のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

十二様

2014年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年4月12日は赤谷の十二様の縁日。中々休日と重ならないので行く機会がありませんでしたが、今年は久々に顔を出すことができました。

 
 十二様は山仕事の人たちにとって大切な神様で、山の守り神です。


 かつては毎月十二日は十二様が山の木を数える日なので、山に入ってはいけないと、里で酒や料理を持ち寄って宴をする十二講と言う行事がありました。


 今で言うなら休日ですね。

140412b  山の中を歩いていると、道とは関係のない森やときには藪の中にこうした十二様の祠を見かけます。


 本当に祠の外枠だけで中には何もありませんが、どういういわれでこの祠をこんな人気のない山の中に持ち上げたのか?その労力も大変だったと思いますが、なんでだろうな?といにしえの人たちとの対話も面白いものです。


 今も昔も危険が多い林業ですから事故や何かあったのだろうか?それとも山の恵みに感謝の意味だけだったんだろうか?理由はさておき、山からいただいたもので細々と生き延びてきたのは事実です。

  今回この十二様のお祭りに顔を出したのは間引き絵馬を見るためです。

 

 昨年の5月3日のブログで羽場の日枝神社の間引き絵馬を紹介しましたが、県内に7-8件しかない間引き絵馬のもう一つがこの赤谷の十二様の絵馬です。羽場の日枝神社の間引き絵馬はオリジナルですが、こちらの絵馬は本体を県の博物館が持って行ってしまい。ここに掲げられているのはそのレプリカです。

 

 
 生まれたばかりの赤子を抱く母親の顔が凶器の目つきになっていますが、その上に顔のない女が生まれたばかりのはだかの赤子を締め殺す絵が描かれています。

 

 
 私が子供の頃はレプリカではない本物の絵が飾られておりもう少し色が残っていたと思いますが、子供心に胸をかきむしられるような悲しさが漂う絵でした。多分この母親が抱いている赤子はすでにこと切れているのだろう?と子供心に感じたものですが、こうした「負」の歴史を縁日で教えられて育ちました。

140412c  十二様の付近から見える仙の倉山(2026m)とその右に尖った雪山がえびす大黒の頭(1888m)。この山の裏側は新潟県です。

 

 
 ふたこぶの大きな山仙の倉山には七人の仙人が住んでいると子供の頃に教わりました。この山の谷筋に七本の雪渓が残るのでこれを仙人に例えたのでしょう。地区によっては七人の百姓と呼ばれていますが、この雪渓の雪残り方を見て農業の種まきや植え付けの目安にしていたそうです。それゆえの七人の百姓なんでしょうね。

 

 
 昔はこういう言い伝えを半分笑っていたんですが、異常気象の年など、残雪の形状が微妙におかしかったりするので、昔の智慧を侮るなかれ。

 
 今年は????ほどほどでいいんじゃないかい?

 山の神様のご機嫌を損なわないように謙虚に暮していればのことですが・・・。

コメント
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