のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

腐敗の風

2014年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も寒い一日でしたが夕方プチ吹雪になりました。もう地温が上がっているので地面に落ちた雪はすぐ溶け、積もるほどではありませんが、風が強かったので一時期は前が見えなくなるほど雪が吹き荒れました。

 

 昨日、今日降った雪は白い雪でした。当たり前のようですが、近年そうでもないんですよ。

 

 春になると黄砂混ざりの雪が降るのは例年のことで、積雪が黄色っぽかったり赤っぽかったり、細かいほこりのような砂なので、この雪の上をスキーで滑ると滑らなくなるんです。この3-4年の特徴だと思いますが、黄砂混ざりの雪が黒っぽくなりました。しかも、なんか雪が油っぽいんです。腐ったような油の臭いにおいまで漂うようになったんですから当然のことかもしれないですね。

 

 問題はあの隣国なんですが、海を越えた日本でこういう状況なんですから、本場はどうなっているんだろう?凄絶な状態になっていることでしょうが、まさに身から出た錆。

 

 魯迅が「阿Q正伝」と言う小説の中で、阿Qと言う人物を用いて清朝末期のニーハオ人を批判しています。「俺が悪いんじゃない、世の中が悪いんだ」と言う精神の持ち主で、気位だけは高い。

 

 村の金持ちの女に言い寄ったが相手にされず村八分になり、村を追い出され盗みを重ねながらの逃亡生活、革命ののろしが上がればそちらについていくものの意味が分からないから相手にされなくなる。最後は無実の罪で殺されてしまうのですが、全然同情する気になれない人物が阿Qです。

 

 私が「阿Q正伝」を読んだのはまだ日中国交再開して間もないころで、そのころの中国はまだ「論語」の世界の住人に思えていましたから、何とも納得できない理不尽な人物だと思えてなりませんでしたが、戦争中鉄砲担いで向うに行ってきた人たちは「シナ人はこういう人間の集団だ。」と言ってました。

 

 日本だって似たような連中がいるじゃねえか!と言えるのが日本人の奥ゆかしいところですが、あんな日本の民主党員程度の卑しさなどまだ高貴に思えるほど、壮大なスケールの大きな狡さ卑屈さ超卑しさが大陸にはあります。あの恥知らずの社民党だって卑しさにかけてはまだまだ子供です。

 

 「公害」って言っても「公」の概念がないからPM2.5で問題になる石炭だって、「他に燃料がないもん、俺のせいじゃないもんね。」「俺が燃やしている石炭なんぞたかが知れてるでしょう。」「わしら、本当にかわいそうな人々やねん。暖房に使って何が悪いねん。」と小さな身勝手が大河の一滴になっているわけで、最後は咳が止まらず死んで行っても「お疲れ様でした!」で、すでに次の「身勝手」が猛威をふるまっているから誰も同情しない。腐敗官僚の汚職同様なくなりませんね。イタチごっこなんて言ったらイタチに失礼です。

 

 もはや、空気清浄器だプラントの刷新だと周りが手を差し伸べても、人が手を貸せば「困った時には誰かが助けてくれて当たり前」と何もしないので自助力がないどころか、人情があだになる。「ありがたい」と言うことは「有難い」ことなのですが、「当たり前」の人たちにはその意味が分かりません。

 

 こゃ、14億人民とのチキンレースになるぞ!と残酷ですが死に絶えていくのを見るのも「責任」だと思います。あとは腐ったミカンの流入を食い止めることに専念しないと。

 

 今更ながら菅原道真の大陸との交流を断った決断は大したものだったと頭が下がりますが、切れ者の菅原道真大陸との国交で利権にあやかっていた連中によって太宰府に流されてしまいました。結果、日本は飲み込まれないで今日の地位を維持し続けてきたわけですが、中華の波は腐敗の波なんでしょうか?

 

 オリンピックだって大小中華の中韓が入り込んできてからずいぶん胡散臭くなってきました。元々は貴族のお遊びだったはずですが、「庶民」が運営するようになって、なんだか様子が変わってきたと言うより、価値がなくなってきた。

 

 腐敗の風が広げたのはPM2.5ばかりではないみたいです。

 

 雪深いこちらでも来週あたりから木々が芽吹き始め新緑が始まります。日本産の安全な酸素と水を供給するために山の手入れをする。この山人たちの小さな積み重ねを「Co2排出権」で売買している行政って中国人みたい?

コメント
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