リトルチャ人形
リトルチャ基金の個人融資のポスターを作るので、リトルチャの写真をそこに使おうとしたら、リトルチャが嫌がった。勝手にそんな所に写真つかうなと言った。
似顔絵みたいな絵ならいいですよねと聞いたら、それはいいよとリトルチャは答えた
お宝銀行は、金あったので、有名な画家に絵を描いてもらおうと、リトルチャの写真を元に描いてねと頼みに行った。画家も小遣い稼ぎで簡単に描くと思ったのだが、本人に会わないと描かないとダダをこねた。その人の内面を描くのが絵だとほざいた。
画家は、猫をドンだ、猫の稼ぎで人を助けるのだと云う、田舎の猫駅長みたいな真っ赤な作り事に加担するのがいやだったのが本心だった。ただお宝銀行は金ある銀行で、政界の黒幕といわれていた、元総理の陽太からもそれとなく頼まれていた。あんな猫をドンだと云うのかいって、断りたかったのが本心だった。
何歳と聞いたら、
ウチの頭取が銀行を買収して、スタートしたのが三十年前です、その頃にはドンは既に活躍中だったそうですから、少なくとも三十歳以上、四十歳程度ではないでしょうかね、第一そんな事をドンには聞けないです。ウチの頭取でさえ聞けません。
画家はアホかと思いながらも、フンフンと聞いた
その画家が、リトルチャに会った。
リトルチャの威厳にその画家は驚いた。リトルチャは若いときには辺りに緊張感を呼び起こす猫だったが、今では自然と威厳を辺りに漂わせる猫になっていた。
大胆不敵な顔とその威厳漂う雰囲気を見て、画家は思わず絵心を喚起されて、何枚も絵を描いた。その絵は、リトルチャ基金のポスターに使用され人気が出た。
お宝銀行では、この絵を元に、人形を作っても貰おうと、リトルキャット繫がりで、辺朗のアジア快適に頼んだ、人形つくりの名人がそれを担当する事になり、そのおっさんもわざわざ、日本に来て、リトルチャに会った、このおっさんも感動して、リトルチャの雰囲気をかもし出す、人形を作った、毛も高級な羊毛を使い、細かい点まで描写していた。
出来上がりに感心した、お宝銀行は支店の数の数倍の人形を依頼した。手作りだから時間は必要で、値段も高かったけど、そんな事を気にするお宝銀行ではなかった。
調子にのって、リトルチャの口癖の言葉、ゼニゼニと云った言葉を出せるようにロボット工学にも人形の改造を頼んだ、
ゼニゼニだけでは、なく
諦めるのは負けることだ、諦めないと単なる含み損に過ぎない、最後に笑うのは辛抱した奴だけだ、
今は所詮途中に過ぎない、ゴールはもっと先だ、輝くゴールを見ないで経過引き下がるのか
いまは暗くても、輝く明日がくるのだ、それを信じて頑張るのだ
ゼニないと、首ないのと同じで何も出来ない。ゼニ稼ぐのは明日に繋げるためなのだ。
などなどのリトルチャの口癖を出せるようにしてもらった
にゃにゃを人間の言葉に翻訳するとそうなるのだったが、にゃにゃではなくて、人間を使う事にして、リトルキャットガールズで声がよさそうな、姉ちゃんに依頼した。リトルチャの声は甲高い声でもあったし、姉ちゃんの声が良く似ていたからでもあった