のら猫の三文小説

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次平の復讐 No.13

2012-11-23 07:57:45 | 次平の復讐

その頃次平たちは長府の城下へと急いでいた。



お城からは、誰が急病という話ではなく、単にいつ到着するのかという催促であった。宿や治療場まで用意しているとの事である。下関の町並が遠くなって、武士の一軍が急いでこれらに寄ってきた。次平らの一行である事を確認すると、案内するために来た。この先の庄屋の家で城代家老の須坂がお待ちしている。須坂の話では防府の殿が思わしくなく、御殿医が診察しているが、心の病気かもしれないがよく分からない。心の病気では名高い次平がこれらに向かっていると聞いたらしい。次平は、須坂に幾つか質問した。殿はいつから体調がよくないのか、急に悪くなったのか等を聞いた。取りあえず様子をみるために、京二と源三をつれて、須坂とその脇侍ともに、馬に乗って、お城へ急いだ。 



お城では、早速 殿様の寝室で診察する事とした。御殿医からの報告を聞き、診察する事とした。不整脈が強く、呼吸も乱れ、熱も高かった。強心剤と解熱剤及び睡眠薬等の薬を中心に投薬した。身体を安静に、症状の安静化に努めた。家老の須坂に面会を求め、京二と源三に、殿様の食事の調査と器について調査させたい旨を告げた。須坂は聞くや否やも一瞬にして青ざめて、「まさか、毒味役もいる事ですし」といった。次平は、「京二は元々医師です。お殿様の食事がお体に触っていたいたかもしれず、器は陶器の塗り薬等に問題がない事を確認したいだけです。」しかし源三が器の調査を始めると城中では静かな波紋が広がった。京二が殿様用の食事を作り始めると、近寄る人は少なかった。殿様の熱は下がり、一眠りすると食欲も少し出ていた。その時には京二は料理を作り上げていた。毒味役は、その膳を見て驚いた。町の飯屋にでも出てきそうな料理であった。「お粥、シジミ汁、小さな豆腐料理、焼き魚、香の物」とほうじ茶。毒味役は少しづつ食べるのであるが、お粥はもう一口食べたくなるのを押さえるのに苦労した。食べやすく、あっさりと美味しい。毒味後急に空腹感が出てきた。殿様は一眠りした後で、お粥は2杯食べた。焼き魚は骨がなかった。結局ほとんどたべてしまった。食べた後又眠たくなり、寝てしまった。 



城中の別室で、須坂と次平も同じ料理を食べていた。シジミ汁は、大量のシジミを炊き、何回も濾過させ、薄く味噌で味付けしたものである。豆腐も実は京二が城中で作り上げて 
野菜を湯通しさせ、細かく刻み、消化を促す薬草をのせ、豆腐の上にあんかけしたものである。焼き魚と見えたものは、鯛の大きな刺身を卵で2つ重ね、薄く味噌を載せ、それを炙り焦げ目らしく見せていた。 ふつうの粥に見えていたのは、鰹節で出汁を取り、そこに良く洗った白米を入れ、炊きあげたものに、蒸し鶏のほぐした身を加えていた。ほうじ茶は実は薬草入りのものであった。 



須坂もほぼ食べて、なるほど京二殿の腕は大したものですね。次平殿それで殿の病はどうでしょうか。まさか誰かが毒を入れたいたと言う事はないのですね。次平はこういった。数日後お体が安静になってから、ゆっくり診察するつもりです。毒についてはほとんど問題はないようですが、まだよくわかりません。まだ詳しく診察できていませんので、これ以上は申し上げられません。 



翌日 殿様はかなり元気になっておられ、直ぐに萩に出かけたいと言われた。次平は言った。「薬はどんな薬でも一時的な押さえに過ぎません。殿のお体は至る所で、心が臓器が悲鳴をあげています。単に一時的に薬で緩和したものに過ぎません。なぜ悲鳴をあげたのか調べなくてはなくなりません。当座しのぎは決して問題解決ではありません。私の仲間の医師で料理に詳しい京二が殿様の身体を中から治す食事を考えております。食は薬です。」殿様はしばし黙って、「余の身体は任せる。夕べの膳も今日の朝の膳も美味しかったと伝えてくれ。なぜ悲鳴をあげたのかその理由を調べるのが重要か。それはそれかもしれない。次平済まないが、須坂と話をしておきたい。須坂を呼んで欲しい。話をする事は問題あるまい。」次平は、こういった。「2時間を限度にお願いします。殿の身体が良くなればこの時間は増えます。無理をすると、綻びがでます。」「分かった。そちは名医ではなく千里眼と言えるかもしれない」と笑った。 



殿様と須坂との話は、色々な人を呼びながら、結局3時間を超えた。次平に怒られるので、今日はここまでにしておこうとの殿の声で会議は終わった。次平は呼ばれ、診察した。「心と肝が弱っているようですね。元々お強くないのに無理が重なったと思われます。お酒は当分いけません。お薬は代えます。それをお飲み下さい。」と言った。「なるほどそちは前もって考えていた訳か、余は釈迦の手の孫悟空であったのか。」 



薬と京二の食事で殿様は回復の兆しが見えてきたので、宿に帰れるようになった。京二も城の賄い方に食事について指示できるようになってきた。



更に数日間過ぎると、城下での治療も目途が見えてきた。毛利道隆は萩に行かなければならないようであった。次平は我々の仲間で諸国の事情に詳しい者がいます。つれづれの参考になれば話をさせますといって三之助を紹介した。道隆は三之助と暫く話をしていたが、家老の須坂も呼び色々な話をしていた。道隆は三之助に「情報は、どこから入手するのか、次平や鉄平から得るのか」と聞いた。三之助は「私からは情報は参考までに差し上げていますが、次平先生や鉄平旦那からは話を聞く事はありませんし、こちらから聞く事もありません。聞いてはいけない事ですし、人に話してもいけないものです。人に話して行けない情報は知っても仕方がないものです。私は町の噂や瓦版、各地にいる私の仲間から得ています。今お話したのは、各地で囁かれている事を纏めたものです。本当は機密と呼ぶものではありません。でも案外、人はこのような事で左右されやすいものです。」「三之助、お主は武家の出だな。藩名を聞こうとは思わないが、長州の情報力はどう思う。」「長州様は、いい面でも悪い面でも人の噂に鈍感です。多くの人は真実を見る事は出来にくいものですし、表面的に見たものでしか判断できません。」 



長府は長州の支藩で、殿様は長州の家老格でもあった。そして道隆は長州の重臣で、幕府とも何かと折衝の機会が多かった。「なるほど そういう見方もあるかもしれない。次平は名医であるが、医師と人入れ屋とは関連する事もないと思われる。次平はなぜお主を連れているのか?」「先生のお気持ちは分かりませんが、私はこう思っています。病気になれば、働く事が出来ないか、そうでなくても働く時間や働き方に制限ができます。折角次平先生が治療しても、劣悪の環境で働けば、又病気になってしまいます。そんな事をさせないように、働き方や職の斡旋をしています。それに案外貴重な経験を持った人もいて、適切な職も十分あるし、色々な働き方が可能な事も多いものなのです。お金の話で恐縮ですか、次平先生はお金に恬淡ですが、お金持ちの旦那さんからかなり頂いております。貧しい方からお金を受け取ろうとなさいません。しかしいつも貧しいままでいいとは思えませんし、お金を払わないと遠慮して、病状をちゃんと言ってくれない事もあります。働いてお金が出来たら頂きますので、施しではないと言う事は必要ではないかと思っています。その人に適切な働き方を相談させて頂くは、一緒の治療であると思っております。それには、働き方などの色々な情報も必要なのです。」道隆は黙ってしまった。道隆は、次平と相談して、一緒に萩にいくように準備を始めた。 






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