お腹もいっぱいになったので、幕末に生きた河井継之助の記念館に行ってみることにしました。
どうして、只見町にと思いましたが、この地で亡くなっていたのです。
人物については、ここを参考に。
同じ名前の記念館は、長岡にもあるようです。
亡くなった家の一部をこの記念館の中に移築しています。
長岡から会津若松までの途中で、この六十里越えをしていて、亡くなったようです。
天地人の兼続もこの峠を越えたようです。
立派な建物でした。
道路から、少し高い場所にあるので、分かりにくいです。
道路の横に只見線が走っていて、そこを渡り、坂を上ります。
建物の前には、古い民家があるので、なおさら分かりにくかったです。
この場所からは、滝湖が見えました。
たた、亡くなっただけの地にこんなに立派な記念館やお墓があるのには、驚きました。
司馬遼太郎もこの地を訪れているようです。
「峠」の中に書かれているようですが、私は、まだ読んでいません。
この場所は、塩沢といいますが、何で?と思ったら、この山の中で塩の出る淵があり、塩を作っていたそうです。大昔は海の底だったのでしょうか?
この後、只見線には、乗らず、往復とも車にしました。
途中休憩で、入広瀬の鏡ケ池を散歩しました。
仲良いアヒルがいました。
どうして、只見町にと思いましたが、この地で亡くなっていたのです。
人物については、ここを参考に。
同じ名前の記念館は、長岡にもあるようです。
亡くなった家の一部をこの記念館の中に移築しています。
長岡から会津若松までの途中で、この六十里越えをしていて、亡くなったようです。
天地人の兼続もこの峠を越えたようです。
立派な建物でした。
道路から、少し高い場所にあるので、分かりにくいです。
道路の横に只見線が走っていて、そこを渡り、坂を上ります。
建物の前には、古い民家があるので、なおさら分かりにくかったです。
この場所からは、滝湖が見えました。
たた、亡くなっただけの地にこんなに立派な記念館やお墓があるのには、驚きました。
司馬遼太郎もこの地を訪れているようです。
「峠」の中に書かれているようですが、私は、まだ読んでいません。
この場所は、塩沢といいますが、何で?と思ったら、この山の中で塩の出る淵があり、塩を作っていたそうです。大昔は海の底だったのでしょうか?
この後、只見線には、乗らず、往復とも車にしました。
途中休憩で、入広瀬の鏡ケ池を散歩しました。
仲良いアヒルがいました。