画で学んだことが多かったですね。
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懐かしさは止めがありません。 (きりりん堂)
2011-02-11 09:07:03
ありがとうございます。ネットであの映画館の名前を調べましたが、まだ見つかりません。いつも懐かしく見ている「熊日ふるさと写真館」に期待しましたが、ありませんでした。でも、熊本中の古い映画館の写真が載っていました。昭和30年代までは、一寸した町には必ず映画館があったものですね。故郷の阿蘇内の牧にも一軒ありました(それ以前にはもう一軒あったそうです)。1960年後半まで、母校熊商近くの電停水前寺公園前や国鉄水前寺駅前にそれぞれあった記憶があります。
 齢近くとなるとつい、熊本に関連したことが無性に懐かしく、些細なことに興味を持ちます。最近知ったことですが、かっての映画界のワンマン永田雅一の父親は阿蘇の出身だそうです。東雲楼について調べていた時、東雲楼の中嶋茂七の娘が森雅之との間で産んだ子が中島葵であることも知りました。かって、京都に「京一会館」という学生相手のすごい映画館があり、そこでオールナイトの彼女の出演作を何本も観たものでした。
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Re:懐かしさは止めがありません。 (FUSA)
2011-02-11 11:13:59
上通りの商店主にたずねてみました。最後まで残っていたのは熊本宝塚劇場だそうです。ただ、これが開業したのが昭和41年だそうですので、私が憶えているのは、その前の全映座だと思われます。昭和30年代には、上通りには他にももう一軒あったと記憶しています。
永田雅一の父親の話は昔、何かで読んだ記憶がありますが、すっかり忘れていました。
中島葵ですか~、懐かしいですね。やっぱり代表作は「愛のコリーダ」でしょうか。フランスの無○○版を観ましたが、まさしく名画だと思います。
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