のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

Le temps qu'il nous reste

2014年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、通学する小学生たちと一緒に通学路のゴミを拾いながら歩きました。雪が溶けてくるとゴミが目につきます。草が伸びる前に拾っておかなければなりません。

 

 通学路の道路の脇でなんたら党ののぼり旗を立てた5ー6人が、通り過ぎる自動車に手を振っていました。小学生は選挙権ないし、一緒の歩いているアナーキーなおじさんは無視するのが一番と、目も合わせ手くれなかった。
 「きれいで住みよい町を作りましょう!」と声を上げていましたが、本当にそう思うならそんなとこに突っ立っていないでゴミでも拾い歩け。口動かさないで体動かせ。

 

 今月20日に投票を迎える町議会選挙もにわかにきな臭くなってきました。予定では定員より3名多い立候補者ということで、落選候補の二人ほどは既に火の車になっている情報が入っていますが、でなければよいのにでるところを見ると何か策があるのでしょうか?蓋を開けてみないとわからないとは言うものの、残す落選一義席を巡って熾烈な争いが繰り広げられそうです。

 

 近隣の市の市長選など罵りあい合戦の様相が濃くなってきました。今までこんな争いはなかったのですが、市民の民度が低下したのだろうか?

 

 
 選挙に出る候補者は実に如実に自らの欠点を把握しているなと感心することがあります。おもしろい事に候補者が掲げるスローガンはその人物に一番かけている要素に思えます。

 

 「ぶれない政治!」と旗頭にしている人物が、親分を巡ってあっちにくっつき、こっちにくっつき、本当にぶれていないのは損得勘定だけ。「決断と実行」と掲げている人物がこの12年も何も決やらない方が敵を作らないとズルズル生き延びていたり。

 

 確かに、国を見ても「友愛」と掲げた人が自分の考えがすべてで、周りが見えないバカだったので友人もいなくなってしまったり。「平和主義者」を自称する人物が攻撃的で喧嘩っ早く、原発爆発させる要因だったり。国民のことなんぞ関係ない、自分のやりたいことを強引にやる人物が「国民の生活が第一」なんだよね。

 

 見事に自分に欠けている部分を見つけだしています。まぁ、スローガンなんてそこに至っていないから掲げられるものですから、立派なスローガンの背景には立派なことがないことを意味します。廊下を走る生徒がいなければ「廊下をは静かに歩きましょう」の張り紙もないわけです。大関昇進の力士の四文字熟語も似たようなものかな。
 「テキトー」とか「ほどほどに」なんてスローガン掲げられたらなかなかの人物かもしれません。

 

 
 スローガンと言えば社会主義のお得いでしたが、問題は見つけられても「カイゼン」の概念がなかったから滅んでしまいました。未だに細々と残っているスローガン国家の人民大会議だって、基本的にスローガン決めるようなもの。親分は具体的なことなど関係なく下々の犠牲と袖の下でスローガンは成り立つわけで、ワンマン経営の中小企業みたいなものです。

 

 旧スローガン国家のソビエトが滅んで四半世紀、形成国だったウクライナがまた怪気炎を発しています。ドツクネンやのうて、ドネツクとハリコフではロシア系住民が独立自治を求めて決起しだした模様。

 

 スターリンの時代に民族シャッフルしてウクライナの住民を極東ロシアに追い出してロシア系住民がウクライナに入り込んできましたが、遠からず起きる事態だったのかもしれません。

 

 90年代のロシアに行ったとき、経済混乱まっただ中でしたが、国が滅んで手に入れた「自由」の使い方をもてあそんでいました。自由はほしかったけどその自由をどうやって使って良いのかわからないが当時の本音だったんでしょう。でも、今更後には戻れない。自由の代償を支払っていた時代でした。

 

 その点、中国は自由はなくても勝手がまかり通るから、人権の代償に勝手を手に入れました。お互いの信頼の上になり立つ「民主主義」と力関係の中で幅を利かす「勝手」では価値観の基準が異なるので、出来るだけ関わらない方が正解なんでしょうね。

 

 その価値観の異なるスローガン国家が街の水利をねらっているという話がちらほら飛び交っています。食いつく前に早めに手を打たないと東京の水も危うくなるのですが、このあたりを候補者にぶつけてみようかな?

 

 本当は今日は別のネタだったんですが、朝からあまり心地よくないものを見ちまったのでついついネガティブなネタになってしまいました。

 

 本当はもっとネガティブなネタで、人生終焉が近づいてきた年齢になって、快く旅立てる話題でもないかなと思いついたのが”Le temps qu'il nous reste”と言うシャンソン。「残された時間」と言う意味ですね。

 

 ナナ・ムスクーリの創唱も好きだけれど、今回は男性シンガーのフランク・ミシェルの創唱でご紹介します。

Quelle importance le temps qu'il nous reste
Nous aurons la chance de vieillir ensemble
Au fond de tes yeux vivra ma tendresse
Au fond de mon coeur vivra ta jeunesse
Comme une prière du temps de l'enfance
Ces mots sur tes lèvres me donnent confiance
Je nous imagine ta main dans la mienne
Nos moindres sourires voudront dire: Je t'aime.

 残された時間なんて重要じゃない、幸い私たちは同じように歳をとれるのだから

 あなたの目の奥には私の愛が生き、私の心の中のあなたは若い時のまま生きる

 子供の頃の祈りのようにあなたのくちびるからこの言葉が出ると安心するの

 そのとき私たちは手を取り合い、小さな微笑みも愛の言葉になりそう

Mais l'un de nous s'en ira le premier
Il fermera ses yeux à jamais
Dans un tout dernier sourire
Et l'autre en perdant la moitié de sa vie
Restera chaque jour dans la nuit
Son coeur bien sûr battra
Mais pour qui? mais pour quoi?

 でも私たち、どちらかが先に行くことになるでしょう

 最後のほほえみを残して永遠の目を閉じる

 残された者は人生の半分を失い、毎日が夜の闇の中で過ごすでしょう

 もちろん、心臓は脈打っているけれど、誰のために?何のために?

 

 
Ton pas résonne, la porte s'entr'ouvre
Mon coeur bat plus vite et je te retrouve
Nos mains se tiennent j'oublie tout le reste
J'ai l'impression même que le temps s'arrête

 その時扉は開き胸が高鳴り、あなたを見つける

 二人が手を取り合うとき、私はすべてを忘れる 時が停まったように感じながら

 

Mais l'un de nous s'en ira le premier
Il fermera ses yeux à jamais
Dans un tout dernier sourire
Un jour l'un de nous sera trop fatigué
S´en ira presque heureux le premier
Et l´autre s´en tarder viendra le retrouver

 でも私たち、どちらかが先に行くことになるでしょう

 最後のほほえみを残して永遠に目を閉じる

 ある日どちらかが疲れ過ぎて、幸せそうに行くでしょう

 残された者もすぐに追いかけて行くでしょう

 

 
Je nous imagine ta main dans la mienne
Nos moindres sourires voudront dire: Je t'aime.

 そのとき私たちは手を取り合い、小さな微笑みも愛の言葉になりそう

コメント
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