のら猫の三文小説

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次平の復讐 No.21

2012-11-26 18:38:43 | 次平の復讐

次平、禁裏に呼ばれる




禁裏からの使者が到着する前に、松江公からの使者が来て禁裏に参内するように言って来た。禁裏は次平らの日程を正確に把握しており、松江公に次平が禁裏に参内する事と暫くの滞在を命じるように求めてきた。

松江公としては否応もなく、文書を出さざるを得なかった。禁裏からは、明日参内するようにと次平は禁裏に呼ばれた。さる尊きお方は帝の事であった。禁裏での診察は困難を極めた。何しろ身体に触れないで診察するのであるから。次平は、今使用している薬や症状などについて説明を受けた。その後、帝は、次平を呼んで、お人払いをされた。

症状について申してみよといわれ、恐れ多い事ではありますが、直接ご尊顔とお脈を診たいと言った。帝は特に許した。若干のむくみや不整脈が強かった。これは大変な事になった。禁裏からは宿に帰る事は禁止され、薬もできれば、禁裏内にあるものを使うように要請されたが、禁裏にある薬では無理といって、薬については持ち込むが許された。

中山に薬を指示して投薬した。禁裏では南蛮由来の薬をそのまま使用する事は難しいので、漢方処方に混ぜ込み、当時の日本では入手が難しいと言われる高貴薬との混同も行った。当座の薬が無くなりそうだったので、薬の手配は禁裏御用として鉄平の各店に対して早急に行われた。鉄平は急遽京に出店を作り、源三配下の人を呼び寄せた。数日間、薬を複雑に交換して、5日後には、帝もそうとう回復されていた。次平はようやく宿に帰れる事になったが、当分京を離れる事は出来なかった。 


鉄平、鴻池の隠居と会う、大阪でも薬種問屋を出す事になった。



鉄平は、鴻池の隠居との会談を済ませた。鴻池の隠居は非常に好意的であったが、大規模な薬種問屋や物産問屋を作る事に慎重な姿勢を取る鉄平の意見には懐疑的であった。

「鉄平さんらの仕事は早急に必要な事であり、京にも出店が必要となるだろう。資金回収や経営についての横やりなどについては、私が許さない。人についても河内屋に準備させる。鴻池を信用して欲しい。」と言った。

鉄平は「私どもは、せいぜい2千両程度しか用意できません。それ以上出せば各地の店に影響が出ます。」松江の屋敷に残る約千両と江戸からの提示してきた半分の5百両は、予備の金としておいた。鴻池の隠居は当座の資金繰り等を含めても、五千両あれば、十分やっていけるだろう。

鴻池の隠居は言葉を続けた
「河内屋と源三さんと早急に話をさせよう。取りあえず鉄平さんと鴻池で、2千両つづ出して、大坂に薬種問屋と物産問屋の店を作る事にしよう。5年間以上は資金回収はしないし、利益配分も求めない。運転資金については鴻池が用意する。只、金の流れは、すべてとは言わないが、少なくとも半分以上、鴻池を通して欲しい。それでいいですね。」

鉄平は頭を下げて「お願いします。しかし私は小さな鍛冶屋程度の工作場を松江に作り、江戸や大坂相手に商売できないかとも考えてもいます。そこで作った物を物産問屋に置きたいとも考えいます。そんな道楽仕事も物産問屋でやっていきたいと思いますがそれでも宜しいでしょうか」。

鴻池の隠居は言った。
「面白いではないですか、各地で得意とするものを作り、大坂、京、江戸で売る。それに私は運営については、すべて貴方にお任せします。と言った筈です。二言はない。これで決まった。具体的な話は、河内屋と源三さんで進めさせよう。源三さんはもう京に到着された頃ですね。鉄平さんも江戸にゆかれる予定と伺いました。鴻池の当主と江戸で会ってください。連絡させるように取りはからいます。」 









京に到着した源三は、数日間色々と準備していた。驚いた事に三之助も京に来ていた。京での不穏な動きの報告があり、三之助がその真偽を確かめるために来ていた。源三と鉄平は話をした。

今出せる無理のない金額というだけで各店に聞いたので、源三のいる萩の店以外は鉄平が慈善事業でも始めるのかと思い、過小に申告していたようである。大坂に店を出すと聞いて、各店は金額を上げてきた。店間の資金移動は結構行っていたが、得た利益の配分をしている。利益配分が見込める事であればという事であげたものである。

鴻池に頼らずともやっていけそうであった。鴻池の隠居との約束は約束であり、鴻池との協力関係は維持したいので、総額3千両になるように各店間の出資金を調整させ、残った金額は京都に小さな薬種問屋を作り、薬草園の拡充に使う事で、各店を説得させる。大坂の料理屋や口入屋などの売り物も別個に探す事になった。飛脚屋は既に、幸三が京と大坂に出店を出す事になっていた。源三の計画も聞いて、鉄平は了解して、源三に任せる事になった。 



2カ月を超える治療と投薬の成果もあって、帝の回復は進んだ。京二に依頼していた料理の処方などなついても賄い方に注意を与えた。今日は禁裏の医師団の立ち会いで、帝に対して病状の説明と今後のご注意を行う日であった。帝は気分も回復されたせいか、和やかな表情であった。医師団は面目を逸した事もあって、険しい表情であった。

薬についてもあれがそんなに効くのかと言った質問も出た。次平は私の調合している薬草は、鉄平の所で薬草園も含めて管理していると説明した。帝は、細かい質問はどうでもよかった。その薬は今後も次平から提供されるものと信じておられたが、「次平その方は江戸へ行くと聞いたが、薬等の問題はどうするのかと質問された。」

次平は、京には鉄平の出店を既に作っていると説明した。御上が完全にご快復するまで、中山を置いていきますと話した。帰りには、必ず参内するようにとの話で、退去する事を認めていただいた。賜り物は、なつめと掛け軸であり、禁裏近くの屋敷も賜った。この時、帝が次平に与える事を考えていた官位は高く、松江公を上回るものであり、禁裏内部で、松江公との調整をしないと後で次平が困惑し、かえって次平を禁裏に取り込みにくいとして、松江公との調整が続いていた。この事が次平が松江藩の御殿医という立場から逃れられる理由になったのであるが、これはまだ先の話である。 



三之助は、次平には何も聞かなかったが、京に中山を置いて、出立する話を知り、すべて理解した。三之助は次平と江戸や街道での話をして、鉄平と密談して、萩へかえっていった。 





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