のら猫の三文小説

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香奈とコシロの子供たち No.10

2013-06-08 00:02:15 | 香奈とコシロの子供たち

先天性疾患のある胎児への薬が出来た




一方、製薬も癌の新薬の特許は切れそうだったが、肝心の物質はまだ特定できず、使っていた薬草も特殊なものであって、単なる模倣では、大した効果が出なかった。そして、心臓疾患などの循環器疾患、消化器疾患などと、薬を出し続けていた。薬草抽出液を使い、新薬が次々できた。


遺伝子研究センターは、これらの薬でも基礎的な研究は続けていたが、応用研究は製薬に任せ、遺伝子研究センターを作った大きな理由であった、先天性疾患を持つ恐れのある胎児についての研究を進めていた。ついに遺伝子研究センターと製薬の合同特許で、ジブトラストの目指していた、先天性疾患のある胎児への薬が出来るようになった。


これは、胎児の段階で、先天性疾患を初めとする多くの疾患を未然に防ぐ事ができる薬であった。様々な動物実験を繰り返していて、効果は確認されていた。ただ肝心の薬理物質の特定が出来ず、幾つかの漢方薬の抽出液と特殊な遺伝子修復酵素としか云えなかった。この点が問題点とされていた。慎重に毒性などを調査されていた。


神野喜作はもう高齢となっていたが、製薬と遺伝子研究センターと話し合い、新しい薬も飲んで、その許可を国に強く求めた。許可はなかなかおりず、社会的な問題にもなった。神野喜作を初め、産婦人科小児科病院の多くの医師や看護婦たちが、自ら薬を服用して、毒性のない事を強く訴えた。とうとう治験薬として許可がおりた。不安で一杯の妊婦たちに、根気よく説得し、ついに産婦人科小児科病院で、事前の兆候のあった胎児から、その兆候がなくなり始めた。まだ完全にゼロにする所まではいかなかった。少ない比率だが、先天性疾患を持って生まれる赤ちゃんもいた。乳児の段階でも投与していく事ができるように求めた。遺伝子研究センターは、一人ずつの遺伝子の該当欠損部位を調べて、対処方法を検討して、病院と検討しながら治療を進めた。完治とまでは行かなかったが、ほとんどの症例では治った。そして結果を踏まえて、薬を改善して、やがて妊婦用の薬として許可がおりた。



「今度の薬は、画期的な薬だったね、胎児の段階で治すと云う発想は素晴らしいね。まだみんな使っていないのね。病院の回りは、妊婦で一杯らしいよ。」
香奈「まだ不安もあるとか云う人もいるんだよ。効果のない人も稀にいるし、何が効くかそんなに完全に説明されていないとか言ってるのよ。ここの水にも弱いけれども、少し含まれているらしいよ。でも時間が経ったり、この敷地から離れると効果は弱くなるらしいよ。これはまだ公表していないのよ。
「そんな水を毎日、飲んでいたんだね。」
香奈長い間、かなりの投資をしてきたけど、ついに目的の薬が出来たよ、神野先生も喜んでいたよ。」



少しずつ、この薬は普及していった。製薬も遺伝子研究センターも少しの利益しか設定しなかった。ジブトラストや製薬の一部には、普通の薬のように、開発費用にまかなう値段設定を言う人もいたが、ジブトラストでは香奈や正子に睨まれ、黙ってしまった。製薬でも、友恵が遺伝子研究センターの意向として、反対意見を押し切った。




原料の薬草は、製薬の薬草園で栽培されたのを十の効果があるとすると、日本の他の地域は七ぐらいで、試しにアジアで栽培したものは、五程度だった。世界各地で栽培されたもので、地下水や井戸水に細胞活性効果が少しでもある所では、製薬の薬草園で栽培されたに匹敵する薬草も採れた。製薬は、十分な量を確保する事が出来た。製薬と遺伝子研究センターは、なおも作用物質の特定に努めようとしていたが、それはまだよく判らなかった。